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蒼風のヘルモーズ  作者:
『ソルフーレン』編〈1〉

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第25話 孤独に響くは『獣の咆哮』

 たったの五日。一周もしていない短い期間。けれども数年も一緒にいたような気がしてならないエリオラさん達との別れを終えた僕は、呆然と立ち尽くすしばしの間を置いてから大西門の壁外地、その壁際を沿うように並んでいる馬車群の方に足先を向けて、目的地であるハザマの国へと向かうために『北行きの馬車』を探し始める。


 フリューの壁外には既視感甚だしい長蛇の列が形成されており、それを認めた僕は「うおっ」と、別に自分が並ぶわけではないのについつい肩を跳ねさせてしまう。

 その長蛇の列を作り出している一人ひとりに気後れせずに話しかけている首に手作りだろう立ち売り箱を引っ掛けた、いかにも商人といった風貌の人達が散見された。

 

 西日に当たっているのと、熱を籠らせる厚い胴鎧のせいで汗を滲ませながら暑がっている冒険者、体力が冒険者より劣っているせいで長すぎる待ち時間に苦悶の表情を浮かべている浮浪者などには牛乳や羊乳、普通の飲料水などを。

 見た感じ最後尾の馬車が門を通れるのは深夜帯になるだろう、長い列を成している馬車を操る御者には、サンドイッチや煮卵などの軽食を売り付けていることが遠目から窺えて、美味しそうな揚げ物サンドイッチを頬張っている御者を見ていた僕は、案外に大人しい自分の腹を摩ってみた。


 朝食の方は爆睡をかましていたアミュアちゃん以外の二人と共に宿屋で摂ったものの、昼食は移動に費やしていたせいで摂れてはおらず、やや気分が下がっている。とは言っても、この気分下降は空腹のせいではないように思えた。

 首都フリューに来てからというもの静かな時間はなかった気がして、だからこそ、この空飛ぶ鳥の鳴き声が目立つ現状は、なんというか不思議な感じがして止まない。

 

 今し方の別れが響いて食欲が失せているのもあって、視界はクリアであるものの、そこはかとなく抑鬱としている。それでも僕は前を向いて進まなければいけない。

 この気持ちを先んじて得てしまっていたあの三人と同じように、自分の目的を達成するために、足踏みはしていられない。だから、一直線に。

  

 一度、気を改めて深呼吸をした僕は次いで「よし!」という威勢の良い声を発すると共に力なく垂れていたリュックを背負い直し、目前で整列している馬車群の中からハザマの国方面である『北方』に行きそうな一台を選りすぐり、欠伸をしながらの客待ちをしていた御者に声を掛けた……。


「あの、この馬車ってハザマの国——えっと、北行きですかね?」


「ああ? 兄ちゃんハザマの国に行きてえんか?」


「あ、はい。ハザマの国の関所で渡す『信書』を認めてもらったので」


「ええ、そうなんかぁ」


 僕の言葉に前歯がない歯を見せながら頷いてみせた御者のおじさんは、考えるように空を見ながら言葉を続けた。


「んとなぁ、北行きはあるっちゃあるけどぉ、兄ちゃんが行こうとしてるハザマん国への直通はねんよ? こっから北に進みゃあ長距離輸送をすぅ商人がここまでの中継に使う、中くらいの町があっけど、それしかねえんよな。そで、こっから北に行く馬車っつうんは、皆んなそこまでなんよ。そっから、適当に北へ北へぇって進んでいくんだわな?」


「そ、そうなんですね…………」


 やたら『ノッペリ』としているせいで、気を抜くと右から左に抜けていってしまいそうな話し方をする御者のおじさんに四苦八苦しながらも、僕はなんとか意味を飲み込む。


「ぁあっとぉ……ほれっ、あそこ! あそこに停まっとる、馬も遣り手もやる気なさそうな馬車があるでしょ? あれは客さんの依頼を受けて、そこまで運ぶ自由移動しとる馬車なんだわな。あれに頼めば、ハザマん国の近くまでなら行くだろうけど、相席する人がいなきゃあ、うんと高い」


「うんと高いんですか?」


「うんと高い」


 癖だらけな御者のおじさんに固唾を飲んでしまった僕が意味も無い確認を取れば、彼は二度目の答えを吐き出して。

 それに痺れを切らした。というのは違う気がするけど、しかし気になってしまったのは確かである僕は核心に迫った。 


「運賃って…………いくらくらいなんですかねぇ?」


「さあなぁ……。ウン千ルーレンになると思いけどねぇ」


 高けぇ。ウン千ルーレンって、とんでもない額だぞ。それが移動だけで消えてしまうって、なかなかに恐ろしいな。

 でも、仕方ない出費なんだろうって、納得してしまっている自分がいるし。話だけでも聞きにいってみようかな?

