第27話 『ハザマの国』の土を踏む
もしも手に取って食べられるのなら、それは砂糖そのものを綿にしたように甘いのだろう、怪しい黒を差さぬ白雲。
肌を撫でるような微風に乗って揺蕩っていく晴天春の草原。鳥の囀りを聞きながら安眠を享受しよう、ひとときの安息。
心の底から求めて止まない尊さがあるそんな光景を幻視させるほどに澄み切った薄緑色の光輝が僕の全身を包み込んで、魔獣戦で負っていた擦り傷や底を突いた体力を通常ならば有り得ない速度をもって、見る見るうちに癒えていく。
なによりも驚かされたのは、魔獣に『噛み砕かれてしまった左前腕』すらもあっという間に完治させたということ。
「これが【治癒魔法】?」
ちゃんとした三食の食事を摂れているのか頗る心配になってしまうくらいに細っそりと括れてしまっている腰のラインが窺える、ぴっちりとしたベージュと空色のワンピース。
年端も行かなそうな少女が着るには、やや大人び過ぎているように思える、街中でもあまり見かけない特徴的な服装。
その衣服の型に適切な言葉を充てがうのなら、僕の主観ではあるものの『魔法使いっぽい』と言ったところだろうか。
それを静かで厳かな雰囲気を醸しながら可憐に着こなしている、目測にして『百四十センチ』ほどの身長をする少女の素顔は今までに見た誰よりも整っていて、まるで上位存在が手塩に掛けて創り出した精巧な人形のようであった。
「うん……これが治癒魔法。正式名称は【ロアリア】って言うの。ロア・マイリア、っていう『治癒魔法士』が編み出して世に広めた魔法だから、そう呼ばれているの」
なんとなしに僕が掛けた質問。そこに悪意はなく。善意もなく。込められているのは只の興味と好奇心。それに答えを示し、補足的な知識を月星の光輝のように儚げな小声で授けてくれたのは、どこか嬉しそうな顔を窺わせる少女。
そんな少女の春のような桜色の唇からつらつらと、なんの淀みもなく紡がれていくのは、どれだけの学問に精通しているのやらな、あまりにも膨大な知識の一端か。
「へぇー……ロアさんが…………」
「知ってるの?」
「あっ、いえ、全然……知らないです…………」
「クスッ……そっか」
すっからかんだろう僕の頭の中に知識が詰め込まれていく最中に挟まれた、唐突な質問返し。
それに苦笑した僕が正直に答えれば、彼女は面白おかしそうにクスッと笑って。
その無邪気で穢れなき笑顔を正面から見た僕は謎に胸が締め付けられた。言葉にするならば、罪悪感——だろうか。
突如として魂の奥底から湧き上がってきた『罪悪感』に一瞬、声を詰まらせてしまった僕に彼女は再び笑みを向ける。
「ココアを淹れてくるね…………」
少女は僕の負傷が完全に癒えたことをじっくりとした目視で確認した後、椅子に座ったまま筋肉が硬直していないことへの驚愕と、謎の『罪悪感』がもたらした動揺で言葉を失ってしまっている僕のことを置いて、居間から様子を確認できる吹き抜けのキッチンで湯を沸かす等の作業を始めた。
それを遠い目をしながら見つめていた僕に、嬉しそうに微笑んでいる少女は暖かなココアを持ってきてくれて。
「ズズズ…………ぷはぁ」
「…………どう、かな?」
「あ、すごく美味しいです」
「そっか…………嬉しい」
「…………」
目前で僕の正直にはにかむ、夜天の月星を素材にした人形の如く美しき少女は、左腕が走らせる激痛に呻いてしまう僕のことを親身になって助けてくれて、小さな肩を借りた僕は励ましの言葉を掛け続けてくれた少女に連れられるがまま、人気など微塵もない山の奥の奥地、そこにポツンと建てられている平家の中へと入り、今に至る。
肩を借りながらここまで歩いていく最中、キョロキョロと周囲を確認してみたけど、この家の周りには他の家屋どころか誰一人として暮らしている様子は見られず。
家の中も『シンプル』を地で行く感じであり、僕が腰掛けている椅子がある居間から確認できるのは二つの扉だけ。
家具の類は二人分の椅子だけが用意された食卓に、難しそうな学本ばかりが並べられた本棚くらいしか見当たらない。
ここに住んでいると言うよりも、別荘として使われていると言った方が正しそうだなと、ココアを啜る僕は思った。
「あの、他に誰か居ないんですか? 貴女一人だけ?」
僕の質問に対し、少女は視線を下げて沈黙する。そもそも僻地でしかない山奥に少女が一人で暮らしているなんて、とてもじゃないが考えられない。故に別荘の憶測は当たっているのではないか——これはそれを裏付けるための質問。
さっきみたいに魔獣の群れに襲われでもしたら華奢な少女じゃ一溜まりもない。とは言っても、僕に襲い掛かってきた魔獣を倒してくれたのはこの少女なんだけどさ。
うん、魔獣に関しては何の問題もなさそうだな。じゃあ、ここに暮らしているのかもって僕の直感は当たっている? アミュアちゃんみたいな不老長寿のエルフ族ではないし、年下に見えるけど……どうだろ。
子供がこんな辺鄙な場所で一人暮らしとか普通に両親が許すはずがない。危ないし。ということは、誰かと一緒にここで暮らしている感じか?
