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ハルク  作者: はまだ語録
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第一回戦『最強』対『アマゾネス』

「あら、楽しそうなことしていますね」


 と、明るい声で現れたのは、南口の妹――琴梅だった。

 周りからザワザワと「琴梅ちゃんだ、カワイイ」などの好意的な声が上がる。

 重かった空気が弛緩し、再び教室が賑やかになった。

 琴梅はキョロキョロと周囲を見渡して「アレ?」と状況を悟ったように小首を傾げる。


「えっと、もしかして、うちの兄が迷惑をかけていますか……?」

「あー、えっと、琴梅ちゃん。実はね――」


 市川が代表して簡単な説明を行なった。


「なるほど……そうでしたか……」


 琴梅は妙に深刻そうに頷いて、


「……っ、わ、分かりました。私が兄を説得します。っ、ぷくくく」


 まるで笑い出しそうな顔で兄の『最強』を教室の隅っこへ連れて行く。

 そして、二言か三言話した後、琴梅は兄の背中をポンポンと叩きながら快活な笑い声を上げた。


「……何なんでしょうね。解説の元宮さん」

「さぁ? でも、やっぱり、南口の妹さんもカワイイなぁ」


 全然解説をする気のない元宮だったが、その意見には同意の声が多くあがった。

 琴梅はニコニコと笑顔で兄の手を引っ張りながら戻って来た。


「ハイ、終わりました。うっくくく」

「…………」

「こらぁ、兄さんっ。皆さんにちゃんと謝ってください!」

「……申し訳なかった。騒がせて」


 無表情で謝られても共恵には何が何だかさっぱりだが、どうやら兄妹で決着したらしい。


「オーケー。とりあえず、試合しましょう。南口くん」

「、ああ」


 南口はほんの一瞬だけ躊躇したように止まったが、目を閉じて共恵と手を組んだ。


「……よく分かんねぇけど、用意はいいか?」


 選手二人の顔を見ながら市川は言った。


「ええ」「……ああ」


 選手二人の短い同意が交わされ、試合開始の直前、観衆の一人が叫んだ。


「南口ぃ! 負けんなよぉ! お前に俺の一週間分のパン代がぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 釣られたように一気に応援がヒートアップした。


