パネトーネの誘い
パネトーネが好きだった。クリスマス時期になると売られているケーキだ。見た目はカップケーキだった。初めて食べた時は、普通のカップケーキのようのしっとりバター系の味だと思ったが、ふわっと軽い口当たり。ドライフルーツは濃厚だったが、生地はふわふわ。あっという間に食べてしまった。
以来、瑛美の好物はパネトーネ。本番イタリアでは一年中売られているようだが、日本ではクリスマス時期にならないと入手しづらい。年一回の好物になってしまったが、それはそれで楽しみだった。
ただ、クリスマス自体は全く興味がない。むしろ嫌いだ。
瑛美が通っている大学は陽キャが多く、「ケッ!」と思ってしまう。瑛美はどちらかといえば引きこもり体質のインドア派だった。休みの日は漫画とゲーム三昧。推しの漫画家の作品を読んでいるだけで幸せ。だからリアルな陽キャも苦手。クリスマスも苦手だ。特にパーテーなどをするクリスマスなんて。パネトーネを部屋で一人で食べるのが一番だ。推しの漫画家のアニメ化作品を見ながらだったら、もっと最高だ
「ところでクリスマスってどんな日だっけ?」
ふと、瑛美はそんな事が気になった。陽キャがパーリーなどをする日だと思い込んでいたが、宗教行事の日だった。キリスト教の神イエス・キリストがこの世に生まれた事を祝う日らしい。
だとしたら陽キャってクリスマスを何だと思っているのか? その数日後には神社に行くくせにクリスマスは、遊ぶっておかしくない?
そう思った瑛美は、さらにクリスマスを調べる。Googleで検索すると簡単にそんな情報が出てきた。元々クリスマスはミトラ教のお祭りだったが、キリスト教が発展するにつれて、ミトラ教の風習と混じりあい、12月25日がイエス・キリストの誕生日になったらしい。聖書ではイエス・キリストの誕生日ははっきりと明記されていないという。
イエス・キリストは飼い葉桶という粗末な場所で生まれた。冬にそこで出産するのは、不可能なんじゃないかという試算も出ていた。本当のイエス・キリストの誕生日は9月11日という予想も書かれているサイトがあった。キリスト教とも関わりが深いユダヤ教のお祭りの時期なども加味すると、9月11日がイエス・キリストの誕生日というのも有力な説らしかった。
また陰謀論系の動画を見ると、ミトラ教の神は悪魔で、クリスマスを祝う事は悪魔崇拝になると言う。
元々クリスマスに苦手意識があった瑛美は夢中でこの情報を調べる。教会に行かないクリスチャンは「野良クリスチャン」とも言われているそうだが、クリスマスを祝う事に疑問を感じているものも多くいた。瑛美は無宗教だったが、こんな情報を見ると、すっかりクリスマスのアンチ化した。
「っていう事なのよ。クリスマスは悪魔の誕生日で、これを祝うと悪魔崇拝になるんだって」
瑛美はドヤ顔でこの情報を語る。
ここは大学のカフェティリア。いわゆる学生食堂だ。数百円で定食が楽しめ、瑛美は豚の生姜焼き定食を食べていた。そんな瑛美と一緒に友達の初美も同じものを食べていた。
初美は瑛美の友達だった。大学でとる授業が被り、なんとなく一緒にカフェティリアに行くようになり、仲良くなっていた。それに初美もメガネで黒髪で同じ陰キャの匂いがする。このクリスマスの裏話をすれば、共感してくれるだろうと思っていたが。
「それ、陰謀論だよ……。というかミトラ教の文化をカトリックが都合よくパクった経緯があるのは事実だけど、そもそもカトリックが生まれた経緯は、綺麗なもんでもなくて」
その予想は外れ、初美はため息をついていた。予想と違う反応に瑛美の目も丸くなる。
「実は私はクリスチャンなの。牧師の娘でね」
「えー?」
「いっとくけどこの手の話だったら、私の方が詳しいよ。ど?」
そんな事初めてきいた。そういえば瑛美は食前にぶつぶつ何か言っていたが、食前のお祈りだったか。本人は「推しに感謝して食事してる」と言っていたが。
ドヤ顔でクリスマスの裏話をしていた瑛美だったが、初美に論破されてしまった。キリスト教の牧師達はそんな裏話は百も承知。ただ、この日だけは日本人もキリスト教に心を開くため、伝道宣教の良い機会にしているという。それに誕生日を祝っているのではなく、救い主イエス・キリストがこの世に生まれ、人類の罪を背負ってくれた事も祝っている。単なるイベントでも無いと力説されてしまった。
クリスチャンにとっては毎日がクリスマスのように嬉しい日。いつでも神様に祈れる事は、イエス・キリストが生まれる前は難しい事だったらしい。表面的な日付が問題では無いと語っていた。また、クリスマスという言葉も、キリストのミサという意味。イエス・キリストを最優先に礼拝する事で、誕生日は関係がないという。
論破されてしまった瑛美は、もう返す言葉が見つからなかった。
「だったら瑛美、クリぼっちとは言わず、うちの教会くる? イエス様が生まれた経緯のアニメとか見るよ」
「えー、勧誘?」
「クリスマスケーキをみんなで食べるよ。パーティーよ、クリスマスパーティー。うちにくればクリぼっちじゃないよ」
初美は悪戯好きの子供のような表情を浮かべている。
「クリスマスケーキもチキンも好じゃないけど。クリぼっちでいいし」
「聖書では『人は一人でいるのは良くない』と言っているね。クリぼっちはだめ」
珍しく初美ははっきりと主張していた。
「あ、それに今年はパネトーネ配るの。いつもはクリスマスクッキーを近隣の人にも配ってたんだけど、今年は在庫の問題でパネトーネにする事に」
「パ、パネトーネ?」
それは瑛美の大好物だった。ふわふわな生地、ドライフルーツ。見た目はカップケーキなのに、バターでベトベトしてなくて雲のように軽い。そして優しい甘み。
パネトーネと聞いてその味がありありとイメージできてしまった。もう頭の中は、ふわふわなパネトーネだらけになってしまった。
「ま、イブだけだったら行ってもいいかな? あ、勧誘と洗脳はしないでね」
「そんな事しないから!」
「冗談だよ」
こうして二人で冗談を言い、クスクス笑っていた。
今年のクリスマスは一人では無いようだ。別に宗教には興味は無いけど、「人は一人でいるのは良くない」と言うのは本当かもしれない。初めて誰かと過ごすクリスマスが楽しみだった。確かに一人で部屋でパネトーネを食べても良いけれど、たまにはクリぼっちを辞めても良いかもしれない。