再び異世界αへ
お待たせいたしました。腰痛は執筆作業の大敵ですね。
これから始めるのが何を主題に据えた、どういう話なのかと言えば。
この俺、化野正親にとっては、二つの異世界に残してきた二つの後悔を克服し、かつて在り得ただろう笑顔や涙に溢れた可能性を取り戻す逆転劇であり。
友人、古井陥穽にとっては、胸の裡に長い間抱えていた空虚さを克服し、鮮烈なる情動と彩りある生を取り戻す為の逆転劇であり。
未来の娘、化野篝 にとっては、老いたる夢への妄執を克服し、幼き日の夢への憧憬を取り戻す逆転劇であり。
愛弟子、ムジカ・ヴァルヴェーレにとっては、生命への無関心を克服し、そして生命への執着心を捨てることになる始まりの物語であり。
そして女王、カーネリアン・フランベルジュラック・ベインヴェルジュライトにとっても、やはりこの話は逆転劇なのだろう。彼女にも取り戻し、或いは克服しなければならないものが数多くあるのだから。彼女がかつて喪ったものの数々を、俺は誰よりも知っている。何しろそれらは、俺がこの手で彼女から奪ったのだから。
■ ■ ■
記憶を思い起こせば、前回ダルファニールに喚び出されたとき、確か京都は朝で、ダルファニールでは夜だった。
埃っぽい石造りの小部屋に一つだけ取りつけられていた明かり採りの鎧窓を押し開けてみると、冷たく澄んだ空気と朝焼けの光が入り込んできた。
「今回は夕暮れを待って出発してみたが、やはりこちらの世界では早朝だったか」
つまり、きっかり半日のずれがあるということだな。いや、時間軸そのものがずれているというより、単に恒星との位置関係の問題と考えるべきかもしれない。遠く山の端から今昇りつつあるあの輝く球体が、俺達の識る恒星の類と同じもので間違いないのならだけど。
「うおお……」
カンセーが窓から差し込む異世界の日の出と、眼下に広がる黒々とした針葉樹林に圧倒されていた。ダルファニールの自然は凡そのところは地球上の風景と似通っているから、初めて見るとその美しさに感動出来るよな。植生や原生生物の見ためからして全くの異質だったらこうはいかない。
「ここがムジカちゃんのお部屋?」
「いえ、この部屋は職場の備品のなかでも重要度の低いものを仕舞っておく物置であります。ここで自分が師匠の魔力に気づいたときは、丁度別の倉庫から要らなくなった古い備品を運び込む作業任務中だったのであります」
この一年、師匠の魔力紋を諦めずに追跡していて良かったであります、と呟きながらムジカは部屋の出入り口らしき扉に向き直った。その言葉通り、薄暗い壁際には雑多な日用品や武具が積まれている。この部屋自体には見覚えがないが、窓の外に見える景色から判断して、ここは国境線沿いの森林に幾つか設けられた砦の一つなのだろう。
「む。扉の外から鍵がかかっているでありますな。丸一日不在だったのですから、見回りの者が閉めたのでしょう」
「つまり仕事の最中に完全に無断で俺を迎えに行っていた訳か。怒られるぞきっと」
「即断即決でありました」
「お前のそういう砲弾みたいなところが、迂闊に眼を離せないって言われるんだ」
だからこそ、魔術に詳しいどころか知識面では初心者の俺が、一応は専門家であるこいつの師匠分なんてやらされることになった訳だが。
「少々お待ち下さい。今、扉の錠前を破りますので」
「その必要はない。ムジカ・ヴァルヴェーレ准二尉、貴官は作業の合間に勝手に何処かへ行くなと何度言えば判るのだ」
外から扉が開き、軍服を着た背の高い女性が現れた。
「任務中の敵前逃亡は重罪だぞ。今日と言う今日こそは……む?」
「そこまでにしてやってくれ。そもそも、任務中の敵前逃亡と言うなら、俺の方に非がある」
「貴殿は……まさか、生きておられたのか。オーギ殿」
■ ■ ■
女性はムジカと俺の二人にとって上官にあたる人物だった。その名をルーチェ・ヴァルヴェーレと言う。家名が示す通りムジカ・ヴァルヴェーレの姉で、基本的には優秀な指揮官なのだろうと俺は思っている。現在はこの橋頭堡で国境線の防衛に務めているらしい。
ムジカが作業中に度々姿を晦ましていた件は、一年前に忽然と失踪した俺の行方を定期的に調べていたからというのが真相であり、今回その重要人物である俺を実際にこの世界まで連れ帰ってきた為、不問となった。
「よくぞご無事で帰還なさった。今朝食を用意させているので、少しお待ちいただきたい」
