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頂上決戦

 年末に父が膝を壊し、家業が忙しくなった為、投稿が遅れてしまいました。代わりにいつもより文量を増やしておきましたが、お待ち戴いていた方には申し訳ない限りです(そういう奇特な方がもし居らっしゃれば、の話です。ブックマーク機能を活用すると更新がすぐ判って便利ですよ! 面白かったらついでに評価もしておいて下さい)。


「二ヶ月以上投稿されていない」のメッセージが表示されないようにする、という絶対のルールを課しているので、今回それをぎりぎりのところで守ることが出来てほっとしています。今年もどうかよしなにお願いいたします。



 最初に憂羅我に仕掛けていったのは、かつて鉄砲玉と言われていたムジカでも俺でもなく、カーネリアンだった。


「おい、先行するな!」

「はっ、結晶生命体は不死じゃ! 封じられはしても朽ちはせん!」


 そう言って憂羅我に肉薄し、突き出したカーネリアンの左拳は、しかし憂羅我の掌底に受け止められた。拳と掌のぶつかり合いとは到底思えない、金属質な音が響く。


「心臓が、既に死竜のそれであるならば」


 憂羅我が独りごちて、逆側の腕を振り翳した。次に来るだろう反撃を相殺すべく、カーネリアンもまた右の拳を硬く握る。

 だが実際に憂羅我から繰り出されたのは、同じ・・掌底撃ちではあっても、決して同じ・・打撃などではなかった。

 それはまさに奥の手と呼ばれるべきものだった。先の砦への襲撃は、やはり様子見でしかなかったのだろう。憂羅我は本命と定めたこの闘いで、隠していた力を出し尽くすつもりだったのだ。


「当然、この両腕も、とうに尋常のものではない」


 憂羅我の両腕が突如、破裂するように肥大化していた。体表面に黒い獣のような毛並が現れ、骨格も心なしか変質している。

 最初の掌底と同質の打撃を予想して身構えていたカーネリアンの矮躯が軽く吹き飛ばされ、俺達の側に押し戻されてきた。ムジカがその小さな身体を抱き止め、衝撃を緩和する。


「……っ!?」

「また、この総身も同じこと。みな悉く闘いに捧げておる」


 驚きに呑み込んだ息を吐く暇もなく。憂羅我の両膝が、両肘が、踵が、右の五爪が、左の五爪が、二本の角が、上顎が、下顎が、触手が、右肩が、左腰が、あばら骨が、第五肢が、第六肢が、尻尾が、両翅が、偽装されていた姿を顕わにして、奔流の如く俺達三人へとなだれ込んできた。

 一瞬前までの原型はおろか、面影すらも残っていない。魔族には本来存在しない筈の器官さえもが、憂羅我の肉体を突き破り、元からそこに在ったかのように生え揃っていた。

 畜生、聞いてないぞこんなの。低空だが、宙まで翔んでやがる……でも、これぐらいなら(・・・・・・・)、想定していた範囲内の予想外だ。


 溜め込んでいた武具類の封印ストックを解放。両膝に鉄鎚を、両肘に双剣を、踵に曲刀を。右の五爪に十字槍を、左の五爪に多節棍を。二本の角に大鉈を、上顎に衝撃波を、下顎に熱線を。触手に大鋏を、右肩に斧槍を、左腰に刺突剣を。あばら骨に金棒を、第五肢に短剣を、第六肢に投斧を。尻尾に鉄球を。両翅に金属針を。喚び出してはそれぞれに打ちつけ合い、威力を相殺させた。

 浮かびかけていた憂羅我の巨体が再び地に着いた。角や触手など末端の殆どは断ち斬ることが出来たが、胴体や太い四肢……今や六肢と言うべき手足への攻撃は、ところどころに生み出された強靭な毛皮や真新しい甲殻に阻まれ、大した痛痒を与えていないようだった。浅くついた傷も周りの筋肉に覆われて、既に塞がりかけている。

