転職
4月も末になると道端に少しだけあった黒い雪も完全に解け暖かい日が続いた。
少し遅い桜が満開になった頃。
ハルは18歳になった・・・
ある土曜日。
洗車をするハルを見ながらボンヤリしているとカウンターの下からヒョッコリと
誠君が顔を出して「わっ!」と驚かせた。
「うっわ!ビックリした!・・・あれ?今日はどうしたの」
一ヶ月ぶりくらいに見る誠君は特に変わった所は無く
「華さんに会いにきたの。元気だった?」と調子のいいことを言って笑った。
「まだ彼女できてないな〜?暇で帰ってきたんでしょ」
「まーね。あのさ、ちょっと相談あるんだけどさ・・・
今日終わったらうちに来れるかな?」
「あ・・うん。いいよ。じゃあ一度帰ってから行くね。
誠君の顔見たら山崎さんもお母さんも喜ぶね」
誠君はバイクを拭くハルの後ろにソ〜と近づき、また同じように
「わっ!」と驚かせ慌てるハルを見てゲラゲラ笑っていた。
「なんだよ!」と怒りながらもハルはすぐ笑顔になり
誠君と楽しく話しをしながらバイクを磨いていた。
その日、仕事が終わり簡単に用意をしてハルの家に行った。
もう最近じゃ玄関を入ると、「お邪魔しまーす」と言い
そのままリビングに顔を出すような慣れた感じになっていた。
山崎さんもすっかり娘のように迎えてくれて、
ハルが部屋にいてもお母さんと3人でリビングで話をしていたりと
そんな感じの付き合いになっていた。
リビングで誠君が「あ。待ってたんだ」と言い、誠君の話を聞いた。
「あのさ、俺の知り合いの親がやっている英会話の教室があってさ、
そこで補助の人探してるんだって。で、いい人いない?って
聞かれたんだけどさ。華さんダメかな?条件すごくいいんだよ。
今の所よりも楽だと思うんだよねぇ・・・」
条件は本当によかった。
月、水、金の3日間は朝10時から出勤で、2時まで。
その後ちょっと休み時間があり夜7時から9時半までの6時間半。
火、木は9時から3時までの6時間。土日は休みだと言っていた。
それで給料は今よりも断然よかった。
「今の仕事より楽でしょ?土日休みならもっとゆっくりできるしさ。
ハルももうバイト終わりだし、これから勉強に付き合ってやれるし、
どうかなってさ」
「そっかぁ・・・・ でも難しいんじゃない?」
人になにかを教えるということを、いままでしたここが無かったのでさすがに不安だった。
「補助だから、先生は別にいるんだよ。それに日常会話だし
その辺は華さんペラペラなんでしょ。
なら全然問題無いよ。一度話聞いてみない?」
確かに小学校の頃から何度も母がお世話になった
海外の友達の家に一緒に行き、夏休みや冬休みを過ごしたりと会話には全然困らなかった。
母は「英語はこれからは大事だから」と小学生の低学年の時点で
私はほぼ日常会話には困らない程度になっていた。
その話を聞いて山崎さんは
「まぁ・・・華ちゃんがいなくなるのは寂しいけど、今後のことを
考えるなら少しでもお金があったほうがいいし、
後1年ならそれも悪くないかもね・・・」とこの話に賛成した。
そこにハルが来て、
「もぅ・・・なんで真っ直ぐリビングなのさ。来たの知らなかったじゃん」
と隣に座り、「で?なんの話」と話に入ってきた。
誠君から内容を聞き、
「えぇ〜 華いないの?それはそれでつまんねーなぁ・・・・
けど、土日も休みってのはちょっといいかなぁ・・・」
ハルもその話にそれほど悪い印象では無かった。
「じゃ、話は早いほうがいいよ。今からそこ行ってみない?
