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蒼風のヘルモーズ  作者:
『ソルフーレン』編〈1〉

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第24話「またね」は風に乗って

 人歴『千、三十七年』の四月十八日。春の中程。その午前六時という紛うことなき早朝。蝋燭に灯されている火とは比べ物にならないくらいに煌々としている朝日に照らされているのは、朝露に満たされているフリューの街並みか。

 日の出と共に寝床から起き上がったのだろう首都の住民達が、せっせと開店の準備に追われているのが認められた。

 大人に起こされたのだろう子供達は朝から元気よく走り回り、老人達は「ふん、ふん」と謎の体操に勤しんでいる。

 朝食を摂りに来たのだろう観光客が、すでに開店している飲食店へと入り、冒険者達はと言うと、夜中から営業し続けている酒場で「乾杯!」とエールを飲み交わしていた。

 それら多種多様な人々の営みを走りながら眺めていた僕は、朝早くから『モルフォンス』さんの所へ向かっている。


 昨日は日が暮れる前に『西区中央付近』まで移動をして、そこで割と高級だった宿を借りて一夜を明かしたのだけど、相も変わらすアミュアちゃんの『息できてんの?』という心配をしてしまうほどに甚だしい鼾のせいで熟睡することは叶わなかったし、さらに昨日から様子がおかしい姉を自称するエリオラさんが僕のベッドに忍び込もうとするやらで、眠ること以外に気を散らすことになったせいで睡眠のみに集中できなかったと言えば、まあ……その通りだった。


 模擬戦と言うには憚られるほどに激しかった『僕への試練』の後からというもの、エリオラさんが僕の『姉』を自称しだした。というか嘘でしかない自称姉から、誰もが信じるマジの姉になってしまおうという意図が透けて見えていて、普通にヤバいのだ。普通ではないからヤバいのだが。

 もしかしたら本当に僕が撃ち放った『暴風弾』のせいで頭を樹木等に打つけて、頭がおかしくなってしまった可能性も無きにしも非ずで。だから色々な意味で怖い。本当に頭を打つけたことが起因しているのならば甚だ責任を感じてしまうし、もし違うなら、それはそれで恐怖なんだよな。


「おっはー! 茶髪の兄ちゃん!」


「おっはよ〜!」


「おはーっ!」


「おはよう! 馬車には気を付けるんだよー!」

 

「「「ウェーイ!」」」 


 嫌な想像を巡らせていた故に顔を顰めかけていた僕に対し、僕と同じように走っていた子供達が元気良い挨拶を掛けてくれて、僕もその挨拶をできる限りの元気良きで返す。 

 僕は今日、ソルフーレンの南西に存在している『アリオン諸国』へ向かうというエリオラさん達と大西門の外で別れた後、その辺りで適当に見繕った馬車に乗って、ハザマの国を目指すために『北方』へと向かうことを決めている。だから、今日でエリオラさん達とは『お別れ』になるのだ。


誰よりも優しく、そして誰よりも厳しかったエリオラさん。我儘だったけど妙な距離感が心地よかったアミュアちゃん。誰よりも頼りになってくれて、僕の趣味嗜好——味の濃い料理や、カッコいいガラクタ鑑賞等——にも共感というものを示してくれていた、実の姉の如きリップさんの三人とはたった五日の付き合いなのは紛れもない事実で。だけど、彼女達との『出会いと別れ』は僕の心の中で、十六年という僕の短い人生の中で『とても大きな出来事』になるんだろうと、心底確信できている。

 

 話が変わってしまうが、僕達は結局、昨日の内に魔獣討伐を打ち切ってしまった。あの幼魔獣の討伐報酬は一応出るみたいだったけど、僕達は一ルーレンも受け取らなかった。アミュアちゃんは僕が受取拒否したことに戸惑っていたけど、僕は全く『手を汚していない』かったから、その討伐報酬を僕が受け取るのは違う気がしたのだ。

  

「………………っ、着いた!」


 早朝三時から走り続けていて汗を掻いてしまっている僕は目的地だった区役所に到着し、全速力で区長室を目指す。区役所の受付で名前を名乗れば、すんなりと通してくれた。そして既視感がある長い階段を駆け上がっては五階に着き、区長室という看板が掲げられている大きな扉をノックする。ノックから数瞬の間を置いて「どうぞ」という返事が区長室から聞こえてきて、僕は扉を開けて区長室に入室した。


