喪われたもの、奪われたもの
雑貨店でアナログな卓上遊戯を買い込み、心ゆくまで楽しんだ帰り道。
京町家が並ぶ何気ない小路で、その男は待ち構えていた。
背丈は大きく、しかし引き締まっていて無駄のない体格。捻じくれた角に青白い肌。魔族だ。見たことがある。憂羅我を斃した山の頂上で遭遇した男。名前は確か聞いていない。しかし何故、どうやって。
「どうして魔族が京都にいる……っ」
「何となれば、決まっているだろう。転移だ。我ら魔族がお前達から貰い享けた触媒さえ費やさば、造作もない」
そうか。憂羅我を斃したものの、結局奪還出来なかったあの魔術触媒を魔族が先に手に入れていたとすれば、こういう事態もあり得る、のか。いや、だとしても座標の設定はどうするんだ。
「娑婆世界との位置関係についても仔細ない。何となれば、俺は元々こちらの世界の出身なのだからな」
「どうでも佳いわ、左様な些末ごとは。其れより拙いぞ、ぬしよ」
ああそうだ。ここは民家があまりにも近すぎる。京都の、住宅地のど真んなかなんだぞ。
どうやって誰も巻き込まずに戦えって言うんだ。
何処かに都合の良い退路でもないかと、思わず後方を盗み見た。すぐ後ろに立っていたシキと眼が合った。
そうだ、この名前の判らない魔族の実力が憂羅我と同程度だとするならば、死なないカーネリアン達や軍人のムジカはともかく、シキを連れたまま戦うのも危ない。
この場にカンセーは同行していない。雑貨店で盤上遊戯やかるたの札を弄んでいたときまでは一緒にいたのだが、先に夕餉の仕込みを済ませておきたいからと言って、途中で抜けたのだ。結果的にそれが良かった。未知の相手からも無傷のまま護り切れるという保証なんかある訳がない。
「どうするの、お父さん」
「どうやってもここじゃ戦えないだろ。とにかく隙を突いて、どうにかもっとひと気のない河原か公園か、何処かの屋根の上にでも逃げれば」
「……逃げる?」
次の瞬間、俺はどうやら虎の尾を踏み抜いてしまったらしいことに気づいた。
「逃げるって、お父さん。どういう意味なの? らしくないよ。そんな言葉は英雄らしくない。私が子供の頃に聞いて憧れたお父さんの言葉じゃない。どうして? そうじゃない筈だよね。何か理由があるんだ。娘の期待を裏切らないでよ。もしかして本当に打つ手がない? それなら私も手伝うからさ」
「判った。判ったシキ。ちょっと待ってくれ」
にわかに色を失ったシキの説得をすぐさま諦めて、名前の判らない魔族の方に向き直り、考える。周りを巻き込まず、この場から逃げもせずに戦えるだろうか。
幸いと言うべきか、まだ俺達の他にひとの姿は見あたらない。それでもこんな狭い小路で派手な音を立てていれば、じきに近隣の住民達や警察が集まってくるだろう。そもそもこの敵が六芒征並の実力を持つと仮定するなら、こんな町家の二つや三つ倒壊させてしまうのは恐らく容易い筈だ。人的被害は避けられない。
本当に拙いな。殆どの動きを封じられてしまっている。予想外のタイミングで襲撃された上に、こういう状況は実は初めてなので、どうしたら良いものか判断出来ない。
「そう身構えるな。今は争いをしかける為に来た訳ではない」
混乱しかけた頭に入ってきた相手の言葉は、意外な申し出だった。
■ ■ ■
周辺への被害を避けたいなら、オニキスの封印を解いて固有能力で全員の動きを抑え込んでもらえば良い。無差別に周りを巻き込むことにはなるだろうけれども、彼女の能力なら、あまり大きな怪我には多分繋がらない。
そう気づいてからはだいぶ感情が冷えてきた。同時に、名前の判らない男が小さな魔族の子供を連れていることに初めて気づいた。どうやら男の子らしい。メロン大の布包みを胸に抱えている。初めて会う顔だが、今までに見た誰かに似ているような気もする。
「お前達に用はない。用があるのは人形の娘に、だ」
そう言って、名前の判らない男は魔族の子供を促した。男の子がふらふらと歩みでて、重たそうに布包みを地面に置き、布を解いた。
布包みのなかには小さな頭だけになった人形の少女が入っていた。
一瞬驚いてしまったが、人形の少女はカンセーの下宿を出る前に、オニキスやオブシディアンと一緒に俺の内側に再封印されている。この生首は俺達が知っている本人のものではない筈だ。となると、考えられるのは同型の別個体。どれだけ精巧でも、人形だものな。同じ姿の仲間が複数いたっておかしくはない訳か。
「交渉だ。お前のその肉体に潜ませている、人形の娘を引き渡せ」
交渉。
そう言うからには、代わりにお前も何かを差し出すつもりなんだな。
「そんなものはない」
「ない?」
「必要ない、と言い換えるべきか。その娘を生かしたままこの国に留めおくというのは、あまりに危険だ。故に連れ戻す」
順を追って説くならば、つまりこういうことだ、と名前の判らない男は続けた。
そのあとの説明を要約すると、大体こういう内容だった。
