強襲
前回八月中の更新が遅れると言いましたが、今回ぶんは思っていたより早く仕上げられました。次回こそは大幅に遅れると思います。
「君の可愛い弟子のムジカちゃんからの報告は聞いてるよ。シキちゃんって、オーギ君の実の娘でもあるんだってね。何だよなんだよ、こんな大きな娘が産まれてたのなら教えてくれよお、お祝いくらいしたのに。何なら国を挙げて式典開くくらいしたよ。水くさいなあ。それと日本に帰ってたんだって? お土産持ってきてる? あ、なかったら土産話だけでいいよ。おじさんずっと気になってたんだ。あの異能力バトル漫画とか完結した?」
「……シキの誕生を祝うのは、時系列的に無理だろ。土産には醤油と味噌と酒をちゃんと持ってきた。あの異能力バトル漫画がまだ続いてるかは知らないけど、終わるとは誰も思ってなかった交番漫画が完結したって話は聞いた」
軽い。けれども、それがこの男、太秦正宗だ。
先に自分で言っていた通り、俺よりも前に日本からこの異世界ダルファニールに喚び出されて戦っていた前代の英雄であり、年齢を理由にして引退したあとは獣人達の王座に収まった中年男性。そして一年半前に新たな日本人の若者、つまり俺を戦力としてダルファニールに召喚することを提案した人物でもある。その行動からも概ね想像出来る通り、本人は日本からこちらの世界側に完全に帰化した気でいるようだ。基本的にダルファニールに利するよう動く。
あとは工作員として育成していたムジカを監視目的で俺につけたり、俺とムジカが実は似た者同士の鉄砲玉気質だという事実が判明してからは、俺達二人をそれぞれの反面教師と教え子に任命するというお節介をしたりと、様々な企みをこの飄々とした態度で俺達に押しつけてきた。要は胡散さがいい加減さという服を着たようなおっさんだと俺は思っている。
「そうかあ。やっぱり日本も色々変わったんだなあ。まあいいか、もっと話を聞きたいところだけど、これ以上は自分の眼で確かめよう。だってムジカちゃんが君達をここに連れて帰ってくることが出来たってことは、今までみたいに不確実な手探りでの一方的召喚じゃなくて、こちらから日本に誰かを送り込む手段も確立したってことなんだからね」
なるほど、そうなるか。
俺達がいつでも帰還出来るということは、つまり、この男にとっても故郷への再訪を果たす目処がついた訳か。既に十年以上の月日をダルファニールで過ごし、このまま王国に骨を埋めるつもりだとまで言っていたこの男からすれば、近年思ってもみなかった展開だろうな。それでこんなに早く俺達に接触してきたんだな。
いや、そんなことより。久しぶりに会って色々確認したいことがあるのは、俺の方も同じなんだよ。
むしろ、今のこの流れしかない。
怖くてなかなか訊き出せなかったことを、今尋ねておこうと思った。
「ハティ。アニクシ。ザリア。アルティリオ」
俺は一つひとつ名前を挙げていく。喪う訳にはいかない、俺の大切な仲間達の名前だ。
口腔内は既にからからに乾いていて、指先は思い通りにならず震えている。時間が油のようにゆっくりと流れを停め、身体の周りに纏わりついてくるように感じられた。
「俺があのとき、戦場に突然置いてきてしまった仲間は、あいつらは結局どうなった? 俺が別の世界に召喚されたあと、全員無事に帰れたのか? 生き残って、今もまだ何処かで戦っているのか?」
口腔の乾き。不随意に震える指先。油のような時間。どくどくという自分の鼓動に遅れて気づく。
それらの現象は眼の前の男が最初の一言を漏らした途端に止まった。