「朝早くからすいません、モルフォンスさん。例のハザマの国への『信書』を受け取りに来ました」  


「ふふ。いらっしゃい、ソラ君。さん、じゃなく『お爺ちゃん』と呼んでくれたまえよ。あと、これだね。どうぞ」


 宝物である茶色のコートを宿屋で別れたエリオラさんに預けている白ワイシャツを汗で透けさせている僕は、着ているワイシャツの袖で掻いてしまっている汗を拭い、そして『モルフォンス爺ちゃん』から一枚の紙筒を受け取った。

 モルフォンス爺ちゃんが認めてくれたこの信書があれば、僕はハザマの国の敷居を跨ぐために必要である入国料を支払うことなく、彼の国にタダで入国できてしまえるらしい。

 すごくありがたいし、初対面だった僕のためにここまで力になってくれたということに、申し訳ない気持ちもある。


「すみません。ここまでしてもらって…………」


「ふふふ。お爺ちゃんが『孫の力になる』のは当たり前だろ? さあ、もう行くんだろう。気をつけてね、ソラ君」


「…………ありがとう、モルフォンス爺ちゃん」


「ふふふっ。行ってらっしゃい、ソラ君」


「————行ってきますっ!」 

 

 モルフォンス爺ちゃんからの言葉に満面の笑みを浮かべた僕は全力で手を振って別れを告げ、足早に区長室を出た。 

 次に向かうのは『フリュー大森林』へと向かう際に通った、首都最西で荘厳を構えている『大西門』である。そこで首都を発つエリオラさん達と待ち合わせをしている。汗を散らす僕はそそくさと区役所を飛び出して、区役所前の道路脇で停車していた『私営』を掲げている馬車に乗った。

 

「あの、大急ぎで大西門までお願いできますか?」


「ああ? 大急ぎ?」


「はい、恩人の三人と待ち合わせをしているんです!」


「…………はぁ。ったく。そんな御涙頂戴なことを言われちゃあ俺は断れねえよ。片道四百ルーレンだ。それに納得できるなら乗りな。もちろん、全力で飛ばしてくぜ?」


「————お願いしますっ!」

 

「よっしゃ! んじゃあ、客の要望だ! かっ飛ばすぜぇ、お前ら!!」

 

『『『『ヒヒーーーン!』』』』


 僕は気前よく無理を聞いてくれた御者と、御者の気合いに同調した四頭の馬達に大声で感謝を伝え、馬車に乗った。


 先に大西門へと向かった、あの人達を長らく待たせてしまうのは悪い。大人であるエリオラさんとリップさんは仮に待たせてしまっても笑ってくれるだろうが、お子様であるアミュアちゃんに関しては『ぷりぷり』とした不機嫌を、後頭部に手を添えて謝罪をする僕に打つけてくるだろうし。

 今生の別れではないと思ってはいるけれど、別れの挨拶くらいは面と向かって、ちゃんと済ませておきたいからさ。 

 僕は無茶を聞いてくれたと一目で分かる、爆速の走行を見せている馬車の窓から首都の街並みを眺め、西へ向かう。


 楽しかった三人との日々に終わりが迫っていると思えば正直すごく寂しい。けど、これも旅なんだろうな——って、朝日に目を焼かれている僕は、目を閉じて思った。


 * * *


「おっ! ソラさん来たっスね」


「全くぅ、待たせるんじゃないっつーの」


「久しぶりだね、ソラ君」


「何時間も待たせてすみませんっ。待っててくれてありがとうございます……! あと、全然久しぶりじゃないですよね? エリオラさんとは半日前に会ったばかりでしょ」


 フリュー西区区役所を発ってから、かれこれ八時間弱ほどが経過してしまった、現在時刻にして午後の三時。無理を言って全速力でここまで向かってもらったことで僕は昼過ぎ頃に『大西門』の壁外地に到着することができて、この五日間で多分にお世話になってしまった、恩人である三人を半日も待たせることなく見送ることができたのだった。


