第15話 『モルフォンス・フーリック』
頬を風船のように膨らませながら「なんで私が……」と不機嫌な本音を漏らしているアミュアちゃんに対して「嫌ならホテルの宿泊費を全額払ってね」と脅すエリオラさん。
おそらく六千ルーレンどころではない脅しを食らった彼女は青い顔をしながら『がま口の財布』を鞄から取り出して、約九百ルーレンというまあまあの額を支払った。
会計を終えては「高すぎる……」と落ち込み呻くアミュアちゃんに対して僕が罪悪感に苛まれていると、先ほどの会計の内訳を苦笑するエリオラさんが見せてくれた。
朝食で九百って有り得ないくらい高いなと思っていたら、なんのなんの。会計の合計金額の『半分以上』がアミュアちゃんが食べていたものであり、それを会計表を見せられて確認した僕は「ははは……」とつい失笑してしまった。
「アミュアさん、ご馳走様っス」
「アミュアちゃん、ご馳走様」
「お、お前らなぁ…………っ!」
豪勢な朝食をアミュアちゃんの奢りで食べ終えた僕達は喫茶店を出て、路肩に停まっていた私営の馬車に乗り込む。
私営というだけあって昨日の都営馬車の客車とは丸っ切り違う豪奢な内装。都営のものは中々に硬質だったが今回の座席はホテルの椅子にも引けを取らない座り心地。
そんなフカフカの椅子に腰を埋めた僕はリップさんが御者に多額の運賃を払っているのを横目にし、眉尻を下げた。
「すみません、リップさん。僕の用なのに、目的地までの運賃を支払わせてしまって……。あとで立て替えるので」
「え? 全然スッよ! ウチ、そんなお金使わないんス。奢りです奢り。へへ。ウチのためにも気にしないでください。変に畏まられると居た堪れなくなっちゃうんで」
「そ、そうですか…………」
「マジで気にしないでください! 本当にアミュアさんと違って、こういう時にしかお金とか使わないんスから」
「は、はあ」
どんな理由があるのかは皆目見当が付かないのだが、ホテルを出た辺りからリップさんの表情や声の調子が一段と明るくなっているような気がする。
只の一声に張りがあるというか、一挙手一投足がハキハキしているというか。
昨日と比べて元気になった——っていう言い方は違う気がするけど、まるで初めて会った時の彼女のようで。
昨晩の『人見知り』のような彼女とは似ても似つかない様子だ。まさか、見ていない隙に『入れ替わった』のだろうか?
「あの」
「ん? なんスか?」
「リップさんってもしかして、姉や妹さんがいます?」
「へ? えっと、ウチには五つ上と三つ上の兄貴が二人いまスけど、姉妹はいないっスよ? 女はウチが一人っス」
「へぇー」
「え? なんっスか急に。それがどうかしたんスか?」
兄は居れども姉妹は居らず。となるとそっくりさんと行動を共にしていないということ。それじゃあ、昨日と今のリップさんの変化はどういう理由があってのことだ?
