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蒼風のヘルモーズ  作者:
『ハザマの国』編

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48/53

第43話 VS女王蜘蛛

「————クソッ」

 

 音叉のように、ヤツの腹部と正面衝突した剣が音を奏でている。

 響くようなその感触が鬱陶しい。握力を損なわせる痺れが剣を握っている手にあることを認めて、僕は小さく舌を打った。

 硬い。硬すぎる。

 ヤツの体表、岩のような感触をしたそれの硬度は大木なんかの比ではない。

 こう言いたくないけど、こう形容したくないけど、本当に認めたくはないけれど。


 ただ一つの命を懸けて突き進み、痛烈には至らなくとも『初撃』を浴びせてきた僕に、その殺意を剥き出しにしている蜘蛛の女王は、僕達とは決して相容れない根源を持った『生物』だ。

 肉を持ち、神経を持ち、血管を持ち、臓器を持っている、ただの『一個体』のはずなのだ。

 そう、あくまでも『生物』であるヤツの肉体を刃物で斬りつける際に、普通、火花が散るかよ……。

 薄皮の一枚すらも斬れなかったという、噛み締められた歯茎から出血してしまうほどの現実。

 ゲントウさんの槍も、旧女王の脚部に痛撃を与えるに至らなかったという事実はある。そして、旧女王よりも目前のヤツの方が強いだろう証言もある。しかし、だからなんだというのか。


 真っ向から、何の防御態勢も取られていないヤツに、僕は『傷一つ付けられなかった』のだ。

 ……悔しい。悔しい。悔しい。悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい!  

 とにかく自分が、恥ずかしい。何たる恥辱だ。何たる侮辱だ。何たる屈辱だ。何たる汚辱だ。何という体たらくだ。僕は、僕は、真っ向から勝負を仕掛けた僕に防御すらもしなかったヤツに、何も成せなかった……!

 こんなにも。こんなにも僕は、ヤツを、ヤツのことを——。


『ギュギャギィイ————』


 風の通り道を沿って進んでいき、放たれた僕渾身の一閃。

 それをまるで何事もなかったように突破してみせた新女王は、猛烈な突撃の勢いをそのままに、跳躍。純然たる金属で構成されている巨大な殻を背負っているにも関わらず、そんなもの一切関係ないと言わんばかりの跳躍力は、広間に唯一の出口の上部にまで難なく届き、末に甚だしい爆砕音を周囲に響き渡らせた。


 空中で器用に全身を反転させ、背負っている白銀の殻をさも杭のように出口の上部にめり込ませていた新女王は、軽い蠢動の末にそこから剥がれ落ちて、大きな地響きを伴って着地する。

 破壊の突撃を受け、夥しい数の亀裂を生じさせていた上部の岩壁は、着地で堰を切ったようにガラガラと、まるで僕達の逃げ道を塞ぐように、数多く、そして大きな瓦礫を降らせていく。

 それを見て、ルルド君は『新女王の目的』を正確に察する。彼は一筋の汗を落とし、呟いた。


「っ新女王の目的は、ここまで追い込んだ俺達の抹殺だ。己が俺達に敗北し、討伐されることはないと踏んで、俺達が握っていた『逃亡と応援の手札』を文字通り潰してみせた……っ!」


 ここは『処刑場』だったのだ。

 異分子の存在を認知してしまった僕達が、異分子にとって致命的となり得るその情報を、トウキ君やエリオラさんなどの、新女王でさえも敵わない強者達がいる外界へと持ち出してしまわないように、完全なる封殺と抹殺を完了しておくための場所。

 新女王の寝室として作られたこの広間が、処刑を行うに最も適していた。

 最大の障害であるトウキ君と距離があるここが。

 あまりにも巨大な己が、自由に動ける広さがあるここが。脳たる新女王が用意して、体たる数多の蜘蛛が肉壁となり整えた、僕達の処刑場。誰にも供養されず、何にも照らされない、世界広しと言ってもここくらいだろう、最悪の死に場所——。


『ギュミミィイイ…………』


 視線と意識的に、僕が最も警戒されているのは間違いなかった。それは風の加護を有しているからなのか、はたまた初撃を与えてみせたからなのか。

 そこは不明瞭であるからして、今は心底どうでもいい。

 次点の警戒対象は、僕達前衛とは戦い方が異なっているロウベリーさんだ。

 相応のチャージは必要らしいが、彼女の『魔法』が起点になることを、ヤツは分かっていない。起点役の彼女を置いて、詰め役の僕のことを重点的に追ってくるならば、些かやり易いか。

