幕間 暗闇に潜む『怪物』
人歴千◯三七年の、五月十九日。春色の只中にあるスミカザリ。その領地内にある山村にて、農業に従事していた当時四十一歳の男性が消息を絶ったという。
十六日に村を出てから、三日が経っても帰ってこない。
その話を聞いて、この失踪に『事件性』があると判断した、山村の最寄りにある町のギルドが、スミカザリの管轄内にいる全ての冒険者たちに緊急の召集を掛ける。
召集は捜索依頼があってから数時間後の、五月二十日の夜間に掛けられたものであり、求められた捜索活動へ即座に移れたものは、あまり多くなかった。
しかし、出動した冒険者の数はゼロではなく。招集から半日が経った、五月二十一日の昼頃に、数人の冒険者が件の山村に足を踏み入れる。
現場へと到着した数人の冒険者たちは、広大な森林での個人捜索という難易度の高いクエストの達成は『単独で不可能』だと早々に断じて、発生する報酬を等分にすることを条件にして、即席のチームアップを行った。
そして各々で行方不明者についての情報収集を進めていく。
「しっかし、犬も連れずに山菜なんて取りに行くか、普通。何年も平気だったからってよぉ」
「仕方ねえさ。幸運に慣れちまえば、もしかしたらなんて不安は自然と思わなくなるからな」
「運悪く大怪我を負っちまった奴らを何度も見てきた俺らじゃあ、一生無理な行動だわな」
手に入る粗方の情報を集め終えた冒険者たちは口を揃えて、対魔族用の防衛柵が存在しない山内へたった一人で向かったものだなと。行方不明になった男性に届かない苦言を呈していた。
行方不明になっている四十代の男性には家庭内暴力が原因の離婚歴あり、現在は村内の端にある平家で一人暮らしをしているらしい。
娘が二人いるそうだが、二人とも前妻の故郷へ連れて行かれたらしく、その件があってから、男性には一種の自棄的な行動が目立ち始めたそうだ。
「一端のクズがクズらしく死んだだけ……。わざわざ纏まった金を出してまで、大所帯に捜索させるなんざ馬鹿らしくねえか?」
「山菜取りは慣習化しちまってただけで、今は落ち着いてるんだとよ。ま、二十一の時に離婚して、それから五年くらいは荒れてたらしいが……。便所飯食って頭が冷えたんだろうぜ」
「落ち着きを得てからは、老人の手伝いを率先してやり、自分なりの贖罪をしていたようだがな。何でも実家に帰った女房と、最近では手紙のやり取りもしてたらしい」
斜めに走った大きな傷を顔に持っている、手入れをされた形跡が微塵もないボロボロの軽装をした一人の冒険者が、今回の行方不明者を冒涜するようなことを、剰え平然と言ってのける。
あまりにも心無い暴言が過ぎているそれを、一丁前の倫理観を持った大人のように諫めることなく、これといった感情も抱いていなそうな抑揚のない声音で補足の説明を差し込んだのは、命守るための防具をなにも身に付けていない、格好からして斥候だろう出っ歯が目立つ冒険者。
最後に話を繋げたのは、髭面でありながら清潔感のある、熟練のような冒険者である。
彼は大きな二又の槍を軽々と背負っており、この中では最も剛強に思える雰囲気を醸し出していた。
「はあ〜ん、丸くなった矢先にこれじゃあ、神は居ないなんて無神論者が吠えるだけあるぜ」
「聖神も魔神も一個人など見てはいられまい。神は一体でも、人間は星の如くいるからだ」
「あぁ? テメエ、妙に無神論者っぽいこと言うな。もしかしてソッチ系か?」
ふざけたように肩を竦めては、行方不明者の安否など微塵も気にしていないのだろう、酷く軽薄に思われる発言をしてのけた顔傷の男。
決して少なくはない金銭を叩いて、行方不明になってしまった男性の捜索依頼を出した親類が、今に話をしているここの近くにいるというのに。
そのことをまったく考慮した様子がない顔傷の男に、重々しく瞑目する髭面の男がぶっきらぼうに言葉を挟めば、無神論的な物言いを受けた顔傷は、すかさずにそんな問いを投げ掛ける。
「フン、阿呆め。運も実力というもの。神に祈ってどうこうなるほど、儂等の世界は甘くはない」
「ハッ、的を射てるな。そんじゃあ、無駄話はこの辺にして。さっさと居なくなった阿呆を探しに行くことにしようぜ。後発に先越されて、タダ働きなんざゴメンだ」
精神的にも実力的にも遥かに熟達している髭面の男は、顔傷の男がした『無神論派か?』と暗に言っている問い掛けにも一切動じず、長年の経験で得ている確固たる持論を返してみせた。
