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思い出のジンジャーブレッドクッキー

 アズサは田舎でヤンキーをやっていた。令和の今ではヤンキーも減っているようだが、田舎はまだまだ田舎だった。


 髪を金髪に染め、悪い連中とつるみ、タバコを吸い、飲酒もしていた。アズサはまだ十八歳なので、タバコと飲酒は法律違反だったが、彼女の周囲で止めるものは誰もいない。


 そんなアズサだが、ヤンキーになるのも自然な流れだった。元々母がキャバ嬢で、ネグレクト状態だった。三つ年上の姉もいたが、血の繋がりはよく分からなかった。アズサ自身も父親が誰かわからない。まず姉がヤンキー化し、家に悪い連中がたむろすりようになり、アズサも自然の流れでヤンキーになった。なお、母親は精神病院に入退院を繰り返しており、相変わらず育児放棄をされていた。高校はもちろん、中学もろくに通って居ない。


 そんなアズサだったが、ヤンキー連中の中でトラブルがあり、居心地が悪かった。なんとなくヤンキー達と会うのは気が引け、駅の周辺に逃げていた。


 田舎とはいえ、駅前はそこそこ栄えていた。コンビニの前でうんこ座りをし、タバコをふかす。


 そう言えば今日はクリスマスだった。コンビニも前ではバイトの青年がクリスマスケーキを売っており、居心地が悪い。確かこのコンビニはブラックで有名だった。クリスマスケーキを売る青年の顔もどことなく暗い。


「けっ!」


 なんとなく居心地が悪くなり、アズサはその場を後にした。再び駅の方に行くと、変な街宣カーも出て居た。同ほわらキリスト教の団体が何か訴えているようで「キリスト以外に救いはない」とか「神と和解せよ」と叫んでいた。


 すっかり忘れていたがクリスマスは、イエス・キリストの誕生日だった。実際は聖書にはイエス・キリストの具体的な誕生日の日付は書かれていないそうだが。


 何でアズサがこんな事を知っているかといえば、子供の頃、教会に通っていたからだ。別にクリスチャンではない。近所の教会の牧師夫婦がアズサの家の現実に心を痛め、色々と支援をしてくれた。食べ物はもちろん、勉強や挨拶の仕方なんかも教えてもらえた。教会に通っているお姉さんやお兄さんも優しく、アズサの人生の中では珍しく穏やかな時間だった。悪い思い出は全くなかった。


 特にクリスマスの日には、教会からジンジャーブレッドクッキーを貰った事をよく覚えていた。


 教会に通う子供達に配られたクッキーで、甘さ控えめで生姜の味が効いていた。人型のクッキーで素朴な顔がアイシングされていたっけ。確か牧師はジンジャーブレッドクッキーは、生姜がいっぱい入っているから身体が温まって良いぞなんて言っていたっけ。


 ただ、母や姉は教会に通うのを嫌がり、いつの間にか行かなくてなってしまった。元々日本人は宗教に警戒心も強い。近所の教会は伝統的なプロテスタント教会だったが、母も姉も「カルトだよ、やばい」と怖がり、行かなくなった。今でも近所の教会の前を通る事はある。今思えばカルトには見えないが、当時のアズサは子供だった。大人の意見の方が正しい気がしていた。


 そんな事を思うと、急に教会に行きたい気分だ。別にイエス・キリストの誕生日を祝いたいとかいう動機ではない。子供の頃の穏やかな時間を思い出し、ちょっと泣きたいような気分ふだった。それにあのジンジャーブレッドクッキー。素朴な味だった。普段はコンビニやファミレスばかり行っていたアズサは、あの素朴な味が急に懐かしくなってしまっていた。


「今日ぐらいは、別に教会行ってもいいか」


 駅前にいる街宣カーの主張は、ちょっと怖いが、あの教会では勧誘や洗脳もしてこなかった。牧師夫人によれば勝手に人は来るので、わざわざ強引な勧誘なんてしないと言っていたっけ。


 こうして近所の教会に足を進めた。夜で寒さに震えそうになるが、住宅街にある教会は、ほんのりと灯りがついていた。一見民家のような教会だった。派手なものは何も置いていない事を思い出す。礼拝堂も学校の教室みたかった事を思い出す。ピアノやギター、イスラエルの地図や聖書の言葉が書かれたポスターを除けば、学校の教室と大差なかった事を思い出す。


「あら、アズサちゃんじゃないの!」


 教会の前でまごまごしていたら、牧師夫人に話しかけられた。子供の頃と比べれば老けていたが、快活で明るそうな雰囲気は相変わらずだった。元気なおばちゃんと言いたくなる感じ。


「久しぶりじゃない。さ、入って。これがイブ礼拝の蝋燭ね」

「ろ、蝋燭?」

「イブ礼拝は特別に皆んなで蝋燭灯すのよ」


 牧師夫人に勢いに負け、蝋燭を持ちながら、礼拝堂に入った。もうすでに人はいっぱいで、アズサは端の方の席についた。


 礼拝堂の中は暖房が効き、心地よかった。赤ちゃんを連れた若い夫婦も来て居て、泣き声も聞こえてくるが、周りの人が全員であやしていた。何だか優しい空間で、アズサは居心地が悪い。場違いのところに来てしまったか。でも、なぜか帰る発想はなく、子供時代のことも思い出していた。


 蝋燭に火が灯され、イブ礼拝が始まった。礼拝堂は薄暗くなり、蝋燭の明るい灯りだけが目立つ。手元は蝋燭のおかげで、少し熱い。


 礼拝は讃美歌を歌ったり、イエス・キリストの生まれた経緯のビデオを見たりした。神様のはずだが、粗末な場所で生まれて居た。底辺の生まれといって良いだろう。何だか意外だった。


 こうして最後に讃美歌を歌い、イブ礼拝は終わった。最後に牧師と牧師夫人からジンジャーブレッドクッキーを貰った。素朴な表情のジンジャーブレッドクッキーで、再び泣きたいような気分だ。


「アズサちゃん、いつでも教会に帰ってきて良いのよ」

「そうだよ。神様は疲れた人、重荷を負っている人は誰でも来て休んでいいっておっしゃってるぞ」


 牧師夫婦にそんな事も言われてしまい、アズサの目元は潤んでいた。ヤンキーになって捻くれていたが、この瞬間だけは素直な気持ちになっていた。


「ありがとう」


 素直に礼まで言っている。何だかクリスマスだけは、不思議と捻くれた心も真っ直ぐになっていたようだ。


 また、この教会に遊びに来ても良いかもしれない。想像以上に疲れたいたのかもしれない。ここに居れば、穏やかに休めそうな気がしていた。


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