実に低レベルな私の認識
しかし、私は別の関心から、国土問題研究会という団体に入り、ダム水害訴訟の研究に没頭することになった。
こちらはこちらで、いつ人が死ぬかもしれない深刻な問題であったから、手を抜くわけにもいかなかった。
かといって自分が原発という問題に対してしっかりと取り組んだわけではない事実から逃れることはできない。
私一人が、反原発運動・研究にとり組んだところで、その効果は知れているともいえる。
だが、2017年の現在、2011年の事故を思って、一応、科学社会学という科学について論じる学問分野の端っこで、なしうる限りのことをきちんとしたかといえば、十分ではなかったというよりほかない。
児島にも原発事故の責任はないのか?と言われれば、それはゼロではない。
慚愧の念に堪えないのである。
一応横目に見るような感じで原発のことは学習していたが、私は、原発の危険性の核心をバックエンド対策や核燃料サイクルに見ていた。
そしてこの点がまさに自分の愚かしさというよりほかないのだが、軽水炉のことを現実よりもはるかに安全とみていたのである。
というのも、もんじゅ、東海村火災、JCO、美浜原発、いずれも軽水炉炉心で起きたものではなかったからである。
むしろ周辺部や核燃料の取り扱いに危険が集中しているように思われた。
そういったわけで、これは実に自分でも気に入らない議論の落としどころではあったが、反原発派も相当な妥協を覚悟のうえで、現状稼働している軽水炉については、これを耐用年数まで使い切ることは受け入れる一方、何としてでも、使用済み高レベル放射性廃棄物を核燃料サイクルに乗せず、ワンススルー方式で処分するということを、原発推進派に受け入れさせることはできないかという方向性で考えていたのである。
今になってみれば、実に愚かなことを考えていたわけである。
また、以下のような発言をしたこともある。
2009年の原子力安全研究グループの学習会後の懇親会の時のことであったが、私は当時、最高裁事務総局が全国各地の地裁・高裁の判事を、会同と呼ばれる場に集め、事業者や行政に有利な判決を出すよう指示を与えていたことを、大阪の弁護士さんを通じて知っていた。
以後の原発訴訟の嚆矢となり、事業者や行政に有利な内容の伊方原発訴訟判決もこの指示に沿ったものである。
こうした最高裁事務総局の意向に反した判決を下した裁判官に与えられる懲罰人事については、安倍晴彦著『犬になれなかった裁判官―司法官僚統制に抗して36年』日本放送協会、に詳しい。
こういったことは2011年の事故を経た今日、様々な本に書いてあることであるが、当時はほとんど知られていなかった。
そこで、全国で原発に反対する訴訟が提起されているが、現に勝訴できた審級もほとんどないし、それは裁判官という司法官僚の圧力という構造的な問題なのだから、科学的な問題ではない。
勝訴など期しがたいのだから、社会運動的意味合いは認めるとしても、その意義は薄いのではないか、云々。
また、全電源喪失についてもやはり感覚が鈍かった。
2010年11月ごろ、東京大学の招きで研究発表を駒場で行ったのであるが、途中休憩の時にお茶を飲みながら、ある原子核工学者が「反原発派は、全電源喪失が現実に起こり得るなんて言っているけど、起こるわけないんですけどねえ」と言っているのを聞いて、私は「まあ、そうだよなあ。非常用電源はあるし、周りじゅうの発電所全部が電源として機能しなくなるなんていうことがあるわけないよなあ」などと思っていた。
現実に福島で全電源喪失が起こる約半年前である。