会議
「ところであのウズマサとやらが故郷への帰還を諦めたにも関わらず、何故同じ封印術を自らに施した筈のこの若輩者が三つの世界を無事に渡りおおせているのか、疑問に思った御仁もおるかもしれんが、それは『虚ろ癒えぬ魂の牢獄』が術を被った者の存在そのものを一つの世界に封じ込める業であるのに対し、この若輩が己自身に施術したのは感情という己が一部分をより小規模に封鎖し、意識の深層に閉じ込めておく業に過ぎなかったからじゃ。妾の封印についても同様、端的に違う種類の業を用いた為生じた結果の差じゃと思ってくれれば、それでよい」
「誰に向かって説明してるんだ?」
結局、俺と女王の共同作業は事前の予想を遥かに超えた工程数を前に難航し、俺達は今日中に感情の修復を終えることを諦め、一日一度ずつの数日がかりという緩めのペース配分で取り組むことに決めた。
「ぬし、妾と戦う前準備の為とは言え、どんだけ念入りに己が心を封じ込めれば気が済むんじゃ。己の心じゃぞ。もっと大事にせんか。これなら何も手を加えずそのまま妾に敗けていた方が、幾らかマシな情態になっていたんじゃないかの。妾も、あの魔術師連中にこき使われておっただけのぬしには悪いようにせんかったじゃろうし」とは、作業を中断した直後のカーネリアンの言葉である。
そうは言うがな、もし準備不足で女王だった頃のお前に敗けていたら、俺は今でもベインヴェルベータに足留めを食らっていただろうからな。結晶生命体の一族に個人的な恨みはなかったが、流石に八百長での勝負を持ちかけられる程の信頼関係があった訳でもなかったし。
そして今、俺達は砦の主だった戦力や指揮権を持つ人物を集めて、会議をしていた。
「九割九分、相手方の張った罠だねえ」
俺達二人の話を聞いて開口一番、ウズマサが断じた。
まあ、そうだよな。侵入者に強奪されたという転移用の魔術触媒は、ダルファニール全土を見ても希少な消耗品だ。あんな便利なものがもしそこらの山中にでも有りふれていれば、この王国の文明水準はもう少し発達していただろうし、戦争の在り方だってもっと高度で複雑になっている。相手側の将はこちらの貴重な移動手段を奪って逃走を防ぎつつ、それを取り戻しに来た俺達を有利な状況で待ち構えて、あわよくば返り討ちにしようという腹積もりなのだろう。
但し、その為の寄せ餌として相手側に鹵獲されてしまった魔術触媒の有益さは、また同時にそれが相手側によって処分されにくいという事実も示している。もし俺達が誘いに乗らず追撃に出なければ、相手側が今回の襲撃で得た戦果はその物資だけとなるからだ。つまり、仕掛けられた罠を完全に突破出来れば、触媒がちゃんと俺達の手元に戻ってくる公算は大きい。
「そんなことは判っておる。罠であることを踏まえた上で、相手方が想定しておる以上の戦力を注ぎ込んでやれば、勝機は充分にあると言っておるのじゃ」
「想定以上の戦力ねえ。この砦からはそんなもの出せないけど、君が用意してくれるのかい」
「それも知れたことよ。他でもない、妾じゃ。あの角の生えた大男にとって全く未知の存在である筈の、この妾という過剰戦力さえ投入すれば、たとい単騎でも五分以上の勝負には持ち込めよう。そこに足手纏いにならん程度の精鋭を二、三上乗せ出来れば、絶対とまでは言わずとも、これ以上なく手堅い戦となるわ」
あまりと言えばあまりに自信過剰なカーネリアンの言葉に、太秦はふうむ、と顎の無精髭をさすった。
「この地では未だ知られざる異世界、ベインヴェルベータをかつて統べていた結晶生命体の女王。不死なる珪素殻生物の長であり、同時に感情を操る能力に最も長けている個体。名はカーネリアン・フランベルジュラック・ベインヴェルジュライトちゃんだったっけか」
「ちゃん、は余計じゃ」
「その謳い文句だけ聞くと確かに凄そうだけど。実際のところどうなのオーギ君。彼女、本当に強いの?」
太秦が俺に話を振ってきたので、どのように答えたものか、しばらく考える。
「強いよ。少なくとも、今の大言壮語をただの油断や見込み違いと斬り捨てられない程度には強い。勝算は充分あるだろう。ただ、他人を集めておいてこう言っちゃ何だが、実際に彼女の手を借りてあの男のところに反撃しに行くべきかどうかについては、それこそ政治的な判断の余地が残っている気がするんだよな。今からでも再考するべきなんじゃないかと思う」
