勇者とか、内緒話
その日の朝は、何処か胸を締め付けるような感覚の中での覚醒だった。
「……嫌な朝だ」
痛みとも言えない、曖昧な感覚。しかし胸に手を当てると、少しだけ和らぐそれは、幼い頃から度々あった。
病気や怪我ではない。先月の検診でも、身体に異常はなかった。身体は至って健康である。
ならばこの胸の窮屈さは何なのか。
「…………はぁ」
私は布団から身体を起こし、身支度を始めた。今日も変わらず出勤日だ。いつものように雑務を片付け、いつものように時間を潰そう。
午前中は何事もなく通り過ぎ、雑務も今日の分は片付いてしまった。これで午後もだらだらと出来るなと欠伸を漏らしつつ食堂に向かうと、何やら人だかりが出来ていた。あれはーー
「掲示板か」
軍部の広報課が管理しているもので、度々戦況や警告といったものが貼り出される。魔王討伐隊に関する情報も、ここに貼られていた。
「もしかして編成が終わったのか?」
私も気になったので、そろそろと近づいてみる。が、人が多くて何も見えない。背伸びしたりうろうろしてみるが、代わる代わる前を塞いでいくむくつけき男達に遮られ、肝心の代物は姿を見せてくれない。
「あれ、何があったんすか?」
ふと、そんな声に目だけで振り返ると、そこには見覚えのある顔が首を傾げていた。頬のそばかすが幼さを感じさせるが、その顔は私より頭一つ分高いところにある。彼は私の後輩で同僚のリックだ。同じ輜重部隊で働いていることもあり、挨拶程度は交わす仲だ。
「私も知らんよ」
返しつつ、目線を掲示板に向ける。人だかりが更に人を呼び、収拾がつかなくなっている。軍人にとって情報とは生命線だ。たった一行の但し書きが、命を救うことだってある。掲示板の前は、しばらくはこのままだろう。
「はぁ……諦めて飯食おうか」
「そうっすね」
私達は踵を返すと、食堂へと足を向けた。ここで人を掻き分けてまで確認する必要は、まだ無いだろう。
さて、今日は何を食おうか。いつもは一番安い日替わり定食だが……たまには贅沢するのも悪くないか。
「リック。そういやいつもは何食ってるんだ」
「俺っすか?いやぁ、いつもは弁当なんで、食堂来るのも久し振りなんすよ」
「あぁ、そういや奥さんいたんだったか」
私は嘆息しつつ返す。意外かもしれないが、リックはこれで既婚者だ。元々軍人は早くに結婚して、死ぬ前に子を成すことが多いとはいえ、今は戦時中ではない。孫の顔を見て死んでいく軍人の方が多いぐらいだ。そんな中で、私よりも若い身で家庭を築いている。
「羨ましい限りだよ」
「そうっすか?ビル先輩もモテそうっすけど」
私は皮肉げに笑ってみせた。
「おいおい。私のどこにモテる要素があるんだ?」
自己評価ではあるが、私は優れた容姿をしているわけではない。だからといって醜いというわけではないが、少なくとも女性から声をかけられるような、所謂イケメンではないだろう。
「君のように背が高いわけでも、所得が高いわけでもない私では、結婚はまだ遠い未来だろうさ」
「そうっすかねぇ」
首を捻る後輩を背に、カウンターへ注文を告げる。悩むのも面倒だったので、結局日替わり定食にした。
「じゃ、俺も日替わりで」
「真似すんなよ」
「いいじゃないっすか」
爽やかな笑顔に若干イラつきながら、私はカウンターに金を払った。
食べ終わって食堂を出る頃には、掲示板の前も静かなものだった。だが今更興味も湧かなかった私は、そのままの足で資料室に向かった。
「ん?」
扉の前に立った瞬間、微かだが物音が聞こえた。誰かいるのか?