教室は休みだけど、先生って人はそこに住んでいるんだ。
ちょうど友達も帰ってきてるし、どう?」
「でも、、、いきなりバイト辞めるって言うのもなぁ・・・」
それほどバイトのことを重要には考えていなかったが、
やはりちょっと自信が無いものあった。
けど、ハルもその話に「俺もいくー」と言いだし話くらいなら
聞いてみてもいいかと、3人でそこに行くことにした。
「よ!言ってた人、連れてきたぞ」
そう言って誠君の友達に紹介され挨拶をした。
「こんばんは。新藤と申します」頭を下げ挨拶をして
3人でリビングに通された。先生という彼の親に会いいきなり
英語で話し掛けられ、ちょっと驚きながら会話をした。
いまの仕事のこと、休日はなにをしているの?など
簡単に聞かれ、それなりに返した。
(どっちが彼氏?)とその先生であるお母さんに聞かれ、
ハルを見て(彼がそうです)と答えた。
ハルは自分のことを言われたことに、なんとなく気がつき
ニコニコと挨拶をしていた。
「問題無いわね。あっちに住んでいたの?」
「いいえ。何度か夏休みとかに長期で行ったりしましたが、
元々母が住んでいたんで・・・」
「うちは一般の人がメインだから、それほど難しいことは無いと
思うし、進藤さんさえよければお願いしたいのだけど」
驚くほどアッサリとOKされた・・・・
先生である加藤さんと二人で日本語で話したり英語で
話したりしていたので、ハルと誠くんと加藤さんの息子は終始
二人の間をキョロキョロと見ている間に話は終わった。
「じゃぁ・・・今のバイトもすぐに辞める訳にはいかないので、
月、水、金の夜の部だけ先に来てもいいですか?
それでできそうなら本格的に・・・っていうのはダメですか?」
「あ。それがいいわね。こっちもそのほうが安心だし」
あっさりと話が決まり、次の月曜から顔を出してみることになった。
あまりにも簡単に話しが決まり、帰りの車の中では
「やっぱ取柄があると違うな〜」とハルと誠君は二人でブツブツと話をしていた。
家に戻り山崎さんがその話を聞き、
「じゃあ6月くらいからは、華ちゃんGSにいなくなるかもなぁ・・・」と
ほんの少し寂しそうな顔をした。
「でもその分ハルの勉強に付き合うからいいじゃないですか!
まだできるかどうか分らないし。ナマリがあるからダメって
言われるかもしれませんよ?」とみんなで笑っていた。
少しでもハルと一緒にいられる時間が増えるのは嬉しかった。
そして次の週から週に3回、英会話の教室に顔を出し
2週間を過ぎた頃に「正式にお願いしたい」と言われ、GSの所長に退職願いを出した。
どちらにしろ来年の3月初めまでには辞めると伝えていたので、
ちょっと残念そうな顔をされたが、
「でも華ちゃんの都合もあるものね?」と納得してくれた。
6月の15日までGSで働き、翌週から英会話教室に本格的に
お世話になることで話は決まった。
そう決まるとハルはGSでバイクを洗いながら
「ここに華がいなかったら、こうして付き合うことも無かったし
華がオヤジに会うことも無かったんだな〜」と
やっぱり今後、洗車に来ても私が居ないことを寂しがった。
「けど、そうなれば誠君は仕事紹介してくれることも無かったし、
結局ここに居たんじゃない?」と堂堂巡りな話をして笑った。
5月も半ばになる頃、ハルの修学旅行の話で家は持ちきりになっていた。
飛行機で沖縄に行くか、韓国に行くかを選択できると聞いて
自分とは違う海外というコースに「いいな〜」と羨ましくなった。
「華はどこ行ったの?」
「私の時は沖縄だった・・・・選択無かったもの」
「沖縄もいいよな〜 でも海外も行きたいし・・・・
でも海外ならもう決めないとダメなんだよな〜
パスポートの関係でもう締め切り近いんだよな。どっちがいいかな」
そう聞かれたが、どっちもよくて二人で迷っていた。
「海外は今度二人で行こうか。英語がペラペラの人が一緒のほうが
俺も緊張しないしさ。どう?来年の俺の卒業の時に
どこか行かない?今からオヤジに頼んでさ!」
「今、グァムとかなら安いし、いいかも?ハルの大学受験が合格
