志木 真比奈
人通りの少ない路地裏にて
「ごめんなさい!ごめんn…」
[パシッ]
本作の主人公[志木 真比奈]。十二歳の彼女は、犯罪に手を染めていた。
無論、闇バイトによるものだ。〝上〟の理想通りにいかないと、暴力を振るわれることもよくあった。と言うより、これが普通だった。
現代を生きる社会人が、仕事で金を稼ぐのと同じ感覚だ。
生きるために働く。志木にとって犯罪とは、ほんの小さな金稼に過ぎない。
「まぁ、ガキにしてはよくやったと思うよ。褒めてやる。」
三百円を、地面に投げられる。それを餌を貪る野犬のように拾い集めるのだった。
そして、上に頭を撫でられた。志木には不快で堪らなかった。
「(キモイ。触んな。セクハラ。)」
内心その感情を隠していた。顔にも行動にも出さず、ただ我慢した。
だが繰り返される上の行動に、志木も流石の苛立ちで拳を強く握りしめた。
「よし、次はどうする? 別のがやりたいなら、他のもあるが。」
「やります。」
いつの間にか、志木には犯罪行為への抵抗が無くなっていた。
必然的か、それとも偶然か。考える必要はない。無駄に抗って、金稼ぎに影響を与えるだけだと思ったからだ。
「ああ…?」
そして、上は何やら嫌な表情をしていた。
志木は確信していた。自分は間違った行動をしているのだと。別に、仕事をしたい欲望は誤りではないはずだ。じゃあ、何が上を不快にさせるのか。
知る由もない。
「人にモノ頼む時は、土下座だろ!」
志木は髪を鷲掴みにされ、地面に押し付けられた。
[ガンッ]
「すいません。お願いします。仕事…、仕事をください。」
今まで土下座を強要されたことは無かった。だからこそ、怒られることは仕方ないとしか思えなかった。
徐々に自分への思い込みが激しくなり、志木の目には涙が浮かんだ。
「おっ。泣いてんの? いいぞ、もっと泣け!その哀れな自分を表現しろよ。」
上はとても笑顔だった。そして、志木の泣き顔をガラケーで撮影する。
「やめっ、やめてください。」
「あ? 俺のやること、否定すんの?」
上は志木の手を靴で踏みつけにし、荒い土に強くこすりつけた。
相変わらず、暴力に対しては許しを乞うだけだった。それしか、自分に出来ることはなく、最善の選択だからだ。
暴力は何も解決しない、とはこのことだろう。抵抗しても意味が無い。
「許してください。お願いします。何でもしますからっ!」
取り敢えず〝何でもする〟と言っておけば、状況は済むことを知っていた。
上は他と比べるとマシな方で、最低限度がどの位かを理解している。志木にとっては、人生最大の運を掴み取ったに等しい。
「そうか。じゃぁ、殺せ。」
志木は大きく困惑した。生きるためとは言え、人を殺して良いはずがない。
続くデフレで上の我慢も限界になっているのだろう。
だが、上からの恐怖と威圧には抗えず、ただ従順に従うことしか出来なかった。自分の発言に責任を持っているのだから。
「私は人を殺して、右耳を持って帰ればいいだけ。複雑なことじゃない、全然。」
深く思い込んでも失敗に繋がるだけだ。
志木は、路地裏に住むホームレスの男性を見つけた。今は睡眠中の様で、絶好のチャンスだった。
「(殺すんだ。今、私は。約束は破れない。)」
いざ人にナイフを向けると、指先の震えで上手く掴めなくなっていた。
志木はその男性に近付き、右耳を切り取った。そして、殺すことなく走って逃げた。
「(許してください。仕方ないんです。)」
神にでも祈るようだった。
もちろん、急に耳を切断された男性は黙って見ているはずもなく、志木を追いかけた。
志木直ぐに捕まり、散々に暴力を振るわれた。
頭に膝蹴り、腹にパンチ。終わる頃には、全身血だらけふらふらの状態だった。
「ただ今帰り…ました。」
そんな状況でも、上は心配することなく、平凡な顔をしていた。
そして、志木の持つ右耳を奪い、川に投げ捨てた。
