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蒼風のヘルモーズ  作者:
『ソルフーレン』編〈1〉

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第19話 『風の知らせ』と『魔獣の子』

 唐突に「歩くのヤダ」と言ってその場にへたり込んでしまったアミュアちゃんを仕方なく僕が背負い、二十数キロの重さとジワジワと汗を掻きそうになる平たい胸部から伝わる体温を背中で感じながら、西へ移動すること約二時間。

 重しを背負う僕以外は汗を掻いていない一行は『フリュー大森林』と呼ばれる、どこまでも続く森の前に到着した。

 

「やーっと着いたわね! 流石に疲れたわ!」


「…………アミュアちゃんは自分で歩いてないじゃん」


「んふふ。はいはい。ありがとね、ソラ」


「はぁ…………」


 本当に調子良いよな、この子は。文句を垂れたい気分である僕は滲んだ額の汗をコートの袖で拭き、辺りを見回す。

 大森林を目前にした所にある乾地には沢山の冒険者が屯していて、そんな彼等彼女等は皆一様にフリュー大西門前と同じく「お前等はどっちに行くんだ?」という、ライバルへの牽制の意図が透けて見えている話し合いをしていた。

 そんなライバルへの牽制しまくりで足踏みしてしまっている集団を他所に、僕達は四人で作戦の最終確認を行った。


 ジャケットの内ポケットからフリュー近辺を記している地図を取り出したリップさんがする話に、やはり人の話を聞かないアミュアちゃんに髪を弄られながらも耳を傾ける。

 なんでも『フリュー大森林』はその面積があまりにも広大——フリューに匹敵する——すぎて数十程度の人員では数日をかけようとも、到底捜索しきれないとのこと。


「広すぎない? エルムフットじゃないのに」


「広すぎるね……。ねえ、エルムフットって田舎なの?」


「わっ、私のとこは都会だったわ! フリューよりね!」


「………………ふっ」


「っっ痛あっ!?」


 と、僕とアミュアちゃんが道端で繰り広げる『恒例の遣り取り』を側に、エリオラさんとリップさんは『どう動くか』の確認を進める。して僕とお嬢様の使えないコンビを他所に進められた協議の結果、僕達は二人一組になって行動することになった。

 

『魔獣捜索討伐を目的とした即席の第一チーム』


 その一、魔法戦闘員、アミュア・フロンリーセス・エリオン。

 その二、非戦闘捜索員、リップリュー・ファルユソス。


『魔獣捜索討伐を目的とした即席の第二チーム』


 その一、剣武戦闘員、エリオラ・カミュ・リギュ・ドラムンダ。

 その二、非戦闘捜索員、ソラ・ヒュウル。

 

 この二チームに分かれて各自標的としている魔獣を発見次第、即時討伐する。探索員は戦闘中に遠く離れ、その際に発煙筒で他チームに位置を知らせるとのこと。というわけで非戦闘員である僕は同じく非戦闘員であるリップさんから作戦に必要な発煙筒と赤色の石が埋め込まれた、十五センチくらいの『ボタン付きの棒』をもらった。

 

「…………なんですか、これ?」


「それは『魔道具』っス。マジックアイテムとも言われてて、これは——ほら、手元にスイッチがありますよね? それを押すと棒の先っちょから火が出てくるっス」


「魔道具…………」

 

 魔道具とはたしか世界の最北東に存在する島国独占の技術で生産されている『魔法を応用している道具』の総称だったはずだ。

 

『魔道国・ルフ』


 世界でも類を見ないほどに時代の先端を突き進んでいる、世界最高の技術大国。そんなことをカカさんに教えられた。

 カカさん家にも製薬に使用する魔道具があった。めちゃくちゃ高価なものだから流石に触らせてもらったことはないが、これと同じように光る石が埋まっていたっけ。

 

 なんだっけなぁ…………。


 たしか魔法に適応している人間の脳が自動で魔法発動に必須な回路を組み立てて行使しているのに対し、この魔道具って物には『魔法印』という人間の脳が自動で生み出している魔法回路を再現した『魔法式』が刻み込まれていて、その人工回路に魔力が流されることにより人間が扱える魔法を道具のみで使えるようにとかなんとか。


