冒険者の街
門を潜った先で、俺は街の中を眺める。
石造りの建物が並び、足元には石畳が敷かれている。ここがメインストリートなのだろうか、道幅の広い通りが一直線に伸びている。
丘の上から眺めてた時もある程度分かってはいたが、中に入るとそこそこ大きな街だということを改めて実感する。
街中を歩きながら辺りを見回すと、様々な装いの人々が行き交っている。
背中に剣を背負い、鎧を身に纏っている、まるで勇者のような風貌の男に、黒いローブに身を包み、両の手で杖を抱える女の子。熊をも一撃で倒してしまいそうな猛々しい大柄の男に、顔まですっぽりと衣で覆ったいかにも怪しげな奴などが目に移る。
先ほどの門兵が言っていた《マリーハジ》なんていうこの街の名前も、全く聞き覚えのないものだった。
これはいよいよ本当に異世界へと転移させられたのだと信じざるを得ない。まさか自分の身にこんなことが起きようとは。というか、実際に異世界転移なんて起こり得るとは――思いも寄らなかった。
これからこの世界で、一人で生きていかなくてはならないのか……。家族も知り合いも、誰一人いないこの世界で――。
家にいれば大概のことは親がしてくれる。食べる物にも寝る所にも困りはしない。しかし、これからはそうではない。それらも全て、自分で働き金を得なければならない。バイトも碌にしたこともない、親の脛をかじり尽くしてきたこの俺が、だ。いや、まだ学生だからそれはそうなんだろうけども。
一旦冷静に考えるために、通りの端に寄り腰を下ろした。
異世界という響きに一瞬微かな光を見たが、いざ来てみると何をしたら良いかすら分からず、心細いもんだな。あれだ。最近のゲームみたいなもんだな。最初のチュートリアルが終わったら「はい、あとは自由です。思うがまま、好きなようにプレイしてください」みたいなスタンスの。初めは心踊るんだが、段々と何をしていいか分からなくなり、その内に寄り道ばかりしてクリアしないまま飽きてしまうんだよな俺、ああいうの……。
こんなんで本当にこれから生きていくことなどできるのだろうかと、落胆していたその時。
「大丈夫か?」
不意に声を掛けられ、心臓が飛び跳ね口から出そうになった。
「そんな所に座り込んで、何やらぶつぶつと言っているが……。困り事か?」
顔を上げると、そこには一人の女が佇んでいた。雲間から差し込む陽光を手で遮り、思わず目を細める。
――刹那、風が吹き乱れる。
一瞬にして春を感じさせる桜。その長く美しく、後ろ頭の上部で一束に結われた桜色の髪がふわりと舞い、肩に掛かった。まるで、儚くも凛々しく散りゆく桜の花びらのようだった。
その姿にしばらく見とれていると、再び大丈夫かと訊かれ我に返った。
「……あ、ああ。まあ、ちょっと」
「私で良ければ話を聞くぞ?」
心配そうな面持ちでこちらの顔を覗き込んでくる女は、透き通った肌に整った顔立ちで、白い額当てを巻き、小袖袴のような服装に身を包んでいる。視線をやや下に落とすと、腰には刀が四振りぶら下がっていた。女剣士だと見受けられる。
他に頼れる人もいないこの状況。女剣士を頼る他なかった。
「ここって……何処、ですか?」
口を衝いて出たのは我ながらビックリするほど、何ともざっくりした質問だった。アホ丸出しだ。
しかし、そんな質問にも女剣士は確と答えてくれた。
「ここか? ここは《冒険者の街マリーハジ》だが。他所から来たのか?」
冒険者の街……。ゲームや漫画でいうスタート地点みたいな所だろうか。
「あ、ああ。つい今しがた着いたばかりで、まだ右も左も分からなくて……」
この街に、と言うかこの世界に、だけど。
不思議なもので、こうして口に出して言うと今置かれている状況が際立ち、より一層不安が高まる。
そんな俺の心中を察したのか、はたまた表情に出ていたのか、女剣士はこう語り出す。
