家族とドーナツ
寝過ごした。
はっと目覚めた時にはもう遅い。バスは終点の知らない場所にいた。
「どうすっかな」
佐藤豊は、とりあえずバス料金を精算して降りる。全く知らない穂麦市という場所に来てしまったよう。駅前は商業施設で賑わっている。クリスマスに近いせいかツリーやライトなどで賑やかだ。
豊は普段田舎に住んでいる。ひょんな事から田中誠という男と暮らしていた。誠は同僚でもある。
別に今問題になっているLGBTとかではない。豊はアラフォー男だが、事件に巻き込まれたりしてズルズルと誠と暮らしているのが現状だった。誠も同世代。気楽で気ままな生活でもあったが、二人とも仕事は別に給料も高くはなく、慎ましく暮らしている。
最近は近所でも友達もできた。同じく同世代の聡、聡の妹のアリスとも親友のように仲良くなった。アリスはまだ学生だがユニークな子でなかなか面白い。
そんな事を考えながら、穂麦市をぷらぷら歩く。バスに乗り過ごしたとはいえ、初めて来る土地を散歩するのは楽しい。クリスマス時期の街を歩にも心が浮き立つものだ。
「うん? 何か良い香り?」
歩いていたら、小さなパン屋をみつけた。福音ベーカリーというパン屋らしい。店のドアにはリースが飾られている。メルヘンで女性向けの雰囲気のパン屋だったが、この香りに負けた。
アラフォー男には少々恥ずかしいが、豊はこの店に入ってみた。そんな豊はデブ、いや、ふくよかな体型で食べる事に目がなかったのだ。
店に中に入ると甘いメープルシロップのような香りがする。それだけでもお腹いっぱになりそうだ。店内にもリースやツリーがあり、昔の外国文学のクリスマスを思い出す。壁には聖書の言葉も英語で描かれている。余計に外国のクリスマスのようなイメージが浮かぶ。
中央の大きなテーブルには美味しそうなパンが並ぶ。シュトレン、パネトーネ、パンドーロなどのクリスマス時期のパンは可愛くラッピングされていた。やはり女性向けのパン屋である事は間違いなさそうだ。今は他に客はいないが、適当に何か買って帰るか。
「お客様」
そこに店員に話しかけられた。トング とトレーを渡されたが、この店員がイケメンでドギマギしてくる。ハーフか外国人かもしれない。現実味にないイケメンだったが、なぜか色気は全くない。白いコックコート着ていたが、胸元に「天野蒼」と刺繍がされている。たぶんイケメンくんの名前なのだろう。
「何がおススメですか?」
ちょっと緊張しながら聴き。
「このドーナツ! おススメです!」
キラキラの笑顔でおススメされたら、断る理由もない。豊はドーナツを見てみる。
アイソシングされていて雪だるま、ツリー、リースなどクリスマスデザインがされている。特にリースに見立てたドーナツは、星やハートのチョコレートがデコレーションされ、可愛い。男でも素直にそう思う。
「どうです? ご家族と一緒に」
イケメンくんにはそんな事も言われてしまう。頭に中ではアリス、それに誠の顔も浮かんでしまう。
単なる友達だったはずなのに。いつの間にか彼らを家族と思っていたらしい。こんな風にドーナツをお土産にするなんて、幸せな家庭のパパみたいだ。
豊の血のつながった家族は、もういないようなものだ。特に実の母親には苦労させられた。
そう思うと、彼らを新しい家族と思っていいのかもしれない。今までの人生は不幸続きだったが、新しい家族がいると思うと胸が満たされる。今は不幸じゃないと断言できる。
豊はトレーにいっぱいのドーナツを載せて購入した。
「ありがとうございます。そしてメリークリスマス」
イケメンくんには、笑顔でクリスマスのお祝いも言葉にして貰う。ちょっと恥ずかしいが嬉しかった。
さあ、早く帰ろう。このドーナツを持って家へ帰ろう。
彼らの顔を思うかべるだけで、豊は幸せだった。もう過去の不幸はどうでもいい。今年のクリスマスは、温かいものになると信じていた。