 あぁ……。あの時の『チンプンカンプンてんてこ舞い』が蘇ってくるようだ。魔法学ってやつは難しすぎて頭が痛くなってくるし、これはもう考えないでおこう。 


「ええっとぉ、このボタンを押せばいいんですか?」


「そうっス。あ、子供の悪戯防止でボタンは硬く作られてるから、強めに押しちゃってください。間違っても棒の先に手を当てないでくださいね? 火傷しちゃうんで」


 怪訝げに眉尻を傾けてしまっている僕は、リップさんの言う通りに手渡された謎の棒の持ち手あるスイッチをカチャッと押す。すると本当に棒の先から火が出てきた。


「うおっ! 出たあっ!」


「ふふん。凄いでしょそれ! ボウッと火が出るのよ!」


「……ボウっと、棒から…………って、ダジャレ?」


「ち、ちげーしっ!」


 自慢げに渾身の駄洒落を披露してきたアミュアちゃんは僕がしたツッコミに思い掛けずといった風に肩を揺らして、顔を真っ赤にしながら僕の発言を全力で否定する。

 

 途端に羞恥に染まってしまった彼女を僕は無視し、ただただ「スゲーっ!」と手に持つ魔道具なる文明の力を使う。

 

 ひたすらに『カチャカチャ』して遊んでいると、エリオラさんとリップさんから「クスクス」と笑われてしまって、その笑い声でハッとした僕は顔一面に熱が集中して行くのを感じながら「ゴホンっ!」と態とらしく咳払いして、手渡された発煙筒と火の魔導具をコートのポケットに入れた。


「————ん?」

 

 おもちゃになりかけていた魔道具と、しかし空気であった発煙等をポケットに入れると、そこには先客がいた。コツンと手に当たった硬質な感触に首を傾げた僕がガサガサと漁ってみると、出てきたのは何時かの『食中りの薬』で。

 僕の手に握られている小瓶に入った青色の粉薬は、僕が村から旅立つ時に薬師の『カカさん』からもらったものだ。 僕は受け取った後そのまま記憶から落ち、コートのポケットに入れっぱなしであった食中りの薬をグッ握り締める。

 

 すると、若干の不安が渦巻いていた心の奥底から温かい懐かしさが込み上げてきた。それに笑みを溢した僕は思う。


 まだ村を出て『二週間』も経っていない気がするけどな……と。


「よし。準備できたかい、ソラ君」


「————!! はいっ!」


「ふふっ。心強い意気込みだね。それじゃあ出発するとしようか。夜の間も探すから、明かりの準備をしておいて」


「わ、分かりました!」


 朝の七時前から移動を開始してから三時間以上が経った、現在の時刻は午前の十時ごろである。今からフリューと同等規模で広大すぎる『フリュー大森林』の奥深くへ行くとなると、深夜まで探索は続いてしまってもおかしくはない。

 

 そんなことを考えながら、リップさんから預かっておいた冒険バッグの中に……あったあった。これこれランタン。僕は同チームのリーダーであるエリオラさんの言う通りに灯っていないランタンを手に持ち、出発準備を完了させる。


「私とソラ君が魔獣を探すのは森の西奥だよ。一旦奥まで行って、そこからは扇状に探索する。あと、私からあまり離れないでね、もしもの時は私が守ってあげるから」


「は、はいっ! お、お願いします!」


 カ、カッコいい! 僕は、エリオラさんを見て「キャーっ!」と黄色い声を上げていた女性達の気持ちが分かった。 正直に言えば未知の塊である『魔獣』のことが少しばかり怖かったんだが、彼女がいるなら大丈夫な気がしてくる。

