聖夜の願い
我が家のクリスマスは、特殊だ。父親がキリスト教の牧師をやっている為、十二月二十四日の夜は、家族みんなでイブ礼拝に行き、祈りを捧げる。
その後、家に帰ると父から聖書の話を聞き、讃美歌を歌って就寝。子供の頃からサンタもトナカイもいないクリスマスだった。最近は宗教二世の問題もあるが、我が家はその点はフリー。兄は女の子と遊んでるみたいだが、何も言われていない。
私は逆に昔から歴史や文学に興味があったので、聖書の世界は馴染みやすい。海外の文学を読むと聖書を知っておいた方が楽しいものが多い。そんな私が両親と一緒にクリスマスを迎えるのが好きだったわけだが、今年はそれどころじゃない。
高校受験を控え、クリスマスイブも机に齧りついていた。
「鈴ちゃん、イブの夜ぐらいは一緒にパパの聖書の話し聞かない?」
母に誘われてた。正直勉強したい気持ちのが勝ってしまったが、心惹かれる。別に両親のようにクリスチャンというわけではないが、聖書の話自体は嫌いじゃない。
という事でリビングに集まり、父の話を聞く。ちなみに兄は彼女とどこかに出掛けていたので、家族三人だけ。
母が用意したシナモンやスパイスたっぷりのチャイを飲みながら、父が聖書を開く。今日は「願い」についての話だった。聖書には神様から「何でも願い求めなさい」という言葉もある。しつこいぐらい門を叩き、祈り求める人が願いが届くという話。
その話だけ聞けばいい言葉だと思うが、父も母もご利益宗教はやめようとよく言っているのだが。
「だったらパパ。第一希望の学校に合格したいってご利益目的の願いってアリなの? あと宝くじ当てたいとか、いい家に住みたいとか」
首を傾げて言うと、二人とも目を合わせてニヤニヤすている。何か企んでいる顔だが、そう祈ってもいいらしい。
「え、いいの?」
「まあ、未信者の鈴より私が代わりに祈ろうか」
父が代わりに受験に成功しますように祈ってくれた。イエス・キリストに直接祈って言葉にしていたが、本当にいいの? やっぱりご利益を祈るのは違和感はあるのだが。
「大丈夫。神様の御心のままになるわ」
母は何故か自信満々だった。
聖なる夜はこうして更けていったのだが、年が明け、一緒に塾に通っている友達がめきめきと模試の順位を上げ、このままではいけないとやる気スイッチが入る。
その上、偶然使いやすい参考書を見つけたり、塾の先生の教え方も厳しくなったり、自力で勉強せざるおえない状況に追い込まれていた。
模試の成績も上がると、どんどん勉強も楽しくなり、受験前はハイになってくるほどだった。
結局、当初の第一志望より偏差値の高い高校の合格がでた。いわゆる難関高で塾の取材も受ける事になってしまった。
取材を受けながら、クリスマスの夜に願い事をした事を思い出す。
まさかあの祈りが聞こえたとか?
そんな気がする。合格した高校はキリスト教系のところで、父の母校でもあった。
何だか見えない手に導かれているようで怖くなってきた。
確かにご利益目的の祈りだったが、結局自力で努力する羽目になったのは、神様のおかげなのか。
わからないが、取材では神社やお呪いなどには頼らず、努力せざるおえない状況に整えられていったと語った。
両親はこの結果に大喜びで、讃美歌まで歌っている始末だった。
神様に祈りを聞かれたかはわからないが、悪い結果ではないだろう。
まあ、来年のクリスマスはこんな祈りはやめておこう。想像以上に受験勉強は大変だったので今年は少しのんびりしたい。
今年のクリスマスは家族の平安や世界の平和を祈ろう。それに神様にもお礼も祈ろう。祈りが聞かれたかは不明だが、毎年の楽しいクリスマスを過ごせる。それについては間違いなく神様のおかげだ。