第29話 映す鏡面の剣
都心に比べれば格段に客入りが乏しかろうとも、しかし大して珍しくはないだろう、民宿として開かれている屋根の下に立ち寄ってみた宿泊客。
言ってしまえば赤の他人に違いないそんな僕に対しても分け隔てなく、まるで本当の家族であるかのように優しくしてくれた老夫婦と別れてから翌日の、落ちていた日が昇ったばかりという早朝の六時。
鶏の鳴き声に促された形で目を覚ました僕は、やや埃っぽかった布団の上で身を起こし、そして大きく背伸びした。
「…………っぁ」
背伸びをして今日日の活動の用意を済ませる。しかし悠長に寝癖が目立っている頭を掻いて、まだ居座り続けている眠気と対談をした。
まだ寝ていいかな。いや駄目かなと。
結局『今すぐ起きろ』という決着で対談は終わり、僕は暗くはない溜め息を吐きながら極上の温布団から出ていく。
実は早起きをしなきゃいけない、しておこうと昨晩のうちに決めていた非常に重要な理由が僕にはあった。まあ理由とは言っても外的な圧によるものではなく、自分の気持ち的な急かしなのだけども。結論として、その理由とは『武器の入手』である。
獰猛に涎を散らす魔獣や、金品を奪うためなら殺しも厭わないという野盗への自衛の際に必須である武器、それの入手。
それが、まだ眠いのに、遅くまで寝ていても誰にも迷惑は掛からないにわざわざ自分に鞭を打って、早起きをしてまで解決しておかなきゃいけない重要な理由だった。
それもそのはず。僕には先の例に上げた『自衛』をするための武器がない。
なんせ故国の山奥で相対した犬型魔獣との死闘の中でボキッと、根本から破損してしまったから。
折れてしまった武器は爺ちゃん曰く安物のみたいだけど、しかし長い旅の中で遭うだろう危険への対策札として託してくれた、爺ちゃんの思い出の品。
それが、あのナイフだ。
それを『いざ』という場面で折ってしまった。
窮地に陥っていた僕を救ったという事実はあるし、それ故に物損による精神的なダメージは少ないけれど、思うところはある。
実際、居なくなった母を探し、連れて帰るまでの相棒だと、失くすことも壊すことも疑いもせずに思っていたから。
だから、こうして折れて機能不全になった爺ちゃんのナイフのことを思い出すと、気持ちが落ち込んでしまう……。
「…………って、いかんいかん。形ある物いつか壊れるってやつだ。切り替えてけ。旅はまだ始まったばかりなんだぞ」
着替えの定番服をリュックから引っ張り出す際に、底に埋めていたナイフを無意識に取り出してしまっていた僕は、長めの感傷に浸ることを首を振って拒否して、鞘に折れた刀身ごと収められているナイフを再び荷物の底に沈ませた。
そうして無意味に急ぐように寝巻きを脱ぎ捨てて、取り出した衣服に身を包む。
晴れて準備万端になった僕は、脱ぎ捨てた寝巻きを一転して丁寧に畳み、リュックに仕舞う。
第一の目的は居なくなってしまった母さんを探すことだ。
しかし今に優先するのは第二目的である武器入手。
そもそも武器が無いと人治領域外を出歩くのは危険極まるからな。
しかも、ここハザマの国には『鬼国・鬼ヶ島』から輸入された、そしてそこから島国独自の刀剣鍛造技術を得て国内でも盛んに鍛造されているという『和刀』がある。
僕はそれが欲しい。だって切れ味が物凄くて、美術品として個人的に収集している富豪も居るって話だしさ。
まあ、財布と相談しなきゃいけないから極論、できればだけども。
「よしっ。まだ早いけど、武器屋に行くか!」
ぶっちゃけ、こんな朝早くに準備を済ませてしまったところで、当の武器屋は暖簾を掛けていないのではないか?