「無事だとも。仮にも英雄と肩を並べる君の仲間を舐めない方がいい。尤もあの戦線から離脱した際に多少の怪我は負ったようだが、その傷が治ってからは全員、元気に活躍してるよ」
そうか。それは、よかった。本当に。身体に入っていた力が抜けていく。
今まで黙って控えていたルーチェさんが、そのとき初めて言葉を発した。
「オーギ殿。一年前に戦場で姿を消した貴殿が、この一年間でおよそ尋常ならざる経験をしてきたことは、私にもある程度は想像出来る。と言うより、私がこの場の誰よりもよく判っていることだろう。ステータスが読み取れない程幾つも重なって見える人間など、少なくとも私は他に見聞きしたことはないし、それが只ごとだとも思えないからだ。そんな状態になりながら帰ってきた貴殿を責める者はこの王国には一人もいないし、いたとしても私が許さない。だから貴殿がこの世界に不在だった間に出た多少の被害は、どうか気にしないでくれ。それらは全て、我らダルファニールの戦士が背負うべきものだ。そもそも、貴殿をこれ以上戦わせることさえ、ダルファニール人総ての本意という訳ではないのだ」
俺を解析していたのか。冷静に他人のステータスを診ることも出来るんだな、このひとは。それは別にいいが、俺をこの世界に喚び出して戦わせた張本人である国王の手前でそこまで言って大丈夫なんだろうか……まあ、どうせ面の皮が厚いこのおっさんのことだ、気にもしていないだろうから構わないか。現に苦笑しているだけだし。
「よかったね、お父さん?」
シキが微笑む。その一言を聞いた太秦のおっさんが好奇に満ちた眼で俺とシキを見較べた。やめてくれ。もしかして俺は、この先何かある度にこういう視線に晒され続けるんだろうか。はっきり嫌という程でもないが、とても複雑な気分だ。
こちらを向いて微笑んでいるシキに、俺も何となく、ぎこちなさを感じながらも笑って返してみせた、その瞬間。大広間に重く罅割れた声が響いた。
「漸く見つけたぞ我らが仇敵。屍兵共よ、そこな壁際に並ぶ飾りの如き雑兵を討て」
■ ■ ■
気づけば一面に血溜まりが広がっていた。今や玉座の近くにいる俺達六人を囲んでいるのは、甲冑を着た近衛の兵士達ではなく、死したまま動く腐った屍の群れだ。放っておけばその足元に転がる鎧も、じきに屍兵の一員となるだろう。
もの言わぬ屍躰を手先として動かすこの術には見覚えがあった。過去に一度、戦った覚えも。
「阿多羅刹軍六芒征が第一角、身司る憂羅我」
いつの間にか開いていた扉から入ってきたのは、記憶に違わぬ鬼の相を備えた巨漢だった。青黒い肌はごつごつとした強靭な筋骨で盛り上がり、額から捻じくれた角が二本伸びていた。現在ダルファニール諸国を侵攻している魔族、アタラクシャ族の証だ。
侵入者の巨漢が使役する屍兵の群れは徐々に包囲を狭めてきていた。屍術。屍躰を自由に喚び出し、術者の意に大まかに沿う形で動かすことの出来る術だ。何より厄介なのは、その性質上、屍兵によって生命を絶たれた犠牲者が屍兵の仲間となり、更なる犠牲を生むことだろう。まさに戦場で運用される為にある術と言っていい。
「……俺が視察先から直接転移した穴を辿られたかあ」
「そのようです。見張りも音なく突破されたのでしょう、面目次第もございません」
「いいよいいよ、この状況ならお互い様だ」
扉から見て一番奥にいる太秦とルーチェさんが、俺達の肩越しに唐突な侵入者の姿を見据えてやり取りする。二人の顔色は変わらないが、決して巨漢から完全に視線を切ることもない。