「共恵っ! ガンバんなぁぁぁ! あんたなら『最強』を超えられる!」

「『最強』! 『最強』! 『最強』!」

「『アマゾネス』! 『アマゾネス』! 『アマゾネス』!」


『謎の男』覆面マンが「パン代が? 何のことだ……」と、唸っているが、既にボルテージが上がりきった今、誰も相手しない。

 クラスメイトの誰かの用意した鳴り物がパフパフゥーと気の抜けた音を教室に響かせる。

 それに合わせるように市川が笑いながら宣言した。


構えよ(READY)そして闘え(FIGHT)!』


 共恵は勝利へ向けて一気に力を込めた。

 その瞬間、彼女の脳裏に浮かんだのは小学校の低学年――遥か昔の記憶だった。

 初めて整地ローラーを引いた時のことだった。正確には引こうとした時のことだ。

 校庭の隅にオブジェクトのように放置されていたそれを興味本位で動かそうとして、あまりに重くて、動かなくて、数人がかりでようやく少しだけ引けた。

 それと一緒だった。

 アタシは、本当に力を込めているの? と、共恵はそんな疑問さえ浮かんだ。

 間違いなく全力のはずなのに何故だろう。

 毎秒一センチの速さでゆっくりと後ろに倒される。

『最強』の顔色は一切窺えない。

 顔を伏し、呼吸を落とし、まるで潜水でもしているような様子だった。


 動かない。

 いや、動いている。


 後ろへ少しずつ。少しずつ。腕が倒される。


 敵わないと悟り、共恵は一瞬だけ力を緩めてしまった。

 普通の腕相撲ならそこで即決着だったはずだ。

 しかし、力を緩めたにも拘らず、倒れる速度に変化はない。

 ゆっくりと。じわじわと。

 慌てて少しでも押し返そうとするが、それも意味を成さない。

 そして、十秒も掛かっただろう。

 柔らかく手の甲が教卓を叩き、『アマゾネス』共恵は敗北した。

 その瞬間に共恵にも歓声が戻ってきた。


「――うおぉおぉぉっぉおぉぉぉっぉ! 決まったぁぁぁあぁぁぁっ!」

「――さい・きょう! さい・きょう! さい・きょう!」

「――志藤もよく頑張ったぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!」


 その体験は集中力のもたらした現象でしかないのだろう。

 おそらくは、ずっと盛り上がりっぱなしだったに違いない。だが、今の今まで共恵の耳には届いていなかった。

 そして、そこまで集中していた彼女の胸に生まれたのは――『敵わない』という絶対的な確信だった。

 どう足掻いても届くことはない『高み』を感じていた。


「…………」


 共恵が『天才』という厚く高い巨大な壁を実感し、呆然としていると――目の前で市川が『最強』にマイクを向けていた。


「うおおおっと! おめでとう、『最強』! 初戦を勝利で飾った感想は?」

「……いい勝負だった」


 南口はそれだけを答え、ペコリと一礼し、足早に教室から出て行った。

「兄さん待ってくださいよ」と、琴梅が兄の後を追った。

 共恵はそれを目で追っていたので、目撃することになった。


 琴梅と『女王』絵梨の目が合った。

 琴梅は悪戯の成功した子供のような笑みを含んだ視線で。

 絵梨は悔しそうなところを押し隠そうとして失敗した視線で。


 それが一瞬だけ絡んで――すぐに解けた。

 その意味を考える前に市川が現れ、共恵はそれ以上の思考を妨げられる。


「……惜しかったな、良い勝負だった。あんなにもつとは思わなかったぞ」

「そうね……」


 市川の言葉に『アマゾネス』はあいまいに頷いておく。

 手加減されたであろう事実は口にできなかった。


「……そういえば、ごめんね。アタシに賭けていたんでしょ?」


 共恵が謝ると、市川が驚いた様子で首を傾げる。


「はぁ? 俺が? どうして?」

「え、でも、トミーが」


 ちなみに、元宮みいだから愛称は三文字を抜き取って、トミーである。


「いやいや、俺は胴元ですぞ。どうしてそんな無駄なことをするんだよ」

「……まぁ、そうかも、だけど……」


 よく考えると、市川の言葉通りであった。馬主やジョッキーに馬券を買う権利を与えてしまっては、博打としての基本原則が守られるわけがない。

 八百長の横行を妨げるためにも彼は賭けに参加できない。

 つまり、元宮がちょっと発破をかけただけなのだろうが。


「大体よぉ。お前、本当に自分程度があの『最強』に勝てると思っていたのかよ。俺は昔言ったと思うけどな。お前はスポーツ向いていないってな」

「……でも、アタシに期待しているって……」

「バーカ。期待ってのは積極的に勝てって意味じゃねぇよ。頑張れってだけだよ」

「……そう……」


 共恵はニッコリと笑う。

 それは慈愛に満ちた笑顔だった。

 市川は自身の命運を即座に悟り、これまたニッコリと笑う。

 彼の額を冷や汗が伝った。

 そして、先ほど以上に鋭いブレーンバスターが炸裂し、観衆は一層の盛り上がりを見せた。


 それらのやり取りを横目で見ながら元宮みいはあきれた様にため息を吐いた。


「どうしてあんなに素直じゃないんだろ……」


 その手には五〇口分の外れた賭け券があった。

 その内一〇口分は元宮自身のであるが、残りの四〇口分は……。


「だから、教えてあげたのに……。こういうのをツンデレって言うのかしらね?」


 泡を吹いて倒れている市川と呼吸を整えながら拗ねたようにそっぽを向いている共恵を見ながら、元宮は苦笑するしかなかった。


     五


 そして、その後のちょっとしたお話。

 もういろんなことに慣れ切っているため、あっという間に復活した市川が提案する。


「ところで今回の罰ゲームについてだけど」

「ちょっと待ってよ! 何よ、罰ゲームって!?」


 焦って抗議する共恵を見ながら市川がニヤリと笑う。


「当然だろ? 遊びなんだから敗者にはペナルティがないとな」

「そんなこと聞いてないし!」


 という共恵にとっては当然の反論だったが、


「……俺は思ったんだよ……。今回は精鋭が揃っていた……でもそれはたまたまなんじゃないかって……。それがいつまでも続くのかって……。いつか中途半端な気持ちで参加する輩がでてくるんじゃないかって……。だからこそ、罰ゲームは必須だ、と俺はここに宣言したい!」


 市川はそう重々しく告げた。元宮みいが挙手して、共恵の擁護に走る。


「でもさ、いきなり罰ゲームってさすがに可哀相じゃない?」

「トミー……!」

「大丈夫よ、共恵……!」


 共恵の感謝という視線に熱く答える親友であった。

 そして、教室内は「そうだ、そうだ」という同意が大勢を支配していた。

 当然だろう。

 これが試合前ならまだ分かるが、試合が終わった後でやるのはフェアではない。

 ざわざわ……と口ずさみながら市川は更に訴えかける。


「そうかもしれない……だが……! 俺はここに提案する……! ハルクの敗者には罰ゲームが必須である……と!