 

 まだ硬度を測れていない糸イボへの攻撃は、比較して警戒レベルが低い、ルルド君とゲントウさんに任せる他なそうだが、しかし三番手のゲントウさんはサバイバルナイフ一本が主武装。狙いを定めている臀部の硬度が例え腹部未満だったとしても、痛撃になり得ない可能性は高い。

 最も警戒を向けられていないルルド君の武器が、この場で最強格。だが、彼の膂力はロウベリーさんを抜いて最下位。したらば、彼渾身の一撃も、敵の致命部を作り得ないかもしれない。


 以上の思考を以て算出されるのは『武器のスイッチ』か。僕、ルルド君、ゲントウさんの三人が前線を張る、となれば必然的に互いの距離は近くなる。ならば、装備している武器の交換が戦闘中でも可能なはずだ。

 そうすれば、この武装格差による痛撃付与率の問題は解消される。

 が、その作戦以前に問題がある。ロウベリーさんを単独にする危険性だ。

 前衛の三人が向かっていくと、自然、彼女の存在は浮く。そこを突かれれば、もう王手。僕達の敗北が確定する。

 ヤツには知能がある。下手な行動を打てば、十中八九、勘づかれる。

 だから壁がいる。彼女を覆い隠す、壁が。隠し、守り、送る——こちらが王手を打つ盤面を用意するための、肉壁が。


 その役目を担うのは、思考力と実力的にルルド君の他にない。

 だが、彼一人では無理だ。力で負けて、速さで負けている、彼一人に背負わせるにはあまりにも重い。故に、ゲントウさんも加わる。三番目の警戒対象でありながら一番の熟練。武人だ。彼なら心許ない部分を補える。

 そうしたら、僕一人だ。文字通り、そのままの意味の真っ向勝負だ。

 僕が単独で、ヤツと真正面から殺し合うことになる。

 でも、引くわけにはいかない。逃げるわけには——逃げ道は塞がれてしまった故に、どうしたって逃げられはしない——いかない。もう、やるしかないんだ。


「フゥーー…………ッシ!」

 

 肺の奥まで痺れていそうな緊張を呼気に乗せている三人を他所に、無言を貫いていた僕はこの場に流れている空隙の中、不足なく用意を済ませている自分の健脚をガンガンと強く叩いた。

 震えはない。痺れはない。竦みなど毛頭ない。僕は、強大な新女王に対して怖じけていない。

 今の僕はあの時の——犬型魔獣と相対し、そして命の奪い合いをした時の僕とはまるで違う。

 これは別に、以前の自分と比べて今の自分が格段に強くなったと錯覚しているわけではない。肉体面に関しては多少なり強くなったのは実感しているものの、この怯えのなさは精神面の成長があるのと、そしておそらく、道中で『野生動物達』の残骸を数多く見ていたのが大きい。


 コイツ、もしくはコイツの配下に捕獲されて、原型も残らぬほど無惨に捕食されてしまった数多の命。

 まだ見つかっていないだけで行方不明のアメヤマさんもおそらくは、コイツらに。

 世の円環から逸脱した異分子に、二つとない命を侵されてしまったなど、腑が煮え繰り返る。

 そう考えてしまったら、怯えている場合ではないという思いが沸々と湧き上がってくるのだ。

 だから、仇敵を見ているような甚だしい殺意を発露している新女王を目の前にしてなお、僕はそれにも負けない『戦意』を打つけられる。

 ……十中八九、それが理由のはずだ。この殺意は。突入に消極的だった僕が、コイツとの戦闘に臨むなど、逃走を討伐の次に置いているなど。


 ……違うだろ。嘘を吐くなよ。本心を騙るなよ。

 たとえ逃亡が絶望的な状況に陥っていたとしても、僕は自ら、戦いに臨んだんだ。

 僕は逃げなかったんだ。戦いに向かった僕は、逃げることを二番目に置いたんだ。

 だから嘘なんて吐くなよ。

 微塵にしてやりたいんだよ。消滅させてやりたいんだよ。心の奥底から、嘘など吐けようもない魂の底から、僕は異分子どもの撃滅を望んでいるだよ。

 僕は、僕は。アイツを、殺したいんだ——……。

 