目的の武器屋の前まで急いで行ったとして、商い中でなかったら意味はないだろう。まさに骨折り損の草臥儲けだ。
そんな不意気を内心では抱きつつも、しかし興奮の一途を辿っているせいで急ぐことを止められない僕は、顔一面を喜色に染めたまま早々に着替えを済ませて、まだ隣室の宿泊客が鼾を奏でているのを認めながら、部屋を出ていく。
他の宿泊客の迷惑にならないように足音を最小限にしながら宿一階に移動して、同階にある洗面所の桶で顔を洗い、いやでも目立ってしまっている寝癖を直す。そして、つい胸が高鳴ってしまう新たな武器の入手への準備は完了した。
しかし、これだけ速やかに済ませても、僕の本心は『はやくはやく!』と騒ぐのをやめてくれない。だからこそ僕は顔一面を興奮で彩ったまま、玄関口で脱いでいた靴を履き、ザッと引き戸を開けた。そして一度振り返って、言う。
「お世話になりました! 行ってきます!」
「あーい。気を付けてな」
「はいっ!」
玄関口を勢いよく飛び出していく手前、一階広間の床を掃き掃除していた宿の主人に挨拶と感謝を告げた僕は、微笑みをして返事をしてくれた宿の主人に声を返した。
有り余る興奮を息に乗せ、朗らかな朝日に満たされている街を走っていく。目的の場所に当たりはなくとも、全力で。
+ + +
滅多に買ってもらえない玩具を、年一回の誕生日を迎えたことでようやく手に入れられる子供のような満面の笑みで宿を出て行った僕は『まあ、一旦ね』という感じで、朝早くから開店していた、行き慣れない酒場の入り口を通る。
「いらっしゃいませっ! お一人でしょうか?」
「あ、そうです。僕一人です」
「では、カウンター席にどうぞ! こちらです!」
入店した途端に話しかけてきた、メイド服を弄ったような給仕服を着こなしている妙齢の女性に対して、やや距離の近さに気後れしつつも適切に客としての対応を取り、指示されるがまま手差しで示されたカウンター席に腰掛けた。
ガヤガヤ——ガヤガヤ。朝の真っ最中である街中では聞こえてこなかったそんな喧騒が、この場には酒のように満ちている。
僕は先の女性店員が持ってきてくれた、お湯につけたのだろう御絞りで手を拭き、卓に出された冷水で喉を潤した。
「…………っぷはぁっ。水、美味っ」
街中をせっせと走っている際に発見したこの酒場は、和風という言葉を端々に感じてしまうハザマの国では珍しく、ジョッキから泡を垂れ流している『ビール』などを提供している、僕が知っているような酒場的商売を行なっていた。
だからなのかもしれない。僕は生まれてこの方、飲酒という行為に及んだことはないのだけど、こう畏まっていない食事を摂る際にここみたいな大衆酒場的な場所を利用していたから、ちょっとした安心感を得られてしまっている。
「御注文はお決まりでしょうか?」
「あっ、ごめんなさい。ちょっと待ってください……えっと……あ、じゃあこの、チキンパエリアをお願いします」
朝から大ジョッキに一杯のビールをぐいぐいと飲み交わしている、冒険者だろう集団の方に視線を向けながら、妙な故国への懐かしさを感じてぼうっと呆けてしまっていた僕は、注文を取りにきた女性店員の声にハッと肩を揺らし、急いで卓上に置かれていたメニュー表の木版に目を通した。
そして選ばれたのは、百八十ルーレンのチキンパエリアである。パエリアはたしか米料理だからこれから走り回る等の活動を続けても、昼まで持ってくれるはずだ。
「チキンパエリアですね! ……あ、お酒の方は如何なさいますか? ビール、焼酎、清酒など様々な用意が——」
「あぁ、すいません……。僕、お酒の方はちょっと」
「ああっ、そうでしたか! それは申し訳ありません。それでしたら、冷茶の方もございますが、どうでしょう?」