「んー………………」
「……え? ……えっ? な、なんなんスか……っ?」
唐突に僕が掛けた問いに対して不思議そうに首を傾げるリップさんを僕がまじまじと見つめていると、彼女は恥ずかしそうに頬を染めて大きなバックで顔を隠してしまった。
この恥ずかしがりな感じは、昨日の夜と同じなんだよなぁ。
そう顔を隠しながら足をモジモジさせるリップさんのことを僕が疑るように凝視していると、隣に腰掛けていたアミュアちゃんが「キッショ」と汚物を見る目で言ってきて。
僕は一線を引いているアミュアちゃんに、疑問を投げかける。
「ねえ、アミュアちゃん」
「は? 急になんの用?」
「リップさんさ、昨日の夜と違くない?」
「あぁー……そゆこと。リップには『家モード』と『外モード』があるのよ。で、今が外モード。家モードが素ね」
「へぇー。なるほどね。ありがと、助かったよ」
つまり昨日の晩のリップさん『無口で人見知りで恥ずかしがり屋な家モード』の状態だったというわけか。なるほど。だから昼と夜で別人のように違っていたんだな。
「…………気を抜くって、大事なことだと思います」
「ああ、その通り」
「ね」
しみじみという表情をしながら僕が言うとエリオラさんが頷いて、それに同調するようにアミュアちゃんも頷いた。
「は、恥ずいっス…………っ!」
生暖かい目を向けていた僕は再び顔を隠してしまったリップさんから視線を外して、乗っている客車の内装を見る。
西役場を目指す四人が乗り込んでいる『私営馬車』の内装は、都営のものと比べると格段に豪奢な作りをしていた。
車輪が飛び跳ねても尻が痛まないクッション性抜群の座面、全体重を預けた背中を沈み込めすぎない程度に優しく受け止めてくれる、やや高反発な背もたれ。車輪で跳ねた石が飛んできても割れないと確信できるくらいに分厚い窓硝子。
そんな内装を披露する客車には、ホテルを彷彿とさせる扉が付いていて、まるで『移動する部屋』のようであった。
都営の座面は硬くて沈まなかったし、馬車に乗り降りする場所を塞いでいたのは扉じゃなくて鉄のチェーンだった。
こう実際に感じてみて比較してみると、やはり悠々自適に乗るならな私営の方が良いと断言もとい思えてしまうな。
けど私営馬車は気を付けないとボッタくられるって、都営馬車で相乗りをしていたグリンデル老が言っていたし、そもそもこの馬車の運賃は五百ルーレンという破格。
僕がフリューへ向かうため乗ってきた、人を運ぶのに適していない荷馬車の運賃は片道で八十〜百ルーレンだったから私営の運賃はまあ高いとは思う。けど、ここがソルフーレン経済の中心である『フリュー』という点と私営という点、そして高級ホテルと見紛う客車の内装、それを鑑みればボッタくっているという気はしないような。
いやでも。五百ルーレンはめちゃくちゃ高いよなぁ……。
目を瞑っている僕は腕を組みながらそんなことを考えて、やはり足りてはいなかった睡眠欲を有意義に消費していく。揺れ動く馬車は道を進んでいき、かれこれ六時間ほどが経ちて『目的地』に到着したのか、馬車は路肩に停車した。
「おーい、西区役所に着いたぜぇ」
「ありがとうございました!」
「うぃー」
御者に礼を言い、僕は三人より先んじて馬車から降りる。そうして次なるアミュアちゃんに手を貸すと、彼女は「はーはっはっはぁ!」と高笑いし、姫様気分で嬉しそうだった。
フリューの西区にある、西区の行政が活動をするための拠点・要所である木造五階建ての大きな区役所。
区役所の建物前にある広大な敷地は余すことなく区民公園として開放活用されており、公園面積の三割ほどを占めている煉瓦の花壇には陽光を浴びて花開いている多種の花植物が七色の絨毯を敷き詰めていた。
地面に虹を咲かせている花々を愛でる親子連れがチラホラと。
そんな利用者の中には球技に勤しむ少年少女の集団も居て、それを朗らかに眺め歩いていると、デカデカと公園中央で生えている樹木に掛けられたブランコで遊んでいる子供達に『靴飛ばし勝負』を唐突に申し込まれてしまった。
エリオラさんは『受ければ良いじゃないか』というスタンスを取り、僕とリップさんは用があるからと断る気ではあったが、謎に乗り気だったアミュアちゃんのせいで開催されてしまった子供四人『対』僕とアミュアちゃんでの靴飛ばし勝負。僕は残念ながら最下位である『六位』だった。惨敗だった僕が履いていたのはブーツ型の靴だったので、そもそも靴飛ばしには向いていなかったと言い訳しておく。
一番は意外にも、飛ばしづらいのではと思えていた『ローヒール』を武器にしたアミュアちゃんで、彼女は他とは隔絶した大記録を叩き出しては『靴飛ばしの女王』という、あまり欲しいとは思えない称号を得る。履き物を飛ばした後、至極平気な様子で草むらを歩くアミュアちゃんを見て、意外と慣れてるなぁと僕は思った。
もしかしてだけど『やーい田舎者ぉー』と馬鹿にしていた彼女も『田舎生まれの田舎者』なのではないだろうか?