 遥か北にあるハザマの国へ行こうっていうんだから、それくらいの高額運賃が発生してしまうのも頷けてしまうし。

 もう何時間で日が暮れる。だから悩んでいる時間が惜しいし。細かな話を伺ってみて、決断を下すのはありだろう。


「なるほど……んー。ちょっと行ってみようと思います」


「あいあいぃ。んまあ、気を付けてなぁ、兄ちゃん」


「はい! お話、ありがとうございました!」


 手を振って気分良く見送りしてくれる御者のおじさんに深々と頭を下げて感謝を伝えた僕は、先ほどおじさんが指差しで教えてくれた、固定ルートを持たずに客の意思に沿って自由に移動してくれる馬車の方へと駆け足で向かった。


「あの、ハザマの国までお願いできますか? それと、そこまでの料金を教えください」


「んぅー、ハザマの国かぁー……。よし、二千ルーレンでソルフーレン『最北の宿村』までなら行ってもいいよ」

 

 ソルフーレンの最北にある宿村。この至極端的な情報だけで、その宿村がハザマの国へと向かう/から来た人間が最初もしくは最後に使う憩いの場であることが察せられる。 

 もしかしなくとも、ハザマの国との国境線上に建っている関所に最も近いだろう場所にある人里。

 そこまでの運賃が二千ルーレンというのは、運賃の相場は知らないものの、比較的良心的な値段なのではないだろうか。この御者からは、あの『ウオウオおじさん』のように僕のような無知からボッタくってやるぜ! 的な悪意は感じられないしな。


「んと、そこまで何日くらい掛かりそうなんですか?」


「ここからなら『三週間と少し』かな」


 三週間と少しか。ほぼ半月。一ヶ月に近い日数だ。馬車を走らせてそれくらい掛かるってことは、結構遠いんだな。

 二千ルーレンの出費はかなり手痛いけど、馬車で三週間の距離を歩いていくのはキツそうだし、これは仕方ないか。


「じゃあ、それでお願いします」


「了解! さあ乗った乗った! さっそく出発するよ!」

 

 僕は悪意を感じさせない御者を信用する形で、先払いだという二千ルーレン(ルーレン銀貨二枚)を手渡して、わざわざ御者台から降りて解放してくれた客車に乗り込んだ。

 首都内を走っている私営馬車とは比べ物にならぬほど硬質な、クッションなどない木製の座面に腰を下ろした僕は、背負っていたリュックを足元に置いた後、出発してもいいかい——という御者の声に返事をしてフリューを後にした。


 フリューに滞在していたのはほんの数日だけども、それ以上の日数をフリュー内で過ごしていた気がしなくもない。

 視界から離れていくフリューの防壁を眺めながら、首都にいた数日の間に色々な事があったな——と感慨深く思う。


「そういえば…………」


 そういえばフリューの近くに出たっていう『魔獣』の件は結局どうなったんだろうな? 昨日の模擬戦のせいで有耶無耶になってしまったけど、僕が見殺しにした幼魔獣の親——生体『四足型魔獣』は発見討伐できたのだろうか?

 そんな漠然とした少しの不安を胸の内に抱えながら、僕は揺れる馬車で目を瞑って『コクコク』と眠りについた。


 * * *


 若干ではあるものの、太陽が西に傾いていることが確かに認められた、昼過ぎに始まった馬車の移動。僕の貸切状態である馬車がソルフーレンの首都、フリューを発ってから既に数時間が経過していて、現在時刻は午後の八時過ぎ。 

 天空で煌々としていた太陽は東の果てにその顔を隠して、うんともすんとも、という風に鳴りを潜めてしまっている。

 故に、割と傷んでいるように思える土固道路をガタゴトと走っている僕達の周りには茫漠たる闇が満ち満ちていて、少し顔を上げれば見える、夜の支配者と言ってもいいだろう『月』の光輝だけが、物の輪郭を掴む頼りになっている。

 

 五日しか滞在していないフリューを出発してから、ぶっ通しで移動をし続けているせいで椅子に座って揺られているだけであるにも関わらず、妙な疲労を僕は感じていた。

 前後左右。乗客の四方のみを囲っているだけで心許ない、雨凌ぐ屋根の無い客車。そこで呆然と腰掛けているしかできない僕の手元は、無限という言似合う空から降るる月と星々の明かりがなければ見えないほどに黒に浸されていて。

