コミュニティツリーVSクリスマスツリー
疲れた。
今日はバイトだったが、クリスマス時期で食事に来るものも多い。スーパーに行くと、卵や食パン、レタスなどが余って半額になっていたが、この時期はご馳走を食べる家庭も多いのだろう。私がバイトするイタリアンは、街の片隅にある隠れ家的なお店だった。
時給もよく、接客やマナーも店長に丁寧に教えて貰えるが、一つ問題があった。
店長はスピリチュアルが大好きで仕事が始まる前に神棚の前で朝礼、神様への祈りの挨拶もしていた。
それ自体は別に問題はないが、他のバイトも全員参加になってしまった。私は一応キリスト教系の大学に通うクリスチャンなので抵抗があったが、神棚は宗教というよりお呪い&スピリチュアル的雰囲気で強制参加になってしまった。
思えば子供のころから神社参拝も日本文化だからと強制参加する事が多かった。日本人は宗教に寛容というのは微妙だ。そもそも日本では宗教自体の定義も明確になく、文化と溶け合っているので、複雑だ。イベントなどの文化としての宗教は寛容だが、少人数で集まり祈りを捧げる事などの宗教行為についは、偏見も多いと感じる。
そんな憂鬱の事を考えながらクリスマス時期に街を歩く。バイト先の近くもイルミネーションで飾られ、大きなクリスマスツリーも飾っていある。
いや、最近はクリスマスツリーと言っていけないらしい。クリスチャン以外の人に配慮し、コミュニティツリーとも言う。特に色々な人種・宗教の人が集まるアメリカではそういう傾向にあるという。
コミュニティツリーという配慮があるなら、バイト先の神棚への祈りも断ってもいいのか?
綺麗に輝いているツリーを見ながら、少し勇気が出てきた。
翌日、店長に思い切って神棚への祈りはクリスチャンなので参加出来ないと話した。もちろん、そう言った祈りも尊重するし、こちらの信仰を押し付ける事は無いと言葉を選びがら、説明した。
「そっか。そういう事情ならしゃーない」
「え? 店長いいんですか?」
「まあ、日本は憲法で信仰の自由もあるしなー」
呆気なかった。肩の力が抜けて、安堵のため息が出そうだった。
「まあ、クリスマスはうちもお客さんいっぱい来るからね。その点はキリストさんに感謝だよ」
日本人らしく神様の一人として「キリストさん」なんていう店長には苦笑してしまうが、ツリーもクリスマスツリーと呼んでも特に問題ないという。
やはり日本人は宗教に寛容でホッとした。クリスマス時期だからと思うが、人の優しさが身に染みる。
「じゃあ、今日もお客様に最高のおもてなしをしなしょう!」
今日も店長の言葉とともにバイトを頑張ろう。
お客様にはこの店で最高の時間を過ごして欲しい。コミュニティツリーでもクリスマスツリーツリーでもどっちでもいい。今はその目的さえ達成できればいいのだ。
そう思いながら、バイトの時間はあっという間に過ぎていった。