したらいい?って聞けばきっとOKくれるよ。そうしようか」
すっかり自分達の旅行の話で盛り上がり修学旅行の話はすぐに消えてしまった。
気分が盛り上がったまま、みんなで夕食を食べている時、
ハルが山崎さんにその話をすると、
「そうだなぁ・・・ まぁ合格してからだな〜」と
もうその顔は「いいよ」と言わんばかりの顔で笑っていた。
「じゃあ絶対合格してもらわなきゃ!」そう言ってハルに発破を
かけハルもヤル気になっていた。
すべてが上手くいっていた・・・
毎日が楽しくいつも笑顔だけで時間が過ぎていき
私の毎日はハルで始まり、ハルで終わった。
GSを辞める日に、ハルは修学旅行に行き、どことなく
物足りない週末を過ごしていた。
それでもスタッフはみんな
「けどハル君と来るんでしょ?またね」と結構アッサリしたものだった。
(まぁね・・・ハルは最近、毎日来てるしなぁ・・・)
そう思うとあまり悲しい気持ちでは無かった。
最後にGSでTVを見ていた山崎さんに、
「じゃ、今日で終わりなんで。今後はまた家で会いましょうね」
と言って座っている山崎さんの隣に座った。
「あぁ・・そうだね。でも来年にはハルも華ちゃんも居なくなるのかぁ・・
一気にボケちゃいそうだなぁ・・・」
そう言いながらちょっと寂しそうな顔をした。
「けど、それほど遠くないし、誠君も同じ地域だから3人で
一緒に帰ってきますよ。もしかしたら誠君の彼女も4人で。
一気に賑やかですよ」
「そうだなぁ・・・ それもまたいいか〜」
そう言いながら二人で来年の話をして笑っていた。
「いまごろハル、泣いてるかもなぁ〜 こんなに長い間、
華ちゃんと離れたこと無いんじゃないか。電話来てる?」
「えぇ。メールも電話も。普段の倍きてますよ」
「うちには電話一本こないぞ?やっぱり男はダメだな。
彼女ができたらそっちばかりで」
それでも山崎さんはハルが元気で楽しく旅行をしてると聞き、
安心して「じゃ、ハルが戻った日にまたね」と帰って行った。
いつもハルを待つ窓辺に座り、
「今ごろ楽しく遊んでいるんだろうなぁ・・・」
そんなことを考えながら外を見ていた。
遠くからバイクの音が聞こえた・・・
ハルとはちょっと違うマフラーの音に反応せず
そのまま外を見ながら音楽を聞いていた。
そのバイクは家の前に止まり、こっちを見上げていた。
その格好がハルにそっくりで、ちょっと驚いて窓辺に立ち上がりその姿を見ていた。
その人は軽く手を振り目の所をあげた。
「ハル?どうしてここにいるんだろう」
そう思い急いで外に行くと、それは誠君だった。
「すごく似てる〜ビックリした」
「ハル、修学旅行なんだってね。華さん暇かな〜って思ってさ。
ちょっと遊びに来たんだ。暇?」
メットを被り、目の所だけを見るには、本当にハルが話を
しているように感じるほど誠君はハルにそっくりだった。
「うん。暇・・・ ハルがいないとつまんない」
「じゃ、どこかいく?ハルいないからちょっとくらいなら
後ろに乗ってくれないかな〜って」
そう言って後ろのシートを見ながらニコッと笑った。
「誠君。うちに入らない?一緒にDVD見ようよ。
さっき暇だと思って借りてきたの。まだ見てないんだ」
やっぱりハルのバイク以外は乗りたくなかった。
けど、それを言うとなんとなく誠君に悪いと思い、咄嗟にそう言った。
誠君なら部屋にあげてもいいと思ったし、危険は感じなかった。
「えっ・・うっそ・・いいの?」ビックリした目でそう言う誠君に
「うん。誠君なら安心だもの」そう言って「いこ?」と誘った。
そのまま部屋に続く階段を上がっていくと、妹とすれ違った。
妹は誠君を見て、普通に「あ。こんばんは〜」と言って下に降りて行った。
「ねぇ?蘭〜 ハルのお兄さん。誠君」そう言って気がつかなかった妹に紹介した。
「えぇー!」慌てて側に走ってきてジックリ顔を見た。
「あ・・・そう言われれば・・・・ ちょっと違うかも?でも違和感無いね」
そう言って頭を下げ挨拶をして降りて行った。
ふふふっと笑いながら部屋に誠君を通した。