「こんなもの、なんの役にも立たない。煙草買ってこい。」
悲しかった。自分の努力が無駄になった。
志木は相変わらずの暗い表情で、煙草を買いに行った。普段に比べると、楽な仕事だと思った。
だが、実際は想像以上に難関なものだった。
何処へ行ってもコンビニは閉店。よく考えると、今まで様々な店や住居に入ってきたが、煙草を見かけたことなど無い。ほんの一握りの富裕層がスパスパしてるだけだ。
なぜなら増え続けるタバコ税や相次ぐ窃盗により、企業が供給量を格段に減らしたためだ。
志木は作戦を変え、パラダイスと呼ばれる無法地帯へと移動した。
パラダイスにはお金の持っていない人が多く集まり、互いに協力し合って生活している。ここでは税金システムが存在しないため、簡単に手に入ると思ったからだ。
「店員さん。煙草下さい。」
若い女性の店員は、キョトンとした顔で、志木を見つめた。
少しだけ販売を拒む姿勢を見せたが、向こうも金を手に入れる為にはと思ったのか、呆気なく渡してくれた。
帰る途中、パラダイスで不良グループに目を付けられた。
男五人に囲まれ、逃げ道を完全に塞がれた。
「お前さ、煙草持ってるよな? くれよ。」
志木は断った。煙草が手に入らなかったと上に伝えれば、そろそろ自分も殺されると思ったからだ。
特に、最近の上の様子は機嫌が悪い。
「嫌と言うなら、力で奪うしかねぇなぁ。」
顔面に拳が飛んできた。それは右目に直撃し、視界が大きく防がれた。
周りは見て見ぬふりをしている。志木は助けてほしかった。こんなに痛い思いはしたくないと。
「おい。うつ伏せんなよ。こっち向けよ。」
薄汚れ靴で、何度も踏みつけられた。何度も蹴られた。
二十分の、地獄のような時間だった。
とうとう、彼らの苛立ちも暴行で収まったのか、煙草は奪わず何処かへ行ってしまった。
そして、段ボールの上であぐらをかいていたおじいさんが、志木のもとに駆け寄った。
「そこの少女、大丈夫かい? 散々な様子だが…。」
志木は、おじいさんが差し伸べた手を叩くように振り払った。
「うざい。触らないで。」
不意に本音が言動に出てしまった。
この志木の行動には、流石のおじいさんも激怒した。
「なんだその言い方は。最近のガキは情けも知らんのか。」
「五月蠅いんだよ! 邪魔なんだよ! 腹が立つんだよ!」
「貴様っ。人に向かって…、口を慎め馬鹿者がっ!」
「そうやって、人が痛い目に合ってても見て見ぬふりをする。自分が関わりたくないから。標的は自分に変わるとでも思ったんでしょ。安全になってから助けるようなクソ野郎が!」
周りにどんどん野次馬が集まってくる。
しかし、志木は口を止めようとしなかった。
「お前らもそうだ。いまこうやって哀れな私を嘲笑って。面白がってるんでしょ。私の何が分かるんだよ! 情けをかけて、帰ってくるとでも思ってんの? そういう偽善者が、私は死ぬほど大嫌いなんだよ!」
志木は思っていることを全て吐き捨て、走ってこの場を後にした。
「今帰ったら、遅すぎるって怒られるかな。」
帰宅すると上は何者かに取り押さえられていた。青い服と帽子を着た…、それは警察だった。
「待て!俺は違うんだ。全部、あのガキがやったんだ。俺は何もしていない!」
志木は状況が掴めなかった。
金目当てだったのかは知らないが、上は今までずっと怪しい人から守ってくれた。そんな人が窮地で自分を裏切るなど、思いたくもなかったからだ。
「あれ、キミ。いまポケットにタバコ?入れたよね。それに、大怪我をしてるみたいだし。ちょっと見せてくれる?」
警察が駆け寄って来る。志木は恐怖で全身の震えが止まらなかった。
今、自分はどうするべきか。謝れば許されるのか。正直なことを伝えるべきか。
警察の後ろで、騒ぐ上の姿があった。もうダメかと思ったのか、折り畳みナイフで首の頸動脈を突き刺していた。
志木は泣く暇もなく、警察が気を取られている隙に近くに置いてあったチャリンコを奪い、即座に逃げ出した。