俺のなかにも、カーネリアンにとっての同胞である他の結晶生命体達を、いっそ早く解放してやりたいという気持はある。俺だって何も好んで自分の身体に憎んでもいない彼女らを監禁している訳ではないからだ。
しかしその為には、まず俺とカーネリアンがきちんとした形で和解を果たし、多くの手柄を立てさせることで彼女らが危険な存在ではなく、むしろ隣人として共存し得るということを第三者にも証明し、きちんとした手順を踏んで内外に信頼関係を築いていく必要があると思っている。手柄の種類は何でもいい。要は彼女らを自由にさせても大丈夫だという保証があればいいのだ。
だが、あまりひと時に手柄を取らせ過ぎるのにも少し問題がある。手柄に応じた報酬、この場合は仲間達の解放という代価を、支払い切れなくなってしまうかもしれないからだ。一度に何人もの結晶生命体を解放してしまえば、周囲の彼女らへの警戒度や、軋轢が生まれる可能性はそれだけ上がってしまう。かと言って彼女らの働きに見合った恩賞がなければ、彼女らの方が俺達に対する不信や不満を抱くだろう。その結果、彼女らがこの世界にとっての新たな侵略者になり果てるという展開も、あり得ないとまでは言い切れない。
懸念はもう一つある。日本に帰還する為の触媒や、カーネリアンに立てさせる手柄の件を考慮に入れても、そもそもこれは決して渡るべきでない危ない橋なのではないか、ということだ。
転移用の触媒が幾ら貴重なものだと言っても、今諦めれば二度と手に入らないという程ではない。この砦が攻め落とされでもしない限りは、いずれ王都や近隣の防衛拠点に備蓄されていたものが届けられ、日本に帰還するのも他の場所に移動するのも自由になるだろう。同じように、カーネリアン達と共存関係を結ぶ為に何かしら彼女の手柄が必要だとしても、それは今この場所で戦いに臨まなければならないということには直結しない。わざわざ相手の誘いに乗らずとも、別の機会に異なる形で働いてもらえば済む話なのだ。こんな不確定要素を挙げれば際限がないような戦いを仕掛ける必然性は、殆どないと言っていい。
そう、無理に戦いを挑まなければならないような必然性はないのだ……理性的に考えれば、その筈だ。
だと言うのに、どうしてだろう。今ここで戦うという選択肢を採らなければ後悔するような気がしてくるのは。
いや、本当は判っている。眼を逸らす訳にはいかない。先刻から俺の内側で静かに燻っているこれは、俺のなかに元々あったものなのだから。これは、戦意だ。敵愾心だ。本来なら、太秦に仕えていた近衛の一二人を襲撃者が擲ち、あまつさえ屍をも隷属させたのを見た瞬間に、燃え盛っていた筈の怒りだ。つまるところ俺は戦いたいのだ。心の乱れるままに、わざわざ危険を冒してまで、あの魔族の男を斃しに往こうとしているのだ。そうしなければ帰ってきた甲斐がないではないかと、そう思っているのだ。
何故突然、これ程に強い情動が俺のなかに沸き起こってきたのかについても、既に見当がついている。カーネリアンと一緒に感情の復元を始めた影響だ。彼女との決戦に臨む直前に、義務感のような最低限の動機を残して封印をかけていた、多くの能動的な感情が、今になって綻びから溢れ出てきたのだ。
駄目だな、どうにも抑えが利かない。義憤に任せての行動なんて碌なことにはならないと、判ってはいるのだが、心に歯止めがかからない。何かしないでは居られない気になっている。まるで初めてこの異世界で魔族との戦いを眼のあたりにした、あの頃に戻ってしまったかのようだ……それなら、むしろこれが俺の本性なんだろうか。いやいや、やはり心を封印し続けていた反動だろう。だとしたらカーネリアンに言われたように、術を少し厳重にかけ過ぎたな。今後は自分自身に何か手を加えるときは、もっと慎重になった方がいいかもしれない。少なくとも、復元作業は時間をたっぷりかけてでも確実に終わらせておくべきだ。
或いはこうも考えられる。他でもない、その復元作業こそがこの異変の原因なのではないか、ということだ。つまり、他者の感情を自在に操るヴェルジュライト一族のカーネリアンちゃんが、俺の心を復元するという大義名分に乗じて、こっそり自分の都合が良いように然るべからざるところに手を加えた、と疑うことも出来る、という話である。一応俺もそういう工作の余地を与えないように注意はしていたのだが、俺は封印術には適性があっても心理学や精神医学に詳しい訳ではないし、自分自身の心を余さず可視化することが出来る訳でもないので、何処まで突き詰めたとしても一抹の疑惑は残ってしまう。やっていないことを完全な形で本人に証明させるのは原理的にほぼ不可能だ。これについては、国を亡くしたと雖も、カーネリアンの元女王としての器を信じるしかないだろう。