『ギュミミィ————ジャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!』


 戦いが、始まった。


「ソラ!! 死ぬな!! 絶対死ぬな!! 死んじゃだめだ!! 絶対に生きて帰るんだ!! アイツは君に目を付けている!! 割かれているリソースが少ない俺達はロウベリーの護衛に回りながら、ヤツの隙を撃ちにいく! そして彼女のチャージを完遂させる!! それまで君はヤツを撹乱してくれ!! 君の脚なら——あんなヤツには絶対に捕まりはしないっ!!」


 八つの真紅をギラつかせ、ただ僕のことを殺視していた新女王が、もうリミットは過ぎていると言わんばかりに、甚だしい喚声を上げた。

 ビリビリと心身を震わせるそれを縫って届いたのは、ルルド君の作戦だった。それについては言わずもがな。戦員の中で随一の俊足を誇っている僕は、既に単身でデコイを担う覚悟を決めている。ルルド君とゲントウさんが盤面を整え、チャージを完了させたロウベリーさんがヤツに巨体に穴を開ける。最後の詰めは、僕の役目だ。

 

 鋼鉄のような体表を有している然しもの新女王であろうとも、地表の悉くを吹き飛ばす威力をした僕の暴風を体内で爆発させてしまえば、木っ端微塵に、一溜まりもないのは想像に易し。

 僕は満ち満ちる意気に眉を吊り上げては、八つの脚先を地面に突き刺しながら怒涛の勢いでこちらに突撃してくる新女王を正面に認め——瞬間、ダンッと地面を蹴って後方へと跳躍した。

 

「『——————ッッ!!」』


 始まったのは、縦横無碍に動き回れるだだっ広い環境を十全に活かしたチェイス。ただ一方的な蹂躙を行いたい魔と、隙さえあれば果敢に斬りつけにいく迫力がある聖の、デッドヒート。

 ——速さにおいては僕が上だ。ヤツがどれだけ全力を尽くしても、絶対に追いつけはしない。

 しかし僕が引き付ける役目を、時間稼ぎを担っている以上、引き離すということはできない。その縛りがある故の白熱。手に汗が浮かぶ。置き去りにされた一粒が新女王に当たり、弾けた。そして、まさに付かず離れず、二転三転どころか一転さえもしなかった戦況がついに変わる。


『ズィジャァアッッッ!!』


「ズゥッァアァッッッ!!」


 馬の疾駆と見紛うほどの速度を出している新女王の肉薄に対し、速度を合わせ、あの巨体に潰されない一定の距離を適切に保っていた僕は、急停止と共に振るわれたヤツの左前脚、地中に根を張る大木の如し太さ、そして尋常ではない剛強さをしているにも関わらず、さも鞭のようなしなりを見せる紛うことない『武器』の迫りに振り向き、エリオラさんとの模擬戦で盗んでいた『武器側面で攻撃を受け流す戦闘技術』を、ここ一番という場面で完璧に用いてみせた。

 ドンッ、と。

 受け流された一撃は僕の斜め後ろに着弾し、轟音と共に大量の土煙を昇らせる。


「〜〜〜〜〜っっ!?」


 馬鹿げている重量。ただでさえ馬を超えていた移動時以上の攻撃速度。数万キロはある超巨体、そして超重量をタネも仕掛けもなしに支えていることを裏付けさせる、埒外の膂力。まさに〝怪物〟的。

 それらを遺憾なく発揮して放たれたのは、言葉通りの剛脚鞭打だ。

 それは僕が目敏く盗んでいた『武技』を披露してほぼ完璧に受け流したのだが、しかし殺し切れなかった即死級の超威力が痺れとして剣を握っている両の掌に残っていて、僕は堪らず呻き声を上げた。が、即座に切り替えた。まだ『足りていない』故に。僕はギリギリと柄を鳴らし、息を吐く。

 