 アミュアちゃんに次ぐ年齢でありながらこの場の誰よりも大人であるに違いないエリオラさんの背中は、そんな恐怖を取り除いてしまうくらいとても頼もしく感じる。


 これが一応は『最年長』である我儘お嬢様ことアミュアちゃんであったなら、僕は余計に不安に感じていただろう。

 あの『自称エリオラさん以上のえりーと』の背中は頼りない——ってアミュアちゃんに言えば脛を蹴られそうだな。

 この本心は僕の身の安全のために心の浅いところにしまっておくことにするか。

 僕はそんな無駄でしかない思考を止めて、スタスタと物怖じせずに夕時のように暗く、夜空よりも深そうに思える大森林へと進んでいく、エリオラさんの後に続いた。


 * * *


 第二チームである僕とエリオラさんは、別チームのリップさん達と同時刻に『フリュー大森林』に入り、しばらくしてから事前の作戦通りに別々の方角に散っていく。

 別れ際まで「疲れた疲れたぁっ!」と大袈裟に騒ぎ続けて、顔を引き攣らせてしまっていた僕に『負んぶ』をせがんできていたアミュアちゃんと離れてからは風に揺る草木の音だけが耳奥で反響するだけで、僕は少しばかり不気味な所感を抱いていた。


 不安げな面持ちをしながらも、戦闘員であるエリオラさんに先導される形で僕が進み続けている方角は西南である。

 僕達と同じように森へと入っていった冒険者達が視界の端々に映っていたのは、今からどれくらい前なのだろうか。

 どれだけ奥へ入り込んでいこうとも、どれだけの時間を掛けて進もうとも、どれだけの体力を消費して歩き続けようとも、たった一つの変化も感じられないフリュー大森林。

 

 頼れる人間は目の前で僕よりも小さな背中を見せつけてくれているエリオラさんだけで、この人だけが唯一の救い。

 この人が姿を消してしまえば、僕は振り返って即座に全力の疾走をしていたに違いない。それくらいの不安が僕の胸中で波紋し、足先の爪まで伝播してしまっている。


 何処までも何処までも何処までも何処までも。


 無限に続いてるのではないかと錯覚してしまうほどに変わり映えしない風景に惑わされて、重要な方向感覚や時間の感覚を奪われてしまっている僕が際立った焦燥感を胸の内で感じ始めた頃、前を歩いていたエリオラさんが急に立ち止まった。


「三時間は歩いたね。少し休憩することにしよう」


「さ、三時間……っ!? は、はい…………」


 感覚を奪われた影響で気付かぬ間に額に汗を浮かべてしまっていた僕は、汗一つ掻いていない顔を唐突に振り返って見せてくるエリオラさんにそう言われ、甚だしい驚愕をあらわにしてしまうのも束の間にキョロキョロと辺りを見回し、休憩に使うに丁度良さそうな木の根に腰を下ろした。

 腰掛けた根の主である、背が高くて幹が太い樹木を背もたりにして「ふぅー……」と深めの息を吐いた僕は、ふと空を見上げた。


 見上げられた僕の視界に映るのは中天に浮かぶ太陽。このことから現在時刻は正午過ぎくらいであると察せられる。

 無限に惑わされることなく正確な体内時計を維持していたのだろうエリオラさんの言う通り、僕達が『フリュー大森林』の中に入ってから、かれこれ『三時間』程度が経っているわけだ。

 まだ数十分しか歩いていないような気もするし、何十時間も大森林の中を歩き続けていたような気がしなくもない。

 

 不変的風景を延々と歩いていたせいで、感覚が狂ってしまっているようだ。進んでいるようで全く進んでいないような不可思議な感覚。ちょっと気持ち悪くなりそう。


「はい、水」


「あ、どうも」


 顔を上げて目を瞑っていた僕に、エリオラさんは自分が飲み終えた水筒を手渡してきて、それを受け取った僕は感謝の言葉を告げた後に、躊躇うことなく口を付けた。


「ふふ、間接キスだね?」


「………………は、ははは……」 


 悪戯好きの子供のような笑みを浮かべてるエリオラさんは、彼女の飲み掛けで喉を潤している僕にそんな冗談を言ってくる。僕はそれに『どう反応すればいいんだよ』と思いながら苦笑し、水筒をグイッと傾けて中身を飲み干した。

