第36話 流星は北西の彼方へ
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間違っても、希少な野生動物の棲家である森林に引火させるわけにはいかない故、使用した火の始末を黙々と進めていく僕は、最後に未だに燻っている竈へ鍋に入った水を掛けた。
蒸気という悲鳴を上げる火種。
蒸発した水分が白煙と変わりて、無窮の夜空へと昇っていく。
火種が沈黙したのを確認し、白煙が空へと還るのを見届けてから、僕は解体の作業に移った。
用無しとなった鍋をルルド君の手伝いを片手間でしているロウベリーさんに渡して、トウキ君に汲んできてもらった沢の清水で、適当に汚れを落としてもらう。
洗い物を横目にしながら僕は竈の始末を終え、綺麗になった自前の小鍋を彼女から受け取った。
タワシと石鹸で洗われ、前の状態よりもピカピカになった気がする鍋に感嘆の眼差しを向け、反射している自分に頷く。
「よし、後始末オッケー。準備できたよ、僕は出発できる」
「サンキュー、ソラ。悪いね、マッピングを進めたいからって、全部任せちゃって」
羊皮紙にここまでの道のりを書き記していたルルド君は、準備完了の言葉に顔を上げて、ほとんどの後片付けを任せることになった僕へと謝罪と感謝を述べる。
僕はそれに首を振った。
「全然いいよ。こんなことくらいしか力になれないかもだし。トウキ君もありがとね、一人で沢まで水を汲みに行かせちゃって。ロウベリーさんも手伝ってくれて、本当に助かりました」
「気にすんな。そっからそこだったしよ」
「うんうん」
謙遜する僕からの感謝を受け取った二人は、それぞれの対応を見せた。
トウキ君は腕を固く組んだまま礼は不要と言って、ロウベリーさんはトウキ君のそれに賛同をする。
そうして僕は微笑を浮かべながら、下ろしていた自分のリュックを背負った。
丁度のタイミングでマッピングを終えたルルド君も僕と同様に荷物を持って、土が付いているズボンを叩く。
「よし、腹拵えも済んだし、トウキのおかげで水の補給もできたし、準備は万端だな。ロウベリー、俺は冒険者達の足跡を追うのに専念するから、道中のマッピングをよろしく頼んだ」
「はいはい」
「ソラは変わらずに、隊の殿で背後の警戒を」
「了解」
「トウキも変わらず、中衛で遊撃を頼んだよ」
「オウ」
「よし、それじゃあ行こうか、皆んな。出発だ」
各々に呼び掛けをした捜索隊のリーダーであるルルド君に、隊員達の短い返事が飛ぶ。
それに大きく頷いた当のリーダーは、ロウベリーさんにマッピングを任せて、空いた手で火が灯されたランタンを握り、宣言通りに闇に満ちた先へと続いている冒険者達の足跡を追った。
陣形は、休息を取る前と同様の『一・二・一』である。
先頭には足跡を追いかけていくルルド君。
その背後には託されたマッピングをすらすらと進めていくロウベリーさん。
彼女の後ろには、高い実力が買われた故に遊撃役となったトウキ君。
んで、最後尾には殿という重要な役割を担わされた僕がいる。
この闇夜の中で頼りになるランタンを握っているのは、最前後のルルド君と僕の二人だけだ。
ロウベリーさんは、目が効くんだから要らねえだろと言うトウキ君と違って、自前のを持っているそうだが、しかし重要な作業を進めていく彼女が握れるわけもないため、不使用である。
彼女が使っていない物をトウキ君が使いさえすれば、この暗さはさらに紛れるだろうが、遊撃という緊急時に戦線を張ることになる彼が、荷物を増やすのはいただけないのは理解できた。
そんなことを、三人の背中を無言で追従していく僕は考えながら。
ふと、不自然な風が吹いてきたことを感じ取る。
それは啓示。おそらく、そうだと思えた。しかし『何か』が変だった。
今いる北の大山から、夜間出発をする要因の一端となった『異質』を運んできていたものとは、まったく違う感触。
それはまるで警鐘のように、僕の胸の内をザワザワと戦慄かせている。
僕は『風の神』からの知らせに導かれ、バッと夜空を見上げた。
