ストーカーの幸せな同棲計画
カードキーを抜いて、ドアの前にへたり込んだ。
「あ、開かない……」
鍵を失くして家に入れない、それくらい誰しも一度はやらかしたことがあること。
でも、鍵はあるのに入れないなんて。
管理人に連絡しようにも、スマホは部屋に置きっぱなし。
スペアのカードキーも部屋の中にある。
財布の口を開けて、お札を数えた。
これだけあれば、近場のホテルで一泊するのに十分なだけ足りるだろう。
「あのっ、もしかしてお部屋に入れない……とか?」
文字通り「ふってきた」言葉にびっくりして、肩が大きく跳ねた。
そういえば、ここ、マンション共用の通路だっけ。
耳のはしがじんわり熱くなるのがわかる。
「お姉さん?」
見上げれば、彼女は高校生くらいにみえた。
人見知りするのか、彼女の声はうわずっている。
「そう、なりますね」
羞恥心のあまり立つことを忘れ、放心状態でうなずく。
「わたし、お隣に引っ越してきたばかりなもので、まだどなたともご挨拶していなかったんです。もしよろしければ、ご挨拶ついでに――ええと」
そこまで言うと、恥ずかしそうにマフラーをひっぱり、目元までかくした。
「一泊して行きませんか?」
頷けば、まもなくドアロックの外れる音がした。
◆
いそいそとマフラーとコートを脱ぎ、クローゼットからハンガーを取り出す彼女。「楽にしてください」と言われたので、自分もコートを脱いだ。
家具は配置されているものの、まだいくつか段ボールが積まれたままになっている。
「管理人さんに連絡しておきました、明日には対応できるそうです」
「えっ、わざわざそんなことまで。本当にありがとうございます、助かりました」
「いえいえ。あれ、お姉さんってお酒とか飲むんですね。美味しいんですか?」
缶のラベル下部には大きく「アルコール九パーセント」と印字されている。
「そうですね。度数が低いから、ジュースみたいに飲めるんです。お名前は?」
「凛花といいます。お姉さんは?」
「結衣と呼んでください。――あっ。凛花さんはお酒苦手だったりしますか?」
凛花は三回も首を左右に振った。
「こどもに見えますよね。こう見えてもわたし、二十二歳なんです」
「なら飲めますね。一宿のお礼と言うのもなんですが、すべて差し上げます」
コンビニのロゴが入ったビニール袋から、取り置きにしておくつもりだった軽食とお菓子、缶チューハイなどなどを取り出し、テーブルに並べる。
すると、あっという間にテーブルを占領してしまった。
「わあ、こんなたくさん……良いんですか。なら、半分こにしてきますねっ」
グラスに缶チューハイを半分注いで、凛花はアイスボックスから氷が入った袋を取り出し、何個かグラスへ投入した。マドラーをくるくる回すのが見える。
そういえば、この部屋は一人暮らしのわりに広い。
二人掛けのソファーといい、もしかしたら誰かと同棲する予定なのかもしれない。
「お待たせしましたー!」
席に戻ると、彼女はグラスの方をテーブルに置く。
「凛花さん、グラスの方じゃなくていいんですか?」
「お客さんに出そうと思って、使えずにいたグラスなんです。ほらほら、乾杯しましょ!」
グラスをもって、乾杯に応じた。
「乾杯!」
「かんぱーい! ふふっ」
チンッと小気味よい音のあとに、グラスの中身を口に含む。
凛花も缶を傾けて、少しずつ、少しずつ、味わうように飲んでいる。
「ここに引っ越してきた理由を聞いても?」
「家族が転勤するのもあって、徒歩圏内から大学に通うために引っ越してきました」
どうやら恋人と暮らすため、ではないらしい。
「結衣さんはどうしてここに? 同い年くらいに見えますが、一人暮らしのためですか?」
「二十四ですよ。ほとんど同い年と言って良いかもしれませんね」
親近感を覚えて、笑う。
「別れた元彼に嫌がらせされるトラブルがあって、引っ越してきたんです。一年くらい前に」
「そうだったんですね。やっぱり女性の一人暮らしって、そういうとこありますよね……」
他愛のない世間話から、プライベートに踏み込んだ雑談へ。
二人でゲームを遊んだりしているうちに、成り行きで二缶目も空いた。
さすがに酔いも回り、何時間話していたか思い出せない。
そうしてわかったのは、凛花さんが度を越した照れ屋なこと、私よりお酒に強いらしいこと。
あと、笑顔が誰よりもかわいらしいこと。
「あの、大丈夫ですか?」
「……情けないことに、酔ってしまったみたいで……いつもはこのくらいじゃ酔わないのに」
「眠いなら、ここで寝てしまっても構いませんよ。ブランケットをもってきますね」
お酒のせいか、異常なくらい眠たかった。
凛花さんも心配そうにしている。
「ありが、と……」
言い切らないうちに、がくりとこちらに倒れ込んだ。
あわてて結衣を支え、怪我をしないように抱き抱える。
「結衣さん、結衣さん? 起きてますか?」
一向に起きる気配はない。
ベッドルームの方に目をやった。
彼女の口元に耳を近付け、呼吸音を確かめる。
問題なさそうだ。
「アルコールのせいで効きすぎたんでしょうか」
「でも、結果よければ全てよし、って言いますしね。上手くことが運んでよかった」
ベッドルームに向かいながら、凛花は腕の中でこんこんと眠る結衣を見下ろした。
実感が込み上げて、目を細める。
「結衣さんがいけないんですよ。ずっと、ずうっと我慢してきたのに」
「彼氏さんのことも、結衣さんのことを大切にしてくれるなら、と思っていたんです」
「でも、毎日のように怪我してたじゃないですか」
「わたしに頼りもせず、逃げるから……なんて、もう遅いですね」
凛花はアカウント特定から自宅訪問までこなしてきたストーカー歴数年のベテランである。
対して結衣の防犯意識は呆れるほど低かった。
今日あったことをすぐ呟く。
自宅近辺の写真を投稿する。
人気のない夜道を一人で歩く。
カードキーをすり替えても、全く気付かない。
「よ、っと」
シャツもジーンズも脱がしてハンガーにかけた。
彼女が欲しいと呟いていたパジャマを着せてやり、鎖付きの手錠をはめる。
「ふー……」
一息ついて、彼女のうなじに歯を立ててみる。
もちろん、傷跡はつけない。
結衣は反射で身じろぎした。
「柔らかい……」
寝息を立てる結衣を一瞥し、布団をかけてベッドを降りる。
「すぐ戻るので、待っていてくださいね」
二人分のカードキーを手に取り、結衣の部屋へと向かう。
ここは安全で「トラブル」も発生しない。
これから送る同棲生活は、凛花にとってかけがえのないものになるだろう。