聖夜のビュッシュ・ド・ノエル
今日は12月24日。クリスマスイブだった。
世間は楽しいイベントの日だが、美羽はそんな気分になれなかった。
一人、部屋で空腹に耐えていた。
美羽はダイエット中だった。同じ大学の彼氏がいたが「デブ」と言われて振られた。以来、見返すためにダイエットに励んでいた。両親と妹はクリスマスディナーに出かけてしまったが、一緒に行くわけにはいかない。そのまま祖父母の家に泊まってくるそうだが、あの家も危険地帯だ。祖母は料理上手でついつい何でも食べてしまう。ダイエット中に行くわけにはいかない。
「くそ、陽キャばっかり!」
退屈だったのでSNSを見てみたら、陽キャ達がパーティーやっている投稿ばかりでイライラとする。腹も減り、限界だった。筋トレでもしようと思ったが、空腹が限界で動きそうにない。
「もう、ダメだ……」
今日だけはダイエット中止にしても良いよね?
美羽は心の中で正当化し、コートを着込み、サイフとスマフォだけ持って外に出る事にした。
もう夜だ。空は真っ黒で、風も冷たい。雪は降っていないが、手袋をしなかった事を後悔しそうになる。
寒さに晒されると余計に空腹感が増してきた。何か、甘くて優しい味のものが食べたい。今更ながら、家族と一緒に行かなかった事を後悔し始めたが、もう遅い。
家の近くの住宅街は、イルミネーションの飾りをつけた家が一つだけあったが、あとは普段と変わりない。クリスマスといっても日本人にはイベントの日らしい。クリスチャンの多い海外では教会に行く日らしいが、イベント化している日本は意外と商売気質なのかも知れない。
そんな事を考えつつ、近所のコンビニに着く。店の前ではクリスマスケーキも販売されていた。サンタの帽子をかぶってバイトの青年が「クリスマスケーキいかがですかー?」と声を出していた。もう夜で、今からケーキを買う客なんて少ないだろうに。
このコンビニはブラックだと有名だった。こんな風の夜空でケーキを販売させていても不自然ではない。確かこのコンビニは特にクリスマスケーキのノルマが厳しく、完売するまで帰れないとかネットに書いてあった記憶もある。
バイトの青年の顔は、まっ青だった。声や口元は精一杯明るそうにしていたが、居た堪れない。
確かに今はダイエット中だ。クリスマスケーキを食べるなんて自殺行為だ。できればサラダチキンやシーザーサラダ、和菓子あたりを食べたかったが。
今日ぐらいはチートデイでいいか。イエス・キリストの誕生を祝う今日は、無宗教の美羽にとっては関係無い話だが、別にいいか。なぜかこの日だけは、気が緩んでいた。
「すみません。ケーキ、どれがオススメでか?」
そう話しかけると、青年の顔はパッと明るくなった。
「本当は生クリームのイチゴのが一番オススメなんですが」
青年はケーキが売られている台に目をやる。今は少しサイズが小さめなビュッシュ・ド・ノエルしか残っていないという。
「サイズが小さい方がちょうどいいよ。このビュッシュ・ド・ノエルください」
「わー、本当? ありがとうございます!」
青年は涙目になるほど喜んでいた。青年はクリスチャンだったが、このケーキを売るまで帰れず、困っていたという。
「これで教会行けますよ」
「よかったね」
「ありがとう、ありがとうございます!」
なぜか美羽も一緒になって喜んでいた。この日だけは、まあ、いいか。単なるイベントの日なのに、心のはゆるく寛容になっていた。
さっそく家に帰り、ケーキの箱を開ける。
可愛い木こりの形のビュッシュ・ド・ノエルが入っていた。チョコクリームの良い匂いがする。ケーキの表面もチョコクリームでツヤツヤとしていた。
イチゴ、「Merry Xmas!」と書かれたチョコプレート、サンタクロースのマジパンも飾られ、可愛らしい一品だった。
確かに今はダイエット中。これを夜中に食べるのは自殺行為である事はわかっている。それでも空腹にも逆らえない。
「今日はチートデイ。ダイエットは明日から頑張ります!」
そう言って、ビュッシュ・ド・ノエルを切り分け、小皿に盛り、少しずつ食べていった。想像以上に口の中にチョコクリームの甘味が広がる。ふわふわなスポンジ、イチゴの甘酸っぱさ。口の中だけは天国状態だった。
「美味しい〜」
美羽の目尻は下がり、ほっぺたも溶けそうだった。
結局、一人でビュッシュ・ド・ノエルを食べ尽くしてしまったが、後悔は無い。
その後、ダイエットを頑張り、目標体重になれた。春の事だった。
「あれ? あの時、をビュッシュ・ド・ノエル買ってくださったお客様ですよね?」
久しぶりにコンビニにサラダチキンでも買いに行ったら、あの青年と再会した。相変わらずこのコンビニで働いているようだが、あの時のように表情は暗くなかった。
青年の笑顔を見ていたら、ちょっとドキドキしてきた。
これは何かが始まる予感?