「あぁ……じゃあ、それでお願いします」
意図して注文しなかった飲みの品をわざわざ提案されてしまった僕は、ここは酒場なんだから提案されるのは当たり前だよなと思いつつ、申し訳なさそうに顔を歪めながら酒の方は嗜まないことを、目を点にしている店員に伝えた。
すると、話を聞いた女性店員は嫌な顔をすることなく納得して、酒を飲まないならばと、お茶の方を薦めてくれた。
その、まったく棘というのを感じない至極柔和な対応にホッと胸を撫で下ろしながら、僕はその勧めを受け入れる。
「かしこまりました! では、ご注文の料理が出来上がるまで少々お待ちくださいませ!」
僕からの注文を取り終えた女性店員は笑顔という一輪を咲かせた後、身体を翻して厨房へと早足で向かって行った。
その拍子に膝上のスカートの裾がふわりと持ち上がって、僕以外の男性客の鋭い視線がほんの一瞬のうちに集中する。
一気にこちらへと放たれた視線の数々に対して、僕は苦笑をしながら頬を引き攣らせ、何も見なかったことにしようとカウンターの方を前に、卓上にある冷水を飲み干した。
女性客は勿論いるけれど、しかし見たところ男性客が全体の七割を占めている。まさかとは思うが、集団に属していない男連中って、可憐でやや際どい恰好の女性店員とお近づきになろうという下心があって来店をしているのでは。
注文を取られている際にもチラチラって細かな視線を全方位から感じていたけど、あのスカートが浮いた瞬間の集中具合は半端じゃなかったぞ。
あれ、絶対に女性店員も気付いてるだろ。いやらしい視線をもろに向けても、なにも注意をしないってことは、この店なりの方針なのだろうか。
まあ、その辺は何も分からないけど、所詮ただの客である僕が考えを巡らせるというのは適切ではないと思うし、気にせず用意してもらった食事に没頭するとしよう。
「お待たせしました! こちらが、チキンパエリアです! んっと。はい、こちらがお飲み物の焙じ茶ですね。では、御注文の方は以上ですね。また御注文の用がありましたら、気兼ねなく御声掛けてください! ごゆっくりどうぞ!」
「ありがとうございます。いただきます」
男連中の視線をほしいままにしている、昼のように晴れやかな笑顔を絶やすことなき女性店員の登場と共に、洒落た平皿に盛られているチキンパエリアが僕の前に出された。
パエリアは香辛料と様々な具材を使用する米料理。これで有名なのは、ここから遥か西方の『海王国』だったはず。
あそこは四方を海に囲まれている島国だから、主に使われている材料は多様な魚介類らしい。しかし、ここは海から遠い内陸。使われている材料は派手色の野菜と鶏肉が主。
女性店員が持ち場に戻るのを感謝を告げながら見届けた僕は、鼻腔の奥側を優しくくすぐってくるそれに両の手を合わせて摩り、すぐに食事を始めようとスプーンを持った。
「それじゃ、いただきます!」
+ + +
「おっ、ここだここだ」
絶品チキンパエリアで舌腹を満たしてから、かれこれ四十分。飲食店を出る間際に女性店員へ『武器屋ってどこですか?』という問いを投げかけたところ、今僕の目の前にある『武器屋・ンドウ』が安くて質が良いからお勧めとのことだったので、教えてもらった住所を町の人達の助けを頼りに向かっていった。
そうして、いざ目的の武器屋に到着した僕は、早朝から移動三昧だったにも関わらず汗のひとつも掻いていない涼しげな顔で、しかし興奮で昂っている鼻息を鳴らしながら、槌の音と鉄の香りを辺りに流している武器屋へと入店した。
「…………ぉおー、初めて入ったけど、すごい品数だ」