「…………妹が居るの。けど、居ない」
ど、どういうことだ? 居るけど、居ない? んー……。少女の表情を見るに、なにか他人に言いづらい複雑な事情がありそうだ。彼女のためにも聞かないでおこう。
「「…………」」
少女が淹れてくれたココアは程よく甘く、少し苦い。混ざるミルクのまろやかさは絶妙の一言だ。まるで何十年もココアを淹れ続けているプロのような味で、甘味が苦手である僕ですら「もう一杯ください!」と太々しく要求してしまいそうになる。
「「…………」」
さ、さて、どうするかな……。このまま長居していると、あっという間に日が暮れて身動きが取れなくなってしまう。
屋内に時計がないから正確な時間は測れないけど、体感にして現在時刻は午後の五時半くらいか。
故に、早く国境を越えてしまうか、一度下山して最北村に戻るかしないと、森の中で茫漠たる闇に囲まれてしまう。
もしそうなったら雑草の影に隠れながら野宿をする他ない。野宿は魔獣に襲われた手前で無理だ。怖すぎる。
でも、ここを出るタイミングが分かんないぞ。このまま『今日はありがとうございました。さようならー!』で良いのか? いやいや、良いわけないだろ、馬鹿野郎。
助けてもらったのに謝礼も払わずに帰っていいのか? それは駄目だろ! 誠意を見せなきゃ絶対に駄目だ。いくら払えば良いんだ? もしかして全財産か……っ!?
「気にしなくて、いいよ?」
「えっ、あ、はい…………」
考えを読まれた、だと!? もしかして顔に出てたか?
————はっ!
まさか魔法か……? もしかして魔法なのか!? というか、魔法ってどんなものなんだ……? カカさんから聞いた話も微々たるものでしかないから、全く知らないと言っていいほどなんだよな。
あの人、超が付くくらいに魔法を毛嫌いしてて、僕には「魔法は使うな」って口煩かったし。
正直、魔法には頗る興味があるけど、アミュアちゃんは聞いても「そんなことも知らないのぉ」って馬鹿にしてきそうだったからなぁ。今、聞いてみても良いのかな?
「あの、魔法ですか?」
「…………?」
「あ、えっと『考えを読む』みたいな……?」
「クスッ。顔で分かったよ…………?」
「あ、ああ…………そ、そうですよねぇ」
ウワー。
笑われてしまった……。単純に顔に出てただけだし。これは恥ずかしいやつ。
「心を読むみたいな、相手の精神、魂に干渉する魔法は無いよ。相手に干渉できるのは肉体だけ。治癒魔法が例」
「へぇー……」
やっぱり。魔法に関する知識が源泉の如く湧き出てくるこの人は『魔法使い』なのだろう。多分だけど、クソ生意気なアミュアちゃんよりも圧倒的格上の。雰囲気というか、なんとなく『そういう感じ』がしている。精神面でも、この人が上だろうな。
「あの……ね。今日は泊まっていって? 今日はもう遅いから。徒歩だと、ここから村に着くまでに夜中になる」
「え、いいんですか? すごくありがたいですけど……」
「いいよ。ソラが魔獣に襲われてしまうことが怖いから」
「あ……じゃあ、お世話になります。本当に助かります」
初対面なのにすごく親身な人だ。僕は申し訳なさそうに眉尻を下げながら、厚意に甘えようと頭を下げる。そこで『あっ!』と、尋ねていなかったことに気が付いた。
「あの、貴女の名前は?」
「私は…………私は、ルナ。ルナだよ、ソラ」
「ルナ…………あ、れ? あ、いえ、なんでもないです。危なかったところを助けてくれて、怪我まで治してもらって……本当にありがとうございました、ルナさん」
「…………気にしないで。私がソラのことを助けたかっただけだから」
名前を聞いて、モヤモヤとした違和感を感じ、無言で頭を回す。しかし、なにも引っ掛かりの正体が掬えずに狼狽えてしまう僕が告げた、心の底からの感謝。
それを受け取ったルナさんは、少しだけ哀愁を感じさせる大人びた柔和な笑みを浮かべていて。それを正面から見た僕は適当な言葉を言い出せず、苦し紛れの笑みを返すのだった。
