自戒のジンジャークッキー
美貌、仕事、若さ。
美来は、自分の努力で手に入れたと思っていた。都内の大企業の広報で働き、語学も堪能。容姿も優れ、言い寄ってくる男性も少なくない。
そんな美来だったが、疫病騒ぎをきっかけに目覚めてしまった。この疫病騒ぎは茶番だと陰謀論にハマってしまったのだ。元々オカルト的な事にも興味があり、ワクチンを無毒化する薬品や自然派食品にも目覚めた。
何事も極める性格の美来は、この世が悪魔崇拝者が仕切っている事もつきとめ、その対極の存在であるキリスト教にも興味をもち、聖書も調べ上げた。
そんな美来に友達は「残念美人になった」と去っていったが、本人は満足していた。また、日本のキリスト教会の腐敗も調べ、自分の方が神学をよく知っていると自惚れた。美来は英語もできるので、海外の神学情報にもアクセスしやすかったのだ。
近所にある教会に行き、神学をドヤ顔で披露し、牧師を言い負かした事もあった。いわゆる論破をしていた。
美来はすっかり気分を良くしていたが、腐敗した日本の教会員になるのは絶対に嫌だし、無所属である事も一種の誇りのように思っていた。
そんなある日。
近所の教会から連絡があった。ぐうの音も出ないほど論破した牧師から、何の用かと思ったが、クリスマスで配るクッキー作りを手伝って欲しいという。
牧師は初老の男性だった。見るからに頼りなさそうな男でもあり、神学については見下してはいたが、手伝ってあげる事にした。
礼拝堂の隣にあるキッチンで、出来上がったクッキーを袋詰めする作業。丸いジンジャークッキーで、いい香りだ。甘いバターの香りとショウガのツンとした香りが混ざり合う。
今は冬だが、キッチンで作業していると汗ばんできた。
「美来さん。余ったクッキー、持って帰ってください」
「え?」
「お礼です」
帰りには、割れたり、少し焦げたジンジャークッキーを貰った。帰って家で一人で食べる。ジンジャーを使っているので、少々辛いが、砂糖もたっぷりで甘みの方が勝つ。
「イブ礼拝、どうしようかな……」
神学を調べまくった美来は、クリスマスはイエス・キリストの誕生日ではなく、元々は悪魔の誕生日である事を知っている。正直、クリスマスを祝う教会には違和感しか無いが、あの牧師にイブ礼拝も誘われていた。クリスマスイブの夜に礼拝するそうだが、その後、参加者にあのジンジャークッキーを配るらしい。
本心では行きたくないが、割れたジンジャークッキーを食べていたら、考えが変わってきた。別にちょっと、冷やかしに行くだけだったらいいか。
そして24日の夜。
教会ではキャンドルを灯しながら、イブ礼拝が始まった。イエス・キリストの生誕を描いたアニメを見たり、讃美歌を歌ったりした。意外な事に礼拝堂は満席だった。もしかしたら、この日だけは一般人のキリスト教のイメージも良くなっているのかもしれない。
「美来さん、クッキー配るの手伝って」
イブ礼拝が終わると、牧師や他の教会員と混じってクッキーを配る。
「わあ、クッキーありがとう」
子供に配ると、大層喜ばれた。
子供の親と少し雑談すると、病気があってなかなか働けず、食べるものにも困っていた時期があったと言っていた。だから、子供もクッキーをもらって笑顔を見せていたのか。
この親子だけではなく、教会には様々な事情があり、社会的弱者にならざるおえない人が集まっていた事も知る。ネグレクトや虐待、ヤングケアラー、重い病気などテレビや新聞の中だけの出来事だと思っていた。
あれ?
もしかして陰謀論にハマり、神学の知識をふっかけて、論破していた自分は高ぶっていた?
そんな気がしてきた。どこかで今の地位は自分の努力だけで得ていたと思っていたが、そうじゃない。運が良かっただけだと気づく。
神学的知識を正しく知っていても、自分は全く正しくはなかった。本当は、運に恵まれた人間は、恵まれない人間の一番下に行って仕えるぐらいが聖書的だったのに、そんな発想は全くなかった。逆に偉そうに論破していた。偏見も持ち、弱者は努力不足や怠け者だと決めつけていた。自分は間違っていたようだ。
「美来さん、今日のお礼です」
今日の帰りも、割れたり焦げたりしたジンジャークッキーを牧師から貰った。
「あ、ありがとう」
何となく牧師の目を見ることが出来ないまま、ジンジャークッキーをいただく。
家に帰り、一人で食べたジンジャークッキーは、砂糖たっぷりで甘いはずなのに、しょっぱい。サクサクと軽い食感なのに、飲み込む時、妙に重かった。