「アミュアちゃんって、田舎生まれなの?」
「はあっ? ちちっ、ちげーしっ!」
僕の質問に『ムッ!』とした彼女は僕の脛を強蹴するが、相変わらず蹴った本人が一番痛そうなリアクションを取る。
そんなこんなで「またね女王ー!」「練習しろよ下手茶髪ー!」と、尊敬の念を得られなかった僕にはキツイ言い方をしている子供達と手を振り別れて、二十分ほど時間を使ってしまった僕達は『いざ』という感じで西区役所へ行く。
昼の三時前である故、レジャーシートを広げて、サチおばさんが作っていたものよりも少しだけ凝っているお菓子を摘むアウトドアな人々が目立つ区役所公園を歩いていくと、徐々に区役所庁舎が大きくなり、そして近づいてくる。
ここに爺ちゃんの友達がいるんだよな。西区長のモルフォンス・フーリックさんって、一体どんな人なんだろう?
そんなことを考えて足を遅くしていた僕は「早く行け!」と苛立ったアミュアちゃんに急かされて、区役所の内見はせずにモルフォンスさんと会うことになった。
区役所が誇る回転式の出入り口をアミュアちゃんと共に「なんだこれ! 押すと回るよ!」「なんで回るのよ! 押し戸の方が分かりやすいでしょ!」と、田舎者丸出しな大きな声で喋り合いながら通って入口正面にある受付に行く。
そうして一礼をとった受付の女性に爺ちゃんから預かっていた『モルフォンス・フーリック宛て』の手紙を見せる。すると、
「モルフォンス区長からの確認が取れるまで少々お待ちください」と言われたので、その間に区役所の中を見る余裕ができた僕は、興味津々の視線で周囲を見回した。
西区役所は事務所と言うよりも『書庫』のような内装をしていた。壁一面が大型の本棚として機能していて、その棚には一切の隙間無く本が並べられているからだ。
故郷の自室で読んでいた『子供向けの絵本』とかではなく、本棚に仕舞われているのは少し難しそうな本ばかり。
僕とは違って大人だろうリップさんは、棚から一冊の分厚い本を取って楽しげに読んでいたけど、アミュアちゃんは僕同様に難しい本は全く読まないらしくて、目がチカチカするわ——という全く同じ感想をボソリと語ってくれた。
当たり前だが区役所には職員の方や、区役所に用があって足を運んできた人達が多くおり、働いている職員らしき人達は、彼方此方と忙しなく往来を繰り返している。
事務職員のお姉さん達は手を動かすのを止めて、エリオラさんを見ながら黄色い声を上げていて、女性を除いた男性職員の人達も、沢山の書類の束を抱えて通路を往来しながら、エリオラさんのことをチラチラ見ていた。彼等彼女等の視線を集中させる当のエリオラさんは特に気にした素振りも無く、涼しげな面持ちで読書をしている。
「アミュアちゃん」
「は? なによ」
「エリオラさんって、もしかしてだけど人気者なの?」
「はあ? 私の方が『人気者』だけどねっ!!」
ダメだこりゃ。僕としたことが聞くべき人を間違えてしまったよ。この子から真面な回答が来るわけないじゃない。
甚だしい反省を胸中に広げていた僕は「は? なんなの!?」と、プリプリと怒り出してしまった彼女から離れ、無言で本を読み続けていたリップさんの肩を突いた。
「リップさん」
「ん……? どうしました?」
「なんか、区役所の人達がエリオラさんを見て「キャーっ!」とか叫んでるんですけど、なんでなんですかね?」
「あー……。自分はよく分かんないんスけど、こういうのはよくありますね。多分っスけど『王子様』みたいな? ほら、エリオラ姐さんって『美人』っスからモテるんだと思いまス。目で追っちゃうんじゃないっスかね? 結構目立ちますしね」
「なるほど…………」
確かに、エリオラさんは超目立つ。凛とした貴公子のような彼女は、異性どころか同性からも気を引かれるようだ。
女性から見れば『星のように煌めく美面の貴公子』であり、男性からすれば『花のように美しい貴女』なのだろう。
女性職員の人達に手を振られるエリオラさんはニコッと柔和な笑みを浮かべては手を振り返し、するとやはり黄色い歓声が区役所内に響く。
僕自身、エリオラさんを『貴公子』みたいだなと思っていたけど、絵本とかに載っていたりする白馬に乗った『王子様』みたいな視点もあるんだな。
女性のエリオラさんには失礼かもだけど、言い得て妙というか、えらく納得してしまうんだよなぁ。そんなことを考えている僕が、じーっとエリオラさんを凝視していると、汚物を見るような目をしたアミュアちゃんが近づいてきた。
「なに考えてんの? キショキショキショ、キショっ!」
難しい本が読めないから暇で仕方なかったのだろうアミュアちゃん。彼女に同族感を得ていたというのに、いきなりやって来てなにを言うのかと思えば、誹謗とはな。
ああ、なるほどね。もしかして構って欲しいのかな?