今は亡き阿多羅刹軍六芒征が第一角、身司る羅沙によって設計された人形の少女は、自己の複製に特化されて創られている。材料となる陶器や金属などの充分な物資さえあれば、同じく自己複製能力を持つ、自分自身の生き写しを殖やすことが出来る。この日本には少女の材料になり得る物資が溢れすぎているので、一度眼を離してしまえば、誰も気づかない内に倍々に殖えて手がつけられなくなる恐れがある。こちら側の世界に来ている一個体にどのような思惑があるかは量り知れないが、ねずみ算の如く殖えにふえた少女を、世界中に散らばり大地を覆い尽くしてしまったあとに対処するのは困難を極める。だからより物資の少ないダルファニールに連れて帰る。これはこちら側の世界にとっても、近い将来の危険を回避する為の有益な話ということになる。
そういう話なら別に引き渡さなくとも、俺達が元のダルファニールに少女を送還すれば済む話ではないかと相手に尋ねてみると、それでも構わないが、そうするならば今、眼の前で送還せよ、あとで必ず帰すなどという口約束を信用するつもりはない、との答が返ってきた。
今一つこの名前を知らない男の動機や背景が見えてこない。けれども、人形の少女を元の世界に送り帰すことには、俺達にとっても確かに意味があるように聞こえる。もし少女をこのまま留めておくことに大きな懸念があるという話が本当なら、だ。
とりあえず、本人を問いただしてみるか。少女自身の言いぶんも聞かずに、勝手に身柄をどうこうする訳にもいかないしな。
このときまで俺は、名前の判らない魔族達二人が携えてきた機械じかけの生首が、人形の少女が自己複製能力を持つ、という話の説得力を補強する為に持ちこまれたものだと思い込んでいた。ただ俺達を説得する為だけに、わざわざ壊れた同型機の残骸を何処かから捜しだして拾ってきたのだと。
しかし、実はそうではなかったのだ。
■ ■ ■
「ああっ!? ああああああっ!!!? ああ、何で、マスター、そんな……うあああああっ!!!!」
詳しい事情を聴き取る為に、人形の少女を解放した途端。
少女は地面に置かれた機械の生首をひとめ見るなりその傍に駆け寄って、自分と瓜二つのその顔を胸にかき抱いた。
咄嗟のことで、一番近くに立っていたムジカの制止も間に合わなかった。
名前の判らない魔族の男が、その反応を予め見越していたかのように泣きすさぶ少女の肩口に触れた。両者の周りに紫の魔力光が拡がり、二人はそのまま空気に溶けるようにかき消えてしまった。いや、ダルファニールへと帰ったのだ。
動揺する俺に、残った一人が声をかけてきた。人形の頭部を包んでいた布を律儀そうに片づけている、魔族の少年だった。
「版画で刷られたように殖えてゆく存在にとって、複製元ってのはそれなりに重い意味を持つってことさ。それこそ実の親、製作者に並ぶ程にね」
複製元。
マスターと呼ばれていた先刻の頭が、そうだということか?
……マスター盤!
今のが人形の少女の、最初に造られた一体か!
「しかもあの子達の製作者、身司る羅沙は既に殺されている。後先も考えられずにおびき寄せられて当然という訳さ」
魔族の少年が立ち上がった。ひょろりとした青白い痩身に、捻じれた角が額から生えている。
誰かの親戚を紹介されたときのような、既視感がじわりと胸の奥底から滲み出た。
「しかし他ならぬこの僕にとっては、むしろ彩り鮮やかに刷りあがった版画の方が重要だ」
他ならぬ、この僕。つまり濫用した能力によって精神を飽和させてしまう前の、最初の薬伽にとってはね。
魔族の少年はそう名乗った。
まともに認識出来たのはそこまでだった。
■ ■ ■
「やられたのう。あの青白い小僧っこめ。どうやら余人の精神と混ざりあっておらんときにこそ、充全な干渉力を発揮しおるようじゃな。先日闘りおうた折にも増して面倒になりよったわ。今は元来の己を留めおくことに力を割いておらんからか」
大学の講堂。いや、現実のそれを模した、俺の内面世界か。眼の前にある黒板に、前回薬伽を吹き飛ばして叩きつけたときの罅割れが残っている。
カーネリアン、俺、オニキス、オブシディアンの並びで、気づけば四人が長机の席に着いていた。俺以外の三人はそれぞれ昔の女学生が纏っていたような、袴や矢がすり模様の上衣に着替えている。聞けば、場所や状況に合わせて勝手に服装が変わるような仕様が、俺の内面世界にはあるらしい。カーネリアンの装いは前回と少し色味が違う気がした。ブーツも以前は履いていなかったように思う。
あの子供は、本当に薬伽だったのか。背丈が縮んでいるのは、あれか、ダルファニール人の精神を手当たり次第吸い込みまくる以前は、ああいう姿をしていたからか。
「らしいの。精神のなりに影響されやすい身体を持っておるのじゃろう」
「畏れながら、或いは左様な手立てによってのみ育つ輩なのではあるまいかと、吾れは申し上げ奉る」
「他者の精神を呑み込んだ際の変化こそが。彼にとっては。成長そのものなのかもしれませんねえ」
オブシディアンとオニキスが補足した。二人は同じ黒を基調にした上下だが、オニキスの衣装が振袖のように豪奢で、動き回ることを全く考慮していないように見えるのに対して、他方の袖はまるで道着のように短く切り詰められている。
「さて、ここにただ阿呆の如く座っておっても始まらん。妾達と同じくこの内的空間に潜り込んでおる筈の彼奴めの為に、返礼の支度をせねばな。まずは先だっての斧槍を探すぞ。何処かに刺さっておる筈じゃ」
カーネリアンはそう言って、袴の裾を払いながら俺達を促した。
斧槍?
「手持ちの駒で楽に勝てんならば、楽に勝ちうるだけの援軍を連れ出すまでよ」




