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蒼風のヘルモーズ  作者:
『ハザマの国』編

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第31話 ヒガンノ・トウキ

「はっ、はっ、はっ——ふッ! っぁ、意外と遠いな!」


 せっかく、ありがたい安さだった宿泊費を払って借りた、宿の独房的一室。そこで就寝をすることもなく外出し、馬車すら通っていない無人の道路をたった一人で駆けていく。

 天にあるべき月の光だけが僕が進むべき道程を照らしている、言葉通りのナイトロード。都心ではよくよく見受けられた魔導国製の街灯はたったの一本も設置されておらず、正真正銘の一寸先は、有を無に見せる漆黒で埋もれていた。

 

 夜のとばり。永遠を幻視させる暗き闇。無限のような有限の夜。根源的な恐怖を催させるそれに対してもまったく怖じけることなく、剰え隙間が見当たらない超高密度の暗闇を引き裂いていくように、僕は馬以上の速度を出せる強脚を用いてぐんぐんと、北へ向かって靴底を鳴らし続けた。

 闇を払って進むほど目まぐるしく面相を変えていく、ハザマの国きっての工芸の町——その名もスミカザリ。今昼に食べ歩きした商店街を走り抜けていけば、あっという間に住宅街の只中にいて、さらにそこを過ぎ去れば、内側と外側の住宅街に挟まれている工場だらけの区画に入り込む。

 

 既に午後の十時を回っているというのに、工場区の夜間労働者たちは各々の製造業に勤しんでいた。高級そうな革製品、一瞬見えた形状的に長財布を作っている、幾つなのか分からない髭面のドワーフの職人。色とりどりの厚紙でえらく精巧な造花を製作している妙齢に見えたエルフの女性。僕と同じ人族も数多くが労働をしていて、チラリと見えた大きな建物の中では、ガラス細工を慎重に運んでいた。


 やんちゃな子供もスヤスヤ寝入るだろう、正真正銘の遅い時間帯。そこで人知れず行われている生業を猛速で過ぎ去っていく視界の端で捉えながら、僕はひたすらに地面を蹴る。徐々に近づいてきている、この喧騒の正体を追って。


「————あそこだ!」 

 

 宿を発ってからしばらくして、町をぐるりと取り囲んでいる楕円形の防壁の北門、言わば『喧騒の元』を目視した。

 すぐそこに見えている、都心のものと比べれば非常に慎ましやかな門前広場には、和むための場所に似つかわしくないピリピリと緊張した空気を醸している、多様多種な武装をした人間が数多く(たむろ)していて、それを遠目から認めた僕は眉を吊り上げ、やはり只事じゃなかったんだ——と、佩ている鏡面剣の柄を強く握った。


 これだけ走ったのに、まったく上がっていない平静の息。それを深く吐いて、僕は一層と足腰に力を込めた。速度は馬並みかそれ以上。……にも関わらず、暗い視界の端に猛速で斜め後ろから接近してきた〝人影〟が捉えられて——。


「〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!? だっ、誰だっっ!?」


 進路が風上であった故に気付くのが遅れた、急激な肉薄。闇に溶け込んでいるかのように薄すぎる、自然的な気配量。そしてまさかの超速力。僕はそれに心臓を飛び跳ねさせた。


 まさか自分が行使していた人外の速力に追いついてくる、ついて来れる人が、あのエリオラさん以外にも居るなんて。

 そりゃあ世界広しと言ってしまえば、僕以上の人間なんて星の数ほどいてもおかしくはないだろうけど、しかしこんな所でか。

 

 そんな甚だしい衝撃をあまりにも突然に受けて、僕は走る勢いそのままにすっ転んでしまう一歩手前へと陥ってしまった。が、なんとか手前の常人以上の体幹で踏ん張って、ズザザァ——と地面を削った緊急停止を行うに落ち着いた。

 靴底を擦る音に続いて夜天に轟くのは、夜間ということを忘れている大声をした、僕からの必死な問い掛けである。


 余裕がないそれに反応を示したのは、敵意や害意は感じられないものの、甚だしい強脚を有している、謎の人影で。


「ああ、悪い悪い。急に出てきて驚かせちまったか。あそこの騒ぎに駆けつけてるのが見えてな、追いかけたんだ」


 心臓が裂けると思ってしまったくらいに驚愕した僕に悪びれた様子が一切ないどころか、剰え平然とした雰囲気を醸す謎の人影は、月光が照らしている車道側へと徐に歩み寄り、鈍痛を感じている胸部を手で押さえている僕の前に、蔓延る闇に紛れていたその姿を、包み隠すことなく現した。


 全身に纏わりついていた夜の一色。それを至極きらびやかな月の光で溶かしてみせた、声音的に男性だろう人の影。その姿をまじまじと見つめる僕は、はっきりと認められた人影の、非常に稀有な身体的特徴に驚愕をあらわにした。


