1話 相坂慎宕
この作品は「凪の中の突風」(Nコード:N8495HM)の続編となります。読まなくてもこの作品を楽しめますが、読んだら更に楽しめると思います。作品の都合上、「凪の中の突風」と多少、設定は異なっておりますが、ご了承くださいませ。
俺の名前は相坂慎宕。
戦闘機乗りの親父と子供にしか見えない(元)外国人の母親の下に、一人の姉の後に生まれた次子にして長男の男だ。
親父も母親も飛行機乗りであったため、海軍に志願して、親父と同じ、戦闘機乗りになることを志した。
事前に決めていた通り、徴兵前から軍学校へ行き、徴兵期間と重なるぐらいで海軍に行き、その中で運動機能も学力も良い方の成績を残して、飛行機乗りになることが決定した。
明海三十七年(西暦1932年) 10月某日 高須賀海軍基地
勿論、戦闘機乗りになるつもりだった。
そして、戦闘機乗りを志望しているということを配属先の選考を行う上官に伝えたところ。
「んー……。君は戦闘機乗りにはあんまり向いてないと思うんだよなぁ……」
その上官は目を細め、頬をポリポリと掻きながら、面倒くさそうに応えた。
そして決まった配属先は俺が希望していたものとは異なり、攻撃機部隊への配属となったのであった。
攻撃機。
浜綴軍における攻撃機とは、主に航空魚雷を投下する役割の航空機のことを言う。
また、その空虚重量を生かして水平爆撃を行ったりもする。
爆撃を行う機体として、爆撃機という航空機もある。
これは主に、急降下爆撃能力のある航空機の事を指す。
閑話休題。
不服に思った俺は、先の上官に対して疑問と不満をぶつけた。
「なんでって、そりゃあ……。他の連中の方が戦闘機乗りとしての適性が高かった。貴官は低かった。ただそれだけだ」
こんな感じだった。
何度も抗議してみたが、何かが変わるわけでもなかった。
俺も大抵の人間の中ではまだ子供と見られるような年齢であるとはいえ、分別のつくくらいの年齢ではある自覚もある。
まあいい。
攻撃機乗りとして大成して、戦闘機乗りに返り咲いてやる。
「よう新米!もう上に掛け合うのはいいのか?」
「はい。ずっと駄々をこねてなんとかなりそうでもなかったので」
「そうか。ま、どっちにしろ今から攻撃機乗りとしての訓練をすることに変わりはなかったけどな」
「なんすかそれ……」
教官の態度はよく分からないものだったが、取り敢えず訓練に取り組むことにした。
所属は第一〇一三航空群、攻撃機練習中隊所属となった。
高須賀海軍爆撃練習群の所属であるため、中隊や大隊につけられる、隊番号はつけられなかった。
浜綴帝國海軍航空隊では、基礎練習訓練の後に、専門の部隊に所属するわけではない。
大抵はその前に、部門ごとの練習中隊や大隊に所属することになる。
連絡機や小型輸送機の配属となると、そのような練習部隊への配属なく、直接実働部隊へ編入することになるらしいが。
兎も角、自らの腕を磨こう。
数日後 高須賀海軍基地付近 海上訓練設定空域
『相坂機、そのまま真っ直ぐ、高度をそのまま低く保て』
「了解。……チッ」
海面スレスレを舐めるように飛ぶ。
不快さ極まりない。
「相坂ぁ、俺たちも乗ってるってこと、忘れんなよー?」
「黙って飛べ」
こいつらは俺と同じ機体に乗ることになった、爆弾投下、後方銃座担当の所沢隆介と航法、操縦支援担当の重野清兎だ。
小五月蠅いのが所沢で、比較的寡黙なのが重野だ。
所沢は元陸軍の戦闘機乗り志望、重野は親が戦闘機乗りだったらしく、本人もまた、戦闘機乗り志望らしい。
そんな戦闘機乗り志望三人、呉越同舟で海上を飛ぶ。
『もうすぐ魚雷投下地点だ。演習用魚雷、用意せよ』
「だってよ」
「了解した。魚雷投下準備よろし。……てかお前が言えよ!」
「魚雷投下!」
「聞けよ!?……魚雷投下!」
演習用魚雷とはいえ、かなりの重さのあるものだ。
それを切り離したため、機体が一気に軽くなる。
「……」
機体をすぐに上昇させたい気持ちを抑え、そのままの高度を保ち、ゆっくりかつ旋回角の緩い旋回を行う。
『投下高度、投下後の高度維持もいい感じだ。出来ればもう少し低い方が良いが……。だが、投下は指示から遅れたぞ。次は気をつけろ』
「了解。言われてるぞ」
「半分はお前の責任でもあるだろうがよ……」
「帰投準備開始」
「だから無視すんなよ!?」
「所沢、五月蠅い」
「重野まで酷くない!?」
最後まで所沢が小五月蠅かったが、取り敢えず基地に戻った。
高須賀海軍航空基地
「相坂の機体は、投下が少し遅かったこと以外は大した問題はなかった。他の連中よりも良い動きをしていたしな。この練習群の中では一番だが、実戦を考えるとそこまで良い動きとは口には出せないくらいだったので、今後も訓練に励むように」
「「「了解」」」
「その他、諸君も相坂機よりも良い投下の仕方をしていた機体もあったが、より一層、精進すること」
「「「了解!」」」
「今日のところは以上だ。解散!」
「「「応!」」」
皆が解散し、帰っていく。
所沢は軍の寮に。
俺と重野はそれぞれの実家に。
軍人は基本寮住まいだが、寮といってもその数に限りはあるので、正規の軍人となったものは家が近ければ実家に暮らしてもいいことになっている。
徴兵される身としての基礎訓練の3ヶ月間は寮住まいだったが、家の方が快適であったためそちらを選んだ。
重野も同様らしかったが、所沢の実家は遠いため、引き続き寮住まいらしい。
今日も一日怪我無く終えることができた。
そのことに感謝して、家に向かうのだった。