悪鬼夜行
彼らは、山賊だった。
無命の森ほど近いとある山を根城とした彼らは、旅人の拠点となる街に続く街道を狙い、その物資を強奪する略奪者だった。
迂闊に街に向かうことも出来なくはなったが、ストレス発散に非戦闘員の商人や旅人を嬲り殺すのは、彼らにとっては楽しい遊戯であった。
いずれ魔物狩りに飽きた冒険者か、本腰を入れた騎士達に討伐される運命であったとしてもだ。
そして今まさにお楽しみが始まる所……だった。
護衛も碌につけれないしけた商人の馬車を襲った所だった。
気が付けば、灰色の外套が視界に入っていた。
ただ歩いているだけの様に見えたその姿が、ゆらりと揺れ、風の様に山賊達と馬車の間を通り抜けて行った。
見えたのはそれだけだった。
気が付いた仲間が手を伸ばした時、その手の肉がはらりと解けた。
解け始めると、それは全身に広がり、そこには湯気をあげる寸刻みの仲間だったものがぶちまけられていた。
それを見て悲鳴を上げた仲間は喉から、解けて首が落ちた。信じられないという表情をしたまま地面に衝突した瞬間、爆発するように頭が解けた。
残された体はぶるぶる震えたのちに、頭の後を追う様にぐしゃりと崩れ落ち、肉片と血が街道を染めた。
「悪夢の様だろう……」
通り過ぎた灰色の旅人が一度だけ足を止め、囁くように呟いた。
耳に心地よいまだ年若い女の声だ。何故か、それはハッキリと聞き取れた。
そしてそれが山賊達の聞いた最後の声で、自分の体が崩れる音が、最後に聞いた音となった。
辻斬りを終えた後、私は抱えた王女を一瞥すると胸を撫で下ろす。
善し、起きていないな。
こうして触れているから分かるのだが、一国の姫にしては運動はする方らしい。
繊細な華の様な見た目に反して、中身はなかなかのお転婆と見える。とはいえ、体力はまだまだ健常とはいえない。
慣れぬ寒冷地に敵国に攫われてきた道程や、その後の生活。そして脱出。
その全てが彼女から体力を奪い去っていたのだろう。
まだこの人間には休息が必要なのだ。
しかし、この人間には追っ手から逃げる距離も必要なのだ。
そして、困ったことに私はどちらも与えられる立場に居るのだった。
ならばそうあれかし。
そういえば、久々の辻斬りだった。
あれで商人たちが生きていたら倍プッシュだったのだが。
違った。商人たちが生きていて、此方に近寄ってきたら。だった。
幸運に感謝し、何も見なかったことにするなら善し。
社会人としてお礼を言おうとして、声をかけたが無視されたので、諦めるとするなら良し。
しつこく寄ってきて、私が抱いているもの興味を持ったなら斬る。
これは私に善しだ。
少し残念だったかもしれないが、これも天運。仕方ない事だ。
大体この格好での戦い方は理解できたという事で満足するとしよう。
「善し、善し」
腕の中の小さく腕を揺すり、圧迫面を変更するのも忘れてはいけないし、その際に一々起こさぬように注意も払わねばならない。
両方やらなくてはいけないのが私の辛いところだ。
霜の皇帝は一人黙考していた。
霜の手は帰らなかった。しかし、ただ一つだけ死の間際に飛ばしたメッセージがこの手にあった。
王女が着ていたこの寒冷地では防寒具と見なされぬ、その外套の切れ端。
その切れ端には執念の血が滲んでいた。
「成程」
《羅刹天》なら……無命の森の守護者たるかの悪鬼なら可能だ。
極寒の森も凍てつく大河をも知らぬ、か弱き姫を連れ、無命の森を越えさせることが。
国すら呑み込む、大雪蟲すら斬った北方最強の悪鬼ならば。
山の頂に立ち、己に従わぬ巨人をひたすら八つ裂きにしたという、北の大悪魔を討滅し、霊峰のギガンテス達を救った。
寒冷地で素晴らしい質の金属が採掘できる平原に住まう大雪蟲を死骸に変え、土のない氷の地にまで追い詰められたドワーフの氏族を絶望から救った。