 そして、第一回目の罰ゲームは……()()()()()()()()()()()()()……と!」

「賛成!」「賛成!」「罰ゲーム大賛成!」


 一瞬で皆の意見が翻った!

 あまりにも息の合った手のひら返しに、共恵は「え? ここ、平行世界? アタシ、違う世界線に飛ばされちゃったの?」と一瞬、現実逃避するほどだった。

 だが、彼女はすぐに我に返り、


「じゃなくて! どうしていきなり四面楚歌なのよ!」


 共恵の当然の叫びは、当然のように誰も聞いていなかった。

 親友の元宮でさえも敵になっている現実に共恵は訴えかける。


「さっきまでと言っていることが百八十度違うんだけど、どういうことよ。トミー!?」

「人は同時に二つのものを手にすることができないの……」

「無駄にカッコいい!」


 でも、意味分かんないという共恵の言葉に、元宮みいは魂を震わせ叫ぶ。


「同時にスッチーとナースは無理なのよ!」

「そんな意味だったのっ!?」


 話は決まったな、とマイペースに市川が提案する。


「ちなみにみんな、リクエストはあるか?」

「ナースが良い!」

「メイド以外は認めん!」

「デパガって素敵よね!」

「莫迦野郎共が! てめぇらなーんにも分かってねぇな! ……バニーガール一択だろ」


 みんなのリクエストに共恵は呆れたような笑顔で言った。


「そんな服があるわけ――ってどうして用意されているのよ!」


 今上がったものは全て揃っていた!

 というか、他にも様々な職種が揃っていた!

 共恵は笑顔のまま凍りついた表情だったが、


「あれ? しかも、どうしてサイズピッタリなのっ!? 意味分かんないんだけどっ! 情報漏えい! 今、東中で、大切な個人情報がダダ漏れしちゃっていますよっ!?」


 戦慄の表情へと早変わりしていた。

 そこでふとある事実に気づいた共恵は一人の男に助けを求めた。


「せんせ――じゃなくて、『謎の男』覆面マン! こんな横暴を許して良いんですか!」


 そこで皆がギクッとなった。

 市川なんかは露骨に「ばれた!」って顔をしていた。

 だが、


「クックック。罰ゲームか。懐かしいぜ……俺も昔はよくやった。絶対に負けられんな」


 一人で覆面マンは闘志を再燃させていた。


「役立たずぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!」


 共恵は泣きそうな声で悲鳴を上げるが、最後の頼みの綱扱いにはあまりにもあんまりな蜘蛛の糸はブッツリ切れてしまった。

 市川は見るからにホッと胸を撫で下ろし、共恵に「さぁ」と迫った。


「どれにする? それくらいは選ばせてやるよ」

「ア、アンタは何が好きなのよ?」と、共恵はとっさに訊いていた。

「巫女さんだな」

 市川が即答したので自然と共恵は「じゃあ、それにする」と選択した。


 そこで――みんなのニヤニヤとした視線で共恵はハッと我に返る。

 それは生暖かいというか、微笑ましいというか――そんな粘度の高い視線であった。


「ち、ちが……。べ、別にユウくんが好きだからじゃないからね!」


 耳まで真っ赤な親友を見ながら元宮みいはそのダブルミーニングに気づいていた。

 ユウくんが好きだから選んだ。

 それは市川のことが好きなのか、それとも市川が巫女服を好きだから選んだのか。


「どっちでも正解なんでしょうね」


 一人で元宮はどうでも良さそうに呟く。

 みんなの視線に耐えられなくなった共恵は「ううううう、着替えてくれば良いんでしょ!」と半ば自棄気味に教室を飛び出していた。

 しっかりと巫女服は胸に抱えた状態で。

 恥ずかしさで泣きそうになりながらも逃げようとしない。

 いくらでも言い逃れる方法はあったはずなのに、本当に真面目な娘であった。


 だが、これで敗者の罰ゲームは既定路線になった。

 出場選手も自分が負けることを考えていないのか――『達人』鈴木だけが「え、マジで!?」と顔色を変えていたが、誰もが無視した――特に異論は出なかった。

 これでより面白くなる、というのが元宮の正直な感想だった。


 どうすれば同性で結婚可能に法改正できるのかしらと半ば本気で考えながら、親友の着替えを手伝いに元宮も教室を後にした。

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