「キショキショキショって、鳥の鳴き声かな?」
「殺すぞ、クソガキ…………!」
やっぱり、この子は構ってくれる人を探していたんだな。だって僕の意地悪な返しに目の奥がニンマリとしているし。
「ははは」
「ガアァ……あぐっ、ぐぐ、グゥゥゥゥ…………」
アミュアちゃんは昨日の『パンツ丸見えの失敗』もあってか、スカートを押さえたまま飛び掛かってはこなかった。
構ってもらい方は危なげあるけど、ちゃんと学習はしているようだ。子供が大人になるのは早いもんだなと感心している僕を見て、アミュアちゃんは怒った顔をする。
しかし、これまた彼女は学習をしたのか手痛いダメージが返ってくる脛蹴りをやめて、僕の腹部を拳で突いてきた。その『可愛いくらいに弱い攻撃』を受け止めながら「ははは」と笑って軽く遇らう僕を見て、リップさんは呟いた。
「ウチより馴染んでね…………?」と。
* * *
突っ掛かってくるアミュアちゃんのことを軽く遇らっていた僕のもとへと一人の女性職員がやって来て「モルフォンス区長の確認が取れました。どうぞこちらへ」と言った。
僕はその職員に案内されながら、一人で区長室へ向かう。エリオラさん達は「私たちに用はないからね」と言って、自由に本を閲覧できる区民ホールで待っていてくれている。
あの人達を長らく待たせるわけにはいかないし、なるべく早く戻らないと。
そう思いながら僕は女性職員の後ろに続く。何度も階段を登り、建物の階を上がっていく。そして役場の『五階』に到着。階段から移動して通路を進んだ。
「こちらが区長室です」
通路の行き当たりまで進んだ僕の目の前には分厚い大扉があり、その大扉を女性職員が『コンコン』とノックする。ふと扉の横を見ると、そこには『区長室』と書かれた大きな木札が掛けられていた。
少なからず感じている緊張で僕が身じろぎしていると、ノックから数瞬の間を置いて扉の向こう側から男性の「どうぞ」という声が聞こえてきた。
「失礼します、モルフォンス区長」
女性職員が扉を開けて、僕は区長室に入る。区長室の中央奥には大きな黒の執務机があり、執務机の奥にある壁には『一振りの剣を持った無面の人』が描かれた絵が飾ってある。執務机に向かうように置かれた黒の革張り椅子には、スーツを着た『ずんぐりむっくり』の男性が腰掛けていた。
もしかしなくとも、区長室を使用するこの人こそが——。
「どうも初めまして。私は『フリュー西区長』を誠心誠意務めているのモルフォンスです。あ、フルネームはモルフォンス・フーリックって言うよ。よろしくね、ソラ君」
「は、初めまして、モルフォンスさん。えっと。知っておられるみたいですけど、僕はソラ。ソラ・ヒュウルです」
「ふふ。うんうん。遠慮しないで。そこの椅子に座って」
「は、はい……っ!」
とうとう出会えた爺ちゃんの旧友『モルフォンス』さんに手指しで誘導された僕は、四角形の区長室の右手前の隅に設置されている『濃緑の応接椅子』へと慎重に腰掛けた。物理的に重たいだろう腰を上げて執務椅子から立ち上がったモルフォンスさんも、僕の対面の応接椅子に腰掛ける。
「ふぅー」と腰を据えたモルフォンスさんは、僕をじーっと見ていたかと思えば、急に目を合わせてニコッと笑った。そしてゆっくりとした口調で黙り込む僕に話を振ってきた。
「君が、フーシャちゃんの『息子』なんだね?」
「は、はい! 僕はフーシャ母さんの息子です……!」
「………………そうか」
緊張で肩を持ち上げている僕が発した、確かな返事を聞いたモルフォンスさんは徐に、意味深に眉尻を下に傾ける。
そして哀愁漂う『悲しげな表情』を浮かべたかと思えば、無言のまま眉尻と共に視線を下げて両目を瞑ってしまった。
言外に意味有り気と察せてしまう意味深な反応をするモルフォンスさんに、僕は訳が分からないままに首を傾げる。