足を伸ばすだけで入店が可能。ワンクッションとなる扉がない至極開放的な路面店。建物の作りはすぐそこで軒を構えている八百屋にそっくり。しかし陳列されている品々は、生活雑貨や日用品とは程遠い、多種多様な武器だった。
「んぅー…………?」
それを見た僕は思った。どれにすればいいんだろう、と。
僕が前まで使用していたのは、刃渡り十五センチの粗悪品。しかし爺ちゃんとの思い出込みで、唯一無二の宝物のそれ。
例の折れたナイフ以外の刃物は、包丁と斧しか握ったことがない。
あ、エリオラさんとの模擬戦の時に、あの人の特上の真銀剣を振り回したんだった。
だけどまあ、あれは例外だろう。なんせ、拒否権なしの強制的な装備だったし。となると、刀剣の類が選択の候補に上がってくるな。
気持ち的には剣を振り回して——いやいや、武器なんかを振り回さないといけない場合が来ないことの方が最善だから、別に進んで振り回したいわけではないからね。
さて、どうするかなぁ。槍も気になるけど、ちょっと旅路の中で携えていくには長大すぎる。
ドワーフ族が使いそうな大槌とかなんて、中背中肉の僕如きが持ち歩けるような形重じゃないしな。
だから消去法的に、取り回しと持ち運びが比較的容易な刀剣類が選ばれてしまうわけなのだが。ってことは、やっぱり刀剣類だよなぁ。
刀剣。剣。刀——和刀。まあ、つまりは和刀よ。結局はそれが欲しいんだし。
「…………和刀……はどこにあるかなぁ」
僕は自分自身の馬鹿正直な物欲に身を任せるまま、武器屋の内をキョロキョロと、顎に手を添えながら歩いていく。
和刀を探すついでに素人目から見ても良さげだと思えた片手剣や長剣があれば手に取って、その柄物の感触を確認し、それに頷いては細糸で括られている値札を見て、あまりの高額に目を泳がせながら元の場所に戻すを繰り返した。
途中、妙に目を引いてくる箱売りされた一振りの片手剣があったのだが、それに後ろ髪を少し引かれながらも目的の和刀探しに集中するため、致し方なく素通りする。
「ぬぅ」
しかしまあ、高いな。たったの数百ルーレンで済むわけないと覚悟はしていたけど、手に馴染む得物のほとんどが五千ルーレンを超えているのは、ちょっと驚愕してしまう。
もちろん『二〜三千ルーレン』の得物も数多くあるけど、それを興味本位で握ってみれば、これはまた壊してしまうという『世辞抜きの本心からの言葉』が脳内に響いてくる。
この声に耳を傾けてみると、すぐに壊してしまうかもしれない柄物に数千ルーレンは高いように思えて仕方がない。
僕の生存に直結する自衛の武器。それで安物買いの銭失いは避けるべきだ。なんだけど、定期的な収入がない財布と相談してみれば『なんでもいいから安いのにしろ』という言葉だけが掛けられる。これもまた僕の本心に違いない。
だから難しい。数ある内からたった一つを選び抜くのが、この上なく。
良武器でしっかりとした額なんだから、切れ味が凄いと言われる和刀は一体いくらなんだか。普通に不安だぞ。
「……………………お、あったぁ——ゔふぅっ!?」
質素と言えばそうだが、質実剛健という方が甚だしく合っていると思わせる暗藍色の鞘。
それに仕舞われているのは独特な柄巻が美術品かのような美観を産む、片刃の刀剣。
刀身は鞘と特徴的な鍔とを濃紫の紐でキツく縛っているために目見えは叶わないものの、和刀の外観を彩っている飾りの数々を見れば、特別なのだろうことは安易に想像できた。
しかし、そんな芸術的見目よりも僕の目玉を飛び出させたのは、和刀の鍔に括られている値札——その額であった。
和刀の一振りが立て掛けられていたのは、無人の勘定台の横にあった他とは違った豪奢な棚であり、一目で特別だと分かったために持つことを躊躇った僕の目前にある和刀の額、それはなんと一振りで『十二万ルーレン』である。