俺とカンセー、シキの三人は案内された応接室の卓に座り、ルーチェさんからの歓待を受けていた。ムジカは俺達の故郷で見聞したことについて詳細に報告する為に席を外している。
「恐縮する。この一年、多大なご迷惑をおかけしたことだろうと思う」
「なに、こちらでも当時の目撃証言と魔力の痕跡から、大体の事情は察しがついている。大方、戦力を求めた別の世界からの引き抜きだろう? 確かに、貴殿程の魔力だ、我々と同じように助力を乞おうとする勢力が他にいてもおかしくはない。学者達の言うように世界が無数にあるというなら尚更だ。どうぞ楽にしてくれ」
良かった、話が通じる。仮にも一国家権力が相手だと問答無用で処罰される可能性も考えられたからな。この王国で多数派を占めている獣人達の、種族的に大らかな側面はこういうときにとても助かる。
他にも確認したいことは沢山あったが、慎重に言葉を選んでいる内にルーチェさんの方から質問が始まった。
「それで、そちらのご両名はどなたなのだ。見たところオーギ殿のご同郷のようだが」
ここは俺が二人を紹介するべきなんだろうな。ルーチェさんに二人の名前を告げた。
「ご友人のカンセー殿に、シキ殿だな。お初にお目にかかる。私はヴァルヴェーレ家の長女ルーチェ。名前でお察しのようにムジカの姉で、上官だ」
「はい、オーギの同輩で友人のカンセーです、宜しくお願いします」
「オーギお父さんの娘で友達のシキです、しばらくお世話になります」
「娘……失礼ながら、シキ殿の年齢はお幾つなのだ? そちらの世界の女性はどうにも、我々ダルファニールの者より大人びて見えるようだ」
「見た通り、オーギお父さんと同い年ですよ」
「……何やら、オーギ殿のご家庭にも複雑な事情があるようだな。深くは詮索しないでおこう」
そんなじっとりした眼で俺を見ないでくれ。俺は同い年の女子に自ら望んでお父さんと呼ばせている変態じゃないんだ。っていうか貴女も実は他人の性癖についてとやかく言えない筈だろう。
「さて、急な話で誠に申し訳ないのだが、オーギ殿には食事のあと我らが王に謁見していただきたい。というのも、もし貴殿の生存が確認された場合、王自らがその現場に足を運ばれるのですぐさま報告せよと、予め勅令が出されているのだ」
ああ、如何にもあの王が言いそうなことだな。それは承知した。
「恐らく、カンセー殿とシキ殿にも同様に我らが王へのご挨拶をお願いすることになるかと思う。差し当たってはそ、その前に……」
あっ。ほらな。早速ルーチェさんの表情が怪しくなってきた。多分出るぞ、このひとのいつもの癖が。
「貴殿らお三方のっ! す、すすステータスを少々覗かせてもらっても構わないだろうか!? 大丈夫、私は解析魔術が得意だし、ちょっと恥ずかしいくらいで、痛いことは何にもないから! すぐ終わるから! 身体にも無害だし、健康管理という面ではむしろ貢献出来ると思う。少しだけ、ほんのスキルと魔力量と肉体強度の値だけでいいんだ! あ、あと記録も取らせてもらっていいかな!? 異世界出身者の内燃魔力の伸び率はとても興味深いから、定期的に詳細な数値をじっくりと、はぁ、はぁっ、うふ、ふふふへへへへへ」
状態性愛。
他人の状態を閲覧することに激しい気分の昂揚を感じるという、個人の能力をステータスとして表記するのが一般的なダルファニールでも、類稀なる特殊性癖だ。異世界ならではの奇癖とも言える。
これさえなければ本当に頼れる上官なんだ、このひとは。基本的には常識人だし、指揮官なんて解析魔術の使い手にとっては天職の一つみたいなものだろうしな。
「うわぁ……ルーチェさんって、そうだったんだ」
「なあ。俺ってもしかして影が薄い方なんだろうか?」
そうだったんだよシキ。俺も初めて診てもらったときには慄いた。シキが今まで知らなかったのなら多分、未来では子供の情操教育に悪いから皆ぼかしてたんだろうな。あとカンセー。それはお前以外の面子が色々濃すぎるだけだから気にしなくていいぞ。
■ ■ ■
「ふむ、やはり異世界出身者は元々の魔力量が多いな。カンセー殿もその例外ではないようだ。スキルは魔術未修得故になし、肉体強度はD、平均よりやや低いくらいか。魔力吸収率は解析魔術だけでは判らないので、あとで計測し直すとしよう」
今更そんな真面目を取り繕ったって無駄だからな。どうするんだよ、この空気。ベインヴェルベータを出てから激動の展開続きなのに、主にヴァルヴェーレ姉妹二人のせいで緩みっ放しなんだが。