 そんな手元を目を凝らしながら見つめていた僕は、やっぱり——という何かしらに気付いたような言葉を、たとえ隣に他客が居ても聞かれないくらいに小さな呟きに乗せた。


 その言葉は、人々に不安を与える夜闇に包まれているおかげで、エリオラさんからもらった銀の指輪が『薄らと紫色に発光している』ことを認められたからこそ出たもので。

 やはり、路傍で売られているような普通のアクセサリーではないと確信できる『銀の指輪』に対して、夜は目立つなぁ、という気の抜けていることを思いつつ、曰く付きにしか思えない銀の指輪から視線を切って左端の席に移動し、胸元の辺りまでしかない囲いの縁から顔を出して、無を騙る闇満ちる辺りを見回した。


 馬車が複数の車輪と馬蹄の音を奏でながら走っている道の左右。そこにあるはずの麦畑は相も変わらずな暗闇に覆われている。僕の腰の高さまで伸びている薄緑穂の集、もしそこに何かが息を潜めたならば事が起きるその時まで誰も気付かないだろうと、僕は静かに息を呑みながら思った。

 もしも。本当にもしもだけど。想像の域を出ないけれど。もし僕を『ある場所』まで追い込むように左右に存在している麦畑から『魔獣』が飛び出してきたならば。その時の僕はどうするべきか——そんなことを無言で考えていると、数時間も手綱を握りっぱなしである御者が声を掛けてきた。


「もうそろそろ宿村に着くんで、宿取る準備しといてね」


「あ、はい」


 ハザマの国との国境がある、ソルフーレン最北へと向かわんための中継地点となる宿村に到着すれば、御者の『トム』さんが親切に安いけど清潔な宿屋まで案内してくれた。

 僕とトムさんは『節約したい!』という切実な利害の一致によって、二人用の大部屋にて相部屋をすることなった。当の大部屋を借りる際に、僕が帳簿を認めている女将がそこにいる場所で、


「この辺に飲食店ってありますかね?」


 という話を大きな欠伸を掻いていたトムさんに振ると、受付台を挟んだ場所でその話を聞いていた宿屋の女将が、


「ウチで食べていきなさいな! 料金は宿泊料をもらったし、タダでいいから! 食事は食卓を囲う人数が多ければ多いほど美味しくなるからね!」と豪快に言って。 

 

 それに甘えた僕とトムさんは宿屋を経営している女将の家族と一緒に、女将が振る舞ってくれた香辛料がたっぷりと掛かっている熱々チキンステーキで舌鼓を打った。香辛料が効いている料理は僕の大好物。

 それで舌も胃袋も満足してしまった僕はまるで湯に浸かった後のようなホクホクとした顔で部屋に戻り、ベッドに飛び込む。そのまま横になって目を瞑った瞬間、僕は深い眠りに落ちた……。

 

 そんなこんなでフリューを出発してから三週間が経過して。現在は人歴『千、三十七年』五月九日、午後六時ごろ。

  

「ありがとうございました、トムさん」


「いいってことよ! またな、ソラくん!」


「はい! また、ご縁があれば!」


 ソルフーレンの最北に存在している宿村。ハザマの国から来た/へと向かわんとする人々が使う、最後の憩いの場。ハザマの国へ向かおうという僕が依頼して、トムさんが引き受けてくれた終着地点。そこに到着した僕は、ここまで馬車を操り続けていたトムさんに心からの感謝を告げた。 

 その感謝を受け取る彼は「気にしないでくれ」と苦笑しながら手を振っている。そうして、ここ『最北村』に用がないというトムさんは深々と頭を下げる僕に別れを告げて、客車を引いている数頭の馬と共に最北村から去っていった。


 三週間という言葉にすれば短くも、体感として長かった旅路の中で仲良くなった、友人のトムさん。そんな彼の後ろ手の振りと、沈む太陽よりも早く遠ざかっていってしまう馬車のことをじっと見送っていた僕は、ふと空を見上げる。 


 今はもう午後の六時。既に紛うことなき『夕方』である。


 空全体が茜色に染まり切ってしまっていて、その鮮烈な光景が今日はここで終わりであると言外に告げてきている。

 であるからして、仕方なく。ハザマの国を目前にしている僕は『ゴール』の手前で一時停止。今日はこの最北村にある宿屋に泊まって一夜を越して、明日を迎えようと思う。

 最北村で夜を越した翌日、僕は『徒歩』でハザマの国との国境線上に存在する『関所』まで行こうというのである。

「この村からなら、朝から歩けば昼頃には関所に着く」と御者のトムさんは言っていた。それを馬車に揺られながら聞いていた僕は『節約』を意識して歩くことに決めたのだ。

 

