ツリーとクリぼっち
吾輩はネコである。
なんて一回ぐらい言ってみたいものね。そう私はネコよ。町にいる野良猫。今はクリスマス時期で餌を探すのは大変だけど、モフモフボディのおかげで何とかやってる。真っ黒でモフモフな毛並みは自慢だからね。
今日はちょっと駅の方にも来てみた。駅のロータリーの方。あまり大きくない田舎の駅だけど、大きなクリスマスツリーが飾られていた。
「はあ」
その側のベンチに座っている青年が一人いる。私は、ひょこひょこ歩き、彼に近づく。
「今年もクリぼっちか。とうとう彼女ができずに終わった」
どうやらクリスマスに一人である事を気にしているよう。確かにこんな立派なクリスマスツリーがあり、メディアのムードも恋人を作れとうるさいけれど、本当のクリスマスはもっと地味なの。
本当はイエス・キリストという神様を祝う日。粗末な場所で生まれた神様だ。本当はこんな煌びやかなクリスマスは似合わない。
ちなみにツリーの飾りも意味がある。赤い飾りは、イエス・キリストが十字架で流した血。緑色の飾りは、その契約によって与えられる永遠。ツリーの木自体が永遠の命を表現される。てっぺんの星は、イエス・キリストが生まれた時の星よ。三人の賢者をその土地・ベツレヘムまで導いたとも。もっともツリーの飾りは諸説あり、これが全てではないので、色々と調べてみるのも楽しいかもね。
そして私は、さらに青年の近くまで歩く。
『クリぼっちでも大丈夫!』
私はこっそりと青年に声をかける。向こうからは、ミャーとしか聞こえてないだろうけどね。
「うん? 野良猫かい?」
『うん!』
青年は優しい目で私を見て、背中や頭を撫でてきた。しかも「ごめん、触らせてください」とわざわざ許可も貰ってきたわ。いい青年よ。かえってこんな商業主義のクリスマスには、合わないかもしれない。
「一緒にいてくれてクリぼっちも紛れた。ありがとう」
『どういたしまして!』
派手なクリスマスツリーが見える。本当のクリスマスとはちょっと違う。もしかしたら、この青年のように居心地が悪い人もいるかもしれない。
でも、どんな人も神様に愛されているわ。ぼっちである事なんかで、自分を否定しないでね。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。 わたしはあなたを愛している。 旧約聖書・イザヤ書43章4節より」