読書好きのブックサンタ
家の本棚は小さすぎる。入りきらない本は床に塔のように本が積み上げられていた。部屋にある本の種類は様々でビジネス書、図鑑、ライトノベル、少女小説も多い。一番多いのは、翻訳ものの海外文学だろうか。
この部屋の持ち主・奏子は本が大好きだ。最近は電子書籍にも移行していたが、紙の本も好きだった。今は一人暮らし中の大学生だがバイト代のほとんどは本に消えていく日々だ。
もうすぐクリスマス。
クリスマスだからというわけではないが、奏子は本棚から聖書を引き抜き、イエス・キリストが生まれたシーンなども読む。
聖書は読みにくい書物だ。共同訳は比較的読みやすいが、新改訳は翻訳小説のような回りくどい長めの文で、読みやすさがない。おそらく訳している人は原本に忠実にする事を一番にしているのだろう。
ちなみに聖書のヨハネの黙示録では、聖書に付け足したり、減らす行為をしたら、災いがあると書かれてあった。こんな事が書かれている本の翻訳だ。翻訳家の苦労を察してしまう。
この新改訳の聖書は、高校の同級生にクリスチャンがいて一冊プレゼントされた。元々本が好きだった奏子は数日で読破。同級生に「こんなすぐ読破できるなんてすごい」と褒められ、調子に乗り、今はクリスチャンになってしまったという。元来、奏子はおだてられるのに弱く調子に乗りやすいタイプだったのだ。
そんな奏子だが、子供の頃は貧乏で、本など読める環境ではなかった。
図書館に行く知恵や手段も思いつかなかったが、隣の家に住む大学生のお姉さんがよく本を貸してくれた。
子供だからとバカにせず、ちょっと難しい翻訳小説や明治大正の文豪の本も貸してくれる事があった。
難しい本だけでなく、少女漫画のノベライズやライトノベルも貸してくれる事もあり、すっかり本の世界に夢中になった。
あのお姉さんがいなかったら本も好きになれなかっただろう。巡り巡って聖書も読み、クリスチャンになっているのも、見えざる神様の手みたいなものを感じてしまい、ちょっと怖いが。
そしてクリスマス直前にちょうどバイト代が入り、ウキウキしながら書店に向かった。
そういえば好きな作家がSNSでブックサンタをしてきたと投稿していた事を思い出す。ブックサンタとは書店で本を選び買うことで、大変な状況にある子供達に寄付できる取り組みらしい。
本心としては聖書も送りたいが、まずは本が好きになるのが一番。実体験からでもそう思う。
奏子は児童書のコーナーに向かい、笑顔で本を選んでいた。
何がきっかけで本が好きになるかはわからないものだ。
少しでもその種を蒔く人になれるよう。
そう祈りながら本を選んでいた。