僕のバカァ……。こんなのが無収入の僕に買えるわけないじゃんかさぁ。それが値札を見ていの一番に思ったこと。
財布の紐を引き締めたい大人の理性と、欲しいものは欲しいもんと駄々を捏ねていた子供の本心。まさに乖離していた僕と僕が今、この値札を前にしてようやく一つに戻る。
そのことを暗に認めながら、瞑目した僕はふと和刀から視線を外して、過ぎ去ってきた武器群の方へと足先を向けた。
「さてと……これからの〝旅に必要な武器〟を探すかぁ」
和刀、その全ての値段が十二ルーレンを超えているという現実を前にして、僕は悟りを開いたような遠い目をした。
そうして、さっさと子供のような物欲に諦めを付け、次へ。
和刀探す傍らで、これは良さそうと目ぼしを付けていた武器が陳列されている商品棚を、来店する前にはあった活力が微塵も感じられなくなっている重い足取りで辿っていった僕は、まあこれかなと樽に雑に詰め込まれていた一振りの片手剣の前に立ち、箱売りする程度の代物だと店には思われたのだろうそれを手に取った。
しっかりと赤漆が塗られているおかげで光沢ある赤茶色を見せる鞘。それに収められている片手剣の刀身は、和刀とは違って縛られていないために確認は容易だった。
「雑に端に放られてるけど、作りはしっかりしてる。一丁前の職人からしてみたら、大したことないのかな、これ」
中太の革紐を丁寧に装着している剣柄はグリップ力を殊更に高めていて、たとえ乱暴に大きく振りかぶったとしても、安易に抜けていかないだろうことを十二分に思わせる。
オーダーメイドではないにも関わらず、やけに僕の手に馴染んでくれる剣の柄。それを売り物だから優しく握る僕は、感嘆するほどに合っている木鞘から刀身を引き抜いた。
「————!!」
ゆっくりと引き抜かれていく刀身が徐々に仕舞われていた顔を出していくと、それに合わせて『僕の顔』が現れる。
素材が鉄などではないことを告げている『鏡面』のような刀身。そこに反射して映っている僕は目を見開いていた。
僕が握っている鏡の刀身をした片手剣の値段は、感じられる武器の性能からは乖離しているたったの三千ルーレン。間違いなく掘り出し物。おそらく、店内を探してもこれだけだろう、唯一無二の代物。最初に見つけ出したのは僕。
そこに運命はあるか。これを見つけたのは天啓の類か。それは否。おそらく、ただの偶然。ここに来たのも、これを見つけたのも全て、偶然が連続した結果の果て。
だけど、たしかに僕は惹かれた。これを物色の最中に横目にして、ハッキリと感じた。妙な雰囲気を。これだけに、たしかな力強さを。
ある一定の性能が保証されている和刀とはまた別方向の強き雰囲気。
この一振りの作り手は多分、今に鍛冶場で槌を振るっている熟練の鍛治師とは別の人間だ。技に拙い見習いのように薄々思えている。
だが、光っている。いつか成るだろう、鬼才。それを感じてしまった僕は、もう決めていた。これを買おう——と。
「よしっ。すいませーん! 勘定をお願いしまーす!」
唯一の客だった僕の呼び出しの大声に応じて、店の奥にある階段を降りてきと思しき御婦人が勘定台の前に立った。
「ごめんなさいね! まさかこんな朝早くにお客さんが来るとは思ってなくて。はい、それじゃあ勘定ですね。……あら、これは。お客さん、これをお買い上げで?」
「え? あ、まあ、そうですね。値段が手頃で、性能も申し分なさそうだったので。掘り出し物だなぁって感じで」
「あらまぁ! イッテツ! イッテツ〜! 起きて来なさい! アンタが打ったのを買ってくれる人が来てるよ!」
