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蒼風のヘルモーズ  作者:
『ソルフーレン』編〈1〉

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第11話 ホテル・ルーレン

 ソルフーレンの政治経済の中枢である『風の都・フリュー』の形状は、大空を飛翔している鳥が上方から見さえすれば、至極整然としている六角形なのだそう。

 形状からすればまあまあ窮屈そうに見えなくもない首都に住んでいる人の数は、現状で『二十四万』人。それだけの数の人間がフリューという一箇所に丸々と収まりきっている現状の首都の街並みは、先述した莫大な人口を加味すれば至極当たり前だが、しかし既知であろうと瞠目を禁じ得ないほどに甚だしく広大だ。

 

 ソルフーレンの総人口が『四百万と少し』であることを鑑みれば、フリューには総人口の二十分の一ほどが収まっている計算となり、それだけでここが特別な場所だという認識を得ることができる。

 して、その莫大な人口を支える地理の広大さ故に単一行政での首都の運営は困難を極めたそうで、それで致し方なく首都を六つの区——

 

 『北東区、北西区、東区、西区、南東区、南西区』


 に分けて、それぞれの区画で別の行政が管理運営を行なっているのだと、都内移動用の馬車で相乗りをしていた初老のおじさんが懇切丁寧に教えてくれた。


 辺鄙としか言いようがない故郷の運営では考えもしない、例え考え付いたとしても実行しようとはならない甚だ巨大な都市運営に唖然としてしまうのも束の間、爺ちゃんの旧友であり、僕の探し人である『モルフォンス』さんはフリューの西区を取り仕切っている区長で、この情報を奥歯で磨り潰しながら加味すると、もしかしなくとも西区の長であるモルフォンスさんは、ドが付くくらいのド田舎である山村の村長でしかない爺ちゃんの旧友は、超を付けるに値する『すごい人』なのではないだろうか?

 

 こう考えてみると、なんだか僕が抱いている認識以上にメチャクチャすごいように思えてくるな。爺ちゃんの謎すぎる交友関係——延いては爺ちゃんその人のことが。

 そんなことを胸中で波紋させてしみじみとする僕は鼻歌を奏でるおじさんを横目に人知れず、故郷で粗茶を啜っているに違いない祖父への尊敬の念を強めるのだった。

 

 こんな風に暇な移動時間を潰す僕の現在地は、長々と内語りしたくせに大して進んでいないフリューの東区である。

 

 モルフォンスさんについての情報を教えてくれたエリオラさん達と別れた東門前広場の近くに停まっていた、午後の四時過ぎという日暮れの時間なのにも関わらず、帽子を目深に被って昼寝をしていた客待ち中の馬車に乗る御者に話しかけると、眠そうに目を開けた彼は、しかし起こされたことに怒りを見せることなく至極親切に、


「俺んとこは深夜に都を出ていく馬車だよ。んとな、あそこに停まってる客車を繋げてる馬車が東区を周るやつ。フリューを移動したいってなら、あれに乗るといい」

 

 詳しく聞きたいけど聞けなかった説明まで懇切丁寧に加えて教えてもらい、僕は急いでこの馬車に乗ったのである。

 

 今乗っているこのお世辞にも贅沢とは言えない、まあ質素と言えるだろう内装の客車を引いている馬車は、フリューに住まう民衆によって収められた『税金』が多分に投入されている『都営の公共交通機関』であるらしく、その多額の税金が投入されているおかげで、都内を走っている都営以外の交通機関——つまり『民営』の馬車の乗車賃と比較すると、非常に安価で乗車することができるのだそうだ。

 

 そんな話を聞かなくとも語ってくれる、僕と同様に暇を持て余している紳士のおじさんが続ける話し曰く、フリューに住んでいる、つまり税金を納めている住民には都営馬車の乗車無料券が毎月決まった枚数分だけ配られるそうで、それを使えば無料券というだけあって、都営馬車に回数制限はあるもののタダで乗れてしまえるらしい。


 そう『ほら、ワシって物知りだろう?』という感じで胸を張る、藍の燕尾服を着こなしているおじさんから聞いた僕は素直に『スゲー!』と感心した表情を浮かべた。


 馬車が引いている客車体に『都周運行』と書かれた札が掲げられているものが、そのまんまフリューの税資金が投入されて管理運営されている、フリューが取り決めているルートを時間通りに周回する都営馬車で、逆にその札を表に掲げていない馬車は等しく、乗客の要望通りに運行ルートを自由設定できる『私営馬車』なのだそうだ。

 