 先行していたのが不死のカーネリアンで逆に助かったかも知れない。迂闊に接近していたら、所謂「判らん殺し」に遭っていた可能性があったな。


「反則めいているな。一年程前はそこまでの化けものじゃなかった筈だろ」

「容易く防いでおきながら何を抜けぬけと。ところで見慣れぬ風態なれど、汝も異界の者か?」

「妾のことか? 妾は結晶生命の長、名を号してカーネリアン・フランベルジュラック・ベインヴェルジュライトという。これは恩賜じゃ受け取れっ!」


 カーネリアンの固有能力『灼熱する歓喜』が放たれた。

 結晶生命体、ヴェルジュライト一族はその大半がそれぞれ固有の能力を持っている。種族を通して使える能力もあるが、とりわけ強力な、切札めいた特技は一個体につき一つ。そしてそれは大抵、その個体が最も操るのに長けている感情を媒介して効果を発揮するものだ。カーネリアンが最も得手としているのは、喜びの感情を操作することだった。


 憂羅我が警戒を露わにしたが、この能力が影響を及ぼすのは敵である憂羅我ではなく、俺達だ。

『灼熱する歓喜』。その効果は、配下や友軍の兵が持つ魔力の増強である。


 溢れるような魔力の充溢を感じながら、その魔力を糧として更に攻撃の在庫ストックを解放し、一気呵成に畳みかける。かつて竜鱗族の長老が威嚇のつもりで俺に向けて放ってきた『咆煌』。沼地の隠遁者から身に受けて以来保管していた『病毒の呪い』。王妹オニキス・フランベルジュラック・ベインヴェルジュライトの『圧倒する虚脱』。化野篝の独自攻性魔術『汎用自動追尾術式・加熱Ⅱ』。その全てを一度に、着弾の瞬間をずらしつつ憂羅我を目がけて殺到させた。


 全身が融けるように熱い。固く閉じていた蓋が今開けられたように、忘れかけていたような如何にもしがたい感情が俺のなかに帰ってきて、俺自身を満たしていた。それはカーネリアンの能力によって呼び覚まされ増幅された感情ではあったが、同時に他でもない、俺だけの喜びでもあった。『灼熱する歓喜』の支援を直接受けるのは初めてだったが、それが今まで封印されていた本物の喜びだということは判った。

 そう、喜びだ。再びこの地に戻ることが出来たことへの喜び。それから現にこうして、自ら望んだ闘いに自ら選んで身を投じていることへの喜び。カンセーの言う通り、俺はもう既に少しばかり狂っているのかもしれない。そう改めて思った。あくまで増幅された一面に過ぎないとは言え、わざわざこんな冒険を楽しむとか、痛みを知らない子供でもなければ狂人の所行だろ。


 けれども、ああ、悪くはない。俺は悪くないし、誰が悪い訳でもない。これは少なくとも、戦いに臨む者達に望まれた闘いだからだ。戦いの当事者としてここにいる憂羅我が求め、ムジカが求め、カーネリアンが求め、そして俺が求めた闘いだからだ。徹頭徹尾戦わない他の誰かに仕組まれた、あのベインヴェルベータでの陰鬱で凄惨な争いとは、そこのところが唯一にして、決定的に違う。


 着弾の余波が通り過ぎて、憂羅我の姿がよく見えるようになった。

 四つに増えていた腕が、一本欠けているな。尻尾も根元から炭化させることが出来たようだ。けれども、憂羅我の生命力を削り切るにはこれでまだ不充分らしい。また肉体の自己修復が始まっている。頑丈な男だ。




   ■ ■ ■




「どうやら、間合いを採るは却って分が悪いようだ。故にやはり。拳で語ろうてこその戦ぞ」


 突進。常人には気づけない程の速度で、ムジカと憂羅我がお互いに距離を詰め合い、殴打や蹴撃をぶつけ合っていた。

 応酬が激しすぎて干渉する余地がない。下手に援護しようとすれば、憂羅我を手助けしてしまうことになるだろう。それだけならばまだいいが、ムジカに流れ弾が当たってしまったら眼も当てられない。