 そして歪めていた目元を直してすぐ、ギロリという睨みを正面に効かせた。格段に力で劣っている僕に、矮小な人間ごときに、まさか己が絶撃を完封されるとは——。

 なんて、雷に打たれたような驚愕を露わにしていた新女王へと、次はまだかよと焚き付けた。


『————ッズャジャアアアアアアアッッッ!!』


 すれば、圧倒的格下に向けられている好戦的な眼差しに怒り、苛立ち。

 狙い通りに放たれた、六度の鞭打乱舞。

 僕は一瞬で迫り来るそれを冷静に見極め、躱せるものは最小限の動きで空振りに、命中する四度の鞭打はその全てを剣の側面で走らせて、背後に着弾させてみせる。

 しかし、まだ足りない。まだ、満ちていない。まだ、まだ、まだ。

 歯痒くあるその思いを抱いた時、ロウベリーさんに警戒は払いつつも僕に対して過集中していた新女王の臀部へと向けて、言葉にしていない故に正確ではないだろうが、ある『狙い』を以てヤツの攻撃を誘っている状況を察し、駆け付けた、前衛の二人がその武器を振りかぶった。


「はあああああああああああああああッッッ!!」


「ゼアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!」


 両手で剣を握っているルルド君が新進気鋭の気合いを吐けば、逆手に持ったナイフで振り上げを行使しようとしていたゲントウさんの、火炎を吹くが如し気迫の声が轟く。隙が見える新女王の臀部に向けて放たれたのは、鋭利を突き詰めた計二つの斬閃だった——が、やはり強敵。


『……——ッギィギャアアア!!』


 引っ掛かる『数瞬の硬直』を見せていたものの、しかし『油断できない敵の強襲』を察知した新女王はその巨体を独楽のように旋回させて、強引に敵影の接近を阻んだ。左右にある八脚を二方向に動かし、凄まじい回転を起こしたヤツは、生じた土煙を払うように垂直飛びを行う。

 寸秒後、超質重の着地。

 そうすれば、甚だしい轟音と衝撃が広間を駆け巡ることは必然だった。


「〜〜〜〜〜〜っぅっぐぅぅぅぅウッ!?」


「ッッッチィッ!」

 

 果敢に攻勢に出てた故、爆心地の付近にいたルルド君とゲントウさんは、致命的な超質量攻撃の直撃は免れつつも猛速で散弾された石の礫により頬や二の腕等に裂傷を負わされ、さらに尋常ではない衝撃波で綿毛のように飛ばされてしまい、一桁秒内の戦線復帰が不可能に陥った。

 体勢を崩しかけながらも何とか持ち前の強靭な体幹で持ち堪えた二人は、即座に立ち上がっては戦意尽きぬ双眼を敵へと向ける。

 二人の視線の先にいたのは、やはり無傷のままな新女王。そして、鏡面の剣を地に刺して、両の足を無理やり陥没させた地面で固定させていた僕である。


 爆風と粉塵を身に纏っていた風の膜で防ぎ、衝撃は身体能力で強引に殺した。

 ただ一人、強大な敵の前に依然と佇んでいる僕の濃緑色の瞳は、新女王が考えなしに生じさせた土煙が『ひと一人を丸ごと隠せる』ほどにまで上がり広がっていることを認めて、確かに鋭く光っている。

 ——馬鹿が。

 そんな侮蔑もほどほどに。

 僕は意図して到来させた好機に双眼の光を散らして、無意識で身に纏っている風の膜を『意識的』に操っては立ち上がっている土煙を全身に纏った。

 自身が撃ち放った超必殺。

 それが『圧倒的格下』であるはずの僕に幾度となく往なされたという事実に衝撃が抜け切っていない新女王は、そのアクションに致命的な遅れを取ってしまう。


『!?』


 風着迷彩。纏われた自然物は、未だに落ち着いていない砂色の背景と合わさって、この上ないカムフラージュとなり、さも透明になってしまったかのように、僕の姿は完璧に隠蔽された。


 消えた! 消えた!! 消えた!? 目の前にいた敵対者が——!!


 そのような動揺が、目の前にある新女王の無機質な眼から透けて見える。

 結膜がない故に物理的ではないにしても、八つの真紅が確かに揺らいだ。

 しかし、さすが女王。万物をひしゃげさせること容易きその超巨体の硬直は一瞬で解消し、その思考は即座に『迷い』を振り払った。


『ギミュミャアァアアア————ッッッ!!』


 突進。突撃。突攻。

 それが数瞬の硬直の末に新女王が取ったこの状況での最適解。背景ごと障害物を轢き潰していく、新女王の直線上から動いていない僕に取っては最悪でしかない一手。

 ……——だったが。新女王が取るであろう一手を正確に予測して、その行動を見切っていた僕の方が、速かった。


「——————フゥッッッ!!」

 