「どうしたんですか……?」と聞こうとしたものの、彼は思考に耽っているのか椅子に座った格好で微動だにしない。
完全に動きを止めてしまったモルフォンスさんを見た僕はどうすれば良いのかが分からず、一緒に固まってしまう。
冷たい静寂が部屋を満たし、ただただ時間だけが無意味に過ぎ去っていく。僕は意を決して口を開こうとした。が。
先に動いたのは、思考を終えたモルフォンスさんだった。
「…………うん。ソラ君は、居なくなってしまったフーシャちゃんのことを探して『旅』を続けているんだよね?」
「は、はい! 僕は母さんを探すため旅に出たんです!」
その一助になってくれると爺ちゃんが言っていた。との返事を聞き、モルフォンスさんはうんうんと首を縦に振る。
「うん……。ソラ君には申し訳ないのだがね、私は直接君の力になれそうにない。いや、できるだけ力を貸してあげるつもりさ、私もフーシャちゃんの居場所は知らないから、とても心配している。フーシャちゃんの『祖父』としてね」
「あ、あぁ、そうです……か…………え? そ、祖父?」
母探しの旅の力にはなりたいが、区長という重要な役職がある手前で直接の助力はできそうにないとの発言の中に、絶対に無視できない言葉があった。僕は頭を真っ白にさせながら必死に奥歯まで持ってきた『それ』を咀嚼していく。が、結局どれだけ考えても先の発言の答えは導き出せず。
これは「どういうことですか?」と聞いて良いのかと拳を握りしめながら思った僕は、いや聞くべきだろう、これは。調べるべきだろう、それは。と意を決して顔を上げた。
「ど、どういうことですか? 母さんの『祖父』って……あの、それじゃあ、貴方は僕の曽祖父って……こと?」
「まあ良いじゃないか、そんな細かいことなんてさ。ふふふ、ちょっと『お爺ちゃん』って呼んでくれないかな?」
「お爺ちゃん…………!? え? 祖父……って、え?」
「ふふふ。いいねいいね。そうそう、私はお爺ちゃんさ」
マジでなんなんだ。動転する僕の『お爺ちゃん』発言に満更でもない顔で頷くのはモルフォンスさん。そんな彼に顔を引き攣らせてしまっていた僕は言外に察し、理解した。
この人はこれ以上、僕からの追求に応える気はないのだと——。
* * *
「あ、ありがとうございました……モルフォンスさん」
「ああ。またね、ソラ君。今度はモルフォンスお爺ちゃんが美味しいものを食べさせてあげる。楽しみにしててね」
「は、はい…………」
僕は汗を流しながらモルフォンスさんに別れの挨拶をし、そして区長室を出て登ってきたばかりである階段を降りる。 醸し出していた『不答』の雰囲気の通り、やはりといった感じで『フーシャの祖父』という爆弾でしかなかった発言に対してそこはかとなく追及していく僕に答えは吐かず、しかも答えのヒントすらも掴ませることがなかったモルフォンスさんは、ソルフーレンを北に進んだ先に存在している『ハザマの国』に行くための信書を認めてくれるそうだ。
フリュー西区長お墨付き信書があれば『入国料』などを支払わずに、ハザマの国との『国境』を越えられるらしい。
それが物凄く有り難いのは正直なところなのだけど、僕はそんなことよりも心の内で蟠っていることに意識が向く。
僕の胸に釣り針の返しの如く引っ掛かっている違和感の正体は、モルフォンスさんの言った『祖父』という言葉だ。
僕が「どういうこと?」かと聞こうとしても、彼は『さらり』と子供を遇らうように流してしまう。弁舌で『フリュー西区長』まで上り詰めた大人に僕が勝てるわけもなく。
いいように流されたまま、僕はトボトボと部屋を出てきてしまったというわけだ。少しだけ悔しさは感じるものの、意識を切り替えた僕は『違和感』を探るように思考に耽る。