 都営の周回ルートから外れている場所に向かう場合、または目的地までの徒歩移動を好ましく思わない人、そして他の乗客との相席をせずに一人で悠々自適に首都を移動したいのならば、都営と比較して値段設定が『割高』である私営の馬車。都営の周回ルート上に目的地が存在している場合、または目的地までの徒歩移動が可能、そして相席をしてもいい人は窮屈ではあるものの『料金設定が著しく低い』都営の馬車。

 

 ただし私営の馬車には、内情に疎いと踏んだ観光客から『ボッタくる』という負の側面があ流のだそうで、だから乗るものは選べ——とのこと。そんな注意喚起を受けた僕は、今みたいに他の乗客と暇潰しに丁度な会話ができる相乗りでいいし、安い運賃で運んでくれる都営馬車以外に乗ることはないかもなと思った。


 六つの中型車輪が道路の窪みで跳ねると共に、それに合わせて数瞬上下する視界。しかしそれに視線の先を混乱させることなく車窓から見える景色をぼぉーっと眺めていた僕は、フリューの内なる特徴を知る。ここフリューは、何故の理由があるってそうなっているのかは存じないものの、表を出歩いている住民の大多数が『エルフ族』であることが、早々に過ぎ去っていく風景に映える人々の営みから見て取れた。


 エルフは産まれ育った土地、つまり故郷から進んで出たがらない。仮に故郷を出て他所に移住するとしても緑が多い森林付近、または緑地そのものを好む。という種族の習性があるとカカさんは言っていたんだけど、これを見るにそうでもないのかな? 

 

 いやでも、エルフ族のカカさんが言うんだから、それは正しいことだと思うけど。


 ソルフーレンはここから遥か西方に存在している南方大陸にある『エルムフット』という『エルフ族の国』と、何百年も友好的な関係を築いているとカカさんが言っていた覚えがある。エルフの習性を考えるに、今この国にいるエルフは友好国に住み始めた『エルフの子孫』的な感じなのだろうか? それならカカさん言っていたことと、今僕の目に映っているこの光景の『点と点』が繋がって、しっくりとくるな。


 たしかエルフ族って『長命種』と大衆に言われ、認められるくらい生物としての寿命が甚だしく長いんだよな。エルフ族は人族のものと比較すると長く、先が尖った耳をしていて、顔立ちが整っている。そして非常に若々しい。さっき見えた花屋の前で談笑しているエルフ族の少女達も、実年齢で見たら僕よりも上なのかもしれない。


 そう考えてみると、さっき東門前広場で喧嘩別れをしてしまった『アミュアちゃん』って今何歳くらいなんだろう? 

 …………まあ服装は大人顔負けくらい奇抜に着飾ってはいたけど、言動も行動も精神も子供っぽかった。というか、まんま子供そのものだったし、僕より年下だろう。


 うん、間違いない。という不毛でしかない思考を重ねること、かれこれ五時間半。


 首都に足を踏み入れた時は天上で燦々としていた太陽はすっかり鳴りを潜めていて、その代わりに日中は大人しくしていた月球が、陽失した空でこれでもかという光輝を放ち、闇が這いずっている首都を薄明るく照らしている。

 太陽が空に居座っていた時間は、まるで世の支配者であるかのように地方と比べて幅広な道を埋め尽くさんばかりの数多し人間が街中を闊歩していたというのに、それすらも肌寒さを感じる午後の九時頃には消失していて。


 停車して扉が開かれた客車。僕は若干だが白く染まっている息を浅く吐いて、そして少しだけ小高い位置にある身乗る車体から、荷物を手に持って飛び降りた。


「よっと! あ、荷物持ちますよ、グリンデルさん!」


「お、ありがとね。……っしょと。時間かかったねー!」


「ですねーー」 


「うしょと。荷物ありがとね。それじゃあね、ソラ君。話し相手になってくれて嬉しかったよ、本当にありがとね」


「いえ! 右も左もだった僕に色々と教えてくれて、本当にありがとございました! 本当にすごく助かりました! また、何処かで会いましょう、グリンデルさん!」


「ふぁは。嬉しいこと言ってくれるね。またね、ソラ君」


「はい、また」


 馬車が停まり、相席していたグリンデル老と別れた場所は首都の中央に広がっている『大中央公園』を目前にした、大門近辺ではあまり見なかった『高級商のテナント』が左右に視線を逸らす度に一店舗は映る、上流繁華街であった。なんでも先ほど別れたグリンデル老は、この辺りに整然と軒並み連ねている不動産の一部を握ってるのだそうだ。この話から察するに、彼はフリューの不動産王——全民を一箇所に集めても上位に君臨する大富豪だったのだろう。