* * *
「こ、ここ、これは…………!」
「…………?」
鶏がけたたましく鳴く朝から始まった険しい山登りやら。断崖絶壁からの意図しない飛び降りやら。魔獣との命懸けのチェイスに、正真正銘の命の取り合い——死闘やらやら。
本当に色々あった命辛々な一日がようやく終わりの時を見せている、太陽が西の果てに沈みきった午後の八時ごろ。
天井に吊るされている、火を灯すタイプではないことから察せられる通り、魔道具の一種である、魔法式たる『魔法印』が内側に刻み込まれているカンテラへとルナさんが指を振ってみれば、ポウッと部屋の中が明光で満たされて。
それに瞠目し、感心する僕を他所に着々と用意されていたルナさん特製の夕食が、前にしている食卓に並べられる。
二人が囲める程度の広さをしている円形の食卓に対して、この量は過剰なのではないか? と思ってしまうくらいにギリギリまで並べられた、色取り取り、多種多様な夕食群。垂涎もの料理、内の一品に僕の視線は集中していた。僕の目前に置かれている平皿には魚料理が装われており、皿に横たわらされている焼き魚、その魚皮は毒々しい紫色……。
アンコウのように潰れた顔。深海魚のように飛び出た目玉。赤でも白でもない、食欲を著しく減衰させる青色の身。 これは間違いなく、僕の宿敵ウオウオおじさんがボッタクリ価格で提供していた『ウオウオウンマ』の材料と同種。
これ、これマジで、なんていう魚なんだよ…………。
ルナさんが手塩にかけて今日の夕食の一品にし、食卓に並べたという事実はとどつまり、コイツは『食用の魚』というわけで。
でも、こんな見た目の魚、生物図鑑は見たことないんだよなぁ。青身ってなんだよ。青身って。聞いたことないぞ。普通の食用魚は赤身とか白身だろ。青魚とはいうけど、身は違うだろ。青いのは皮だろ。背鰭近くのさ。
ええ? もしかしてだけど田舎育ち田舎暮らしの僕が無知なだけで、一般的に有名だったりするのか? 青身。普通に魚屋で売られているのかな? ルナさんが入手してるってことは、まあ買えるんだよなぁ。ちょっと聞いてみよう。
「あの、これ、なんていう魚なんです? なんで青身?」
「これは『ドクアリドクナシ』という青魚。世界の最西に存在している深海国『シィナイト』近辺にある『虹海』の青部に生息しているの。名前の通り、毒はないよ」
「へ、へぇー…………そ、そうなんだスね」
「なんだス…………?」
ド、ドクアリドクナシ……か。毒々しい見た目に沿っているようで沿っていない、なんとも言葉が出てこないムズムズを催させてくる変な感じ。それにしても、すごい名前をしてるなコイツ。もう、有るのか無いのか分かんないな。
まあ、食べられることは知っているから——実際にボッタクリの価格? で食べたし——あまり抵抗なく食せるけども。
「あむ……うん…………うんうん…………ゴクッ」
独特な匂いと、ほんのりとした甘さ。客である僕に『買え買え買えーいっ!』という恫喝すらするウオおじなど足元にも及ぶまい、真のプロ級の塩加減と焼き加減を味わわせてくれる、プロココアーのルナさんの一品。いや、逸品。
それに加えて、やはり青身も紫皮も美味しいときたもんだ。
「ドクアリドクナシに似ている魚で『ドクアリドクナシアリ』がいるから、それには気を付けてね。毒があるから」
「ド、ドクアリ…………? な、なるほど」
ドクアリドクナシアリ。マジで分かりづらいな。有るのか無いのかどっちなんだ。誰だ、この名前を付けた第一発見者は。分かりづらい! って苦言を申したいぞ。
「あ、おやすみなさい」
「うん。おやすみ、ソラ。ゆっくり休んでね」
微笑むルナさんの絶品手料理で舌鼓を打ちまくり、無意識に恍惚な表情を浮かべくらい胃も心も満足した僕は、唯一の空き部屋を貸してもらい、そこのベッドに寝転がった。
「ぷはぁーー…………」