 そうして空っぽになってしまった水筒をエリオラさんに返した僕は「あぁ……」という声と共に全体重を背もたれにしている木の幹に預け、できる限りの脱力をする。


 魔獣襲撃を想定して張り詰めていた緊張を解いて、心身をリラックスさせた僕の耳に届くのは、木の葉が微風で擦れ合うことによって奏でられる自然音楽のさざめき。

 魔獣とかいう、危険なのだろう異生物が大森林の内にいないのであれば、ここで小一時間ほど昼寝をしたい気分だ。

 数分ほど軽く目を瞑り、大自然を揺蕩うように休憩をしていた僕は徐に閉ざされていた目を開けて辺りを見回した。


 管理が行き届いていない手付かずの大森林には、ソルフーレンの国樹たる『フーロ』が地を突き破る形で連なっていて、背高いフーロに生る枝葉で日光が遮られている影響で視界が十全に機能しない程度に辺りは仄暗くなってしまっている。

 木漏れ日はあるけれど十分だと思えるほどに明るくはないし、魔獣が木陰に隠れてしまっていたらならば人の目での発見なんてできないのではないか?

 

 何故か鳥の囀りも聴こえてこないし、そこはかとない不気味が燻る。


「ふふっ」


「————? どうしました?」


「ここだと『分かりやすい』なぁ——と思ってね」


「…………? どういうことですか……?」


 聞こえてくるさざめきに目を細めて、少なからず感じてしまう森林の闇に身じろぎをしていた僕は、無音に等しい辺りに目立つ笑い声を唐突に溢したエリオラさんに視線を向けて、何が分かりやすいんだ? という風に首を傾げる。

 怪訝な顔でエリオラさんが浮かべている微笑を見つめていると、僕と視線を交わした彼女は上品に弧を描く口元を手で隠し、そして再度「ふふっ」という声を溢した後に僕が求めていた「分かりやすい」というものの正体を語った。


「ほら、そこの雑草を見てみて」


「え? 雑草…………?」 


 子供に気付きを与えようとしている大人のような顔をするエリオラさんが人差し指で示している場所。

 そこへと視線を送った僕の目に映ったものは、木の根に腰掛ける僕の足元に生えているだけの、なんの変哲もないただの雑草で。

 その至極普通の雑草を指差しているエリオラさんは何故かワクワクとした顔をしていて、すごく楽しそうであった。


 僕は楽しそうな彼女が指し示した場所に生えている、やはり特別感など何一つない雑草をマジマジと見つめてみる。

 しかし、謎の雑草は風に吹かれているようサワサワと前後左右に揺れ動いているだけで。一体これがどうかしたのだろうか……?


「それ、ソラ君の風で揺れ動いているんじゃないのかな」


「…………僕の〝風〟?」

 

 僕は視線を下げて足元にある名も無き雑草が『風』で揺れ動いていることを確認。次にエリオラさんの足元にある雑草に視線を送る。

 すると、彼女の足元や腰掛けている場所付近の雑草は微塵も揺れ動いていはなかった。

 どうやら僕の足元の雑草は自然の風ではなく『僕の風の影響』を受けているようだ。


「確かに……。揺れてるの、僕の足元のやつだけですね」


「そうだろ?」 


 近場の雑草を揺らしている謎の微風の正体。これが僕が謎に有している『風の加護』の力——その一端なのだろう。

 言われてみるまで全然気づかなかった細やかさだ。

 もしかして普段もこうなっていたのか? 

 っていうか、凄いのはエリオラさんだ。よく初対面の時に僕ですら気付かないレベルの微風に気が付いたな。

 どれだけ感覚が鋭いんだよ。

 

 そんな感じで僕からの尊敬を人知れず贈られたエリオラさんは、その瞳を子供のように輝かせながら「うんうん」と顎に手を当てて興味深そうに僕を観察していた。

 彼女は僕の体に触れるか触れないかの距離で左手をかざし、僕が出しているのだろう『微風』を感じ取ろうとしている。

 