 真の『無職』である僕はもちろんのこと収入がなく——路銀は減るばかりなのに買い食いを止められないでいるけど——故に贅沢はできないからな。

 

 そんな『ひもじく』なりそうなことはコッチに置いておいてと。とうとう明日『風の国』ともお別れになるわけだ。空腹を訴えてきている腹を摩る僕は哀愁漂う笑みを浮かべながら、目の前まで来た宿屋に入る。


「一晩、一人お願いします」


「はいよ、百ルーレンね」


 僕は宿泊料金を支払った後に、三十ルーレンという追加料金を支払うことで宿屋が出してくれる、カチカチのバゲットとふわふわのスクランブルエッグで辛い空腹を慰めて、バゲット硬かったなぁ——というちょっとした不満を奥歯で噛み潰しながら借りている部屋に入った。そして部屋に入って早々に、若干だが黄ばんでいるベッドに寝転がった。

 ここのところ太陽が顔を出している時間は常に移動のしっぱなしだったせいで、無視できない重苦しい疲れが解消せずに全身に溜まってしまっている。今日はこのまま休んで明日に備えないといけない。そんなことを思いながら大きな欠伸を掻く僕は、ゆっくりと眠りについた……そして。

 

「よしっ、行くか!」


 五月の十日。午前七時半という早朝。熟睡したおかげですっかり体の疲れが抜けきっている僕は、早々に出発の支度を済ませ、意気揚々とした面持ちで宿屋を出た。宿屋の主人に関所の方向を聞き、その方へと向かって歩いていく。


 ソルフーレンの最北に存在している宿村を出発した後に、ハザマの国へ向かわんとする僕が踏み行くことになったのは、杉木のような背の高い樹木が山岳一帯を支配している、僕のように登山用の道具を身に付けていない人間が歩むには中々に危険だろう、キツい斜面が特徴的な険しい山道だ。そこを慎重だが急く速足で進んでいく僕は、何度も何度も積りに積もった落ち葉のせいで足を滑らせそうになり、その都度、心臓が強く跳ねたが故の冷や汗で衣服を濡らした。

 

 山に敷かれた道は間違っても馬車等が急斜面を走ってしまわぬようにウネウネと蛇行をする作りをしていて、そこを歩かされていた僕は、なんとなく故郷を思い出していた。 

 ぶっちゃけ、斜面を駆け上がれば早くに山頂へと着くことはできる。けど、最北村で入手した『道なりに進めば関所がある』という情報を咀嚼すれば、わざわざ道から外れた場所を駆けていくのは恐怖を感じざるを得ない。山頂に関所がなかったら、骨折り損の草臥儲けでしかないからだ。


 故に、僕は舗装されている坂道をひたすらに歩いていく。


「ふっ……ふっ……ふっ…………っとと」

 

 進んで歩きたくはない坂道ですれ違う馬車は多い。ハザマの国へと向かおうとしている人間を複数乗せている馬車。ソルフーレンで育てられた野菜果物を積んだ商車などなど。

僕のことを追い越し、僕が来た道を進んでいく多種多様な目的を持っている馬車達を額に汗を掻きながら認めていた僕は、分かりやすいくらいの顰めっ面をしてしまっている。

 険しい道が道なだけにすれ違う馬車はその全てが、客と荷の安全のため道の中央を走っていて、僕みたいな交通弱者は危うい道端に退かされてしまうことを強制されてしまい、故に『危ないなぁ』と僕は顔を顰めていたのであった。


 馬車に退かされて斜面ギリギリを歩かされてしまう立場の弱い歩行者は僕以外には誰一人としておらず、今の今まで登山者もしくは下山者と出会うことはなかった。人の声が聞こえなくてちょっと寂しいし、少しだけ怖いんだよな。


「うおっと!」と斜面を滑りかけた危うげな声を出しながら孤独故の恐怖と寂しさを紛らわすために、これから僕が入国することになるハザマの国について考えてみる。

 

「ハザマの国…………か」


 一体どんなどころなんだろうな……。東方大陸よりさらに東に存在している島国『鬼国・鬼ヶ島』の友好国であり、その『鬼国』の物品が大量に輸入されているとかなんとか。

 たしか『刀』だっけ? っていう刀剣類が輸入されていて、それを求めてハザマの国に来る人は多いんだったよな。刀は他の剣類と比較しても切れ味が物凄く良くて、スパスパと硬い物が斬れると爺ちゃんが楽しそうに言ってたっけ。