 進路にある全てを削り消すだろう威力をした、新女王の突進がトップに乗る前に、風の膜のコントロールを終え、纏っていた粉塵を勢いよく解き放った僕は、全力で新女王を蹴り付けた。

 脚の速さは圧倒的に僕が上だ。

 トップに乗れる速さも同じく僕が上。故に打てた蛮行である。


 間違えば『死』の花束が贈られてしまう状況の中、しかし僕の両脚は強強しく動いてくれた。

 飛び越える、ヤツの石頭を。

 駆け上がる、ヤツの背部を。

 踏み締める、ヤツの白金の殻を。

 まさに道なき道。少しは舗装しておけよと吐き捨てたくなるそこを全速力で駆け抜けた僕は、終点である円錐の殻の先端をダンッと蹴り上げて、思考できていない新女王の頭上に躍り出た。

 そして。

 あまりにも予想外で、あまりにも夢みたいで、曲芸師の公演にしか見えないそれに、この緊迫とした状況を忘れたような笑みを湛えていた軍師へと、視線を送る。

 脚を止め。顔を上げ・新女王の視線と意識が空中を泳いでいる僕に集中されている今が——絶好のチャンスだと。


「ロウベリー——ッッッ!!」


 ——言われなくとも。


「三、二、一——……」


 起点を作るため一撃、それを急かす叫び。

 段階の踏破を数えていく、玲瓏の声音。それらを耳に入れれば、常の新女王であれば過敏に反応を示し、すぐさま懸念の抹消に動いていたはず。そう、あまりにも奇想天外で、想像の埒外だった『奇手』を取ってみせた、僕がいなければ。


「凝縮完了——撃つッ!!」


 魔法使いの声響く。それはチャージ完遂の叫びだ。

 急停止した白金の殻を蹴って、足場のない空中を微風に乗るように泳いでいた僕は、防戦からの一転を意味する彼女の声に一切構わず、先と同じように剛脚鞭打の数々を撃ち放ってきた新女王に、たった一突きだけで迎撃を行った。


 足は宙にあり、頭は地面を指している、まさに反転世界。慣れない逆さまの状態。

 しかし極限集中の『ゾーン』に入り込んでいる僕に取っては、何の障害にもなり得ないそれ。

 一直線にコチラへ向かってくる、先端がピッケルのように鋭い剛脚は、僕の頭部を目指しているようだった。

 それがスローになっている視界に映ってしまえば、対応はこの上なく簡単で。

 強すぎる友の鬼拳の構えを倣い、グッと背に溜めて放った剣突。

 それをヤツの脚先、その一点へと向かわせて、衝突と同時にスッと力を抜いた腕と肩を上手くクッションとして使い、その威力を利用すれば——それはもう簡単に、新女王の射程圏内から僕の全身は外れてしまえた。


『————』 

 

 我が絶撃が完封させれた。我が絶対の暴力が完璧に捌き切られた。

 ただ一人に。

 ただの人間に——人間に。人間に。人間に。人間に。人間に。人間に。人間に。

 魔族の餌でしかない下奴に。

 魔族に淘汰されると運命づけられた下等生物に。

 蜘蛛の王が。魔族の王が。この世界を統べたる上位存在が。

 負ける? 負けた? 敗れた? 敗北した? コイツよりも、我は『下』……だと!?


「【スウェザ】————」


 違う。違う。違うっ……違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う!!

 否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否!! 

 認めない!! 認めない!! 認めない。絶対に認められない!!

 承認できない。容認できない。是認できない。認可できない。受容できない。受諾できない。許容できない。許諾できない。要許できない。允許できない。承服できない。承認できない。承知できない。同意できないできないできないできないできないできないできないできない!

 そんなこと、できるわけがない!! そんなこと、受け入れられるわけがない!!


 我は王!! 数多の同胞を統べるもの。

 我ぞ王!! ゆくゆくは世界に跋扈する魔を支配するもの。

 故に我が上!! 何者よりも我は上位に是!! 神さえも!! 母なる魔神でさえも!!

 お前は下!! 下だ!! 下ダッッッ!! 下なのだッッッ!!

 にも関わらず。お前が我を見下すな————ッッッ!! 