 見る人次第で弱々しいなどと思われるかもしれない枝垂れた桜のように、サラリと下へ向かって伸びている、短すぎず長すぎない、天から降り積もることで完成する美しき雪原のような白色の髪。

 それに加えて、雪解けの大地に芽吹いた若葉の如く、非常に鮮やかな色調をした黄緑色の瞳。


 長閑でありながら、たしかな厳しさがある春の季。そのような雄々しい見目をしている、僕と歳が近いだろう青年。それよりも目を引くのは、額の生え際の辺りに生えている、真珠のような輝きが際立った、非常に滑らかな〝二角〟だ。


「きっ、鬼人族…………!?」


 額から、空を目指すように滑らかに湾曲して生えている、山羊のように歪ではない、二本の角。その聞きて知る特徴から鑑みて、彼は希少人種たる『鬼人族』で間違いはなく。

 現在地のハザマの国、その隣には鬼人族の王が治めている『鬼国・鬼ヶ島』であるからして、この国に鬼人がいるというのは、さして珍しくもないのだろうけど……。


「俺みたいな鬼人がそんなに珍しいのか? この国は鬼国の隣にあるんだし、割と同族が居るって聞くんだがな」


「へ、あ、えっと……僕は隣の『ソルフーレン』から来たんです。あそこは僕みたいな人族とエルフばかりで、鬼人族は全然……っていうか、生まれて初めて見ました」


 僕がした種族に対しての驚愕に片眉を上げた青年は、えらく柔和な雰囲気で語りかけてきた。

 それにたじろぎつつも、僕は常の状態を取り繕って送られた疑問に答えを返す。 


 握手を交わせるほどの距離まで大した警戒もなく歩み寄ってきた青年の方が、僕よりも二、三センチほど高い目線をしていた。

 僕の身長が百七四センチであることを鑑みて、彼の身長はざっと百七十七センチくらいか。だいぶ高身だ。 


「なるほどな。風の国には『風の勇者の伝説』があるから、風の勇者を神格化してるエルフ連中が多いんだっけか」


「し、神格化の方は全然分かんないですけど、そんな伝説がソルフーレンにはあるらしいですね…………」


 石灰のような灰色とクリーム色、そして薄緑色を基調とした、やや野性味があって袖がないタンクトップ調の服装。

 僕のコートと同様に着られている羽織は、まるで強靭な生物から剥ぎ取ったものをそのまま加工しているかのようだ。

 

 あまり、というか全く見たことがない衣服の形状。鬼人族が着ているから、これが和服ってやつなのかもしれない。

 甚兵衛って部屋着はハザマの国でよくよく見てきたけど、ここまで畏まったようなのは初見だ。ちょっとカッコいい。

 

「あ? 自分のところなのに、えらく他人行儀だな」


「あ、あはは……。実はその、つい最近まで風の勇者というか、勇者そのものを知らなかったんですよ。家庭の方針——なのかな、何にも教えてこられなかったので」


「………………だいぶ変わってんな」


 僕の言葉遣いに妙な違和感を覚えたのだろう、あからさまに『怪訝』という顔をした青年は、僕がとても言いづらそうに語ってみせた至極不可解な謎の家庭環境に瞠目した。

 なぜ『ソルフーレン』に住まう全ての人間が知るような、崇め讃えるような『伝説』を我が子にひけらかさないのか。


 それについては当事者である僕にも思うところがあった。何故なら、世界的に認知されている伝説が確と刻まれている場所で、その伝説をわざわざ秘匿するというのはあまりにも、言ってしまえばこの上なく『不自然』であるから。

 普通ならば自国に残る紛れもない『英雄譚』が途絶えぬよう、次代を生きていく子供には語り継がせるはずである。


 しかし僕自身は、僕には伝えられない『何かしらの深い理由』があったのだろうと〝一応〟は納得をしているため、そこを変に突かれたとしても、何も答えを言い出せないという、非常に居た堪れない感じになってしまう。

 故に、これ以上の追求されたとしても答えは出ない。

 そういうバツが悪い顔をしている僕を見て、青年は僕にも分からないという事情を察し、肩を竦めて話題を転換した。


「ってか、敬語はやめようぜ。同年代の奴に堅苦しく話しかけられるとなんつうか、背中がむず痒くなってくるだろ。見た感じ、歳近えだろ? 俺は十七。お前は?」


「え? あぁ……僕は一応、十六歳だけど…………」


「ほらな、ほぼ『タメ』じゃねえか。以後は普通に話しかけてくれ。背中を掻かなくちゃいけない俺のためにもよ」


「…………そういうことなら、まあ。分かったよ」


 未だに北の門前広場で続いている、表情からは余裕を感じられない、冒険者達の騒動。それに野次馬的な感じで駆け付けようとしていた僕の後を、行き先が同じだからという理由で追いかけたらしい鬼人族の青年は、まるで前々からの顔見知りであるかのような距離感で僕と話を交わした。