 それにしてもあいつ、佳い動きをするようになったな。相手の片割れだった妹を独りで斃してしまったという話も、なるほど納得だ。


「今日という機を! この日を待ち侘びたぞ、我らが仇敵よ!」

「はは! 血が滾るようないい拮抗であります! 先の戦いが思い出されるでありますな!」


 それでも腕が一本多いぶん、憂羅我の方がやや押しているように見える。体格差の問題もあるので、このままではいずれムジカが競り負ける結果になりそうなのだが、しかし既に両者の応酬は、俺やカーネリアンの近接格闘能力では割って入ることも難しい領域に差しかかっていた。


 その均衡は、俺でもカーネリアンでもない、第三の人物によって突如破られた。

 そう言えば、居たな。近接戦闘に特化した能力の持ち主が、この山の上にはもう一人。


「はっはあ、漸く山道の片づけが済んだよお。こっちの仕事はまだ終わってないみたいで、若い子に良いところも見せておきたいおじさんとしては大助かりだ」


 太秦正宗。稀代の剣士の再登場だった。

 現れるや否や憂羅我とムジカとの間に割込み、獣めいた剛腕の一本を刃で弾き上げ、懐に忍び寄っていく。

 思っていたよりも到着が早い。


「不器用なもんで、オーギ君みたいな魔術の使い方は諦めていた俺だけれども」


 それは砦で喫した惨めな敗北の鏡合わせであり、(まさ)しき意趣返しだった。


「多過ぎる魔力を、こうして暴発(・・)させることくらいなら、おじさんにだって出来る」


 炸裂。


 魔力光の烈しい閃きと共に、至近距離にいた憂羅我と太秦の肉体が四散した。二人合わせて五本あった腕はどれもばらばらに。脚も同様、お互いにぼろぼろで、胴体はその輪郭を保ちつつも大部分が焼け焦げていた。数歩離れた位置に立っていたムジカが爆風でこちらに吹き飛ばされてきたので、先程とは逆にカーネリアンがその身体を抱き止めて回収した。そちらには幸い、大した外傷は見当たらない。


 察するに、身体の内側に一定の魔力を巡らせる肉体強化の技法を応用して、新しく得た不死の特性を活かす為の自爆技に昇華させたのだろう。いや、こんな使い方をすれば術者は確実に死に至るのだから、技の昇華ではなく改悪だな。憂羅我が砦の襲撃でやっていた、心臓から血流を吹き出しての自爆攻撃を真似たのかも知れない。当たり前だが、元は竜種のものでもたかが心臓の破裂とは桁違いの威力だ。先刻も麓の方から爆発音が聞こえていたし、ここまでの道中に居た大量の屍兵も、全て同じ手段で薙ぎ倒してきたに違いない。この男らしい、合理的過ぎる戦い方だ。


 術式で編まれた金銀の鎖がちりちりと音を立てて這い回り、太秦の疵口と疵口、手足と胴体を繋いで元通りに再生していく。血肉が変じて顕現した細い鎖が身体同士を繋留し、また変質して血肉へと戻っていく。そうでなければこの男が自爆なんて非効率な方法を選ぶ必要はそもそもないのだから当然なのだが、改めて見ると凄い絵面だ……さて。


 必要なだけの条件は全て整った。

 魔族の男、阿多羅刹(アタラクシャ)軍の敵将憂羅我を封印しよう。

 色々考えたけれども、屍術使いのこいつに止めを刺すにはそれが一番確実だ。仮令首を斬り落としたとしても、この男なら自分自身を屍兵に変えて襲って来かねない……少なくともそうするだけの動機が、この男にはある。

 そうだ。そう言えば俺には、この山を登る前からずっと疑問に思っていたことがあったんだった。


「一つ、お前に訊ねたいことがある」


 太秦と同じように、既に肉体の再生を始めていて未だ身動きが取れない憂羅我の元に歩み寄る。ここまで弱らせた状態なら、カーネリアン達結晶生命体に対して使っていた封印術が通じるだろう。

 こういう場合の手順は事前に話していたので、ムジカとカーネリアンは背後に控えて成りゆきを見守っている。


「憂羅我。お前の能力なら、お前の妹を不完全にしても蘇らせ、生前のように共闘させることも出来ただろう。あの卓越した人形師と今のお前との組合わせならば、或いは俺達を打倒するという念願も叶ったかもしれない。なのにお前はそうしなかった。何故だ?」