「【デュクサス】!!」


 ロウベリーの魔法【スウェザ・デュクサス】とは、魔力を基に生成した『水』を球形にまで凝縮、それをさらに圧縮して威力を高めた、非常に殺傷能力に富んだ水属性魔法攻撃の一つだ。

 土・水・火・風。

 その極々ありふれた自然の属性は『その他』のものと比べれば、習得が容易である。

 しかしそれを極めるのは、やはり困難。

 にも関わらず。


 まだ十代、たったの十八歳という若さで、一属性だけであろうとも『中位』にまで魔法を登り詰めさせているという点は、彼女が非常に優秀な魔法士の一人であることの証明であった。

 二分されている内の『理論型』に属している彼女は、言わば『秀才』である。

 一部の、例を挙げるなら『エルフのクソガキ』のような、天才。

 こと魔法に関して『天賦の才』を有している、数多い魔法士の中でも極々少数な者達と比べれば、彼女は能力で劣っているということは否定できない。

 だがしかし、時間は掛かるけれども、必ず。飽く無き探究と修練を積んだ果てには必ず。

 彼女は第一級の魔法士へと至れるであろう……。


 ——そんな彼女が撃ち放った渾身の、放水ならぬ、砲水。

 その威力は、分厚い鉄板すらも容易く貫通できて、切断すらも可能なほどである。

 一点放出。

 手札に中にあって、切り、今に撃ってみせた特上の貫通特化攻撃。それが、迫る。 

 猛速で。豪速で。超速で。爆速で。一直線に、愕然と硬直していた新女王の元へと突き進む。

 反応に遅れがある。邪魔な思考でも走ったか。これでは対応できない。避けられない。回避行動に移る前に、彼女の水撃は当たる。直撃する。

 全員がそう確信した、まさにその時だった。

 ガパッと横に開かれた女王の両顎から涎が撒き散り、尋常ではない『怒声』が発されたのは。


『——————ッッ、ギィイャァアアジャアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!』

 

 爆喚。爆声。大爆音。真面に聞けば鼓膜が破られること間違いなしな、怒髪天の叫び。音速で迫り来るそれと同時に、新女王の全身に生えている、産毛というには太すぎる短体毛が一気に逆立った。静寂を体現しているような昆虫類を模しているとは到底思えない、筋肉の隆起も。

 さらに、僕の風の膜とは似て非なる『石の膜』を張っているような、新女王の全身に纏われていた硬い石質の体表にビキリと罅が走った。まるで、全身の膨張に耐えられなかったように。


  何をしている? 何をやっている? そんな答えの出ない思考が四人の脳髄を痺れさせた時、優秀な魔法使いが放った『水撃』は、新女王の左腹部に、左の第四脚も巻き込みながら、突貫。

 地に落ちた雷のように走り抜けていく破音が鳴り渡れば、剣すらも容易く弾いてしまう超硬度の体表は貫かれて、新女王の腹部に拳を余裕で通せるくらいのポッカリとした『穴』が開く。

 しかし止まらない。その怒砲は。絶叫は。

 開いた穴から緑色の血液が溢れ出てきた——瞬間。

 

『シィイイイイイィィィィ——————』


 天上すらも突き抜けてしまった『絶怒』に魂まで染め上げられている、女王の八眼が光った。

 赤く。この上なく、紅く。有り得ないほど真紅に、信じられないほど深紅に。 

 殺意が向く。全身から雪のように冷え切った汗が止まらない、僕に。 

 殺意が向く。全身の穴という穴を開かせてしまっている、僕に。

 殺意が向いた。疼痛を覚えるくらい、強く警鐘を鳴らしている心臓に息を浅くする、僕に。

 ズザッと着地した僕に、向く。僕だけに向けられている。僕一人に、その殺意は向いていた。 そして、突撃する。


『ギジャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』


 突撃突撃突撃。まさに、大特攻。

 僕にカウンターを決められる可能性など微塵も考慮していないような、たとえ刺し違えてでも『僕だけは殺そうとしている』ような、あまりにも暴力の爆発であるそれが、視界を埋め尽くす鯨波の如き『巨』が、今日一番の速度を以って迫り来る。