 あとは酒。爺ちゃんが好きな『焼酎』とかいう種類の酒も輸入されているはず。僕は未成年だから飲酒しないけど、爺ちゃんとカカさんはメチャクチャ飲んでたなぁ。


 まあ、ふたりともすぐ酔い潰れてたけど…………。


「…………ん? ………………誰か……いないよな?」


 なんか視線を感じたけど、いないな。ま、まあ気のせいだろ。えっと……たしか、ハザマの国は建物の作りがコッチとは違っていて、鬼国と同じ作りをしているんだったか。和……? だとかなんとかカカさんは言ってたな。ちょっと楽しみだ。


「っ…………?」 


 僕は『何者か』の鋭い視線を背中で感じ取り、残像を残すほどの勢いで後方へと振り向いた。しかし僕の背後には、僕は過ぎ去ってきた道には何物も存在していない。

 今の『殺気』が滲む視線は気のせいなのか? と掻いた冷や汗を顎先まで伝わせながら思った僕は、こめかみから流れてきた汗をコートの袖で拭い、視線を前に戻す。

 孤独が生み出した不安と恐怖を荒々しい獣舌で舐めるような事が起きてからも僕は速足を止める事なく、無駄に長いと愚痴りたくなるような蛇行道を進んでいった。

 

 背が高い樹木しか存在しない山道を進むこと——数時間。

 

 関所に到着する気配がないどころか、馬車とすれ違うことすらも無くなってしまっている、現在の時刻は午後一時半。もしかして、謎の視線を感じてから焦りすぎて人工道じゃない獣道を進んできてしまった? だとすると迷ったのか? 遭難してしまったのか……? という不安が胸中を満たして、心臓がバクバクと強く鼓動する。

 先程までなんとも思っていなかった全身の汗を鬱陶しく思っている僕は、焦ったようにキョロキョロと辺りを見回して、関所へと続いている人の道を探し始める。


 人の気配というか、生き物の気配がしない。いや、する。気配は、ある。

 

「なんだ…………?」


 振り向いても背後には何も存在しない。何もいない。僕の四方を埋め尽くしているのは、ただただ薄暗い山道。声出さぬ木々ばかり。ただの、ありきたりな、どこにでもあるような、既視感すら感じるような、傾斜が酷いだけの落ち葉が敷かれた道だ。

 

「………………」

 

 木々に日光が遮られてしまっている薄暗い山道は、魔獣を探すために入った『フリュー大森林』と同じか、それ以上の茫漠たる闇に包まれているように見えてしまう。

 あの時は『絶対的な強者』であるエリオラさんが僕のことを守ってくれていたわけで、でも今はそんな強い彼女はいない。今この場にいるのは僕一人だけだ。なにがあっても、なにが起こっても、僕自身が全ての対処をしなくてはならないのだ。

  

「誰だよ…………」 

 

 さっきから、二時間前から、僕を跡を『何か』が付けて来ている。その気配を気のせいにして、胸の孤独感が見せる幻覚だと言い聞かせて、僕はここまで進んできた。


 心臓が『ドクドク』と嫌な跳ね方をしている。


 気のせいだ。まさかそんなわけがない。と大袈裟に頭を振って僕は道を探すために前へと向き直る。すると、僕が視線を逸らしたことを見計らったように、後方から『ガサッ』という音が鳴り、僕は肩を震わせてバッと振り向いた。振り向いて、必死に視線を動かして『その何か』を探すけれど、そこにはやはりなにもなく。木の枝が折れて地面に落ちたのだろう。風で葉々が揺られただけだろうと思わせてくる……。  


「なんだ…………なんだよ…………っっ?」

 

 僕は戸惑うように、恐怖するように、ワナワナと体を震えさせながら一歩二歩と後ずさった。そして張り詰めた糸が切れたかのように、暴れ狂っている心臓の鼓動に促されるがまま僕は迫り来ている『何か』からの逃走を開始した。


 走って、走って、走って、ひたすら『何か』から逃げる。


 二時間以上前から僕のことを狙って来ていた『何か』から生き延びるために、息を切らしながら必死に逃げ続ける。


 全身からの発汗が止まらない。


 何か、何かが、僕の『命』を狙っている…………っ! 


 そんな直感を。信じられない予感を。

 

 僕は全身で感じてしまっていた——っっっ!!

 

「なんなんだよ————ォっっっ!?」


『ワオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!』


 僕が堪らずに声を荒げてしまった瞬間、突如として『吠え声』が打ち上がり、それは瞬く間に山一帯に轟いた。僕の耳に届く山に轟き渡ったそれは、その『吠え声』は聞き違うことなく、間違えようすらもなく——成体なる『獣の咆哮』であった!!

あともう少し。2話くらいでソルフーレン編は終わります

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