2話 実家とその周り
明海三十七年 10月某日 相坂家
「ただいまー」
家に帰ってきた。
旅行や学校行事、そして先の寮生活以外ではここで暮らしてきた。
「おかえりなさい!」
居間に入った俺にそう言ってきたのは、いつみても子供にしか見えない我が母親こと、相坂愛奈であった。
この風貌で浜綴語を流暢に操っているのだから、不思議に感じられる。
「怪我はなかったですか?」
「大丈夫」
「それは良かったです。それと、ご飯は出来てますからね!」
「親父は?」
「今日は帰ってくるって会社で……」
ガチャ
「……言ってたら、帰ってきましたね」
噂をすれば影、という奴だろうか、親父こと相坂慎太郎が帰ってきたらしい。
「ただいま帰りました」
そして親父は居間に入ってきた。
「あなた、おかえりなさーい!」
そして母は流れるように親父に抱き着いて接吻した。
うへぇ。
子供のころは見たとしてもなんとも思ってなかったけれど、思春期を迎えた頃からはなんだかゲンナリしてきたのだ。
そして今も。
母の見た目が子供にしか見えないこと、親父の身長が平均的なものから少しだけ大き目であることから、この絵面はなんとも犯罪臭のするものだった。
「ご飯ができたところだから、晩御飯にしましょ」
「分かった」
三人、席について、手を合わせた。
「「「いただきます」」」
幼年学校や軍学校の給食や、寮の食堂の食べ物と比べて、洋風の食べ物が食卓に並ぶのが我が家だ。
親父の知り合いで、そして俺の幼馴染のいる、倉田という家がやっている食堂でも食べたこともあるけど、そこでも基本的に品書きに洋食は少なく、有名どころではオムライスがあっただけだった。
一昔前よりも洋風のものが増えたとはいえ、家の料理はそれらよりも種類が多く感じる。
「おいしい」
「それはよかったです!」
俺には一人の家族である相坂凪という姉もいたが、この食卓にいないのは、既に嫁いで別の家に住んでいるためだ。
つまり、この家に住んでいるのは俺と母と親父の三人だけだ。
「そうだ慎宕」
「何?」
「晩御飯を食べた後で良いけど、倉田の家に届けてほしい書類があるんだ」
「またか?」
「別に良いだろう?」
「良いけどさ……、自分でやれよ……」
「持っていくときの9割は自分でやってるから。たまには手伝ってくれよ」
「一か月に一回くらいだし、パパのことを手伝ってあげて」
「はいはい、分かりました」
結局押し切られ、行くことになった。
「ごちそうさま」
とっとと帰って来ようと思ったため、ご飯を早めに食べきり、家を出た。
倉田家
「すいませーん、相坂でーす」
ガラガラガラ
「おお、慎宕君か。君の親父さんからの資料か?」
「そうです」
「いつもありがとうな」
「いえ、親父に頼まれただけですんで」
「謙遜しなくてもいいって。俺とアイツは友人として長いが、君とはそれほど長い付き合いでも、互いに礼を無くして話せるほどでもないと思ってるからな」
「まあ、そうですね」
「そこは否定してくれよ」
倉田のおじさんはヒヒヒと笑いながら、腕をはたいてきた。
「迷惑を掛けついでにもう一つ頼んでいいか?」
「なんです?」
「今、車庫で葵が機関弄りしてんだ。晩飯ができたから、呼んできてくれないか?」
「分かりました、そのあと帰ります」
「よろしく~。またいつか~」
「はい」
倉田のおじさんは片手を敬礼するようにしてから、家の奥に行ってしまった。
「呼んで来るか」
そして俺自身も、玄関を出て車庫へ向かった。
倉田家 車庫
「お~い。葵姉~」
返事は無い。
これはよくあることだ。
倉田家の三女、倉田葵はもともと機械弄りが好きでこういうことをしているが、その間は集中していて、遠くから呼びかけただけでは気づかないらしい。
ということで、近づいてみる。
カチャ、カチャ、キィィ
彼女は自動車の下に潜り、その機関を弄っていた。
「葵姉~?」
「ん?」
再び呼ぶと、髪の陰から覗かせる、鋭い瞳がこちらを貫いた。
彼女がこちらを睨みつけたのは、彼女の意識を害したからという訳ではない。
彼女の目つきは生まれながらにして母親に似てキツイ印象を与えるが、彼女自身は大人しい性格だ。
寧ろ彼女より目つきの柔らかな彼女の姉の方が表情豊かでかつ少々短気なので、はっきり言って彼女より彼女の姉の方が俺としては苦手意識があった。
それは子供の時に怒られるようなことをした俺が悪かったのが殆どだったけど、似たようなことをしても葵は怒らなかった、ということもあるのかも知れない。
「どうかしたの?」
彼女が起き上がると、その鋭い目は綺麗な緑の黒髪をした前髪に隠れた。
「おじさんが、ご飯できたから呼んできてくれってさ」
「そ、ありがと」
彼女がその前髪で瞳を隠すのは、彼女が子供の頃、その目つきから他の子どもに言い合いをすることが多く、そしてその言い合いによく負けていたので、その原因を自分なりに調べて衝突を避けた結果らしい。
彼女が機械弄りを好きになったのも、それらが嫌で家で倉田のおじさんが機械弄りしていたのを見て、自分もしてみたいと思ったからだという。
「汚れると思ったから、拭いも持ってきた」
「あ……、ありがと」
葵は日ごろ、彼女の母親の食堂で働いているが、働いている時間以外は、こうして自動車などの機械弄りをしているか、整備士の資格の勉強をしているらしい。
整備士、それも飛行機のだ。
彼女の父親が飛行機の整備士であるから、彼女もそれに憧れたらしい。
「葵姉、作業着結構汚れてるから、食堂に行くのは着替えてからがいいかも?」
「……いつものことだから。それに、あんまり汚れてないときも、晩御飯前にはいつも着替えてるから」
「そう?余計な気遣いゴメン……」
「いや、責めたわけじゃなくて……その……。そういうところも、ありがたいな、って……。私こそ、キツイ言い方しちゃって、ごめんなさい」
「いいからいいから。じゃ、俺は用事が済んだから、帰るよ」
「……うん。玄関まで、送ってくね」
「どうも」
今は彼女以外の姉妹は他のところで嫁いでいったので、この家で会話することがあるのは、、倉田家のおばさんとおじさん、そして葵姉こと、葵の三人だけ。
今言ったこれらが今の自分との交流のある人たちだ。
幼年学校やら、軍学校、徴兵されてそれっきりの人、あとは町内会など、これら以外の人間関係も勿論構築しているが、深く関わっているのは今のところ、機に同乗しているあの二人、親父と母親、そして倉田家の三人くらいなものだ。
これが、今、自分を構成している人間関係といえるものだろう。
今はこんな感じで、暮らしている。
そんなことを考えながら、家路につくのであった。