訝しく思いつつも扉を開ける。
資料室には、予想通り先客がいた。
「あぁ、お邪魔してるよ」
書棚から資料を引き出しつつ振り向いた彼女は、それだけ言ってすぐに視線を戻した。こちらには興味が無いとばかりの素振りに、失礼な女だなとは思ったが、考えてみればここは資料室であって私の私室というわけではない。知らず、ここが自分の居場所だという意識が根付いていたようだ。
そんな自分に呆れつつ、珍しい女性の客人に目を向ける。スラッと背の高い、足も長くて所謂モデル体型というやつだ。軍人には珍しい均整のとれた身体つきは、男なら思わず手を伸ばしたくなる美しさを秘めている。そんな女性がこんな寂れた資料室にいるというのは、少々違和感を感じる。
「私に、何か?」
視線が不躾だったためか、彼女は私を怪訝そうに振り返った。
「いや、こんなところに珍しいなと、思ったものですから」
ここは資料室の中でも『使い終わった』資料を収める場所だ。主に保存が目的で、私達が行っている仕事も、これら資料を分類、纏めて製本することだ。そのため、ここに誰かが資料を漁りに、というのは殆ど無い。
「何をお探しで?」
私は書棚に寄りかかり、訊ねる。彼女は一つ息を吐くと、身体ごとこちらを振り向いた。
「魔王に関する資料を、探している」
今度は私が怪訝な表情を見せることになった。
「魔王?」
「そう、魔王だ。知ってるか?」
「まぁ、知ってると言えば知ってますが」
この国では割とタイムリーな名前だ。魔王討伐隊がどうこうという話題は、未だ軍の中でも注目を集めている。俗世には疎い方の私の耳にも、魔王の悪名は轟いていた。
「これは既に発表されているが、私はその魔王討伐隊の一人だよ」
「えっ……」
思わず目を見開く。この目の前にいる女性が、魔王討伐隊?
「知らなかった……」
もう情報公開されていたとは。もしかしてさっきの掲示板はこのことだったのか?
「それで頼みたいのだが」
「あ、はい」
自分よりも立場が上の人間とわかり、自然と背筋が伸びる。
「内紛や外交問題に関する資料を集めてくれ。ここ二十年分はあれば嬉しいんだが」
「はい。了解しました」
命令されれば従うのが軍人というもの。正直面倒クセェとは思ったが、私は黙って資料集めに向かった。
魔王に関する資料は既に持ち出され、ここに残っているのは製本待ちの無機質な記録ばかり。そのため彼女が欲しがりそうなものは無さそうなのだが。
そう思いながらも目録を片手に資料を集め、女性ーーナナエというらしいーーに渡したのがつい数十分前。今はひっくり返した資料のせいで舞った埃を掃除しているところだ。
「ゴホッゴホッ……。全くどうしてこうも綺麗にならん」
掃除は週一でしているのだが、叩いても叩いても埃は尽きない。腹立つ。
「おいビル!掃除なんかしてる暇があるなら手伝え!」
咳き込みながらもはたきを動かす私に、野太い声がかかる。この声はドゥイか。
「うるさい。これも仕事だ」
「こんな窓も無いとこじゃいくら掃除しても無駄だ。いいからこっち付き合え」
「無駄とか言うな。虚しくなる」
虚しくなった。
なので溜息を一つ置き去りに、私ははたきと塵箱を放り投げた。
「はぁ……。わぁったよ。行くよ。行く」
振り返ると、ほら見たことかと言わんばかりの顔をしたドゥイがいる。私はそんな彼の胸に軽く拳をぶつけて、資料室から出た。
幕間「内緒話」
「さて。勇者御一行は揃った頃か?」
「いや、まだ揃ってはいない」
「遅いな。もう選出は終わってるんだろう?」
「二人はもう到着したらしい」
「まだ二人、だろう。全く早くしてほしいもんだ」
「まぁ気長に待ちましょう。幸い彼が動いてくれてるお陰で忘れられることは当分無い」
「足並みが揃わないのはどうも好きじゃないんだがな」
「いいじゃない。それも面白いわ」
「ところで準備はもう終わってるのか?」
「あぁ。いつでもいけるよ。万端だ」
「ただその準備も期限付きだ。二年もすれば腐ってしまう」
「じゃあ、少々尻を叩いてきますか」
「大丈夫か?」
「ま、なんとかなるでしょう。老ぼれの人脈は伊達じゃないぞ?」
「はははっ。じゃあそれに期待しましょう」
「では、我々の祝福と破滅を願って」
「「「乾杯」」」




