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実の娘


 驚いたことに、そのあとシキは「と言ってもこの話はどうしても長くなっちゃうし、私もゆっくり腰を落ち着けて話したいから、先に事務所で単位の確認とか手続きとか終わらせて来てよ。あとで連絡するから」と言って、その言葉通り本当に帰っていってしまった。仕方がないので一応事務所には行ったが、とても落ち着いて学籍関係の話を聞けるような心理状態では既になく、夕方になる頃には手続きを一旦切り上げて下宿に引き返さざるを得なかった。一応、学籍そのものは今年度の始めに親が停学扱いにしてくれていたらしいということだけは判った。


「ただいまー」

「おう、おかえー」

「おかえりー、お父さん」


 夕方と言っても陽が落ちるまでにはまだまだかかる時期だ。真夏の京都盆地は異世界の色んな地域と較べても蒸し暑い。外を歩いている間に軽く汗をかいたので、ハンドタオルと麦茶のボトルを用意して四畳半の一隅に座る。コップは昼間使った奴でいいな。


「作り置きもそろそろ少なくなってきたな」

「ん、それ飲んだら次を沸かしてくれ。茶葉は前と同じ棚だから」

「はいよ」

「あ、じゃあその前に晩ご飯作ろうよ。私は鍋がいいな、鍋が」

「この暑いのにか」

「だって大学生はやたらと下宿鍋をするものだって言ってたんだもん。昔、ウチの親が。一度はやってみたいよ」


 麦茶を注いで一気に飲み干した。冷たさが身体に沁みていく。そうだ、どうせ鍋をやるなら味噌鍋がいいな。日本を離れてからずっと食べたかったんだ。味噌が入ったものならこの際何でもいい。やるか、鍋。


「で、何でいるんだ。シキ」

「あっ、そこ触れていいのか。俺もずっと気になってたんだよ、部屋に来るなんて初めてだからさ」

「事情知らないなら部屋にあげるなよ……ああ言っとくが、変な遠慮は要らんぞ。多分ここから男女の話とかにはならないし、万一なったとしてもお前を追い出せる筋合いはない」

「ふふ、そうそう。昼間大学で会ったときにした話の続きを説明するだけだよ。あのときはまた連絡するって言ったけど、よく考えたら一年半もずっといなかったんだから、今更前の端末が使える筈なかったね」


 だから私も始めは外で待ってるつもりだったんだけど、あの(・・)カンセーおじさんに暑いだろうから上がって待たないかなんて言われたら断れないよね。そうシキは苦笑した。


「おじさんって」

「そうだ、その話の続きだ。まず、お前はダルファニールを知っていたのか」

「知ってるよ。ついでにお父さんが行ったもう一つの異世界のことも。そこでお父さんが何をしてきて、これから何をするのかもね」

「判らないのはそれもだ。お前にお父さんと呼ぶことを許可した覚えはないぞ」

「俺もおじさんって呼ばれた。許可してないのに」

「やけに古典的な響きのある台詞だね……確かに、今の私は同い年だし? 元娘、って解釈が正しいけどさ」

「俺も同い年なのに。おじさんって言われた」

「元娘、ね。何だかもうカンセーが予想外の深手を負ってて可哀想だから、単刀直入に説明してやってくれ」

 何となく段々察しがついてきたけどな。その口振りだと別に隠す気もないんだろうし。

「判った」


「改めまして。私は『二重英雄』オーギ・アダシノが娘、カガリ・アダシノです。現在時点から(・・・・・・)下るところ数十年後(・・・・・・・・・)相対的に未来の異世界(・・・・・・・・・・)ダルファニールから(・・・・・・・・・)京都の黄鐘家が一人娘(・・・・・・・・・・)として転生して(・・・・・・・)参りました。こうして先の父に再び相まみえましたこと、三世に渡る本懐に思います」


 ちょっと待ってくれ。うむ、察しがついてきたとは言ったけど、言葉として聞くと情報量多いな。一旦整理しようか。




   ■ ■ ■




「つまりだ、シキは未来のダルファニールで俺の娘として生まれ育って、そこで魔術の開発者として大成。任意の世界に精神や記憶を保ったまま生まれ直す『転生魔術』を編み出し、若き日の俺に会う為、過去の日本に黄鐘さんちの娘として転生してきた、ということか」


 設定が盛り沢山過ぎるだろこいつ。同い年の元実の娘で異世界の未来から時間を遡ってきた転生者で、おまけに元クラスメイトの先輩って。異世界αを助ける途中で異世界βに喚ばれて日本に戻ってきた俺が霞むわ。