なにか僕の知らないことを、僕が知らなくてはならない重要な何かを彼は隠している——そんな気がしてならない。
「うーん…………スゥー……うーーーん………………?」
「おいっ!」
「うわああああああああああああああああああああ!?」
まるで『世界そのものが大爆発』してしまったかのような甚だしい衝撃に見舞われた僕は盛大に腰を抜かす。そして「ななっ、ななな、何事!?」と口を縺れさせながら状況を確認するために勢いよく首を動かし、辺りを見回した。
多大に混乱する視界に入って来たのは転げた僕のことを見て「けたけた」と笑っているアミュアちゃんと、面白おかしそうに肩を震わせているエリオラさんとリップさんで。
え、あれっ。も、もしかしてここ……一階なのかっ!?
どうやら思考に耽っていたせいで周りが見えていなかったようだ。僕が尻餅をついてしまっている場所を見回すと、そこは区役所出入り口近くの受付前で。僕は気付かないまま、区役所を出る『一歩手前』までやって来ていたらしい。
「す、すいません。ボーッとしてたみたいで、気づかなくて…………!」
「どんくっさぁ。マジ、ウケるんですけど」
く、くっ……! 最悪だ。エリオラさんもリップさんも、区役所の職員の人達にも痴態を見られて笑われてしまった。
他の人達に笑われるのは百歩譲って良いとしても、アミュアちゃんに『馬鹿にされる』なんて不覚も良いところだ。
ガキンチョに笑われて悔しい顔をしながらも立ち上がった僕は切り替えだとばかりに両頬をパンっと叩いた。そして閃く。この状況を打開するための『秘策』というものを。
「…………え? え? な、なんスか……?」
「へ!? ウ、ウチのマネ!?」
「わ! 似てるじゃん!」
「え? あ、そ、そうかな……っ!」
叩いた頬を赤くする僕の渾身のモノマネを見たアミュアちゃんから、予想だにしていなかった『褒め言葉』を頂く。
この子に初めて褒められたような気がしなくもない。いや、事実初めてか。子供に褒められるのは素直に嬉しいな。
気を遣った感じの世辞的な言葉じゃなくて、素直に褒めてくれているような感じがして。普通に両手を挙げられる。
「お前、今失礼なこと考えたろ」
「へ? え? な、なんスカァ……?」
「っっ痛たぁっ!」
アミュアちゃんは汗を流しながら視線を右往左往させていた僕に『ムッ』とした顔をして、脛に蹴りを食らわせた。
相変わらず蹴った本人が一番痛そうなリアクションを取り、蹴られた当人である僕は痛くも痒くもないというノーリアクション。その蹴りが『不幸中の幸い』だったと言うべきか、アホアホなアミュアちゃんのリアクションのおかげで、場の笑いが僕からアミュアちゃんの方に移っていく。
僕のことを笑っていた周囲の的が、完全にアミュアちゃんに移ったことを確認した僕は、リアクションを笑われている彼女に(ありがとう)というアイコンタクトを送った。
足を蹴られてしまったものの加減してくれているのか全然痛くないし、笑われなくなったしで良いこと尽くめだな。
考え込んでいた僕が犯してしまった失態を横から掻っ攫っていってくれた彼女は、やっぱり優しい子なんだと思う。
意図せずに救われてしまった僕は心からの感謝を込めて、羞恥で顔を真っ赤にしているアミュアちゃんの頭を撫でた。
「はあっ!? キモ! キモキモ! やめろクソガキ!」
「ふふふ。それじゃあ、そろそろ出発しようか、みんな」
ニンマリをした笑みを浮かべながら頭を撫でて来ていた僕の手を振り払い「ウゥゥ……!」と獣のように警戒している彼女を無視したエリオラさんが、僕達に向けて言った。
ついに来たか。とうとう来てしまったのか。やるしか無くなってしまったのか。四足型魔獣の捜索をとやらを!!