「ふん。好き勝手言ってくれよるわ」
「この子にあげる報酬の話なら、オーギ君。王国から出すことも出来るぜ」
太秦がそんなことを言った。そうか、それなら話は少し変わってくるな。
「丁度、最近新しく手に入れた小さな領土が一カ所余っちゃってるんだよ。新しいってことはつまり、オーギ君がいない間に攻め落とした元の魔族領なんだけどね。上手く統治出来そうな人材も今は少なくなっててさあ。持て余してるんだ。というかむしろ、若手の間で誰が治めるかっていう権力闘争の火種になりかけてる。なかには余計な力を渡したくない家柄の子もいるし、そういうしがらみのない、外から来たカーネリアンちゃんと、王国内での信頼も厚い英雄のオーギ君の二人に治めてもらえれば、丸く治まるんだけどなあ。その為に必要なだけの官位も、一緒に渡すからさ。カーネリアンちゃんは欲しいだろ? 領土」
「領土。領土とな。豪気な話ではないか、やや豪気に過ぎる気もするがのう。悪い話ではないのじゃし、受けてみてはどうじゃ、ぬしよ」
それ絶対面倒な奴だろ。元の魔族領ってことは、そこに住民がいたとしても、魔族じゃん。お互いに気まずいどころか、下手したら反乱じゃん。扱い切れないのが眼に見えてるわ、そんな不良物件。
■ ■ ■
そこから会議は、そもそもあの憂羅我という男を追いかけて打倒するという案は何処まで現実的なのか、どのようにしてその追撃は可能となるのか、という方向に進んでいった。
「転移痕を辿った先の調査は終わったのか?」
「それがね、途中で転移の穴が隠蔽されてて、凡その方角くらいしか判らなかったらしいんだよ」
大体、あの大きい山の方らしいんだけど、と言って、太秦が窓の外に並ぶ尾根の一つを指差した。
「じゃろうな。あの山からはそこに潜む何者かの強い感情が伝わってきおるわ。もう少し近寄れば、妾ならあの大男の正確な居場所を感じ取れるじゃろう」
結晶生命体には、他の生物が持っている感情を探知する能力も備わっているからな。ひとの多い市街地などでは使えないらしいが、山狩りをするのには向いている種族だ。ベインヴェルベータでは、どちらかと言えば山狩りをされる側に回っていたというのが、皮肉な話だけれども。
……駄目だ、思い出したらまた罪悪感が湧いてきた。俺もその山狩りに参加していたんだよな……多分、俺は彼女と話し合いが出来るようになった今後も、当面の間はこうして、自分自身の心にちくちくと苛まれ続けるのだろう。自分が加害者の癖に勝手なことを言うようだが、これがあとどれだけ続くのかを想像してみると、今から憂鬱な気持になるな。
「あの山の方向であれば、自分には目標の居処に心当たりが一つ」
あります、とムジカが言ったので、会議の内容に意識を引き戻された。気づけば隣に座っているカーネリアンが半眼で俺を睨んでいる。拙い、と思って気合を入れ直した。
確か、ムジカは俺がこちらの世界に居ない間に憂羅我達と戦って、妹の方を斃したんだったな。何か独自の情報があるんだろうか。
「自分が半年前にあれの妹を討ち倒した場所が、丁度あの山の頂上付近だったと記憶しているであります」
「……そうか」
なるほど。
自分の方から砦を襲撃してきた割にはやけにあっさり帰っていったと思っていたが……復讐を遂げるに相応しい舞台を、或いは自らの死に場所を選びたかったのか、あの男は。
■ ■ ■
「じゃあ、決まりだねえ」
「纏めるとだ。斃れたこちらの兵士を味方に変えてしまうという敵将の性質上、こちらが差し向けるべき戦力は、物量よりも少数精鋭。かと言って逐次投入の形にしてしまっては、こう言っちゃ何だが先刻のおじさんの二の舞いになるだろう。かつ、再度の奇襲を受ける可能性を鑑みると、砦の防衛にもある程度の人員を割いておかなくちゃならない。つまり、こちらからの出兵は多すぎず少なすぎず、敵将に対抗し得るだけの実力を持つ者のなかから、一人ひとりを厳選する必要がある」