俺達の位置関係は、太秦を広間の最奥に、その傍らをルーチェさんが固めており、ムジカと俺が前列に並び立つ形になっていた。その間でシキがカンセーを庇いながらじりじりと後退している。
「何と重畳な。図らずも我ら兄妹にとっての仇に、獣人の王と将一人。異界の強者共まで首を揃えておるわ。これこそ千に一度の好機よ。しかしてひとまずは」
一通り俺達の様子を見渡していた巨漢は、しかし尚も憎悪を湛えた眼で真っ直ぐにムジカを睨み据えた。
「亡き妹の墓前に仇が素っ首、獲りて供えるとしようぞ」
「そいつは聞き捨てならんなあ」
太秦が――恐らく王としての太秦ではなく、先代の英雄、太秦正宗が玉座を降りて立ち上がった。ルーチェさんと二人で、そのまま俺とムジカのすぐ後ろまで進み出てくる。
「今ヴァルヴェーレ家の末娘を獲られると、俺は故郷に里帰りする為の足がなくなるんだよ」
「何と。こやつも誰ぞの妹と申すか。ますます首が欲しくなりおったわ」
「困ったな。仕方ないオーギ君。後ろに下がってムジカちゃんを護っててよ。この場は一度引退したおじさんが何とかするとしよう」
「大丈夫なのか? 下がるのはいいが、気をつけろよ」
一国の王がそんな真似をしていいのかとも思ったが、本人が言うのでとりあえず場所を譲り、ついでに魔術で自分の身体に封印していた適当な剣を一振り取り出して、太秦に手渡した。現役の頃は身体強化術を主軸とした剣士だったという話を前に聞いた気がするので、得物を渡すならこれで間違いない筈だ。
「戦いの先達に対して何て口の利き方だよ。心配しなくても最近はおじさんもときどき運動してるんだ。ほら、国のトップが前線に立つと士気が上がるし」
「お供します。背後からの支援はお任せ下さい」
「うん。背中はルーチェちゃん、君に頼んだよ。だから前衛は俺ね」
「動かないでね、カンセー君。勝手に離れると護り切れないかもだから」
「あ、ああ。悪いけども頼む」
「うう。自分も、国王陛下に戦の後始末をさせているようで何だか申し訳ないであります」
ムジカが呟いたので、振り向いてことの次第を尋ねた。
「お前、本当にあれの妹を殺したのか」
「半年程前に戦場で出くわしまして、撃破いたしました。ラサ、と名乗っておりましたか。手強い相手でありました」
「だろうな……あれの妹と言えば、一年前の俺も勝てなかった奴だぞ」
「仇より前に、王の首狩りか。まあ好い、諸共に鏖殺すれば済む話よ」
征こうぞ。
そう言ってまず動いたのは、しかし巨漢――憂羅我自身ではなく、俺達六人との距離を詰めていた手下の屍兵達だった。既に鎧の近衛兵もその列に加わり始めていた囲みが一斉に太秦を目がけて突進し、腕や剣を振るう。
「ふっ」
連動したそれら波状攻撃の総てを、太秦は軽く身体の向きを変え、俺が貸した剣を要所にかざすことで受け流した。そのまま縱橫に剣を三閃し、届く範囲の屍兵を斬り捨てていく。その瞬間には、憂羅我もまた太秦に肉薄し、岩のように硬質な拳を繰り出していた。一合。剣と拳が衝撃音と共に弾かれた。
「なっ」
「おおおっ」
二合、三合。そして屍兵達の第二波が太秦に襲いかかった。憂羅我との渡り合いを中断し、大きく距離を取る太秦。憂羅我もその隙を逃すまいと再び接近するが、今度は太秦が離脱と同時に蹴り飛ばした屍兵の残骸に阻まれた。
「私を忘れてもらっては」
困る、とルーチェさんが魔術を放った。憂羅我の足元が小さく爆ぜ、その巨体が僅かに均衡を崩した。
「もらったっ」
