第31話 柳川
秋。
筑後の風は、柔らかかった。
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行軍の足音が、変わる。
山道から、平野へ。
水の匂い。
「……川だ」
兵の誰かが、呟く。
筑後川。
その先に——
柳川。
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宗茂は、馬を止める。
見渡す。
水路が、街を縫っている。
水の城。
「ここが——」
十時が、隣で言う。
「立花の領地です」
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城門前。
人が、並んでいた。
家臣たち。
城下の民。
そして——
その中央に。
一人。
立花誾千代。
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宗茂は、馬から降りる。
歩く。
誾千代の前に、立つ。
しばらく——
二人とも、何も言わない。
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誾千代が、先に口を開く。
「遅かったですね」
「……そうだな」
「心配しました」
「した覚えはないだろう」
誾千代の目が、細くなる。
「……少しだけ」
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家臣たちの間から、笑いが漏れる。
十時が、小さく咳払いをする。
宗茂は、誾千代を見る。
誾千代も、宗茂を見る。
「ただいま」
初めて、そう言った。
誾千代は——
一瞬だけ、目を伏せた。
「……お帰りなさい」
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城内。
久しぶりの屋根。
久しぶりの畳。
宗茂は、縁側に座る。
庭に、水路が見える。
柳が、風に揺れる。
「……静かだな」
誾千代が、隣に座る。
「戦場と比べれば」
「ああ」
「うるさいですか」
「いや」
一拍。
「好きだ」
誾千代は、答えない。
ただ——庭を見ていた。
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夜。
宗茂は、眠れなかった。
天井を見る。
戦場では——眠れない夜が続いた。
だが今は。
静かすぎて、眠れない。
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廊下に、気配。
「……眠れませんか」
誾千代の声。
「お前もか」
「私は——考え事です」
「何を」
誾千代が、縁側に座る。
月が出ていた。
「柳川のことです」
「領地の」
「はい」
一拍。
「水路が、傷んでいます。矢部川の流れも——農地に水が届いていない場所がある」
宗茂は、起き上がる。
「……調べたのか」
「当然です」
誾千代は、宗茂を見る。
「殿が戦っている間——私はここを守っていました」
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宗茂は、しばらく黙る。
「すまなかった」
「謝罪は要りません」
「では——」
「働いてください」
短く。
宗茂は——笑った。
「そうだな」
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翌朝。
宗茂は、城下へ出る。
水路を歩く。
民が、頭を下げる。
「立花様——」
老人が、声をかける。
「此度の戦——ありがとうございました」
宗茂は、立ち止まる。
「島津が退いて——やっと眠れます」
その顔に、皺が刻まれている。
長い戦乱の、跡。
「……待たせた」
宗茂は、頭を下げる。
老人が、目を丸くする。
「殿が——頭を」
「当然だ」
宗茂は、顔を上げる。
「この地を、守れなかった時間がある」
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夕刻。
誾千代と、水路沿いを歩く。
二人だけで。
「矢部川の分流——工事を始めます」
誾千代が言う。
「花宗川、と名付けようと思います」
「いい名だ」
「殿が考えましたか」
「お前が決めろ」
誾千代は、少し間を置く。
「……では、花宗川」
「ああ」
水が、流れる音。
柳の葉が、揺れる。
「誾千代」
「はい」
「……ここは、いい場所だな」
誾千代は、前を見たまま。
「そうですね」
一拍。
「だから——守らなければ」
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その言葉が。
宗茂の胸に、刻まれた。
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夜。
今夜は——眠れた。
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だが。
夢の中で。
秀吉の声がした。
「立花よ——まだ終わりではないぞ」
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宗茂は、目を開ける。
天井。
月の光。
水の音。
「……分かっています」
静かに、呟く。
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柳川の夜は、深く。
穏やかだった。
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それが——
続く保証は、どこにもなかった。
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(第32話へ)
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