「ここは冒険者の街だからな。ここに住む者の半数以上が冒険者を生業としており、夢見てここから旅立とうとする人間も多いのだ」
「…………?」
何が言いたいのかいまいち要領を得ず、小首を傾げていると、女剣士は続ける。
「だがな、現実はそう甘いものではなくてな。挫折しそうになる人間も少なくない」
学生から社会人になったはいいが、想像していたよりも厳しい社会の渦に飲み込まれて現実を知る、みたいなものだろうか。いや、社会人になったことないから、よくは分からないけどね。
「しかしな……ほら」
そう言い、女剣士が周囲へと視線を向ける。それを見て俺もそちらに目をやった。
すると、傷ついた姿で仲間に支えられながらも笑顔で「次こそは!」と意気込んでいる者や、露店で換金でもしているのだろうか。店主に交渉するもどうやら上手くいかなかったみたいで、しかし、それでも諦めずに再度旅立とうとする者の姿が見受けられた。
「幾度となく厳しい現実を突きつけられようとも、それでも強くあろうと何度でも立ち上がり、前を向くのだ」
「どうして、そこまでして……?」
「それが――冒険者だからだ」
「冒険……者……」
女剣士はフッと笑みを浮かべた。
「そう。冒険者とは、敢えて自ら危険を冒す者。しかし、それは冒険者という職業に限った話ではないがな」
その言葉の意味を理解しきれず、俺はもう一度首を捻った。
「人間、生きている限り皆、冒険者さ。危険なことを避けて安全な道だけを進む、なんてことはできないと私は思う。仮にできたとして、それは酷く詰まらない生き方だと思うがな」
「…………」
いつも何となく学校に通い、何となく無難に日々過ごし、浪費するだけの毎日。特にやりたいことがある訳でもなく、今日が終わればまた明日も今までと何ら変わらなく学校に通う。何か起きれば、概ね不幸なこと。巻き込まれただけで、俺は何も悪くない。周りの奴らが悪いのだと――そう思っていた。そんな詰まらなく、くだらなく、他愛なく、呪われたような日々に辟易していた。
しかし、もしかしたらそれは、俺自ら選んでしまっていたことだったのかもしれない。逃げていただけなのかもしれない。詰まらないと思うのは社会のせいだと。まるで呪われたように悪い出来事が起きれば、ただ運が悪いのだと。そう決めつけて、押し付けて、誰かのせいにして……。
女剣士のその言葉で、そんな今までの俺を一蹴された気がした。
「だから、挫けそうになった時こそ顔を上げ、しっかり前を向いてみろ。周りを見てみろ。苦しかったりきつい目に遭っているのは何も自分だけではないのだぞ? それは、自分は不幸だと思い込み、そんな自分に酔いしれているに過ぎない。辛いのは皆同じだ。それでも駄目だった時は、こんな私で良ければ、幾らでも助けになろう」
—―そうだ。いつまでもここで、くよくよしていられない。経緯がどうであろうと、俺は異世界に来てしまったのだ。ならば、嘆くのではなく、これからどうするのかを考えなくては。
両掌で頬を思い切り叩き、若干涙目になりながら立ち上がった。
「――ありがとう。お陰で少し元気出たよ」
「そうか。それは良かった」
そうと決まれば、これから俺がやるべきこと……。
「あっ。と一つ訊きたいんだけど、この街に『ギルド』とかそういった所はある?」
生活していくためには仕事をしなければならない。となると、異世界ときたらそう言った場所に行くのがセオリーだろう。完全にゲームとかの知識でしかないが、冒険者という生業があるのなら恐らくは……。
すると、女剣士はすっと前方に指を差した。
「ああ、あるぞ。このサウスストリートを真っ直ぐに行った突き当りがギルドだ。何なら案内するが?」
「え!? いいのか?」
そこまでしてもらうのはやや気が引けるが、ここは快く承諾してくれた女剣士の好意に甘えることにした。