貸してもらった部屋にはベッドと机、机に備え付けの椅子しかない。調度品や雑貨はそれ以外なにも見当たらない。今日が初対面だったのに、まるで顔見知りのような暖かな対応をしてくれたルナさんは隣の部屋にいるけども、たった一枚の壁の隔たりだけで、ここまで寂しげになるものか。
不思議と底冷えはしていないのに、妙な寂しさ、冷たさ、なんとも言えない声の出なさ。孤独を感じさせる妙な空気。ホームシックを誘発させる静寂。胸にストンと来ない掴みどころのない不安が何度も寝返りを誘い、シーツを鳴らす。 騒がしい布擦れの音。虫の鳴き声すらも聞こえてこない山奥の夜。耳鳴りを感じそうになる静寂。それを鼓膜に入れて、僕は口から溜め息を吐き出した。
この静寂を誤魔化すように。調度品や雑貨が何一つ無い部屋。それを眼球だけを動かして見回せば、まるで母の部屋みたいだと思えて。
結局、この家には僕とルナさんの二人だけだ。ルナさんの親御さんが帰ってくる、やって来る気配は終ぞなかったし、居るけど居ないという、妙な言葉を聞かせた妹さんもやはり姿を見せない。
もしかしてだけど、ルナさんはこんな僻地で一人暮らしをしているのだろうか。あんな小さな女の子が山奥でたった一人、不変の時を過ごしているのか。
なんらかの深い事情があるのだろう。けど聞けそうにない。聞いていいものか、分からないのもある。
でも、例え聞いても話してくれなそうな確信が僕の胸の内で波紋している。
聞ける感じではないけど、気にはなる。とても、とても。
例の妹さんはどこにいるんだろう。少女を置いてどこへ。
「…………」
僕はふと、今日に噛み砕かれてしまった左腕を見上げる。ルナさんが施してくれた治癒魔法【ロアリア】で瞬く間に治された左腕は、まるで何事もなかったように万全な状態を天井を背景にして僕に見せる。
魔法って、本当に不思議だな。不思議で、とてもすごい。この世の物とは思えない超常。火や明かりすらも指一本で生み出せてしまう。人智を超えた。いや、生命外の超能力。
これなら腕や足の一、二本を圧し折る重篤な怪我とかをしても、薬だの応急承知だの自然治癒を助けるサポートだのだの、なんにも要らないだろう。あっという間に治るんだから、それ以外の治療なんか必要ないのは当たり前だが。だからカカさんは、あんなに魔法を毛嫌いしていたんだな。
商売敵。というか薬屋泣かせだ。もしかして『病気』とかも治せるんだろうか? それならいよいよ魔法使いに毒を盛りそうだな、あの人なら。僕も使えるようになりたいなぁ。知人に襲われることになるかもしれないけど…………。
「ふわぁ〜〜〜」
明日の朝起きて、支度を済ませて、感謝を告げて、関所へ向かったなら、とうとう『ハザマの国』の地を踏むんだ。長かったような、短かったような。なんというか濃縮された時間の日々だったな。故郷を旅立ってからというもの。
そろそろ寝よう。寝て、明日に備えないと——…………。
* * *
「本当に助かりました。折れた腕も治してくれて。ベッドも貸してくれて。それに食事もすごく美味しかったです。この恩は、いつか必ず返します。母を見つけて、連れて帰ったら。またここに来ます。今度はお菓子とかを持って」
「ふふ。うん……。ハザマの国はソルフーレンと違って、魔族が多く出るの。というより、この国が極端に少ないだけだから気をつけてね、ソラ。体にもどうか気をつけて」
「はい! それじゃあ、行ってきます!! ルナさん!」
「クスッ……うん。行ってらっしゃい、ソラ」
一宿二飯一治。金銭如きでは換算できない多大なる恩愛。それを全身で抱きて、いつか必ず御恩を返す誓いと心からの感謝を、微笑みながら見送ってくれるルナさんに告げる。
寂しそうに僕へと手を振ってくれるルナさんに、一緒に居られない申し訳なさを顔に出してしまう僕は苦心気に手を振り返しながら、関所があるという方角へと進み始めた。
「ふっ、ふっ、ほっ……と」
魔獣の気配はないけど、警戒は解かないでね——というルナさんの言葉を頭の中で反芻させながら、僕は山を登る。