 

 もしかしなくとも矮小僕氏の、とてつもなく凄い人と相席し、そして何の生産性もない会話を弾ませていた事実は、側からしてみれば物凄い損失だったのではないだろうか? まあ、僕は一端のビジネスマンではないし、ただの不労な浮浪者なわけだから、だからなんだという感じなのだが。

 

 そんなこんなでフリューの超凄い人と別れた僕は、特にもっとマシな話をすればよかったなどという後悔などなく、街灯に照らされてもなお薄暗い道路を真っ直ぐに見つめて、そして今のこの時間すら無駄にはできないと歩みはじめる。 

 五時間半もの長き移動を続けていた僕の現在地は、しかし未だ東区の中央寄りである。この地点は乗車していた東区周りの都営馬車の終着であったため、もっと先へと進み行くとするならば、近辺に停まっている馬車で乗り継ぎをしてくれよな——というのが馬車を操る御者の弁であった。  


 曰く、ここから中央公園まで馬車で五時間以上かかってしまうという。だから今日はここで宿を借りて休息を取る。そして休息を経て明日の朝になったら、適当に中央公園を観光がてらに散策しながら西区周りの都営馬車を探し出し、そのまま時間が許せば西区の役所へと向かうとしよう。

 

「中央公園か…………」なにか、美味しいものとかあるかな?


 節制はどうしたんだ、節制は。路銀の底が見えてるのによ。と、あまりの浪費癖に対する難色を皆から口々に突っ込まれそうなことに心を馳せさせてしまう僕は、しかし嬉々とした面持ちで全身を跳ねさて夜の首都を宿を探しに駆け回るのだった——。


 * * *


 なんのかんのとありながらも夜の高級繁華街に身を投じた僕は、昼時と同様に鳴き声を上げようとしている腹を摩りながら、一旦は夕食にしよう。と言い訳を考えているような顔で決め、これは仕方ないんだと、反省の色なく出店を探しを始めた。


「んー…………」


 東区中央寄りの上流にして高級な繁華街は、ウオウオウンマなどの言い方は頗る悪いが粗雑な料理を出していた飲食店が立ち並んでいた東区外寄りとは丸っ切り違っていて、そこらで見当たる露店のほとんどが、煌めく色とりどりの宝石をふんだんに使って製作されている指輪やネックレスなどの多種多様なアクセサリーを並べている装飾店や、おそらくソルフーレンにのみ自生している国樹『フーロ』の樹皮を鞣したものを素材にしているのだろう、民芸品の籠や笠などを取り扱っている民芸店、さらに出店者の手作りと思しき、やたらと奇抜な衣服や革製の鞄、革の長財布などの雑貨品を取り扱った雑貨店であり、歩いてからそう時間は経っていないものの、それらが住宅可能区から遠く離れた商業可能区の七割超を占めているように見受けられた。


 そのことから、今昼に封殺したはずだがいつの間にか復活している腹の虫が『ぐうぐう』と鳴いて求めている美味な夜食を誠心誠意調理中である飲食系露店を、三十分近くたった今でも見つけることが叶ってはおらず、腹の虫に体力と気力を蝕まれている僕は意気消沈気に俯いてしまった。


「………………はぁ、お腹すいたなぁ。…………ん?」

 

 ついつい腹の底から出た本音を外に漏らしていると、貴金属のアクセサリーを取り扱う露店で商品を見ていたドレス着た女性と、スーツ姿の男性の声が聞こえてきた。

  

 疎な人流の中で聞こえてきた男女の声に引き寄せられるように視線をその方へ向けると、やたらと露出肌面積が多い淫靡な服を着こなしている、非常に乳房が大きくて派手な化粧をした女性が、風貌的に父親でも兄弟でも、ましてや婚約者でもなさそうな、おじさんと言える年齢の男性に、


「これぇ、欲しいなぁ〜〜〜」


 と、やはり親類に聞かせるようなものではない、まるで氷を溶かそうとしているのではという熱が孕まれた扇状的な声調でおねだりをしており、そうして数千ルーレン以上する宝石が付いたイヤリングを強請られてしまった男性は、鼻の下が伸び伸びと垂れ下がっている下心丸出しの表情で、


「えぇん? コハハ、じゃぁ買っちゃおうっかな〜〜〜」

 