「適当に座ってて。今、お茶持ってくるから」そう言って部屋を後にして
お茶を入れていると蘭が、
「ねぇ・・どうしてお兄さんが遊びに来てるの?いいの?ハル君怒らないの?」と聞いてきた。
「ん〜?大丈夫じゃない。別に隠す必要無いから、
ハルにあとから電話するし。だってお兄さんだよ」
そう言ってお茶を持って部屋に行った。
誠君は落ち着いた感じでベットの端に座り、適当に本を見ていた。
珈琲を手渡し、見ている本に目をやると専門学校で勉強する
内容の参考書をパラパラと見ていた。
「どう?20歳で学生になる気分は」
嫌味を言いながらニヤッとして内容を見ていた。
「そうだなぁ・・・歳誤魔化しちゃおうかな?」
笑いながらTVのスイッチを入れDVDを再生した。
「あ。これ見ようと思ってたんだ。ちょうど良かったよ」
そう言って誠君も黙ってTVの画面を見ていた。
なにも言っていないのに誠君が座った場所はいつもハルが座る所だった。
それもあり、まったく気にしないでいつものように
足の間に自然と入りそのままTVを見ていた。
「あっ!ごめん・・・・ つい癖で・・・」
その姿勢に気がつき慌てて笑って誤魔化し誠君から離れた。
「俺も・・・今、すっげぇビックリした」
「ごめん!ごめん!つい癖になってるんだよね。どこに座っても
いつもこの姿勢だから・・・」
そう言いながら笑う私を見ながら誠君は声を出して笑っていた。
ちょっと離れた場所に座り、そのまま映画を見ていると
いつもの時間通りにハルから電話が入った。
「あ。ハルだ・・・」
電話にでようとすると、誠君はちょっと
慌てながらこっちを向き、
「ハルには内緒にして。また俺が誘いに来たって言うと変に誤解するから」
そう言ってちょっと困った顔をした。
「でも・・・隠すほうが変でしょ?偶然なんだもの。
それに妹が今度ハルに会ったら言うよ。きっと」
「じゃあ妹にも口止めしておいて。アイツ結構メンタル弱いし、
気にすると思うんだ・・・」
メンタルが弱いと聞き、それもそうだなと思いハルの電話の間、
誠君がいることを言わずに電話を切った。
「もう帰りたいってさ」
「本当にガキだな。ちょっとくらい離れてもいいじゃんね?」
そう言って二人でハルのことを考えながら笑った。
「華さんさ。今までにハルのこと嫌だな〜って思ったことある?」
映画のエンドロールが流れる時にそう聞かれた。
「ううん。無いよ?ただ・・・バイクには本当は乗って欲しくないかな。
どうしてもあの日のことが頭に残って、怖くて仕方無い時が
あるんだよね・・・」またそのことを考え顔が曇った。
「具体的にハルのどこがそんなに好きなの?」
「具体的かぁ・・・・ どこって無いかな〜」
「え・・・無いの?」
「特別ドコって所が無いってこと!だって全部だもん。
なにかも可愛くて仕方無いって感じかな!」
「ふ〜ん・・・。華さんならもっと年上でお金があって格好の良い奴だって
沢山選べるんじゃない?なんか勿体ねぇ〜」
「別にそんなの関係無いよ。私はハルからお金じゃ買えないモノを
貰ってるもん」
「どんなモノ?」
「モノって言うか・・・。私ね、こんなに人のこと好きになれるんだなって
ハルに会って初めて思ったの。ただハルが笑ってくれるだけで嬉しいの。
いままでそんな気持ちになったこと無いもの。これってお金じゃ買えないでしょ?」
そう言ってDVDを取り出しケースに戻した。
誠君は(ふ〜ん)と言いながら少し呆れた顔をして笑っていた。
誠君を外まで送り、「じゃ、またね」と手を振った。
「うん。今日はいきなりごめんね」とエンジンをかけ、チラッとこっちを見た。
「ハルになりたいなって、さっき本当に思ったよ。
そしたら今もさよならのキスくらい、してくれるのにね」
そう言って目の所をパタッと閉め、軽く手を振って帰って行った。
黙ってそれを見送りながら、
(ハルならあのカーブで必ず2回、わざとブレーキを踏むのにな・・)
そう思いながら誠君が見えなくなるのを見ていた。
この時の私は誠君の気持ちなんて全然考えていなかった。
ただ「ハルのお兄さん」それ以上でもそれ以下でも無かった・・・・