 そんな青年に『あれだけ驚かされたのに、えらい好意的だな。これじゃあ警戒しろって方が無理だ』という、なんとも言えない気持ちを抱いてしまった僕は良い意味で顔を顰めつつ、徐に騒がしい北へ視線を送り、顔を向け直した。


「えっと、君もあそこの騒ぎに用があって——」


「俺はトウキ。ヒガンノ・トウキ。お前の方は?」


「うえっ……あぁっと……僕はソラ。ソラ・ヒュウル。えっとぉ、トウキ君もあっちに用があって行くんだよね?」

 

 僕がした『君呼び』はあまり気に食わなかったのか、トウキ君は僕の言葉を上から被せて、急に『ヒガンノ・トウキ』と名乗りを上げた。それに盛大に狼狽えてしまった僕は、目に見えて戸惑いつつも求められた自分の名を名乗る。

 そうして『トウキ君』という初対面にしてはまあまあ親しげだろう呼び方に訂正するも、当の彼は『ちょっと違うんだよなぁ』という顔をして、うなじに手を当てた。


「君付けはいらねえよ。それも敬語みたいなもんだろ?」


「いや、呼び捨ては流石に、なんかむず痒くなるし……」


 ヒラヒラと空いている手を泳がせながら、僕に『クン付け』すらも止めさせようとしてくるトウキ君。

 そんな彼に、先程の彼の言葉を引用した自分の正直を、僕は言ってみた。すると、まさかの返しに面を食らったように瞠目したトウキ君は、面白おかしい笑いを堪えるように顔を下げ、そして肩を微動させながら、しばらくして僕に笑顔を向ける。 


「くくく……なら仕方ねえな。オウ、俺もあっちの騒ぎに駆けつける気だぜ。それはソラもだろ? 走ってたし」


「う、うん。まあ、僕はなんの騒ぎだろうって、単純に気になったから走ってきたってだけなんだけどさ」


「んじゃ、この際だし一緒に行こうぜ。旅は道連れとか言うだろ? 俺があっちへ駆け付けてる時に同じようなソラを見つけたのも、割りかし気配を消してた俺に気づいてソラが足を止めたのも、何かしらの縁ってやつだろうしよ」


 居なくなった母を探す以外で、特に定まった目的もないままに、とりあえず向こうの騒ぎに駆け付けようとしていた僕と、発される言葉の端々に、騒ぎの方へ向かっていた理由が感じられないトウキ君。まさに似ている両者の状況。

 それを場に流れる空気で汲みながら、合流の提案を受けてしまった僕は視線を斜め上に向けて、己が考えを言った。


「トウキ君がいいなら、僕は全然構わないし、それどころか歓迎なんだけど……いいの? もし手伝ってくれなんて言われても、僕、普通に役立たずだと思うよ?」


「くはっ。何をそんなに謙遜してんだよ。見てたんだぞ? さっきのソラの足。どう見ても素人じゃなかっただろ」


 僕が発した言葉の中におかしな点があったのか、ケラケラと笑うトウキ君は僕の腰の鏡面剣を見ながらそんなことを言った。送られるその視線に気付いた僕は、剣の柄を握ってカチャカチャさせながら、違う違うと左右に首を振る。 


「いやいや僕は素人の中の素人、紛うことなきド素人だよ。腰の剣を見て『そっち系の人間』だと思ってるなら勘違いだよ? この剣、まだ一回も使ってないんだから」


「くはははっ! ただの飾りなのかよ、それ」


「そ、そうだけどさっ、別に笑わなくてもよくない!?」


「くくっ、笑うなって方が無理だって……はははっ!」


 冒険者くらい戦える、超武闘派の旅人です。みたいに決まった格好をしていた僕のそれが、完全に見せかけの張りぼての虚飾だったという紛れもない事実に、面白おかしい笑いが止められなくなってしまうトウキ君は、そこは割と気にしてたんだよ、という顰め顔をしている僕に形だけの謝罪を送って、目端に浮かんでいた涙を拭った。


 そうして暫しの無言が場に流れれば、僕は好機と言わんばかりに今の恥ずかしい話題を逸らそうと、いつの間にか開いている北門からぞろぞろと集合していた冒険者が出て行っているのを認めて、ぶっきらぼうにそっちを指差した。


「ほら! なんか冒険者達がぞろぞろと門の外に出て行ってるし、早く行って何があったのか話を聞いてみようよ」


「くくく……ああ、そうだな。んじゃ、急ごうぜ、ソラ」

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