マリアと新米ママ
初めての妊娠中だった。もう三か月になる。つわりは軽くなってきたが、最近メンタルが不安定だった。昨日は夫に八つ当たりしてしまったし、家事もサボってしまった。昨日の夕ご飯はマック。本当は栄養素的に良くないのだが、あのポテトはつわりが酷い時も食べられたので、すっかり好物になってしまっていた。
今日は日曜日。
私は一人で近所の教会に礼拝にいく。一応クリスチャンだった。不妊治療中の偶像、聖書を読み幾度となく励まされた。聖書の中では不妊の女性が奇跡的に妊娠する話がある。「神様にできない事なない」と信じ祈った時、ちょうど妊娠がわかった。
もうクリスマスに近い。普段は地味な公民館にたいな教会だが、クリスマスツリーやリースが飾られて賑やかな雰囲気だ。普通の椅子が並び、教壇や教卓があるので、礼拝堂は教室のようでもある。教会というと派手な礼拝堂のようなイメージがあったが、宗派によって色々違うようだ。
日本でクリスチャンは少数派だが、今日はクリスマスに近いからか人が多かった。自分と同じように妊娠中らしき女性もいた。彼女は穏やかな表情で牧師の説教を聞いていたが、私は再びメンタルが不安定になっていた。
牧師の説教は、マリアについてだった。イエス・キリストの母であるマリアの信仰についてがテーマだった。
聖書によると処女で妊娠してたというマリア。しかも天使がやってきてその事実を突然知らされる。
妊娠中の今だから思う。よくそんな話を信じられたな、と。だからこそマリアの信仰は深く、聖母扱いされている現状も理解できるが、その戸惑い、驚き、恐怖などを想像すると複雑だ。
夫のヨセフに理解は本当にある?
そもそも救い主を産むという大役をまっとうできる?
そんな疑問はマリアの中になかったのだろうか。普通に妊娠しただけでも、こんなに荒れている自分を思うと、この聖書の箇所は直視できない。
「今日の説教良かったね」
そして礼拝が終わると、あの妊娠中かと思われる女性に声をかけられた。歳はまだ二十歳ぐらいで若い。お腹の方も目立ってきているが、やけに楽しそうだった。
名前は若菜さんという。同じクリスチャンで新米ママという事もあり、すっかり打ち解け、友達になってしまった。
お互い妊娠中の悩みを話し、時に励ましあっていた。
「こんな悪い時代に子供産んじゃうのも、何だか申し訳なくて」
そんな弱音も漏れる。
「大丈夫だよ」
「そうかな?」
若菜さんは、よりによって聖書のマリアが天使から妊娠を告げられるシーンをさす。そんな事を告げられ、マリアが戸惑っているシーンだ。
聖書ではさらりと書いてあるが、改めて読むと、やっぱり複雑だ。処女で身籠ったかの是非はともかく、こんな事を突然言われてよく正気を保ってられると思う。
「ここで天使は、神様にできない事は何一つないって言ってるよ。大丈夫。あなたも赤ちゃんも」
若菜さんは胸を張っていう。あまりにも自信満々に言うので、私の不安も少しずつ溶けてきた。
これを受け入れるマリアの気持ちもよくわからないし、完全に私の不安がとれたわけでもない。
それでも。
もう一度、この言葉を信じてみたくなった。
大丈夫かもしれない。
少しだけ希望も戻ってきたようだ。
もうすぐクリスマスがやってっくる。マリアはどんな気持ちで家畜小屋という場所で出産したかは、聖書に書いてない。
不安や恐怖も多かっただろうと想像できるが、そんな中でも喜びもあっと信じたい。
今年のクリスマスは、マリアの気持ちも想像しつつ、いつもと違った気持ちで迎えられそうだ。
嬉しい気持ちばかりのクリスマスではないが、それはそれで楽しみだった。