何処か途方もない場所まで。自分が助かる唯一の道は、逃げることしかないと思ったからだ。
今や車一つ走らないこの車道の真ん中を、光ることのない信号機を、この薄暗い世の中を。志木は振り向くことなく、一直線に走った。
「死にたくないよ。捕まりたくないよ。もっと、自由に生きたいよ。」
溢れる涙で視界が塞がれ、自転車ごとその場に倒れた。
志木は直ぐに立て直し、ただ走り続けた。
擦りむいた膝の傷が、踏みつけられた手の甲が、心に生まれたこの闇が、ヒリヒリと静かに嘆いている。
気が付けば何処かわからない異郷の地で、涙と泣いている自分がいた。
「私、もう解らないの。」
小さな崖の下。
雨音でかき消されていた足音が、徐々に鼓膜を通して伝わってくる。
「おや、可愛い女の子じゃないか。どうしたんだい?」
腰を曲げたおばあさんが、志木に優しく声を掛けた。
身長は左程変わらない。人間に対し疑心暗鬼になっていた志木は、言葉を出さなかった。
「何か、辛いことがあったんだね。話してみなさいよ。楽になるよ。何せ、人間は助け合って生きているからね。」
全ての恐怖を和ませる。そんな声色だった。
「生きるために奪う。生きるために罪を犯す。そんなの可笑しいよ。本当、馬鹿馬鹿しい。」
志木はポケットに入れていた煙草を取り出し、ぐしゃぐしゃに殴り潰した。
「死ぬことが罪滅ぼしなの!? 死ねば全て無かったことになるの!? 死ぬことは逃げることであって、何も生まれない。」
そして大きく息を吸い、叫ぶ様な声を出した。
「生きたいと思うことは罪なのか 生きるために罪を犯すことは合法か 生きれない人は死ぬのが妥当なのか 私にはもう解らないんだよ!」
心に詰め込んでいたこと、全てを吐き出し嗚咽した。
おばあさんは志木にそっと近づき、抱きしめた。
「辛かったんだね。苦しかったんだね。今すぐにでも逃げ出したかったんだね。もう大丈夫だよ、私が守るから。」
沈黙の三分間、おばあさんの服で涙を拭い、離れようとしなかった。
そうして志木はおばあさんの家まで、手をつないで歩いた。
両親のいない志木にとって、愛を感じることはこれ以上にない幸せだった。
おばあさんの家に着くと、勧められるようにお風呂に入った。
「あったかい。」
その感覚に、志木は思わず感動した。
浴槽に浮かぶヒヨコを掴み、涙をお湯で誤魔化した。
夕食は、サバの味噌煮と大根おろし。白米と味噌汁だった。
こんな贅沢して良いのかと思っていた。
「私たちはね、こんな田舎村だけど、協力してるんだよ。携帯も煙草も必要ない。食べて暮らして、生きてるの。」
ここは、思っていたよりも随分平和な場所だった。
志木にとって、箸の持ち方なんて知らない。握るように持ち、かき込むように食べる。それだけでも、今ここで自分が生きてる実感が持てたのだった。
翌日、志木は寝坊をした。そして、急いでおばあさんの所へ走った。
なぜなら、今日は村の人たちの畑仕事を手伝うからだ。
「この子が志木ちゃんか。よろしくね。」
若い青年が挨拶をしてくれた。それに続くように、志木も頭を下げた。
「今日は、大根の種をまくつもりなんだけど。志木ちゃん、僕がやるようにしてね。」
広大な畑で志木はぽつぽつと、丁寧に種をまいていった。
「おっ、上手じゃん。こういう仕事は、初めてなんだよね?」
志木は頭を撫でられた。だが、不快な気持ちは無く、むしろ嬉しかった。
今までとは違い、自分は認められたからだ。これには、志木も思わず笑顔になった。
「えへへ。」
それから、日が変わるにつれ志木は毎日村人達を手伝った。
相変わらずの寝坊癖と、過去から生まれた心の闇は治らなかったが。
「志木ちゃん。こっちの仕事も手伝ってほしいんだけど…。」
「やる!」
志木は大きな声で返事をした。
村人達を手伝うこと、即ち仕事をすることこそ、志木の笑顔の源となり未来へ繋がるのだった。