先んじて無人の勘定台の上に置いていた、美しい鏡面の剣身をしている特価の片手剣を見て、あらまぁと目を丸くさせたご婦人は、僕がこの掘り出し物の購入者であることを確認すると、途端に顔を晴れさせてそんな大声を上げた。
居住スペースなのだろう二階、そこにいる個人へと向けられた婦人の大声に暫しの間を置くも、しかし反応はない。
婦人の声調から察するに彼女の子息なのだろう『イッテツ氏』は、親への反抗的な無視を貫いてるのか、はたまた起きなさいという先程の文言的に起床していないのか、それは只の客である僕には分からないけども、一向に音沙汰がないのは確かで。
しーんとした無言の空気が時を喰う。それに苦笑してしまっている僕を見て、ご婦人は大きく肩を落としてしまう。
「はあぁ……あの馬鹿息子ときたらもう。ごめんなさいね、ウチの息子のイッテツも鍛治師を目指してて、この剣が父ちゃんからの許しを得た第一号なのよ。それでお客さんに売れるとこを見せようと思ったんだけど……、どうにも起きて来そうにないわねぇ。ま、これに懲りたら早起きしろってことで。はい、三千ルーレンになります」
「彼が起きてくるまで待てますよ?」
「ああ、いいのいいの! あんな馬鹿息子は頭抱えた方が断然いいのよ! これがいい薬になるってもんだからね」
「そ、そうですか……。じゃ、じゃあ、これで丁度です」
「はいっ、三千ルーレン丁度! ではでは! 今後とも私ら『武器屋・ンドウ』をご贔屓に! 毎度ありでした!」
* * *
五月十二日。その午前九時前にソラが購入した片手剣の名は『鏡面剣』という。
光を反射する鏡のような性質をもった『鏡面鉱』という鉱石を加工可能なまでに製錬し、精製された『鏡面鋼』を鍛造したものが、当の鏡面剣だった。
その鋼鉄自体に希少性はあまりなく、比較的安価に購入ができる。
しかし、鏡性を残すためには繊細な加減が必要になり、一人前への登竜門だと鍛治師の間で囁かれている。
そんな脱初級の一振りを鍛造したのは、未だ親元で鍛治師見習いとして燻っている『ンドウ・イッテツ』齢十八だった。
まだ大成していないイッテツは『自分が魂を込めて鍛造した力作が、たったの三千ルーレン程度で収まるわけがない』などと、あからさまな底値を付けてみせた父親兼師匠に食ってかかったが、酷く冷めきった表情をしている父親から『テメエは鍛治師になりてえんだろうが、テメエは商売を舐め腐ってる』という厳しい言葉だけを打つけられて、もう片耳も傾けてくれる気配はなく、渋々に引き下がった。
逃げるように部屋へ戻ったイッテツは真剣に考えた。自室の布団の上で不貞腐れたように寝転がりながら。冷めている親父の言葉、商売を舐めているという言葉についてを。
しかし答えは見つからず、それで『仕方ねえか』と徐に起き上がり、面と向かいたくないという気持ちがある親父を避けて、炊事場で炊く米を研いでいた御袋にこう尋ねた。
親父の『商売を舐めてる』って、どういう意味なんだよと。
米を研いでいた母親は、ようやく用意済ませた米を釜に入れた後に顔を向け、それに答えた。答えの内容は過去の話。イッテツが生まれる前に経験した実話であった。
なんでも、イッテツの父『ンドウ・ガンテツ』がこの武器屋を開いた時、誰も客が来ないことに一人憤慨していたのだと。なぜ売れない。なぜ見向きもしない。俺が打った作品は、そこいらの物よりも優れているはずだろう。
驕りと慢心。周辺の他と比べれば優秀と言える鍛治師としての自尊心。それが生み出している現状との摩擦。それを隣で感じていた母親は、イッテツと昔のガンテツを重ねるように見て、核心を突く。
アンタには『名前が無い』と。