「ソラ君の体の表面には『風の膜』のようなものがあるね。本当に薄らとだけど。妙な風は常々感じていたけど、こうなっていたんだね。無意識で使っているのかな?」


「意識は全くしてないですね。多分ですけど勝手に出てるんだと思います……」


「へぇー……ふふっ、面白いね」


「そ、そうですかね?」


「面白いよ、とっても。風の加護……か。憧れるなぁ」


 風の加護。これって、エリオラさんほどの強者でさえも憧れてしまうほどのものなのか? 無意識に微風を身の周り出しているだけとか『超地味』だと思うんだけどな。僕が加護を使いこなせていないだけ——なのかもしれないが。

 

「…………ソラ君、加護を少し使ってごらんよ」


「え? か、加護をですか……?」


「君は加護を使い慣れていないみたいだし、使いこなせるようになった方がいいと私は思う。これからの事を考えれば君は『一人で戦える力』を持っているべきだから。君が一人で戦えるように私が手伝ってあげるよ。……いや、私にさせてほしいな」


「一人で、戦える力…………」か。たしかに。僕がフリューを、延いてはソルフーレンを出国してハザマの国へと向かうとなれば、それはつまり、今まで頼りっぱなしになっていたエリオラさん達と『別れる』ということ。ならば彼女の言う通り、これからも危険が伴う旅を続けるには『一人で戦い抜ける力』は必須になってくるだろう。


「僕にできますかね…………?」

 

 完全に自信を無くしている僕に、独り立ちの手伝いをしてくれる約束をしてくれたエリオラさんは柔和な大人の笑みを見せ、まるで保護者のように僕に語りかけた。


「ソラ君ならできる。君がいつか『勇者』になったら……。彼は私が鍛えたんだって、アミュア達に自慢させてよ」


「ゆ、勇者ですか…………?」


 僕が勇者になるだとか、壮大すぎる御伽噺を子供のように目を輝かせて話すエリオラさんに、僕は堪らず苦笑した。


「そう。君が勇者になれば、私は勇者に戦い方を教えったって事になるだろ? それを自慢したいんだ。私はさ」


「…………自慢になりますかね?」


「なるよ。一生物のね」


 少しだけ意地悪な顔をするエリオラさんは、しかし『少女のような雰囲気』を醸し出しながら地面から立ち上がる。

 僕も彼女に続くように立ち上がり、ズボンの尻部に付着している土埃を叩いて落とす。そうして立ち上がった僕を見ていたエリオラさんが口を開こうとした、その時。

 

 僕達のもとに一際強い『一陣の風』が吹いてきた——。

 

 立ち上がったばかりの体を叩きつけるような強風が、地面に生える数多の木々を縫いながら僕達のもとへとやって来て、それで僕が手に持っていたコートがはためく。


「————?」


「…………? どうしたんだい、ソラ君?」


 吹き付けてきた強風を横合いから浴びていた僕は、コートが飛ばされぬように手に力を込めながら目を窄め、そして今の突風に乗ってきた『音』を敏感に感じ取った。

 

 なんの音なのか皆目見当つかないそれを乗せた一人の突風の方向を、神妙な面持ちをしながら僕はじっと凝視する。意味深に固まってしまっている僕に怪訝な顔をしていたエリオラさんは、徐に僕が向いている方角に視線を馳せた。

 


 しかし彼女は何も感じ取れない。否——常人に感じ取れるわけがない。



 今の一陣の風に乗っていたものはつまり、風の加護を有している者だけが知覚できる『風の知らせ』だったのだから。


「…………多分ですけど、あっちに『なにか』がいます」


 風が届けた白昼夢に魅せられているかのような朧げな様子を見せてしまっていた僕が指差した方角は『北西』。エリオラさんはあまりにも突飛なことを言い出している僕のことを否定することなく、少女のような晴れやかな笑みを浮かべて——頷いた。

 