それだけではない。《残骸世界》の高度な文明を解し、環境を汚染しない製鉄場の作り方を教え、北の大地で取れる様々な作物の加工方法を伝えた。
悪名だけが強く轟いてはいるが、《羅刹天》は実際のところ人類における北方の英傑だ。屍山血河。その屍には人類が倒すことを諦めた魔物すら含まれている。
この霜の帝国が、取るに足らない一小国であった時、《羅刹天》はこの寒冷地に跋扈する強大な魔物を斬り回っていたとある。
雪が降る世界で《羅刹天》に敬意と畏怖を持たぬ国は、古い歴史を持たない新興国だけだ。
彼女は紛れもなく人斬りであり、同時に北方の人類歴史に名を残す英傑なのであった。
霜の皇帝は以前からこの《羅刹天》の存在に、警鐘を鳴らし続けていた。
しかし、《羅刹天》が住まう無命の森にすら踏み入る事は容易ではないし、そもそも死ぬかどうかも怪しい相手だ。
北方では列強である霜の帝国ですら、手に余る。というか正直下手に刺激して、また辻斬り行脚を始められたら困る。
問題は王女を斬らずに連れている事だ。
頼るもののない王女が行く先など予想するのは容易い。
そして、最強の悪鬼《羅刹天》を供に連れているならば、王女が故郷に辿り着くことは不可能ではない。
悪鬼だけならともかく、王女を連れている以上、飛ぶ鳥より早いという事はないだろうが、それでもできることは賞金を懸け、身の程知らぬ阿呆共を煽れば嫌がらせ位はできるか。という程度。
霜の帝国の勢力圏から一足飛びで抜け出された以上、まず不可能ではあるが最寄りの間諜を根こそぎ動員し、霊峰の隙間を縫う隘路を抑えれたとしよう。しかし相手は《羅刹天》。
普通に霊峰を踏破して突破されかねない。
霜の皇帝が考えるところでは、故郷に舞い戻った王女を連れ戻す事自体は簡単だと予想できる。
戦後その地を治める事となった辺境伯は非常に優秀で、かつ十分な戦力を与えてある。
現地の敗残兵など、表立った抵抗勢力を鮮やかに殲滅し、現地の掌握によく努めている。
座して待っているだけで、王女は再びこの手に戻るはずだ。
――《羅刹天》さえ傍に居なければ。
彼女がいる限り奪還は難しい。
やはり倒すしかないか?
数百年誰にも倒せなかった悪鬼を?
軍には無理だ。危険を察知されて、霊峰にでも籠られたら手出しできない。
動きを悟られず、一度の会敵で決着を付けれる。そんな戦力が必要なのだ。
冒険者か。それも討伐専門の高位冒険者、必要なのはただの高位冒険者ではない。
霊銀、最低でもその格を持つ冒険者のチームであるなら?
難しい。《羅刹天》の悪名は強い冒険者ほど耳にしているし、更に強い冒険者は《羅刹天》の偉業が刻まれた北方の歴史書を垣間見ている。
霜の皇帝は首を振って発想を変えた。
倒すのは無理だ。そう結論付けざるを得ない。
物理的な意味でも、国としても意味でも。亡国の王女ひとつ得るのに鬼神に挑むなど愚かすぎた。
こちらの隙を窺っている近隣諸国に、正当な侵略の口実を与えかねない。
倒すことは不可能。しかし、王女自身が我が手に戻る事を選択させればいい。
帰る場所など何処にもないのだと、たっぷりと思い知らせ、仕留め損ねた臣などを捉え吊り上げて人質に使うなどだ。
とはいえ、どう動くかはまず相手の行き先が確定してから。
霜の皇帝にできることは、報せを待つことなのだ。
今はそうするしかない。
《羅刹天》は何故ある程度は付き合いのあった、霜の帝国を裏切るような真似をしたのだろうか。
何故……何故に、《羅刹天》は森を離れてまで王女を護ったのか。
金品に目が眩んだわけではないだろう。
無命の森での孤独に耐えかねたわけでも無いだろう。
自分に近寄るもの全てをまさに「寄らば斬る」と斬り捨てた悪鬼が孤独など。
南の国の娘が、あの鬼神を変えたのだ。
麦穂の様に黄金に煌めく髪を持つ娘が。
凍土に微睡んでいた《屍鬼》に、再び命を吹き込んだのだ。
最強の悪鬼が再び帰ってきたのだ。この物質界に。