意味不明。その言葉は心底理解不能であった。イッテツには両親が付けた名前があるというのに、その両親が自分に向かって『名前が無い』などと。まさに理解し難かった。話を飲み込めていないイッテツを置いて、母は話を続ける。
『アンタには名前が無い。どれだけ自分には才能があるって吠えても、自分はできるって叫んでもさ、名無しのアンタは誰にも知られてないんだよ』
『いいかい、実力を認めてくれるのは他人様だけだ。その他人様に知られていないアンタの作品を、誰がすごいって褒めたんだい。自分を凄いって褒めるだけの自画自賛じゃあ、どれだけ作っても売れやしないよ。昔のお父ちゃんがそうだったんだから』
『売れなくて売れなくて。お父ちゃんはいっつも飲んだくれてた。だからアタシは思いっっきりブン殴ってやったんだ。雀の涙ほどにしてでも一つは売ってこいってね』
『そりゃあ大喧嘩だったよ。俺の渾身の一作をなんで安値なんかにしなくちゃいけないんだって。もっと高くしてもいいくらいだろって。だから正直に言ったんだ』
『ガンテツなんて無名も無名。名も馳せてねえ御前の高けえ作品なんて誰も買わねえってさ』
その母の言葉を聞いて、イッテツは怒りで奥歯を噛み締めた。
それは自分を見てくれない社会に向けてのものではなく、意味もない自己評価に慢心をしていた自分自身への。
自身の作品に対して確かな評価を付けてくれるのは、作者である自分ではなく、制作に何の関係のない他人である。自己満足では飯を食ってはいけないという現実。
その前提知識が、イッテツの魂身には欠如していた。
そして今わかった。あの時の親父の表情が酷く冷めていたのは底値に食ってかかっていた俺にじゃなくて、俺と重なっていた『昔の自分自身』にだったということが。
『………………寝るわ』
『もうそろそろで米が炊き終わるんだから寝ないどくれ』
『いい。適当に置いててくれ。起きたら食うから…………。あと、親父に「俺が馬鹿だったよ」って伝えててくれ』
『はははっ、アンタが馬鹿なのは皆んなが知ってることだよ』
『うっ、うっせえなぁっ! ああもう、やっぱ寝ねえわ。実はあんま眠くねえし。鍛冶場に行ってくる!』
『夕食は卓に置いとけばいいんだよね』
『一緒に食うっての!!』
…………
………………
……………………
懐かしい夢。あまり良いものではないが、なぜ今に見たのかは分からない。声が聞こえたような気がして、それが途方もなく嬉しい知らせだったような気がして、だから見たのかもしれないと、ボヤけている頭を働かせて行き着く。
イッテツは頭を掻きむしりながら起き、三階にある自室を降りて二階の居間へ。
そこで、のんびりと茶を啜っていた母親に一言を掛けた後、用意されていた茶を急須から直に飲んでいく。
「…………イッテツ、アンタ馬鹿だねぇ」
「ブフッ————は、はあ!? なんだよ、急に! うぜえなぁっ」
近所の米屋で買っていた煎餅を音を鳴らして食べていた母親は、口に含んだ粗茶でうがいをしていたイッテツに、夢で言われたことと全く同じ言葉を吐き掛けてきた。
あまりにも突然だった、脈略など微塵もなかったそれに憤慨したイッテツは、妙に嬉しそうな顔をしている母に顔を顰めながら問うた。なにかあったのかよ——と。
「アンタはねぇ、自分が丹精込めた作品がせっかく売れたってのに『ぐぅーすか』と寝てたもんさ。本当に馬鹿だよねぇ。ほんと、誰に似たんだか」
「…………は、はあっ!? う、売れた!? 俺のが!? ちょ、はっ、な、なんで起こさなかったんだよ、この馬鹿っ!!」
「馬鹿はアンタだよ!! アタシは大声で起こしたからね! アンタが起きてこなかったんだよ、この馬鹿息子!!」
「ちっ、チクショぉーーーーっっっ!? 買われるとこ見たかった——ぁっっっ!?」