「行ってみようか」


「………………はい」


 * * *


 俗に言う『第六感』が冴えたのか、はたまた別の要因があるのかは僕には分からないけれどなんらかの情報をキャッチした僕が先導する形で、二人は北西へと駆ける。 

 風に導かれている感覚を覚えていた僕は、背後から掛けられたエリオラさんの判断に従い、リップさんから渡されていた、目印になる発煙筒に魔道具を使用して着火。

 途端に細長く、しかしハッキリとした白煙が空に向かって一直線に昇っていき、大体一時間半で二手に分かれていたリップさんとアミュアちゃんとの無事に合流する。

 それから、フリュー大森林に来た時のように四人——ではなく。発煙筒の煙を見つけて集まってきた数人の冒険者達を連れて『風が示している方角』へ進んでいった。 


「…………っ! あそこだ!」


 本当になにかあるのか? と疑っている冒険者を僕が先導して進んでいき数十分が経過した頃、僕達は『風が導いてくれていた』謎の音の根源が存在する場所に到着。  

 風に乗ってきていた——というより『風が乗せていた』の方が正しいだろう『動物の鳴き声』は、僕の眼下にある巨木の根元に掘られた『穴』から発生していて。


『キィーッ、キィーッ、キューッ』


 犬のような四足動物が掘ったと思われる穴からは、おそらく巣穴を作成した動物の赤子なのだろう甲高い鳴き声が絶えずに聞こえてくる。これはおそらく、巣穴の間近で佇んでいる僕達への『警戒』から発せられているものだろう。

 その警戒、鳴き声に取るべき行動に僕が移りしかねていると、僕の足踏みに痺れを切らした強面の冒険者が出張ってきて、そんな彼に強く肩を引かれて後ろに追い遣られてしまった僕はしかし黙ったまま、複数の四足獣の子がいると思われる巣穴に躊躇いなく手を突っ込んで巣の内側を蹂躙していく男性冒険者のことを呆然と見守った。 


「チッ! えれえ深くまで掘ってやがる。おいっ! 適当な得物寄越せ! こんな穴なんざ掘り起こしてやる!」


 冒険者は手の届かぬところまで避難したのだろう四足獣の子に盛大な舌打ちをし、成り行きを見守っていた冒険者に粗暴だろうが端的で分かりやすい言葉を吐いた。

 仲間なのか、そうでもないのかが読み取れない、命令されて顰めっ面をしていた中年の冒険者から投げるように渡された矛太の槍で巣穴がある木の根元を掘り始める。

 

『どれ、俺も手伝うか』


『ギャハハ! 穴掘りなんてガキの時以来だぜ!』


『チッ! さっさと加われよなボンクラども』


 集まった屈強な数人の冒険者に侵攻されていく獣の巣穴。その光景を前にした僕は特になにも思うことなく、ただ沈黙したまま『決着』が来るのを少し離れ場所から見守った。

 そして、ものの十数分で完全に掘り起こされてしまった獣の巣穴の奥から、逃げ隠れていた獣の眼光が認められて。 

 僕を退けて巣穴を掘り起こし始めた男性冒険者は何の躊躇いもなく伸ばした手で、行き当たりまで追い詰められたが故に逃げることができない一匹を掴み、そして噛み付かれながら、穴から勢いよく土に汚れている手を引き抜いた。


 ザワッという周囲の騒めきと共に巣穴から引き抜かれたのは、男の手に噛み付いて全力の抵抗をする黒毛獣の赤子。

 その土に汚れた黒毛の獣の顔には『四つの目』が認められて、その爪は通常の四足獣とは異なる歪な形をしていた。


 生物図鑑に載っていない明らかな異形をした生命体。原生物である僕達とは異なった気配を僕に与え、そしてこの上なき嫌悪感と始点に心当たりがない『憎悪』を僕に噛み締めさせてくる、この獣は間違いなく——異生物・『魔獣』か。


「こりゃあ、魔獣のガキだ!」


「四足ってことは、ここが例の魔獣の巣穴で間違いないよな。おーい! ここに罠を張っておけ! 適当なやつ!」


「すんげえぇ〜〜〜。これが伝説の『風の加護』ってやつか。こんなん俺らなんかが見つけられるわけねえなぁ?」


「ああ。加護持ちの奴は初めて見たけど『加護は特別』って言われてるだけのことはあるな。ほんっと羨ましいぜ」


 魔獣の子を捕らえることに成功して息を吐いている冒険者各自は、無言の僕のことを置き去りにしながら「ああだ、こうだ」などと興奮した声調で好き勝手に喋り続けている。

 そんな彼等彼女等と、まるで現存する世界が切り離されてしまったかのように、僕は硬直したまま黙り込んでいた。

 

