第35話 碧蹄館・前
夜明け前。
碧蹄館。
霧が、低く漂っていた。
⸻
宗茂は、丘の上に立つ。
眼下に、道が見える。
狭い。両側に、丘と林。
「……ここだ」
十時が、隣に立つ。
「布陣、完了しています」
「先鋒は」
「十時惟道。五百」
宗茂は、頷く。
「惟道に伝えろ」
「はい」
「——囮になれ、とは言わない」
十時が、顔を上げる。
「戦え。ただし——引く判断は、惟道に任せる」
「……承知」
⸻
夜明け。
霧の中から——明軍が現れた。
騎馬。先鋒だけで——二千。
「……多い」
十時惟道が、前に出る。
五百の兵を率いて。
「怯むな」
低い声。
「立花の先鋒が——何をするか、見せてやれ」
⸻
激突。
惟道の五百が——明軍二千にぶつかる。
数で、四倍。
だが——
退かない。
鉄砲が、火を噴く。
騎馬が、倒れる。
「押せ!」
惟道の声が、霧を裂く。
⸻
宗茂は、丘の上から見ていた。
「……強い」
十時が、隣で言う。
「惟道が、ですか」
「明軍が」
一拍。
「だが——惟道も、負けていない」
⸻
先鋒戦。
一刻——続く。
惟道の五百が、明軍を押し込む。
望客峴の小山まで——追い詰めた。
⸻
その瞬間。
明軍の側面から——援軍が現れる。
査大受の本隊。
「包囲される!」
声が、上がる。
惟道の部隊が——囲まれた。
⸻
「……まずい」
十時が、息を詰める。
宗茂は、動かない。
見ている。
「殿——」
「待て」
「しかし——」
「惟道を、信じろ」
⸻
包囲の中。
惟道は——止まらなかった。
鉄砲で応戦。
霹靂砲の砲撃を受けながら——
「中央を、突け!」
手勢を回転させる。
明軍の中央を——突き破る。
⸻
だが——
李如梅の矢が、惟道を捉えた。
「っ……」
馬上で、揺れる。
毒矢。
「惟道!」
部下が、支える。
「……下がれ」
惟道が、絞り出す。
「中陣と——替われ」
⸻
惟道が、退く。
旗奉行・池辺永晟が、先鋒の指揮を引き継ぐ。
崩れかけた陣を——立て直す。
「持ちこたえろ!」
⸻
宗茂は、丘を降りる。
「動く」
十時が、続く。
「本隊を——どこへ」
「左側面だ」
地図を、頭の中で広げる。
「高彦伯の朝鮮軍が——後詰に来る」
「どこから」
「西だ」
「なぜ分かります」
「地形を見れば——そこしかない」
⸻
本隊、八百。
宗茂が、先頭に立つ。
弟・高橋統増が、右翼。
「統増」
「兄上」
「左は、任せる」
「承知」
統増の目が、鋭くなる。
「……死ぬなよ」
統増が、笑う。
「兄上こそ」
⸻
疾風のように——
左側面へ、突撃。
高彦伯の朝鮮軍数千が——現れた瞬間。
「今だ!」
⸻
奇襲。
朝鮮軍が、崩れる。
宗茂が、斬り込む。
一人。二人。止まらない。
「押せ!」
⸻
朝鮮軍——撃退。
⸻
だが——
戦は、終わらない。
明軍本体が、まだいる。
李如松の本隊が——動き始めていた。
⸻
「……来るか」
宗茂は、息を整える。
血が、手に滲んでいる。
「殿」
十時が、言う。
「兵が——疲れています」
「分かっている」
「休息を——」
「越川峠の北だ」
十時が、地図を見る。
「右側に——退きます」
「ああ」
「そこで——」
「待つ」
⸻
立花勢が、峠の右側へ移動する。
疲れた兵が、座り込む。
息を整える。
水を飲む。
宗茂は、立ったまま——
戦場を、見ていた。
⸻
「池辺が——」
十時の声が、硬くなる。
宗茂は、振り返る。
池辺永晟。
先鋒の指揮を引き継いだ男が——
突撃戦の中で、倒れていた。
⸻
静寂。
誰も、声を出さない。
宗茂は——
目を閉じる。
一拍。
「……池辺」
小さく、呼ぶ。
答えは、ない。
「よく——戦った」
⸻
十時惟道も、陣に戻ってきた。
顔が、青い。毒矢の傷。
「惟道」
「……殿」
「無事か」
「無事では——ありません」
「そうか」
「ですが——死にません」
宗茂は、惟道を見る。
「……そうか」
一拍。
「後ろにいろ」
「嫌です」
「命令だ」
惟道は——黙って、頷いた。
⸻
午前。
小早川隆景の先鋒が——ようやく、現れ始める。
粟屋景雄と井上景貞の旗が、見える。
「……来た」
十時が、言う。
「はい」
「だが——まだ足りない」
「本隊が来るまで——」
「もう一度、動く」
十時が、宗茂を見る。
「疲れた兵で——ですか」
「ああ」
「無茶です」
「そうだな」
一拍。
「だが——ここで止まれば、隆景殿の先鋒が潰される」
⸻
宗茂は、兵たちを見る。
座り込んでいた兵が——
顔を上げる。
「……立てるか」
誰も、答えない。
だが——
一人が、立つ。
また一人。
また一人。
⸻
全員が、立っていた。
⸻
「行くぞ」
短く。
「はっ!」
⸻
立花勢が——再び、動き出す。
疲れた体で。
血にまみれたまま。
⸻
碧蹄館の戦いは——
まだ、終わっていなかった。
⸻
(第36話へ)
最後までお読みいただきありがとうございます!
次回は**【本日8時】**に更新予定です。
36話は——碧蹄館・後半。
午前中の死闘から、午後の逆転へ。金備えの奇襲、李如松との一騎討ち、そして隆景の「他家の一万に匹敵する」という評価で締めます。シリーズ最大の戦闘回の決着!という展開になりますので、ぜひお見逃しなく。
面白かった、続きが気になる!と思っていただけましたら、
下の**【☆☆☆☆☆】をポチッと評価、
または【ブックマーク】**をいただけると、執筆の大きな励みになります!
【お知らせ:新作戦記ファンタジーも連載中!】
史実の武勇を描く本作とは別に、魔剣を手に戦う王女の復讐劇も始めました。
戦記物としての熱量はそのままに、ファンタジーならではの逆転劇を描いています。
『魔剣に選ばれた王女 〜亡国から始まる反逆の戦記〜』
https://ncode.syosetu.com/novelview/infotop/ncode/n9418lx/
王女セリスと魔剣ノイエジールの戦いも、あわせて応援いただけると嬉しいです!