今度は太秦が憂羅我に突進し、利剣の切っ先を突き出した。速い。常人の眼には捉え切れないだろう。憂羅我も均衡を戻す前に両腕を上げ、咄嗟の防御を構える。太秦の剣はするりとその腕の間を潜り、巨体の心臓部に到達して、その背中を貫き通した。
■ ■ ■
「阿多羅刹軍六芒征が第一角、身司る憂羅我と!」
「同じく阿多羅刹軍六芒征が第一角、身司る羅沙! 戦場に推して参るよ!」
一年と数ヶ月前。彼ら兄妹の名乗りは、確かこうだったと思う。その片割れを斃したのがムジカだというのは少々驚きだが、ダルファニールの勢力は俺がいない間も必死で戦っていたということなのだろう。
「つまりは片割れが死んで戦力半減かあ、その状態でよくここまで辿り着いたね」
太秦が剣を横に捻りながら嘯く。そのまま切っ先を引き抜こうとするが、そのとき、ふ、と憂羅我が息を漏らし、笑った。
「心の臓一つで、勝ったつもりか」
刹那の、爆発。憂羅我の胸元から、血ではなく紅い炎が吹き出した。衝撃を躱しきれず太秦が吹き飛ぶ。前触れもなく巻き起こった爆風に、何の抵抗も出来ず壁際に叩きつけられて止まったその痩身からは、剣を持っていた腕が根元から粉微塵になり消失していた。
一方の憂羅我は拉げた剣を掴んで胸元から引き抜く。炎はごうごうと憂羅我の胸に空いた深い傷痕を覆い、やがてその穴を元通りの有り様に塞いでかき消えた。
「死竜の心臓よ。この身は既に、妹を貴様らに奪われた以前と同じものではない」
「お、王っ」
ルーチェさんが壁際に倒れ伏している太秦に駆け寄った。その背中を眺めながら、憂羅我もまた止めを刺す為にか油断なく歩を進める。俺とムジカ、シキとカンセーは屍兵に囲まれた上、それぞれ味方を庇っていて即座には動けない。
「王の首討ち取ったり……む?」
だが憂羅我の歩みは槍一条程の間合いに入って止まった。その太い眉が訝しげに寄せられる。何故警戒したのかはすぐに判った。粉々になって失われた筈の利き腕を床について、太秦が起き上がったからだ。
「これは如何に。その腕、先程確かに死竜の暴威にて消し飛んだ筈。面妖な」
「心臓破られて動いてる、お前さんに言われたくないなあ」
「我らが王。ここは私にご一任を。あとはお休み下さい」
そう言ってルーチェさんは、憂羅我の前に立ち塞がった。太秦の腕を消し飛ばされた直後に彼女が使ったものと同じ、何らかの魔術の発動準備をしているのが遠目に見て取れた。その姿をまじまじと観察した憂羅我がおもむろに尋ねた。
「やはり腕が元通りに生えておるわ。まやかしの類ではないな。察するに女、汝の術か」
「改竄魔術。我らが王の欠損を、十全の状態に書き換えた」
解析魔術の応用だ、とルーチェさんが告げた。それは俺も今まで眼にした覚えのない業だった。恐らくルーチェさんにとっての奥の手なのだろう。
「この間合いからなら貴様の状態に手を加えることも出来るぞ。まず肉体強度を大幅に下げてやろうか」
「どうやら、ぬかったわ。見誤った。汝らの切る鬼札は仇でも王でも異界の客人でもなく、そこな女の将であったか。女、名は何と申すか」
「……ヴァルヴェーレ家の長姉、ルーチェ」
「ほう。それは我らが仇の家名であるな。なるほどなるほど、いとも重畳なり。呵呵、我らが仇の姉と言うは汝であったか、却って好都合よ。次は妹共々に必ずや冥府へ墜としてやろう。さりながら獣人の王が立ち直り、汝のような未知の術者も居る上、異界の客人らへの足止めさえ最早限界と見える。手の内を一つ晒した割には風向きが思わしくないようだ。差し当たり本日は」
出直すとしようぞ。そう宣って、憂羅我の巨体は宙に溶けるように消えていった。転移の魔術だ。