 返答があるとは思っていなかった。けれども、憂羅我は逡巡した末に、おもむろに顎を開いた。


「妹を討たれた、あの日……より」


 それは先刻までよりもずっとか細く、掠れた声だった。


「いずれ、斯様に我も汝ら、に、誅滅されようことは……判っておった」

「だったら何故だ」

「……妹に、我が討死する、様を……見せる訳にはいかぬ、故に」

「そうか」


 そうか。

 つきあわされる方の身としては傍迷惑な話だ。だが、ああ。悪くはない。この男は悪くない。少なくとも俺にはこの男を責めることは出来ない。そして恐らくは、誰も。


 ……さっさと封印してしまおう。

 近くに転がっていた斧槍を拾い上げ、墓標のように山頂の地に突き立てた。

 生ける屍を殺してやる義理までは、背負うつもりになれなかった。




   ■ ■ ■




 複雑な魔術的工程を経て、憂羅我の存在そのものを一本の斧槍に閉じ込め、更にその斧槍を俺の身体に封印し終えた、まさにその直後。

 そいつら(・・・・)は唐突に俺達の眼の前に現れた。


「我らが六芒征(シャッドジット)外角(・・)の第一角、憂羅我……貴方もまた、強さと弱さを併せ持つ男でしたね」

「……遂にこうなってしまったか」

「当然です。私の託宣に外れなど有り得ませんから」

「それよりも皆々様、既に接敵しています。警戒を。特にそこの凡暗野郎」


 魔族の男女。男が二人に、女が二人。


 最初に発言した男の顔には見覚えがあった。忘れたくとも忘れられない、この男こそ阿多羅刹(アタラクシャ)族で最も悪名高き狂人。六芒征(シャッドジット)の第三角、意司る薬伽(ヤカ)だ。外見は少し高めの背丈、捻じくれた角に青白い肌と、標準的な魔族の特徴だが、性格は無軌道にして支離滅裂。こいつを相手にしなければならないくらいなら、今すぐ憂羅我の封印を解いてもう一度あの巨漢と闘った方が幾分かマシだと、俺は本気でそう思う。


 もう一人の男は俺も見たことのない魔族だった。だが、その立ち振舞いからは決して油断ならない強さが感じられる。背格好は憂羅我に比肩しただろう程に大きく、しかし全体的な体格はむしろ引き締まっていて無駄がない。今まで戦ってきた六芒征に相当する戦力なのは間違いないが……今までの六芒征が外角(・・)だと言うのなら、つまりそういうことなのだろうか?


 やや自慢げな様子で、いささかマイペース気味に自分の技術を誇っているらしい童女は、発言の内容から推し測るに恐らく六芒征の第六角。名前までは知らないが、阿多羅刹軍の戦略や行動指針を決めている、託宣の巫女という存在が、基本的に武闘派ばかりが揃った六芒征の末席を兼任していると、そういう話を聞いたことがある。作戦参謀のようなその役割上、表立って俺達の前に出て来たことはなかったが、噂通りふわふわした印象の子供だ。実際、直接的な戦闘力は殆ど持っていないだろう……それなら何故今になって現れた? 魔族の側に何か、ままならない出来事があったのかも知れない。


 最後の一人は小柄な魔族の女性と思いきや、細部に眼を凝らしてもう一度よく見てみれば、まるで人形のようないでたちをしていた。いや、比喩ではない。本当に真鍮や陶器で出来た人形が二本足で自立して、自律的に喋っている。しかも従順そうな口調に反して、二番めに発言した男に対してだけは何故か辛辣に当たっていた。その姿にはどうにも既視感があるのだが、しかし俺がかつて戦ったあの少女、憂羅我の妹羅沙(ラサ)は人形師であって人形そのものではなかった筈だし、これ程までに精巧な人形を操ってもいなかった筈だ。もし、今は亡き憂羅我の妹との間に何か関連性があるのだとすれば、この人形もやはり見た目通りの可愛らしい存在ではない可能性が高そうだ。


 いや、と言うか。この強度の集団と今ぶつかり合うのはとても拙くないか?