「どうしても見送りたいんです!」と宿屋を発つ前に僕がアミュアちゃん以外に無理を言ったせいで長時間も待たせてしまったことに素直に申し訳ないと思いつつ、僕が来るまで長らく待ってくれていた三人に心からの感謝を述べる。


「お別れか、寂しくなるね」

 

 僕の謝罪とツッコミを受けるエリオラさんは唐突にそんなことを言いながら、困り顔をしてしまっている僕の両肩をサスサスと非常にいやらしい手付きをもって撫でてきた。

 セクハラだろう手付きをしている彼女に対して『最後の別れだから多少は我慢しておこうかな』などとは一瞬だけ思ったものの、やはり気持ち悪いことには変わりなく。僕は僕の行動に対して『ガーン』という甚だしいショックを受けているエリオラさんからに二メートルほど距離を取る。


「ふはは……っ。でも、ええ。エリオラ姐さんの言う通りっスね……。ソラさんが居なくなったら寂しくなりまス」


「最近会ったばっかだけどね」


 と。暗くなってしまった三人を見て、僕達は出会ってから片手の指の数ほど経っていないという事実を冷静に突っ込んできたアミュアちゃん。そんな彼女に僕達は苦笑した。


「たしかに。アミュアさんの言う通り、ウチ達は出会って五日くらいっスけど……でも寂しいでス。本当に」

 

 目線を下げているリップさんの呟きは、僕達の間を通り抜けていった風に攫われていく。そうして場に流れるのは少しの沈黙で。エリオラさんはなにを考えているのか、腕を組みながら目を瞑り、リップさんは「こういうのは柄じゃないっスね」と寂しげな空気を誤魔化すようにヘラヘラと笑って、昨日散々整理していた荷物を再整理をしだした。

 最後にアミュアちゃんは、そんな彼女達をウザったそうに横目にしながら無言で自分の髪をクルクルと弄っている。

 

「………………うん。そろそろ行こうか、二人とも」


「うっス」


「はいはい。こうして立ったままだと足が太くなっちゃうし、早くしてほしいかったのよね」

 

 エリオラさんの出発の声を皮切りにして、リップさんは自分の荷物を抱え、アミュアちゃんは僕と目を合わせようとはせずに、見送りをする僕が到着するのを待っていたのだろう、いかにも堅牢な装甲馬車の方へと向かっていった。

 プイッとして、何故か僕と視線を合わせてくれないアミュアちゃんがいの一番に馬車へ乗り込み、僕と目を合わせて『ペコリ』と軽い会釈をし合ったリップさんが次に乗る。

 そして一番『未練タラタラ』な様子を見せているエリオラさんが乗り込もうとして、唐突に僕の方へと振り返った。

 

「あっ。ソラ君! はい、これあげる」


「えっ…………?」

 

 今にも「寂しいよォ!」と叫んで飛び掛かってきそうな顔をしているエリオラさんから手渡されたのは、ウネウネとした謎の紋様が深く刻まれている『銀の指輪』であった。

 エリオラさんの胸ポケットから取り出されたこの銀の指輪は『普通のアクセサリーではない』だろうということが、指輪から絶えず放たれている妙な力波によって察せられて。

 薄らと紫色に光っているような気がするし、もしかしてだけど、この指輪は『曰く付き』の一品なのではないか?

 そんな不安を確かに抱いてしまった僕は、これの正体ってやつを持ち主本人に聞いた方が良さそうだと思い、銀の指輪を眺めていた僕のことを見つめる彼女へと問い掛けた。

 

「この指輪は…………? なんか光ってるんですけど」


「それは私の故郷で守られていた指輪だよ。前に言ったアロンズって魔人は、それを狙って私の故郷を襲ったんだ」


「…………へ?」


 なんか、めちゃくちゃヤバいこと言わなかったか、この人。絶対貴重品だろうそんなものを渡されても困るんだが。


「えっ、あのこれ……僕は受け取れないです。守ってたって、それなにか重要というか、貴重な物なのでは……?」


「いいのいいの。私が持っていても殺された挙句に盗られるのがオチだからさ。君が持っている方が安全だと思う」


「えっ、いやいやいや! そんなわけないでしょ!?」

 

