第45話 大津城
琵琶湖が、見えた。
秋の湖面が——灰色に光っている。
その畔に。
大津城。
⸻
宗茂は、馬を止める。
城を、見る。
堅い。
水を背負った城。
正面からの攻めは——難しい。
「……なるほど」
十時が、隣で言う。
「要衝ですね」
「ああ」
「京への——入り口だ」
「はい」
「高次は——よく選んだ」
⸻
十時が、宗茂を見る。
「褒めているのですか」
「事実だ」
一拍。
「敵の将でも——よい判断はよい」
⸻
西軍の諸将が、集まる。
毛利元康。毛利秀包。宗義智。筑紫広門。
「囲む」
宗茂が言う。
「全方位から——兵を配置する」
「兵力は——足りますか」
「やる」
短く。
「城に——籠もらせたまま、関ヶ原に行かせない」
それが——すべてだった。
⸻
包囲、始まる。
立花勢が、城の東側を担う。
「塹壕を掘れ」
十時が、眉を上げる。
「塹壕、ですか」
「ああ」
「攻城に——塹壕を」
「城からの銃撃を防ぐ」
宗茂は、地面を見る。
「幅一間半。深さ一間」
「……道雪殿の」
「ああ」
「早込、ですね」
「塹壕から——三倍速で撃つ」
⸻
兵たちが、掘り始める。
土が、掘り返される。
汗が、飛ぶ。
「急げ」
宗茂が、声をかける。
「関ヶ原が——近い」
⸻
塹壕、完成。
鉄砲隊が、配置につく。
「撃て!」
⸻
銃声が、連続する。
一射。二射。三射。
他家の三倍の速さで——弾が飛ぶ。
城壁の銃眼が——閉じる。
「……効いている」
十時が、言う。
「ああ」
「道雪殿の戦術が——」
「受け継いでいる」
一拍。
「それだけだ」
⸻
翌日。
城壁へ、攻めかかる。
立花成家が、先頭に立つ。
「一番乗りを——取る!」
堀を越える。木柵を越える。
二の丸まで——突破。
⸻
城方が、激しく抵抗する。
高次の将兵が——退かない。
「……強い」
十時が、息を整えながら言う。
「ああ」
「城方なのに——」
「高次が——鼓舞しているんだ」
⸻
宗茂は、城を見る。
高次の旗が——まだ、立っている。
「……意地があるな」
小さく、呟く。
悪い気は——しなかった。
⸻
夜。
陣に戻る。
戦果を、確認する。
「三の丸——突破」
「二の丸——一部制圧」
「本丸は——まだ」
「そうか」
「明日も——攻めますか」
⸻
宗茂は、地図を見る。
関ヶ原。
距離を、測る。
「……本戦は、いつだ」
「報せによれば——近日中かと」
「そうか」
⸻
しばらく——黙っていた。
「十時」
「はい」
「高次は——どんな男だ」
十時が、少し考える。
「武将としては——堅実です」
「人柄は」
「……義理堅い、と聞いています」
「そうか」
「なぜ——」
「義理堅い男は」
一拍。
「義理で——動かせる」
⸻
十時が、目を細める。
「……何かを、考えていますか」
宗茂は、答えない。
地図を、見たまま。
「高次の命を——助けたい」
「……敵将を、ですか」
「ああ」
「なぜ」
「意地のある男を——殺すのは、惜しい」
⸻
十時は、しばらく——
宗茂を見ていた。
「……どうやって」
「書状を——城に届ける」
「使者を送りますか」
「いや」
一拍。
「矢に——括りつける」
⸻
十時が、目を見開く。
「矢文、ですか」
「ああ」
「届きますか」
「届かせる」
「……狙う場所は」
宗茂は、城を見る。
夜の闇の中。
高次の馬印が——松明に照らされている。
「あそこだ」
⸻
十時は、馬印を見る。
「……あの馬印に」
「ああ」
「夜に——ですか」
「明日の昼に」
「届きますか」
「届かせる」
⸻
宗茂は、筆を取る。
紙を、広げる。
書く。
「一命を助ける——約束をする」
短く。
しかし——重い言葉。
⸻
十時が、覗き込む。
「……それだけですか」
「それだけだ」
「説得の言葉は——」
「要らない」
一拍。
「義理堅い男には——約束だけで十分だ」
⸻
書状を、折る。
矢に——括りつける。
「世戸口政真を——呼べ」
「弓の達者ですね」
「ああ」
「届くといいですが」
宗茂は、答えない。
ただ——
矢を、見ていた。
⸻
この一本が——
一人の命を、救うかもしれない。
⸻
戦とは——
斬ることだけではない。
道雪殿が——言っていた。
「宗茂よ。強さとは、守ることだ」
⸻
「……覚えています」
小さく、呟く。
「道雪殿」
⸻
夜が、深くなる。
大津城の松明が——揺れている。
琵琶湖の波が——遠くで、聞こえる。
⸻
明日。
矢が——飛ぶ。
⸻
次回、第46話「矢文」——一本の矢が、命を救う。
あとがき
この話で描きたかったのは、宗茂が「高次を助けたい」と思う理由です。
「意地のある男を殺すのは、惜しい」
感情的な理由ではなく——武将としての、人間への敬意。碧蹄館で宋象賢の亡骸に頭を下げた宗茂と、同じ人間です。強い敵を尊重する。それがこの男の一貫した姿勢です。
道雪の「早込」戦術が出てくるのも意図的です。塹壕を掘って三倍速で撃つ——道雪が発案した戦術を、宗茂が朝鮮でも大津でも使い続けている。受け継ぐとはこういうことだ、という場面として書きました。
次の46話は矢文が馬印に命中する場面です。あの一瞬を、丁寧に描きます。
⸻
【お知らせ:新作戦記ファンタジーも連載中!】
史実の武勇を描く本作とは別に、魔剣を手に戦う王女の復讐劇も始めました。
戦記物としての熱量はそのままに、ファンタジーならではの逆転劇を描いています。
『魔剣に選ばれた王女 〜亡国から始まる反逆の戦記〜』
https://ncode.syosetu.com/novelview/infotop/ncode/n9418lx/
王女セリスと魔剣ノイエジールの戦いも、あわせて応援いただけると嬉しいです!