「次にシキ殿は……名前欄が二つあるぞ、何だこれは。しかも珍しい、オーギ殿らのご同郷でありながら大量の魔術を修得済みとは。転生魔術? 私が知らないスキルまで持っているな。肉体強度はCとここの新兵並のようだが、魔力量は桁違いだ。一体貴女は何者なのだ」
「オーギお父さんの娘ですよー、ルーチェさん」
「なるほど。解析しても量りしれない存在なのは承知した」
うちの大きい娘さんのせいでもあったわ。何だか申し訳ない。
「ともかく、ご友人のお二方もこの王国の味方となっていただけるという話であれば心強い。是非宜しくお願いしたい」
「いいよ、その代わりこちらでの生活面についてはお世話になるし、カンセーおじさんに魔術を教えて強化するお手伝いと、定期的に元の世界に帰る用意はしてもらうけどね。おじさんもそれでいいよね?」
「ああ、そうしてもらった方がこの先、結果的により安全だろうしな。でも今現在の俺におじさんは本当に辞めてくれ」
「はーい。じゃあカンセー君で」
「手配を約束しよう……料理が来たようだな。僻地故に大したものは出せないが、どうぞ召し上がってくれ」
朝食はじゃが芋のポタージュスープにひよこ豆のサラダ、きゅうりのサンドウィッチだった。いや、あくまで俺達が見知ったそれらとよく似た別の食材ということなのだが、まあ大体同じようなものを想像してくれれば子細ない。味はきゅうりのサンドが一番佳かったと思う。薄く切って焼いたパンとバターの香ばしさに、今朝採れたきゅうりの小気味良い食感が互いを補い合っていて、控えめに言っても素晴らしかった。この世界のいいところは、野菜を使った料理が日本のものより美味いことなんだよな。品種改良をあまり進めていないから多少の癖はあるが、その代わり促成栽培や工場生産もないから素材の味が濃いし、変に薬くさくもない。産地に近い場所ならば、鮮度もいい。個人的にはスーパーやコンビニに置いてある野菜よりは断然こちらの方だと思っている。何ヶ月も続けば、やはり日本の味噌汁や和牛ステーキやジャンクフードが恋しくなってくるのだが、今回はいつでも帰れるので構わない。
食後に甘味が強く、酸味が殆ど感じられない檸檬のような見ための果物を食べて一服していると、国王到着の報が届いた。こんな国境周辺の砦まで一国の王が転移して来ているという話が広まれば、政治にも防衛にも支障が出てしまうので、必然的に非公式という形にはなるが、すぐに謁見の用意も整うという。
「今回は非公式故に、服装は異世界風の衣装、即ち今身につけておられるもので問題ないそうだ。入室ののち我らが王に一礼していただく必要はあるが、その際の作法もそちらがご存知のやり方で構わないと明言されている」
俄に自分の所作や身なりを気にし始めたカンセーの細かい質問に、ルーチェさんが一つずつ答えていく。
「つまり、俺達が入室してから国王陛下がいらっしゃるのではなく、最初から座って俺達を出迎えて下さるという手筈なのですね」
「そんなに緊張しなくてもいいぞ。この国を治めている王は別に厳格な人柄って訳でもないしな」
「お前凄いな……何でそんなに落ち着いていられるんだ。よその世界の国王だぞ。幾らお前にとって旧知でも、何か失礼があったら拙いだろう」
「ああ、いや。まあ見れば判る。とにかく、大丈夫だから早く行くぞ。あれだ、あまり相手を待たせても、それはそれで失礼になるんじゃないか」
及び腰のカンセーを引っ張るようにして、四人で儀礼用の広間に入る扉まで来た。扉の前にはムジカが待っていた。
「時間通りであります。師匠達のご準備が宜しければ、自分がここを開けるであります」
「頼むわ」
「では。オーギ・アダシノご一行より、マサムネ・ウズマサ国王陛下に、ご挨拶~っ!」
儀礼用の広間は扉を開ける前の想像よりも広く、赤く毛足の長い絨毯が敷き詰められており、護衛の兵士が並ぶ両脇の石壁には室内を煌々と照らす燭台の灯が並んでいた。赤絨毯の先には一つの玉座があり、その上にはデニムジーンズに縒れたTシャツを着て、古びた王冠を斜に被っている、黒眼黒髪に無精髭をやや残した痩身の男が、酷く傾いた姿勢で座っていた。
「はろぅ、オーギ君。久しぶりだね。元気してたかい? カンセー君とシキちゃんもはじめまして。おじさんの名前は太秦正宗という。この国の第二○代国王にして、オーギ君より少し前の西暦200x年頃に召喚された先代の英雄。そして見ての通りの元、日本人だよ」
八月中は仕事柄あまり時間が取れないので、少し更新の頻度が落ちるかもしれません。あしからず気長にお待ち下さい。