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シュトレンと希望の日々

 祖母が亡くなって二年が経った。もう二年もたつのか。


 私は祖母の顔を思い出しながら、複雑な思いを抱えていた。色々と事情があり、両親と私、祖母の四人で同居していたが、癖の強い人物だった。


 タバコ、お酒、唐揚げとマクドナルドが大好きで、声も大きく、ゲスっぽい人だった。よく近所の噂話もしていた。それなのに九十まで長生きし、死ぬ間際まで頭も肉体もピンピンしていた。残念ながら風邪を拗らせてあっという間に亡くなってしまったが、私は少しホッとしていた。


 祖母は意外と厳しい人だった。下品でゲスっぽい祖母だが、なぜかクリスチャンで毎週礼拝に行っていた。自分はタバコやお酒を楽しんでいる癖に、孫には妙に手厳しいところがあった。私が中学生になった時、彼氏ができた事があったが、こっぴどく怒られた事があった。門限も決められ、その彼氏とは自然消滅。以来、祖母の事は苦手になってしまった。私も思春期で反抗期だったのかもしれない。大学生になった今もまだ反抗期はの残っていたのかもしれないが。


「もうクリスマスだなぁ」


 ある日、家族で食事中、父がカレンダーを指差す。


 四人がけのダイニングテーブルは、祖母が死んでから明日広く感じる。私も大卒後は家を出る予定だったので、この家はもっと広くなるだろう。


「そうね。もう一カ月切ったね」


 母も壁のカレンダーを見ながら同意する。祖母が生きていた頃は、シュトレンを焼いて、家族で毎日少しずつ食べていた。二十四日の夜は祖母だけ教会に行っていていなかった事も思い出す。お陰でクリスマスはチキンやケーキの日ではなく、祖母が家からいなくなる日。あるいはシュトレンを食べながら待ち望む日だった。両親も私も一般的な日本人だったので、何を待ち望むかはよくわからないが。


「それにしても母さんのシュトレンが食べられないのは、寂しいな」

「そうねぇ。おかあさんは料理は下手だったけど、シュトレンは美味しかったのよねぇ」


 そんな両親の会話を聞きながら、祖母が作ったシュトレンは妙に美味しかった事を思い出す。なんでもドイツ人の宣教師から直々に教わったレシピで作ったシュトレンのようで、ほんのりとお酒の香りがする大人っぽいシュトレンだった。


 小さな枕ぐらいの大きさのシュトレンは、白い粉砂糖がかかり、雪が降ったみたおだった。ドイツではシュトレンは坑道トンネルという意味もあるらしい。もう一つの説としては、イエス・キリストが生まれた姿にも似てるとか。後光を粉砂糖で表現しているのかもしれない。クリスマスのアドベントとして食べるスイーツで、「クリスマスのキリストパン」と呼ばれていた時期もあるらしい。


 祖母は苦手だったが、あのシュトレンだけは美味しかった事を思う出す。 なんだか無性にシュトレンが食べたくなった。すっと優しい粉砂糖の味。大人っぽいお酒の香り。ナッツやドライフツーツの入った濃厚な生地の味。


「ねえ、そのシュトレンのレシピってどこかに無い?」


 そう言うと、両親は目を丸くしていたが、レシピの場所を教えてくれた。庭の押し入れに入っているらしい。


「まあ、クリスマスだし。シュトレン食べたくなっただけ」


 そう。ただそれだけの事だった。別に祖母のようにクリスチャンでもないし、そこに興味があるわけではない。


 翌日、さっそく押し入れをのぞいた。押し入れは薄暗く、懐中電灯をつけて調べる事にした。ネズミが出そうな雰囲気も感じ、手早く探す事にした。


「あった!」


 蜜柑の段ボール箱に祖母のレシピブックが入っていた。すぐに退散し、家のリビングでレシピブックを探る。


 A4サイズのノートブックには、手書きのイラスト入りでレシピが書かれていた。なんとなくタバコ臭いだろうと想像していたが、古い紙の匂いが鼻につく。


「あれ?」


 シュトレンのレシピ自体はシンプルで特に問題はなかった。問題なのは他のページに私が生まれるまでの日々が記録されている事だった。


 母のお腹が大きくなるにつれて、祖母の書いた文字も大きくなり、ウキウキしているようだった。早く生まれないかというコメントもあり、名付けも勝手にしている。女の子が生まれると知ると、悪い男には絶対やらないとも書いてあった……。


「な、なにこれ……」


 最後に生まれたての私の写真も貼ってあった。一緒に映る祖母は、これ以上無いぐらい幸せそうな表情を見せていた。まだ少し若く、ずっと元気そうな祖母だった。


「な、なにこれ……」


 私は祖母を誤解していたのかもしれない。想像以上に自分は愛されていたのかもしれない。中学の時の一件も、単に心配というだけだったのだろう。


 そういえばキリスト教では死んだクリスチャンは天国に行くらしい。天国にいる祖母を想像しると、悲しい気持ちは湧いてこない。むしろ、自分が想像以上に愛されていた事だけに胸がいっぱいになってしまった。色々と性格には問題はある祖母だったが、根っからの悪い人でもなかったようだ。


 そんな気持ちを抱えたまま、レシピ通りのシュトレンを作った。想像以上に生地作りが大変で、二回ぐらい失敗してしまったが、三回目の正直でようやく完成した。


 出来上がったシュトレンが冷えると、粉砂糖を振りかけた。


「わぁ……」


 本当に雪が舞っているみたいだった。


 このシュトレンを真ん中から切り、毎日少しずつ食べていった。


 今年のクリスマスはいつもより、甘く、少し切なかった。できれば祖母が生きている間に、この事実を知りたかったが。


 それでも毎日少しずつシュトレンを齧っていると、少しずつ心も慰められていた。


 今年だけはこの日がいつも以上に楽しみだった。不思議な事に時間が経つにつれてシュトレンはより甘く、濃厚になっていく気がした。


「クリスマスおめでとう」


 今年は家族三人でこの日を祝い、残りのシュトレンを食べ尽くした。


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