僕は自衛するための武器を何一つ持っていない。万が一、魔獣に襲われでもしたら、例え人里の近くであろうとも制御操作能力に乏しい『風』を使わざるを得ないという……。
そうなった場合、強弱と範囲の加減を意識的に行うことができない僕の風は、辺り一帯を無作為に吹き飛ばすことになってしまうだろう。
それに関係のない他人を巻き込んでしまう可能性が多大にあるわけで。少しとは言えないくらい恐ろしいものを胸に抱いてしまうのが正直なところだ。
故に、僕が有している『風の加護』の力は、ちゃんとした加減と操作が可能になるまで『奥の手』ということになる。
だからこそ『別途の武器』が必要なんだ。ハザマの国には鬼国から『刀』という切れ味に秀でている武器が輸入されているらしいし、そこで調達するのはアリだろう。
まあ、刀を買う際に手持ちが足りるか分からないが……。
お金かぁ。手持ちかぁ。路銀かぁ。これを充実させるには、必要経費を補填するためには『仕事』が必要だよなぁ。
路銀が尽きたらいよいよヤバいからな。無一文になったら三食の食事も摂れないし、宿で部屋も借りられない。飢えと屋根無しの日々は、畑さえ耕しとけば衣食住に困らなかった、田舎での暮らしに慣れてしまっている僕には堪える。
他人事みたいだけど、母探しに職探し。旅って大変だ。こうなるなら、フリューでよく見かけた浮浪者の御仁に『一人で生き抜くコツ』とか聞いとけばよかったな。
「————お、あれか!」
道が舗装されていない故になかなかに険しかった、関所がある方角へと向かって山肌を歩いていくこと約二時間半。
意外と汗を流している僕の目前には、とうとうと言いたくなる、ハザマの国の大地へと続いている関所が見えていた。
長日の目的地であった件の関所には沢山の馬車が長蛇の列を作っており、遠くからでもそれを確認することができる。
僕は馬車が前を向いている方向へと歩みを進め、そうして発見した個人専用の関所の前に到着した。個人専用の関所はガラガラで、僕は列に並ぶことなく検問官の前に行く。
「どうも、おはようございます。国境警備隊のジムと申します。ハザマの国への入国でお間違いありませんか?」
「は、はい!」
「では、ハザマの国の法が定める違法物を持ち込んでいないかを調べます。荷物の方と、ボディチェックの方を」
「あ、あのこれ!」
「これは、モルフォンス区長の。少々お待ちください」
手荷物等の検査を勧められたタイミングで、僕が差し出したのは『モルフォンス爺ちゃん』に認めてもらった信書。
それを片方の眉尻を吊り上げながら受け取った国境警備隊検問官のジムさんに、その場で待たされること数分。長蛇の列になっている馬車群を眺めて暇を潰していると、さっきのジムさんが戻ってきて、振り向いた僕に声を発した。
「確認の方が取れましたので、どうぞお通りください」
「え? あの、荷物の検査は…………?」
「それは必要ありません。モルフォンス区長の信書を確認致しましたので」
「ほえー……」
すごいな、モルフォンス爺ちゃん。入国料どころか検査も不要って。そんな尊敬の念を、フリューがある南の方角を向きながら絶対に届かないだろうに送ってみた僕は、徐に降ろしていた荷物を背負い、開いている関所の扉を通る。
目を見開いたまま、確かな歩幅で僕は関所を通過していく。前へと向かう僕を待ち受けの光景は、吹き付ける風は、風で漂う香りは、見える空は、この場所はもう——
「ようこそ、ハザマの国へ! 歓迎いたします!」
初めての景色。
初めての場所。
踊る心に身を任せるまま、進む。
「やっと、来た。ここが、ハザマの国…………!!」
大きな一歩に歓喜する僕は、ハザマの国の土をグッと踏み締めた——。
風の国・ソルフーレン編・其の壱【完】
次回から『ハザマの国編』です。長かった。本当に長かった。次も長い。リメイク前が、ここまでで十万文字。リメイク後が二十五万字弱なので、十五万字近く増えた計算です。やりすぎたなって、ちょっと反省。




