第36話 碧蹄館・後
小丸山。
立花勢が、移陣する。
疲れた体で——丘を登る。
宗茂は、頂上に立つ。
眼下に——高陽原が広がる。
明軍の旗が、無数に揺れている。
「……多いな」
十時が、隣で言う。
「何度見ても」
「ああ」
「怖いですか」
宗茂は、少し間を置く。
「怖い」
十時が、目を見開く。
「珍しい」
「怖くない人間は——死ぬ」
一拍。
「怖いから——考える」
⸻
兵たちが、丘の森陰に集まる。
座り込む者。水を飲む者。傷を押さえる者。
宗茂は、その顔を、一人ずつ——見る。
疲れている。
痛みを堪えている。
だが——
誰も、逃げていない。
「……よく戦った」
小さく、呟く。
誰にも聞こえない声で。
⸻
「殿」
立花成家が、近づく。
「鉄砲隊——二百挺、準備できています」
「よし」
「いつ動きますか」
宗茂は、高陽原を見る。
小早川隆景の先鋒——粟屋と井上が、明軍を牽制し始めた。
「……今だ」
⸻
宗茂が、兵たちに向かう。
「聞け」
静かに。
だが——
全員が、顔を上げる。
「一人に——三本の旗を持て」
兵たちが、顔を見合わせる。
「敵に見せる。大軍だと——思わせる」
十時が、頷く。
「……なるほど」
「それだけではない」
宗茂が、続ける。
「金の兜を——日に当てろ」
「日光を」
「反射させる。敵の目を——眩ませる」
⸻
準備。
一人が、三本の旗を背負う。
金の兜が、朝の光を受ける。
輝く。
眩しいほどに。
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「成家」
「はい」
「鉄砲隊——三連射」
「承知」
「その後——」
宗茂は、刀に手をかける。
「全軍で、突く」
⸻
鉄砲が、火を噴く。
一射。
二射。
三射。
煙が、上がる。
⸻
「今だ!」
⸻
立花・高橋勢——突撃。
金の兜が、光る。
旗が、無数に揺れる。
明軍が——動揺する。
「大軍だ!」
「どこから——」
⸻
宗茂が、先頭を走る。
長槍を、構える。
敵将が——向かってくる。
一人。
また一人。
槍が、空を裂く。
斬る。突く。止まらない。
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「殿!」
十時の声。
振り返る間もない。
横から——騎馬が来る。
宗茂は、身を捻る。
刃が、空を切る。
そのまま——馬の首を、叩く。
騎馬が、倒れる。
将が、地に落ちる。
「……」
起き上がろうとする将を——
宗茂は、見る。
一瞬。
「退け」
低く、言う。
将は——宗茂の目を見て。
動けなかった。
⸻
前へ。
また前へ。
敵将、十五人——討ち取る。
馬が、血にまみれる。
刀が——曲がり始める。
鞘に、戻らない。
⸻
「殿!」
成家が、叫ぶ。
「安東が——」
⸻
金備え先鋒隊長・安東常久。
李如松と——一騎討ちしていた。
李如松を——落馬させた。
だが——
李如梅の矢が、安東を捉えた。
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安東が、倒れる。
宗茂は——それを、見た。
「……安東」
走る。
間に合わない。
安東は——地に伏したまま、動かなかった。
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宗茂は、立ち止まる。
刀を、握り直す。
「……行くぞ」
前を向く。
泣く時間は——ない。
戦が、まだある。
⸻
明軍の副総兵・楊元が——火器部隊を率いて、現れる。
「……火器か」
十時が、息を飲む。
「宇喜多の戸川と——挟む」
「連携できますか」
「やる」
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戸川達安の部隊と——挟撃。
楊元の火器部隊を——撃破。
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追撃。
恵陰嶺を越え——坡州へ。
虎尾里まで——六ヶ所、破る。
⸻
やがて。
明軍が——退いた。
完全に。
⸻
戦場に、静寂が戻る。
宗茂は、立ち尽くす。
血にまみれたまま。
刀は——曲がって、鞘に入らない。
馬の両側に——敵の兜首が、二つ。
⸻
「……終わったか」
十時が、隣に来る。
その顔も——血だらけだった。
「終わりました」
一拍。
「生きていますか、殿」
「……生きている」
「よかった」
十時が、その場に座り込む。
「私も——生きています」
「知っている」
「報告しておこうと思って」
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宗茂は——
笑った。
声を出して。
久しぶりに。
⸻
小早川隆景が、近づいてくる。
馬上から、宗茂を見る。
しばらく——
黙っていた。
「立花」
「はい」
「おぬしの三千は——」
一拍。
「他家の一万に、匹敵する」
⸻
宗茂は、頭を下げる。
「……勿体なきお言葉」
「褒め言葉ではない」
隆景が、続ける。
「事実だ」
⸻
隆景が、去る。
十時が、立ち上がる。
「……聞きましたか」
「聞こえた」
「他家の一万、ですよ」
「ああ」
「すごいですね」
「……死んだ者には、届かない言葉だ」
⸻
十時が、黙る。
宗茂は、戦場を見渡す。
倒れた兵たち。
安東。池辺。
名もなき兵たち。
「……よく戦った」
風が、吹く。
草が、揺れる。
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秀吉からの感状が、届いたのは——それから間もなくだった。
「日本無双の勇将たるべし」
⸻
宗茂は、その紙を——
長い間、見ていた。
「父上」
小さく、呟く。
「道雪殿」
一拍。
「……見えていますか」
⸻
朝鮮の空に——
風が、吹き抜けた。
⸻
(第37話へ)
最後までお読みいただきありがとうございます!
次回は**【本日12時】**に更新予定です。
36話で碧蹄館の決着。37話は——戦の後の話です。
碧蹄館から第二次晋州城攻防戦まで。戦闘の合間に、宗茂が朝鮮の地で何を見て、何を感じたか。誾千代への手紙、死んだ仲間への想い、そして長引く戦への疲弊。
戦闘回が続いたので、37話は”静”の回にしますので、ぜひお見逃しなく。
面白かった、続きが気になる!と思っていただけましたら、
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