 振り返って、その場にいる味方の状況を確かめてみる。太秦は、丁度肉体の再生が終わったところか。ムジカは接近戦での疲弊と爆発の衝撃が抜け切らず、新たな敵の出現に立ち上がりはしたものの、まだ少しふらついている。カーネリアンは奥義とも呼べる彼女の固有能力を一度使っている筈なのだが、その割にはけろりとした表情だ。そして俺自身は可能な限り強力に施した、それこそ渾身の封印術を終えたばかりで、魔力が全くと言っていい程残っていない。尤も俺の魔力についてはカーネリアンの能力で補給することも出来るし、それぞれのコンディションは最悪と言うにはまだ遠いのだが、頭数が同数という点が他の何より戴けない。勝ったとしても一人二人の犠牲は必至だろう。

 そういうのは嬉しくないし、勝ちとは言わないんだよ。やっぱりこの状況は拙い。


「おや、おやおや、おや。これはこれはこれは! そこに在らせられるは獣人王国のウズマサ国王陛下に、今代の英雄、オーギ・アダシノ氏ではありませんか!」


 憂羅我が最期に選んだ場所を一通り見分して、すぐさま興味を失ったらしい狂人が、こちらに視線を向けて初めて俺達の姿を認めたらしく、声を上げた。

 厄介なのに眼をつけられたと、そう思ってしまった。


「一年前に戦場で見失って以来、その生死すら不明と聞いておりましたが。ふふ、ふふ。何と素晴らしい!」

「何が素晴らしいのですか、薬伽(ヤカ)。厄介なのに出くわしたではないですか」


 狂人の言葉に応じる、託宣の巫女。

 こちらの台詞だ。でも、そいつの注意を引きつけてくれるなら正直助かるわ。


「何が、と仰いますか! 御覧なさいませ、あのアダシノ氏の精神の相を、その変貌を! 一年前はただ強いだけ、己の真っ直ぐな在り方を信じ切っている若き英雄の相でしたが、今はどういう訳柄か、鬱屈した後悔や自責の念を抱えています! 愛おしいかなその弱さ、厭おしいかなその強さ! 強さと弱さを併せ持つ、あれこそ生命が持つ理想の姿に違いありませんっ! 貴方もまたそれに辿り着いたのですね。僥倖です。何故なら心の弱さという悪徳こそこの世で最も愛おしいものであり、心の強さという美徳こそこの世で最も厭おしいものに他ならないのですから! ええ、ええ。これはまさに僥倖です、僥倖ですとも! ハッレェェェェェルヤッ!」

「いや私……少し先の未来は見えても、他人の精神とか全く見えないんだけど。ていうかこのひと超絶絡みづらい……何がそこまで琴線に触れたの……」


 薬伽(ヤカ)と同じ魔族である筈の、託宣の巫女がどん引きしていた。

 相変わらずの狂人ぶりだな。弱者への異常な偏愛に、強者への異常な厭悪。先刻はこの男を無軌道で支離滅裂と評したが、こうしてよくよく話を聞いてみれば、判りにくいだけでこの男にはこの男なりの道理や筋道があるのかも知れない。あまり深入りしない方が良さそうな道ではあるが。


「……そうか。このときは、そんな精神情態だったか」


 それまで黙ったままこちらの様子を眺めていたもう一人の魔族の男が、ふと呟いた。

 真意の測り知れないその言葉に一瞬困惑する俺の顔を見て、その見知らぬ男は思わずといった風に苦笑を漏らした。


「判らないか……姿かたちも変わったし、何より四○○年も経ったのだからな。当然か」

「貴方は貴方で何を言っているのですか、凡暗野郎。凡暗野郎の言うことはいつも意味不明です」

「いや」


 何でもない、と見知らぬ男は曖昧に濁して、それきり喋ることはなかった。その姿が、何故だかやけに気にかかった。


「……何じゃか知らんが、もしやこれは妾にとって望外の好機というものではないのか? ぬしよ。こやつら見たところ、先刻の巨漢と同族なのじゃろう? しかも敵を名乗りおったとなれば、最早遠慮は要らん筈じゃよな。ふむ、欲しかった手柄が自らの足で飛び込んで来よったか。これも妾が持つ豪運の賜物、もとい日頃積んだ善行が固まった結晶よ。かくなる上は」