それが自分好みのものだったのか、顔傷の男はそれ以上なにも言わず、ただ不適な笑みを髭面に向けた。
そして切り替わった話題を先振りした顔傷に、吊り目の斥候的な男が鷹揚に頷く。
「んじゃ、フタヒトになって周辺を探していこうぜ。俺と髭は行方不明者が足繁く通ってたらしい北の山の方を探すわ。残りはま、適当に善処してくれや」
「オイ、出っ歯野郎。テメエ、自分の安全優先で人選したろ」
「別にいいだろ? 実力的には俺が一番下なんだ。それなら一番強えやつと組むわな、当然」
「チッ。さぼんじゃねえぞ」
「それはオメエがだろ」
これが冒険者の流儀とやらか。互いに軽口を叩き合い、行動に移っていく面々。出っ歯の男は一団で最も強い髭面を付き添わせ、残りは魔獣と人攫いを警戒しながらツーマンセルで動く。
長年の土壇場で培われた口八丁と、弱いと自覚しながらもまったく磨く気がない己の実力をフルに使い、なんとか比較的安全な大船に乗ることができた出っ歯の男は、寡黙な髭面の金魚の糞に嬉々として従事し、万年弱者に甘んじている自分のことを鼻で笑った髭面の後を追った。
我関せずで突き進んでいく髭面と、それを追いかける出っ歯が他冒険者達と分かれて向かったのは、行方不明者の親類が無事を待つ山村の北に広がっている、登りが緩やかな山岳だった。
チラホラと人間の手が入っている様子が見られる山岳の肌には、食用だろうタケノコが多く見られて、心底卑しい出っ歯の男はそれを自身の肩掛けバックの中にしこたま詰め込んでいく。
「上等! グへへ、これは良い値で売れるぜぇ〜! いや、売らずに炊いて食うかぁ〜〜!」
「…………腐っとるなお前は。だから弱者なのだ」
この盗難がバレたらギルド経由で苦情が手元に届けられるだろうが、今を生きれればそれでいい出っ歯は特段気にすることはなく、ひたすらに道端で生えている食材をぶん取っていった。
謎のキノコに大きなタケノコ、名前が朧げな山菜の数多。
それを両手いっぱいに抱え込んだ出っ歯は、それはもうホクホク顔で、下卑た笑い声と腹の虫の演奏を、静寂な山内に響かせる。
もう何も持てないだろうに採取欲求が止まらない出っ歯は、乾燥している地面に落ちている枯れ草どもを足で払いながら、必死に『何か』がないかを探した。
探さなければいけない者を、物にすげ変えている出っ歯を尻目に軽蔑しながら、髭面の男は行方不明者を視線の動きで追う。
落つる枯れ葉の一枚すらも容易に捉えてしまう視線を、たった一人の姿を探すために右往左往させていた髭面は、平面になっている山肌の向こう側にある『あるもの』を目敏く発見した。
「洞窟。深いな。……行方不明になる前は、村は豪雨に襲われていた……だったか」
村を発ってから三時間弱が発っている。
現在時刻は午後の四時を越えたあたりだろう。夜間は魔獣が活性化するという。
故に、日が落ち切る前に帰還するのが安全策だが……。
幸運なことに、この場にいるのは足が軽い出っ歯と、並大抵の魔獣などものともしない髭面の二人だけ。
夜が来ようとも関係ない。世界が切り替わろうとも、危険はない。
ならば『行く』しかない。
「………………これが当たっていれば、間違いなくここまで来ているだろう」
髭面には邪魔でしかない出っ歯に伝えなかった、とある『仮説』があった。
それは、山菜取りであれば決して近くない距離にある、ここまで髭面の足を運ばせるほどに強度があるもので。
その仮説とは、行方不明の男は普通の山菜採取を目的としていなかったのでは、というもの。
この仮説の根拠になっているのは、ここまでで、本当に邪魔くさくて仕方なかった出っ歯が過剰なまでに食材を採取できていた点。
それと、ハザマの国の特産品『カネコダケ』の存在だ。
もう一度言おう。
ここは山菜なんて物を取りに行くのであれな、決して近くない場所である。
さらに、行方不明の男は実践経験など皆無であろう農夫で、魔獣対策の犬すらも連れていない。
もはや出っ歯よりも乏しい、男の装備類。
その状態で遠征など、髭面ですらしない愚行である。なのにも関わらず、魔獣に襲われる可能性が頗る高くなる人里からの遠地にたった一人で。
自責で離婚してしまったようだが、男には娘が二人いた。
頭を冷ました現在で、父親に当たる男が何もしていないとは考えられない。
村の老人に助力しているほどに改心しているのなら尚更に。
女房側の実家の位置は把握できないが、物品、もしくは現金を仕送りしている可能性は高い。