「カガリって呼んでよ。確かに今の私は黄鐘四季として生きてるし、それを否定はしないけど、オーギお父さんにくらいは私にとっての前世と同じ名前で呼んで欲しい」

「そうか、じゃあカガリ。あれだ。訊きたいことは色々あるが」

「うん。何でも答えるよ」

「何でそこまでして、父親の俺に会いに来た。未来で何かあったのか?」

「ああ、まあそれが一番最初に尋ねるべき、差し迫った疑問だよな」


 部屋の隅で黙って話を聞いていたカンセーが頷く。こいつは俺と未来から転生した俺の娘がS(少し)F(不思議な)会話をしている間にもちゃんと居てくれた。非常時には頼りになる男なんだよな。日常ではそのぶん浮世離れしてるけど。


「転生というからには、数十年後のカガリ・アダシノさんは死んだということだろう。未来で何か重大事件でもあったのか、それで避難してきたんじゃなければ何らかの過去改変が必要で……」

「? いや、私はただお父さんとお母さん達が話してくれた昔の活躍が羨ましかったから、私も是非仲間に混ぜて貰おうと思って転生魔術を拵えただけだよ。死んだのは普通に病死だし、詳しく説明するのは難しいけど、転生を媒介する時間遡行術ではどれだけ過去に干渉しても私がいた未来そのものには影響しないから、過去改変とかしてもあんまり意味ないよ」

「仲間に混ぜて貰おうと思った、って。それはつまり、観光が目的?」

「私としてはまさにそれくらいの気持だねー。念の為に自分を実験台にして仕込んでた『転生魔術』が上手く働いてくれたお陰で、こうして憧れてたお父さんの若い頃が見られたんだから、長生きはしてみないもんだね!」

「……」


 俺が言えたことじゃないけど、大概に歪んでるよなあ、こいつの価値観も。いや、俺の娘だからこそか。じゃあシキが、というよりカガリがこんな風に育った責任は実の親である未来の俺のせいで、但し今の俺にとっては実の……辞めとこう。少し考えたところで、多分、こんな問題に答なんか出ない。転生とか未来とか絡んでこられたら20xx年代生まれの倫理では対応出来そうもない。

 俺がもし黄鐘家にいるこいつの現父親と会ったらどんな顔をすればいいかとか、全く判らん。


「私にとっては黄鐘家のお父さんも、転生したばかりの幼い私を育ててくれた『本物の』お父さんだよ。転生魔術の仕様上、私がこの時代に来ようとしなければ黄鐘家に娘はそもそもいなかった筈だし、私が本物に為り代わって生まれてきたって話にもならないと思う」

「ふうん……」


 顎に掌をあてて考え込み始めるカンセー。そういうことなら、話を進めるか。


「じゃあ、次の質問だ。さっき、シキ……カガリは未来のダルファニールで生まれ育ったって言ってたよな。ってことは、俺はまたダルファニールに戻れるのか」


 一年前のダルファニールに、実の娘が出来るような心当たりはないからな。最低一度はまたダルファニールに行かなければ、シキがダルファニール出身の娘を名乗るのはおかしい。


「ああ、そこは大丈夫。あんまり心配しなくても私が未来で話に聞いてた通りなら、そろそろ来るよ。」

「来るって、何がだ」

「いわゆる、あの世からのお迎え、かな」


 シキがそう言ったとき、俺達が座っていた四畳半に魔力の光が迸った。何処か見覚えのある紫の魔法陣が畳の一面に拡がる。というより、恐らくこれは俺が日本に帰ってきたとき展開されていたものと殆ど同じだ。

 則ち(・・)世界を渡る類の魔術(・・・・・・・・・)


「うお」

「ああ、ここでお前が来るのか……」

「……すご。本当にこの頃は十六歳くらいだったんだ。わかぁい……!」


 突然激しく閃いた紫の魔力光に、カンセーがのけ反った。

 俺はその紫電の奥から顕れ出てきた、見知った小柄な女の子の姿に眼を瞠った。

 シキだけは、俺達二人とは少し違う意味合いのリアクションを取っていたようだが。


「王国軍特務護衛隊所属、『跳ねる雷鳴』ムジカ・ヴァルヴェーレ、機に乗じて異界の英雄が御元に推参いたしました! お懐かしい限りであります、師匠!」




   ■ ■ ■




 ムジカ・ヴァルヴェーレ。ダルファニール人。女子。十六歳。王国籍。軍属。階級は准二尉。先祖代々の近衛家出身。新設された英雄つき特務部隊に所属する唯一の下士官。半獣半人の小柄な姿。塹壕用外套の後ろに伸びる尻尾。山岳帽から突き出た猫型猛獣の耳。見かけに反する怪力。可愛い俺の二番弟子。二人しかいない弟子達の駄目な方。魔術より力技。元は政治的な思惑で俺に遣わされた工作員。同時に、俺が信頼する大事な仲間の一人……あの戦場を生き残っていて、本当によかった。