「————!!」
満天の星。大きく欠けている月。
ただ暗い色をした背景の中に浮かぶ、星々の明光。魂から見惚れさせてしまう世界の一面の中で、北西へと向かって走っていくのは、一条の光矢だった。
「流れ星だ……!」
どれだけ手を伸ばしても届くことがない、遥か遠くに有るべくしてある天空を駆け抜けていく流星は美しい尾を引いて、ただ煌びやかだった暗色の画用紙の上に儚げな白光を残していた。
それを両の眼に確と収めた僕は、無意識に出た呟きのみで、もはや言葉も忘れて、感嘆する。
こんなに近いものは、生まれて初めて見た。言葉に表せないほどに、なんとも美しい、絶景。
瞬く間に消えてしまうような『本来の流れ星』は幾度も見たことがある。
しかし、こんなにも『長く続いている』ものは本当に初めてだ。
まるで世界の何処かへ向かっているようですら。
不思議に回っている世界の順天が生み出した、奇跡にして軌跡。
それを、僕の呟きに誘われて夜空を見上げた三人と、神の風に導かれた僕は、北西へと去っていく一条を黙って見ていた。
「物凄く近かったね。いやぁ、それにしても良いものを見たなぁ」
「ね……。もし、大人しく村で待機していたら、あの光景は見られなかったかも」
そんなことを呆然とした様子で呟いていたルルド君は、ふっと肩を落として、いいものを見られた、そう皆に言った。
魂が先ほどの流星に持っていかれてしまったように、なんとも覇気がないリーダーに対して、夜空へ向けていた顔を直したロウベリーさんが『夜間出発』の選択をしてよかったと微笑んだ。
「さっきの、どっかに『引き寄せられてる』みたいだったな」
首を上げる起点となった僕へと視線を向けたトウキ君が、先ほどの流星に引っ掛かる点があったと言う。
ソラもそう思わなかったか? という含みがあるそれに、僕はハッキリと頷いた。
「トウキ君も思った? もしかして北西に何かあるのかな? まさか落ちたとかないよね?」
まさか、本当に薄らとだけ、言葉で表現できないくらいごく僅かに感じていた『違和感』を、トウキ君と共有していたとは。
さすが彼の鬼国・鬼ヶ島の強者である。僕は惜しげない賞賛の眼差しを送りながら、彼が持っている考えを問いかけた。しかし、トウキ君は肩を軽く上げる。
「大抵は落ちる前に燃え尽きるらしいが。もし何かあったら人伝に聞けるし、今は気にする必要はねえだろう。北西に行く予定はないし……ま、何もなけりゃあ今日までだな」
意外とさっぱりしているトウキ君の言葉に、僕は『なるほどね』と納得顔をする。
流れ星はたまに燃え尽きず、地上へと隕石として降ってくるらしいけど、今回はそうじゃないと良いが。
もし隕石となって民家にでも落ちてしまったら一大事だ。家屋が吹き飛ぶどころじゃないはず。
「そっか……。あっ、そういえば、消える前に願い事を祈れば叶うんだっけ? 流れ星って」
「ああーーっ! たしかにぃ! うわぁー、見入っちゃったせいで忘れてたぁ…………」
言葉を無くした僕からポロリと出てきたのは、ただの迷信であった。
流れ星に願望を念じて、それが叶うならば苦労しない。
自分の足で歩み、自分の手で掴まなければ、夢など叶うまいて。
現実。何度祈っても、願っても。
居なくなった母は家へ帰ってこなかったのだから。
しかし、僕の呟きを聞いたロウベリーさんは、まるで脳天から雷を喰らったかのような叫び声を上げた。
僕は突然の叫びに肩を弾ませ、トウキ君は変わらずの我関せずで、ルルド君に至っては、さすがに反省しろと言いたくなる、いかにも『失言』をかまそうとしている微笑を浮かべていた。
「はははっ。ロウベリーの願いなんて、どうせ体重が減りますようにとか。夜食を食べても太らない体質にしてだとか。そんなクソしょうもないものだろうし、気にする必要ないでしょ」
「殺すぞ」
「…………ごめんなさい」
やっぱりやったな。
そう呆れたように肩を竦ませた僕はただ苦笑して、掌で顔を覆っているルルド君と、ズンズンと足跡を見もせずに進んでいくロウベリーさんの後を追うのだった。