 弱っちい僕の方があっさりと盗賊とか山賊とか、野盗なんかに奪われてしまうだろうに。そんなことを思いながら渡されてしまった指輪を押し付け返そうとするも、エリオラさんは頑固として指輪を受け取ろうとはせず。それに折れてしまった僕は仕方なく、後生大事にするとエリオラさんに言葉で誓い、その指輪をどこにしまうか悩んでいると。


「着けてみてよ、左手の薬指に」


「はあ…………あ? いや、なんで左手薬指なんですか」


「はははっ! じゃあねソラ君。また必ず会おうね!」


 昨日から本当に調子が良いよな、この人は。僕は彼女に言われた通り左手の薬指に——付けるわけもなく。左手の中指に怪しげな雰囲気を放っている銀の指輪を嵌めてみた。

 お? ちょっと、カッコいいかも。んんー……それにしてもやっぱり光ってるよなぁ、これ。まさかとは思うけど、指輪を嵌めた者は『呪われる』とかないよな? 僕が眉間に皺を寄せながら指輪に対して漠然とした不安を抱いていると、馬車に乗り込んだリップさんが車窓から顔を出した。


「ソラさん! ウチからはコレ、あげまス!」


「おっととっ……えっ!?」


 開かれた車窓から僕に向かって放り出されたのは、見覚えのある赤い石が埋め込まれている棒。火の魔導具だった。


「え……いいんですか?」


「いいっスよ! 二つあるんで、半分こっスね!」


「————ありがとうございます、リップさん!」


 リップさんは心からの感謝を告げる僕と目を合わせ、小恥ずかしそうに頬を染めながら手を振った。そうして一番に馬車に乗り込んでから、不自然なまでに僕と話をしようとしていないアミュアちゃんへと背伸びして視線を向けた。


「またね、アミュアちゃん!」


「………………ふんっ」


 これが所謂『ツンデレ』ってやつなのか。そんなことをしみじみに思いながら頑なに無視を貫こうとしているアミュアちゃんを見て、馬車の乗っている二人は苦笑し、対する僕も『こんな時でも変わらないなぁ』と思い、微笑する。 


「それじゃあ、出発しやすよいっ!」


 僕のせいで長らく待たされていた出発。その始まりを告げる御者の大声が僕達の鼓膜を揺らせば、続いて『パシンッ』という鞭音が客車を引っ張っている馬達の方から鳴る。

 ガタガタという車輪が砂利を跳ねる音を奏でながら、エリオラさん達三人を乗せた馬車が南西を向いて動き出した。

 結局、アミュアちゃんとは最後の話ができなかったな——と、少しだけ『年齢が離れている異性の友達』に別れ際の言葉を交わせなかったことを残念に思ってしまっていた僕はしかし、その思いを表情に出すことなく、ただただ、そこはかとなく哀愁を感じさせる笑みを顔一面に張り付けて、三人が乗っている馬車が見えなくなるまで手を振り続けた。


 すると——突如として閉ざされていたはずの馬車の車窓から半身を飛び出させた人影が、僕に手を振り返してきた。

 西に傾いた太陽の恩寵が目を焼くけれど、僕は確かに見えていた。橙色のツインテールが風に揺られている光景が。両の目から寂しさが生み出している涙を散らす少女の姿が。 

 それに目を見開いた僕は、我慢していたというのに溢れ出てきてしまった涙を散らし、全力で両の手を上げて振る。


「またね——っっっ!!」

 

 遠くから、アミュアちゃんの声が聞こえる。此度の別れ。そして別れと表裏であろう『再会』という続きの誓いが。喉が張り裂けるのも厭わなかった少女の叫びが鼓膜を強く叩いて、それに負けないように、絶対に届かせてみせるという強固な意志をもって、僕は全力で叫んだ。再会を約束する言葉を。またねを実現するための誓いを。

  

「また会おうっっっ!! またっ、必ずっっっ!! いつか、何処かでっ、四人で——っっっ!!」

 

 風が止まない特異な地。なんて事のない昼暮れで、全霊の叫び二つ生まれた。それは吹く一陣の風に乗ってどこまでもどこまで永遠に響かんばかりに木霊していく。これは今生の別れではない。そう言い聞かせるように。そう伝え合うように——……。

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