僕は羞恥を誤魔化すためのものではなく、気合を入れ込むために両頬を『パンッ!』と先よりも力強く叩いて、心に巣食っている未知への恐怖に『負けるな』と喝を入れた。
この人達——アミュアちゃんを除く——には多大なるお世話になりっぱなしだ。だからこそできる限り、僕の精一杯をもって彼女達には恩返しをしていかなくてはならない。
「っし。頑張ります…………!」
「あはは。あんま気張らなくて良いっスよ〜。そうそう御目当てのやつは見つからないんでね、この国じゃ」
「ふふっ。でも、ソラ君には多分に頑張ってもらわなきゃ。見つけただけで三万。討伐したら『十万』だからね」
見つけたら三万。討伐したら十万……って、もしかして標的にしている魔獣を倒した時に発生する報酬がなのか?
冒険者がする仕事の報酬って、そんなに高額だったんだ。
どうりで、あんな一泊『六千ルーレン』もするホテルに、しかも六千以上するだろう大部屋を借りて泊まれるわけだ。
そりゃあそうか。冒険者がする仕事っていうと命懸けだろうし、こういう高額報酬が発生するのは当たり前だろう。
十万ルーレンってことは、ルーレン金貨十枚か。人生で一度も持ったことがない金額だな。どれくらい重いんだか。
「十万か〜〜〜……ふふっ、なにに使おうかしらぁ?」
「ん? なんだか浮き足立ってて嬉しそうだね」
「アミュアさんは守銭奴っスからね」
「へー。お金好きなんだね」
「え? い、いや、別にそういう訳じゃないけど…………」
「そうっスかぁ? 都合のいい時だけ子供のフリして、大道店で配ってるお菓子を進んでもらったりしてるのに?」
「黙れッッッ!?」
そういえば、アミュアちゃんって歳は幾つくらいなんだろう? 見た目通り『年相応』な感じはするけど。やっぱり九〜十一歳くらいなのかな? いやでも。さっきリップさんは『子供のフリをして〜』って言ってたし、僕が考えてる年齢よりも上? もしかして成人してたりして……?
そうは全く思えないのが正直な感想だけど……んー。女性に歳と体重は聞いたらダメだってカカさんにキツく言われてるんだけど、聞いてもいいのかなぁ。聞かなかったら眠れなくなりそうだし、この際だ。聞いちゃえ聞いちゃえ。
「ねえ、アミュアちゃんって幾つなの?」
「レディに歳を聞くな! 殺すぞクソガキッッ!!」
「今年で『二十五』っスネ〜〜〜。ウチらの中で最年長っスよ」
「ええっ!? ア、アア、アミュア……さん……!?」
「様と呼べ、様と!」
「はっ、ははは…………」
「痛たぁっ!」
九つも僕より年上なのか。何度も同じ過ちを——自分が痛がる脛を蹴り——繰り返しているというのに、これで僕よりも上ねぇ。
さすが『不老種族』と言われるだけはあるなぁ。
エルフってすごい。僕はそう再認識して、脛を抱えて蹲ってしまっている『年上の子供』に手を貸すのだった……。