「カーネリアンちゃん」


 太秦が、早速行動に移ろうとしているカーネリアンを引き止めた。


「あとでもう一人、必ず解放させてあげるから。今は抑えてくれ」

「……まあそれなら、妾としては吝かじゃが」


 そうか。太秦も俺と同じ判断か。

 ちらとムジカの顔色を窺った。眼が合ったことに気づいたムジカが小さく囁いた。


「ご命令次第であります」


 本当に成長したんだな。一年前ならもう吶喊していただろうに。

 さて、それなら打つべき手は一つしかない。ないのだが、どうしたものだろうか。


「どうしたのですか、三人とも。戦って楽に勝てる相手でないのなら、ここは逃げるべきではないのですか。ていうか逃げましょう。超絶逃げたいです。貴方がた三人はともかく私の身が危ない」

「それがそうもいかないのですよ、巫女様」

「何が。ていうか私の身元あっさりばらさないで。私が狙われる」

「先刻、御自身の口から漏らしていらっしゃったではないですか。ええ、一度退いて貴女様の託宣を賜りたいのは重々なのですが。逃げたくとも逃げられないのですよ」


 託宣の巫女の短い問いに、人形の少女が答えた。

 そう、この状況では逃げたくとも逃げられないのだ。それはこちらにとっても同じことが言える。何故なら、お互いの距離が近過ぎるからだ。下手に逃げようとしてどちらかが先に背を向けようものなら、次の瞬間にその内の誰かが無防備な背中を貫かれてしまうだろう。やればやっただけ、不利になるのが決まっている選択肢なのだ。


 それにしても、不思議なことを言っている。こいつらは先刻自分から姿を見せた癖に、どうしてこうも早く逃げる算段を立てているんだろう。こっちはこっちで、撤退を念頭に置いているくらいなのに。


「逃げるなどと! それなら不肖私めが一人で」

「この四人を相手にして、一人で勝てる訳がないでしょう、薬伽(ヤカ)。時間稼ぎでもしてくれる積もりなのですか?」

「嗚呼、正しく仰る通りです。厭おしい限りですね。しかし、それより他にないのではないでしょうか? 何せこれ以上時間をかけてしまえば」


 あれ(・・)らが来てしまいます、と。狂人は言った。

 それらはすぐに訪れた。追いついた、と表現した方が正確だったかもしれない。




   ■ ■ ■




「そこまでだ、魔族共」


 お互いに逃げることも出来ず、かと言って積極的に戦いを始める意思もないまま、膠着状況に陥りかけていた魔族と俺達との間に、再び割って入った声があった。

 新しく山頂に現れた第三者は、ムジカと同じ外套を着て、懐かしいふわりとした狼の耳を油断なく立てていて、俺の記憶よりも少しだけ背が伸びていた。その少年の後ろからは竜鱗の肌を持つ長身の女性と、巡礼服を着た小人族の少女もついて来ている。どれも良く見知った顔だった。

 成程。眼の前で口惜しげに歯噛みしている魔族の集団は、てっきり憂羅我を救いに来た増援か何かだとばかり思っていたのだが。実際には逃げてきていた(・・・・・・・)のか。

 かつての俺の仲間達から。


「この英雄親衛隊が追いついたからには、お前達の命運もこの山頂で尽きる」

「……。英雄親衛隊……?」

「そう、亡き英雄オーギ・アダシノの遺志を継ぎ、再び立ち上がった僕達こそが、ってうわ! 何で居るんですか!」


 それは俺の台詞でもあるのだよ、アルティリオ君。

 ところで亡き(・・)英雄って、一体誰のことだい?



 俺、このパートが終わったら、日常編に戻るんだ……早く戻したい(本音)。

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