「以上を踏まえて、今からあの山に向かってもらうのは四人。まず、志願兵としてカーネリアンちゃん。宜しく頼むよ。それからオーギ君には必ず出てもらわないといけない。いやさ、この砦の兵士達が仲間の仇討ちをさせろって煩いんだよ。しかし残念ながら、彼らの実力はあくまで普通の獣人兵並でしかない。血気盛んな彼らを納得させる為にも、英雄である君が出陣したからもう心配ないってことにしなきゃならないんだ。あとほら、君はカーネリアンちゃんの動向を『見届け』なくちゃ、だろ? そうそう、二人には仲良くしてもらわないとね」
「ムジカちゃんにも同行してもらおう。何だいオーギ君、そんなにこの子の成長が信じられないのかな? どうせ無意識だろうけど、過保護だねえ。でもさ、君にとっては殺されちゃってもいい駒なんてこの場に一人も居ないだろう? だったら、敵の本命が誰だろうと、どの駒を矢面に立てようと、殺されないように立ち回らなきゃならないのはどの道同じことじゃないか。それは誰を選んだって同じってことだよ。ムジカ准二尉は仮にも敵将の妹の方を倒したんだから、実績も充分に有ると言えるだろう。忘れてるかもしれないけれど、そもそもこの子は君の護衛なんだぜ。前線に出して大丈夫さ」
「あと一人? 俺だよ。そんな眼で見るなよ、君にもらった新しい特性の仕様も確認しておいたし、今度はちゃんと挽回してみせるつもりだから」
「他に戦えそうなのはシキちゃんとルーチェ三佐だけど、この二人には砦の防衛に残ってもらおう。シキちゃんの実力は正直未知数だし、三佐も表立って戦うよりは後方での指揮に向いているタイプだしね。カンセー君は、悪いけど、少なくとも今は戦力として論外だなあ」
そう話を決めて四人で砦を出発し、阿多羅刹族の将が潜んでいると思われる山を登っていった。薄っすら雪を冠る尾根を登った先に在ったのは、屍躰の山だった。
いつかの戦場で無念に散っていった戦士達。或いは彼らが護れなかった近郷近在の村民達。そんな人々の成れの果てだろう屍兵の群れが、俺達を待ち構えていた。
地獄のような惨状に思うところはあるが、それでも予想の範囲内だ。罠を張るならこれくらいの用意はするよな。
「これじゃ仕方ない、三人で先に行っててよ。あの大男への意趣返しの機会を逃すことになりそうなのは残念だけど、俺なら君のお陰でどうやら本当に死ぬ気遣いだけは要らなくなったみたいだからさ」
俺とカーネリアン、ムジカと太秦の四人編成で、元の王国民と思しき屍兵達の何割かを斬り捨て、打ち据えて、焼き払った末に。それでも埒のあかない状況を見て、太秦が腕や脇腹を喰われつつあるのにも構わず、そんなことを言ってのけた。傷痕からはその言葉通りに、細い術式の鎖がちりちりと幽かな音を立てて顕れ、千切れた太秦の身体を繋ぎ合わせて修復を始めていた。封印の影響による、現世への呪縛だ。
「悪いな、ここは一旦任せる」
「戻って来なくてもいいよお。むしろ決着までに追いつくからさ」
「すぐ追いつくって、それ漫画や小説だと結局追いついて来ない奴の台詞だぞ、それ」
まあ、ああして軽口を飛ばすだけの余裕はあるみたいだし、実際大丈夫だろう。
本人の指示に従って太秦を放置し、行く手を遮る岩や屍躰の伏兵を踏み越えて、そのまま山頂を目指し走り抜けた。途中で背後から爆発音が聴こえ始めたが、引き返すことはしなかった。何が起きているのか、振り返らずとも予想はついたからだ。
戦力を分断される形にはなったが、カーネリアンによれば、魔族の将らしき反応があるのはやはり山頂付近だと言う。それならば雑兵に割り振る人数を最小限に留め、最も手強い将を最大の手勢で追い詰めるという選択は、間違ってはいない筈だ。
「近いな。ここから先は心して歩を進めよ。じきにあの大男と接敵する筈じゃ」
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その男は木陰もなく見晴らしの良い頂上に据え置かれた、雪融けに濡れて輝く小さな岩の傍らに一人佇んでいた。
「来たか、異界の者共。そして我らが仇敵よ。阿多羅刹軍六芒征が第一角、我ら兄妹が相対仕る」
執筆中「本当にこのシーンは必要なのか?」と何度も悩みました。
ですが、説明を挟まなければ色んな事情が伝わらなくなると判断し、やはりカットせずに描写することにしました。
今回もお読み戴き、ありがとうございました。
太秦正宗の一人称が「俺」から「僕」に変わってしまっている不具合を発見した為、修正しました。