「よーしっ、それじゃあ『ぶっ殺す』ぞ! 死骸は罠にでも使え! 頭部は切り離してギルドへの報告用にする!」


 と、迫っている『死』に対して弱々しい抵抗をする小さな命の前で行うにはあまりにも残酷だろう死刑宣告を言ってのける冒険者を止める者は、この場には皆無だ。


 エリオラさんは『魔族抹殺は仕事』であると割り切っている冷酷な素面で。

 アミュアちゃんは若干の忌避感を胸の内に生じさせているのか、目に入れぬようにそっぽを向き。

 リップさんは淡々としながら巣の周辺に罠を設置していく。


 そして僕は、自分でも信じられないくらいに『冷え切っている眼差し』を無意識に魔獣の子へ向けながら、来る『魔殺』が行われるのを、その顛末をこの目で見守る。


「っしょっと!」


 僕は何も言わず、何も思わずに、素手で首を捩じ切られた魔獣の子の『ギャイィッンッ!?』という耳を劈く甲高い断末魔を聞く。男性冒険者は手慣れた手付きで、首を垂らして生き絶えている魔獣を地面に放り投げ、再度魔獣の巣に手を突っ込んだ。 

 

 一匹、二匹、三匹。最後の五匹目を首を捻り切って殺す。

 

 あまりにも『人の心』というものを感じさせない、至極単純な流れ作業。それを僕は無言のまま見続ける。どんな理由があるのか。それとも元々からそうだったのか。それは分からない。けれど僕は何故か魔獣の命が奪われる様を見ても、魔獣を殺すその動作を止めようとは思えなかった。

 命を奪うのはとても残酷なことなのだとは思うけど、それが必要な事だとも心の奥底で理解してしまっているから。


 いや、違うな。それは言い訳だろ。


 僕は魔獣が死ぬことに、魔獣が殺されること、これっぽっちの『哀憐』も抱いていないし、この場面に対する言葉が一つも出てこないほどに『なんとも思ってはいない』んだ。その心持ちの理由は何故か分からない。何故かは全く分からないけれど。


 僕は魔獣が死ぬ様を、そして晒される死骸を見ると——この上なく


「終わったね。リップ、死骸を使って罠を張ってくれ」


「うっス! 了解!」


「ソラ君! リップの仕事が終わったら拠点に戻るよ」


「————! は、はいっっ!?」


 完全に心ここに在らずだった僕は、唐突にエリオラさんに肩を叩かれたことで、全身全霊の驚愕で肩を跳ねさせる。

 そして振り返った僕の瞳を不思議そうにエリオラさんは見つめた後、特に何もなかったように柔和な笑みを浮かべて「行こうか」と、フリューがある方角を指差した。

 謎の動きを見せていたエリオラさんに僕はぎこちなく頷いて、作業をこなしているリップさん達の手伝いを始める。


 首が捩じ切られている『魔獣の死骸』を使って罠を張る冒険者達を小一時間ほど手伝い、その日は拠点へと戻った。 

 朝が間近にある深夜に拠点にしている宿屋に到着した僕達は、汗で汚れた身体を冷水を浴びて洗い終えると、気絶したようにすぐさま就寝する。

 

 そして日が登った時間に僕はエリオラさんに起こされた。

 

「うぇ、エリオラさん……? どうしたんですか……?」


「急に起こしてしまってごめんね。ちょっとだけ、ついて来てくれるかな?」


「ぅえ…………?」


 訳が分からないまま、熟睡しているアミュアちゃんを横目に寝巻きから普段着に着替えた僕は、エリオラさんに連れられて西の方角、フリュー大森林の方へと向かう。


「どうしたんですか?」と聞いても何も答えないエリオラさんを怪訝に思いつつも、心から信頼している彼女を僕は疑うことなく、欠伸をしながら後をついて行った————

魔法印とか魔法式だとか、マジで頭が熱くなってくる。

あと、ソルフーレン編はもうすぐ終わります。

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