「で、お前は何の用向きでこっちの世界に来たんだ。あの王から俺を連れ戻す命令でも受けたのか」

 まさかお前も観光とか言うなよ。ダルファニールの戦争がもう終わってるなら別に構わないけど。

「? 自分は一年ぶりに師匠の魔力紋を検知したので、それを追跡して隣接する世界まで跳んできただけであります。魔族と我々の戦争は未だ終結しておりませんが、祖国の命運とか、ぶっちゃけ割とどうでもいいであります」

「ぶっちゃけ過ぎだろ」

 そのまさかだったわ。でもよく思い返せばこういう奴だったな。

「師匠がここに住めというなら永住しますし、ダルファニールに戻ると仰るならあちらの地獄までついていくでありますよ」


 そう言って弟子は屈託なく破顔する。こいつとの会話も一年ぶりだけど、うちの不肖の愛弟子が相変わらず駄目な子すぎる。将来、何処かの悪い男にころりと騙されそうで、師匠として実に心配になってくる。可愛い。

 いや、俺自身が仲間の為に平和な故郷を棄てて戦乱の地に戻ろうとしていたことを鑑みれば、これはむしろ師匠である俺に似た結果なんだろうか。そうも思ったが、このことについて深く追究しても師匠としての俺の風聞を損ねる可能性があるだけなので、ひとまずは棚に上げておく。


「それにしても、ここが師匠がご誕生なされたニホンという世界でありますか。何だか、やけに蒸し暑い世界でありますなあ」


 ムジカが畳や天井の灯りや硝子窓の外に見える往来をきょろきょろと眺めながら言った。


「ん、いや、ニホンというのはこの世界全体の名前じゃない。お前らの世界でいう王国とか南洋連邦とか……要するに、この街がある一つの島国の名前だよ」

「そうでありましたか。では、この世界のことは何と呼べばよろしいので?」

 そう来たか。思ってもみなかった質問だな。

「改めて尋ねられると言葉に迷うな。『地球』はこの惑星、いや大地の名前でしかないし。宇宙って世界の名前か? 大体、この世界はこの世界としか呼ばないしな」

「サハー、だよ」


 シキが聞き慣れない単語を口にした。そのまま流暢なダルファニール語でムジカと話し始める。


「日本人には娑婆世界と言った方が馴染みがあるかな。私が軽く調べた限り、この世界につけられた固有名詞らしい名前は古代インドから伝わってきたこれだけだね。あの辺りの人々は抽象度の高い思考が特に好きだったらしいからね」

「サハー、でありますか。短いのに耳に心地いい響きでありますな」

「古代インド語で『苦しみに耐える土地』みたいな意味だよ」

「思ったより重々しい名前でありましたな……一体どういう方が、そのような名づけを?」

「大昔の……まあ、宗教家だね。当時の感覚では真理の探究者、って感じだったかもしれないけど」

「宗教家の方でありましたか。そう言えば『ダルファニール』の名前を弘め始めたのも彼の地の修道士のお方々だと聞いております。何処の世でも、殊勝なるお方々の頭にあることは似ているのでありますなあ」


 ムジカとシキはそのまま意気投合して、きゃいきゃいと仲良く話し込み始めた。


「では、本日からシキ殿にこの街を案内していただけるでありますか!? 見慣れないものが多くて楽しそうであります!」

「いいよー。うん、耳と尻尾は隠してもらえば何とかなるかな。お父さんとカンセーおじさんも来る?」

「……何て言ってるのか判らん。なあオーギ、今どういう話になってるんだ?」


 そう言えば、カンセーに翻訳魔術をかけるのを忘れてたな。


「その話、明日からにしないか。今日はもう夜も遅いし、色々あって、流石に疲れた」

 何しろ俺が日本に帰ってきてから、まだ一日経ってないんだぜ。




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