おそらく、相当な額を一度に送っていたはずだ。
いや、できなくとも送ろうとしていたはず。
ならば、還元率が頗る高いカネコダケを採取しようとするのは必然。
カネコダケは日照時間が長く、そして光量が多い場所に植生していると聞く。
この山岳の頂上が、その条件にはピンポイントで当てはまっている……。
もし、目的のカネコダケが植生している可能性が高い、この山岳の山頂へと向かおうとしていた——到達した後に帰ろうとしていた道中で、運悪く『豪雨』になど見舞われてしまったら。
カネコダケは胞子が金粉のように美しく、味も良い。
せっかく採取したそれを雨に濡らすことは憚るはず。
そんな時にあの洞窟。向かわないわけがない。髭面なら、そうするからである。
「………………出っ歯! ランタンを用意しろ。あの洞窟へ向かう」
「へっ!? いやいや、もう帰ろうぜ! 俺も何も持てねえんだよ!」
「そんなものは何処ぞに置いておけ! 聞けぬなら、無理強いに剥くぞ阿呆」
「ひえっ……。お、オッサンに剥かれるのは流石に守備範囲外。チッ、分あったよ」
髭面からの凄みに怯んだ出っ歯は、いかにも渋々といった感じで抱えていた山菜類を地面に置き、パンパンに詰まっている鞄をひっくり返して、携帯できる小型のランタンを手に取った。
まだ何ともなっていないそれへ、まさに虎の子である『火の魔道具』を使って、向こうにある洞窟を捜索するための命綱になりうる明かりを灯す。
そうして準備が万端になったことを伝えた出っ歯は、素っ気ない髭面に二度目の舌打ちをし、しかし逃げることなく後を追いかけた。
妙な気配を端々から感じさせる、怪しげな洞窟の前までやって来た二人は、時の流れに沿って傾いている日光が差し込まないほどの洞窟の奥から吹いてくる湿った風に鼻を鳴らす。
風が吹くとはつまり、この洞窟は山の向こう側、もしくは逸れた場所に繋がっているということだ。
「このジメッてえ洞窟に当たりがあるのかよ」
「知らん。が、匂うのは確かだ。存分に気を引き締めておけ。死にたくなければな」
「ハッ、それがミイラの香りじゃねえことを祈るぜ」
暗闇に向かってランタンを掲げる出っ歯は、相変わらず口数が少ない髭面に安堵を覚えつつも軽口を叩いて、冒険者の勘が囁いている『危険』への緊張感を和らげた。
無機質な死神が吐き出す息のような、深淵を開ける洞窟の一声。
それを浴びながら、しかし怯えることなく最初の一歩を踏み出したのは、背負っていた二又の槍を手に持った髭面である。
そんな髭面の後を冷や汗を頬伝いさせながら続くのは、護身用のナイフを引き抜いた出っ歯だ。
平地になっていた山地と比べれば、やや下り坂に進んでいる洞窟の内部。
足取りに慎重さを感じられない髭面が地を蹴れば、足元にあった小石が降り斜面を音を立てながら転がっていく。
地を蹴るたびに、カラガラという音がランタンの灯りだけが頼りの洞窟内で反響して、嫌に鼓膜を刺激する。
小石が転がる音に紛れて、重鈍な何かが地面を擦っている音が聞こえていた。
常であれば、五感が拾った些細な『異常』に対して、熟練の両者は各々の反応を示したはず。
だが、外界と完全に隔離されているここは、言ってしまえば闇の領土である。
そんな、まったく領分が異なっている場所で、常の状態を維持することは、あまりにも困難と言えてしまう。
しかし熟練の髭面なら、それすらも跳ね除けることができただろう。
にも関わらず、今の髭面は平静というものを保ててはいなかった。
本人すらも気付けていない、プレッシャーにより。
この洞窟には間違いなく『何か』が居る。とてつもなく強烈な何かが。
だが居ない。見えない。聞こえない。嗅げない。触れない。
闇に紛れているのか、気のせいなのかも、分からない。
長年で培われた勘が言っている。逃げろ、と。
嫌だ嫌だ嫌だ。逃げたくない。
自分は強者なのだという誇りを。何十年と凡人なりに鍛え続けてきた実績を。
今も金魚の糞のように必死についてきている弱者を思う存分に見下すことができる『強者』という位置に酔っ払う己を。
髭面はどうしても否定したくなかった。
『慢心は己を殺すための近道である』
そんな、ヒヨコに教えるような初歩中の初歩を無視した結果が〝最悪〟だったとしても。強者の側でいたい髭面は戻れない。だから——。
『ギギギキィィィイイ——————』
こうなるのだ。