 と満更でもない様子を見せては分厚い財布を取り出し、慣れっこと言わんばかりにその状況に興味を示していない装飾店の店主が差し出している手に大金を握らせた。

 笑いが出てきそうな光景を遠目から見つめていた僕は、年越しの日に毎度行われる故郷での宴会で酔っ払った爺ちゃんが冒険自慢の中で言っていた、とある発言——。


 女を頭から食べようとしている男は既に足を喰い千切られてしまっていることに気付かない——というやつを、目前で繰り広げられた光景で言葉を思い出し、これがあの意味不明だった発言の意味なのか……と、しみじみに思った。


 とどつまり、気前が良いと思われたいのだろうおじさんは捕食者である女性から逃げられないし、女性に逃げられてしまったら追いつけないということだ。なるほど。

「ソラは近付くなよ〜〜」って、なに言ってんだと首を傾げている僕に対して執拗に釘を刺してきた、爺ちゃんたち村の男連中が言っていたことは正しかったのかもしれないな、あのカモにされてしまった男性の様子を見るに……さ。


 そんなことを深々と思った僕は、イヤリングを購入したというか、させられてしまった男性の背中に向けていた憐憫の視線を逸らし、僕の当初の目的である夜食を摂るための飲食系露店探しを再開。やっとのことで見つけられた揚げ物屋で、表面がパリパリとしている胡椒揚げパンを購入した僕は、揚げ立てでホクホクなそれを「ウマウマ!」と満悦そうに食べながら散見する通行人を避けて進み、高級繁華街から出た。

 

 揚げパンの次に欲に逆らえずに購入してしまった二つ目の夜食、これまた揚げ立てのコロッケを、口内を火傷しないように息をこまめに吐きながら満足いくまで頬張って居た僕は、現在地の東区中央寄りからさらに西の方角へ——首都の中央付近へと向かうように歩き進んでいき、今晩を休息で費やすための『宿屋』探しを始める。


「…………夜も更けた深夜帯なのに、人が多いなぁ」 


 現在の時刻は馬車が終着したのが午後九時を回ってしまった頃だったことと、夜食やら物珍しさを感じでの散策やら、諸々の時間的浪費を加味しても十一時が近いか、もしくはもう十一時を時計の短針が指しているだろう。しかし良い子が寝る時間は疾うに過ぎ去っているというのに子供の枠を外れた大人達は悠々と街中に溢れていた。


「……………………」


 広大なフリュー、その全体を余りなく覆い尽くしている茫漠たる夜の暗闇を、整然とした等間隔で設置されている街灯と、天空から無限に等しく延々と降り注がれている月の恩寵が跳ね除けている中で、日中と比べれば少し落ち着いているザワザワとした喧騒を奏でながら外を出歩いている無数の通行人を見た僕は、言葉が出てこない不思議な感覚に見舞われてしまい、ただ常よりも少しだけ目を見開きながら、しっかりとした足取りで通行人を越し、そして越されながら道を歩き進んでいく。


 齢十六の僕が知っている『夜』という時間は、出歩こうとも思えないほどに先見通せない闇が蔓延っているものだ。しかし今の僕の視界に広がっている夜の世界は、まるで夜なんて来ていないかのような、日中と変わりない風景で。

 なんとも言葉が出てこない衝撃を受けて、歩むのを忘れてしまったように道半ばで立ち尽くしていた僕は、唐突に肩を揺らして、思い出したように速足で歩き出した。


 これから『モルフォンスさん』がいる西役所を探さなきゃいけないんだけど、それよりもまず先に宿を探さないと。


 歩きながら振り返った僕は、高級繁華街の一際大きな建物の天辺にある、不要なほどに大きな時計を見て、現在の時刻が午後の『十一時半前』ということを確認した。

 して現在時刻を確固として意識してしまうと、もうこんな時間かぁ——という思いに沿って、ドッとした疲れが移動ばかりしていた体に重々しく伸し掛かってくる。

 

 夜が更けているし、足を上げたくないと思えているほどに太腿が重たくなっている。これは急いで宿を探し出して、ベッドの中で大人しく休まないといけなそうだ。

 

 そんな思いを胸中で広げながら東区中央寄りを歩き回り、節制をするための価格安な宿屋を探し続けた——のだが。 

 

 一件目、満室。二件目、満室。三件目、満室。

 四件、五件、六件、七件、八件——見つけて寄った全ての宿屋は満室。


 そりゃそうだ。ここはソルフーレンの政治経済の中心、つまりは観光地なんだもの。色んな町村や外国から人が来ているわけだし、夜が来たら宿屋に泊まるよな。 

 首都と言うだけあって宿数は多いけど、空室の存在はやはり皆無。僕と似たような境遇に見舞われている人が「そこをなんとか頼むよぉ!」


 と困り顔をしてしまっている宿屋の従業員に無茶を言っては追い出されるところを何度か見て、段々と『野宿』という可能性が現実味を帯びてきていることに、僕は冷や汗を流してしまうのを禁じ得なかった。