 頭蓋の中を埋め尽くしている『突撃』の二文字が幻声を聞かせて、物理的ではないのに鼓膜に痛みを覚えさせた。

 しかし、僕もヤツと同じように瑣末な思考を、この憎悪を今は捨て去る。


 この戦いでの絶対遵守事項。それ即ち『生存』である。

 下手なカウンターは命取り。懐に忍び込んだ瞬間、僕が『暴風』を体内に撃ち込めたとしても、それと同時にヤツは僕の命を奪う。

 間違いない。確信がある。言葉はない。でも分かる。ヤツは次代を担う自分の命よりも、おそらく『プライド』を取った。

 その傷付いた自尊心を慰められるのは、僕の『死』のみなのだろう。


 故に、接近は圧倒的な悪手。


 生きる。生きて会う。母さんに。生きて食卓を囲む。この戦いに参加している友人達と。そのために、絶対魔殺を訴えてくる、この己が根底に無視を決めた。

 双眼に点されていた瞋恚の炎を鎮め、極限まで熱を下げる。

 すると、体内を駆け巡っている血液の熱を感じた。

 血液を脚部に凝縮させる。最後に酸素を取り込んで、以後の補給を止めた。

 汗腺は機能を終え、乾く。

 律動は常のように美しく。

 視界はクリアで理想的。

 呼吸は落ち着いて滞りない。

 頭頭は生存の二文字に埋まって最高潮。

 踵を返し、迫り来る『女王』に背を向けた僕は、地面を蹴り砕くほどの踏み込みを以って、渾身の『最大初速』で逃走を開始した。  


『ギジャガァヤァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』

 

 ここは狭い。狭すぎる。だから外へ。

 女王を引き連れて、三人をトウキ君がいる安全地帯へ。

 出口はない。入口も塞がれている。新女王のように岩窟を掘削できる力は、今の僕にはない。

 入口は駄目だ。他の捜索者がいる。

 出口だ。コイツを導くために、出口を通って外界に行く。 

 風を。剣を握っていない左手に凝縮し、ロウベリーさんの魔法のように圧縮する。

 暴風を。模擬戦で使用した、森林一帯を吹き飛ばせるくらいの出力にまで高める。

 風進を。蜘蛛の糸壁にやったように、僕達の行く道を塞ぐ全てに、破壊の限りを。

 活路を開け。僕ならやれる。迷うな。怯えるな。

 ——道を切り開く力は、もう既にあるのだから。

 

「————【風撃】!」


 怒髪天を突いた新女王の捨て身の攻撃を間一髪のところで回避する。

 それを数度。十度。百度。一分も経たぬ間に数え切れないほど幾度もこなし。

 僕は開戦時に塞がれてしまった出口へと向け、凝縮し、圧縮し、それらを以て『改良』を成した『暴風の弾——風撃』を撃ち放った。


 衝突。末に今日一番の超暴風。


 新女王の質量攻撃で生まれたものとは比べようもない出力のそれに、どうにかソラの補助に回ろうとしていた三人は驚愕を露わにする。

 そして、生まれたての力なき赤子にそうするように、この上なく優しく吹き飛ばされた。宙を泳ぐ。ガラスに閉じ込められた観賞魚のゆらりと。

 まさに神の御力。

 暴力の中にあるべきでない穏。

 それが三人を比較的安全地帯にまで誘った。これにより、三人は、これより始まる一人と一体の決死のチェイスへの参加が『不可能』になる。


『——————』 


 全員生存の活路は開かれた。あとは、僕が逃げ勝つだけだ。

 活路ならぬ、勝路。

 それを作るための工程を追走しながら認め、新女王は僕と視線を交わす。

 もはや零と言うに等しい。

 残滓と表現すべき冷静さを目の奥の奥に漂わせていた一体は——


「こっちに来い、クソ蜘蛛——ッッッ!!」


 追いつけば僕を圧殺できるお前の勝ち。

 逃げ切ればトウキ君と合流ができる僕の勝ち。

 そんな挑戦状を叩きつける、開かれた『最後の戦場』に足を踏み入れた僕の言葉を聞いて——


『————ギジャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』


 ヤツは、新女王は、数多の蜘蛛の統べる大王は、魂まで震わせる絶狩の咆哮を打ち上げる。

水属性の魔法には『スウェザ』が付きます。でも、付けない人もいます。

エリオラさんの炎魔法に付いていた『ヴォア』も同じくです。

ちなみに、ロウベリーの魔法攻撃の【デュクサス】は『デュクシ』と『刺す』でそうなりました。

別に、彼女が『デュクシ』の使い手というわけじゃないです。それは俺だ。

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