「野宿……野宿かぁ…………」

 

 別に野宿が嫌というわけではないが、ちょっとした『恐怖心』が心の内側にあることは到底無視できるような些事ではない。もしもの域は出ないものの、追い剥ぎにでも遭ってしまったならば、手持ちの路銀のほとんどや、最悪の場合『爺ちゃんのナイフ』まで盗られてしまう可能性が否めないわけで。今も寒さに耐えるように前を閉めて着ているコート含め、僕の所持品は爺ちゃんからもらった大切な物ばかりなのだ。


 間違っても所持品を盗られるわけにはいかない。だけど宿を探し始めてから一時間以上経って、時刻は十一時を過ぎて十二時を回り、疾うに日を越してしまっている。

 だから一刻も早く、安全な宿で背負っている荷を下ろして落ち着きたいんだけど。


「宿かぁ…………」


 一時間以上も東区を歩き探していたのは、額に玉の汗を掻いている現状を見れば事実だと分かってもらえるだろう。 しかし、実を言うと『一件だけ』まだ見に行っていない、おそらくだが宿泊可能だろう所がある。

 というか建物が高すぎて、大き過ぎて、高級繁華街から丸見えだったのだが。


 汗を袖で拭う僕の目前にある、おそらく宿屋だろう巨大な建物とは——。

 

 明らかに今まで見てきた建築物とは一線を画した『縦一直に伸び重ねられている造り』の、言葉で言い表すならば、人の手では決して届くことがない、遥か彼方の天空を瞬いている星々を掴もうとして積み上げられた、人工の展望塔。

 そう見た者が受け取れてしまえるくらいにどこまで天高く続き、威光を発するほどに聳える、まさに『超高巨城』で。

 巨大建築物からは威光に沿うような甚だしい高級感が辺りにまで漂ってきており、資格無き者は皆それに怯えて去ってしまうのではないかという、凄みを感じさせる。


 見上げると建物外壁には縦等間隔で大小様々な窓が設置されていて、そこから宿泊しているのだろう客が使用している煌々とした生活光が溢れ出てきてしまっていた。

 このことから、目前に聳える巨大建築物は最低でも『四十階以上の造り』をしていることが分かる。というか、こんな建物をどうやって職人は建てたというんだ……。


 おそらく都内で散見された街灯と同一物を使っての『ライトアップ』がされているおかげで、太陽無き夜だというのにハッキリと見て取れる看板には『ホテル・ルーレン』と、端的でありながら丁寧に、故に高級感を感じさせるように書かれていた。


 僕はそんなホテルを見上げながら、立ち止まって思考する。


 ここに泊まる……のか? いや、いやいや。節約しないといけないのに、これはちょっとな。絶対に数百ルーレンとかの端金で泊まれるような場所ではないと思うんだけど。でも、うーん。宿泊の料金くらいは、聞きに行ってみようかな……。本当に聞くだけね。もしかしたら僕が巡らせている想像よりも遥かに安い可能性があるわけだしさ。だから一縷の希望は持っていてもいいのではないだろうか?


「————うしっ!」


 と、暗闇と言って然るくらいに薄らとしか見えていない希望の光に縋るような思考をまとめた僕は、垂れてきていたリュックを勢いよく背負い直し、目前でこの上ない存在感を放っている『ホテル・ルーレン』へと歩いて向かった。


 そうしてホテルの前に到着して「行くか……!」と僕がホテルの出入り口の方へと進んでいくと、その出入り口たる扉の横で仁王立ちしていた『ドアマン』の男性が、三メートル近くあるだろう大きな硝子扉を引いて開けてくれた。

 

 まさかのドアマンの存在、そして登場にとてつもない嫌な予感が爆発しそうになったものの、僕は勇み足を止めることなく、冷や汗を掻きながら受付へと進んで行く。

 

 そしてホテルのエントランスホールに堂々と鎮座している、あまりにも豪奢な『グラムデオルガ』希少強剛石製の受付台の前に多量の汗を流している僕が立つと、台を挟んだ向こう側で丁寧すぎる辞儀を取った受付の女性はニコッと笑い、口を開いた。

 

「ようこそ、ホテル・ルーレンへ」

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