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所詮人斬り包丁

「私を、故郷に。私は、お父様やお母様の、仇の道具にはなりたくないのです」


 王女の言葉に、《屍鬼》はふと思う。

 そうまでして帰りたい故郷とは、いったいどんな場所なのだろうか?


 南の国だと。そう聞いている。

 雪が地面を覆う事が一度もなく、河や湖が凍る事もない場所。

 大地の恵み豊かな常夏の国。


 《聖都》が《悪鬼都市》へと生まれ変わる前も、飢えと寒さは常に隣人だったのだ。

 雪のない国など、私には思い浮かべることすらできない。

 この凍土の森で彷徨う《屍鬼》の私には。


「其処は、良いところか」


「はい。私の国、愛する故郷は美しいところです。春には国中に花が溢れて、初夏には青々しい新葉が香ってきますし。夏は海辺から吹く風が雨を呼んでくれるのです」


 王女が夢中で語る内容に、胸中で浮かび上がってくる単語があった。

 試しに舌にのせてみる。


「……四季。そうか、王女の国には四季があるのか」


 移り変わる季節。常に冬しか訪れないこの地方には存在しない概念だ。

 しかし私はそれを知っていた。とある恩人に教えてもらったのだ。

 私が、生者であった頃に。


「しかし、王女。お前はこの森を越えられないだろう。この森を往く条件はただ一つ、強さだ。せめて黄金の認識票を持つ程度には、生物として強者であらねばならない」


 黄金の認識票は、この大陸で言う高位冒険者の証だ。それは、人類の持ち得る戦闘力の限界に到達した者達のこと。

 王女の顔が凍りつく。その瞳が潤み揺らめく。その口元が絶望で歪む前に、私は言葉を継いだ。


「故に、私が共に往こう」


「え?」


「私は《悪鬼都市》の悪鬼のひとり。悪鬼とならば王女も、この凍土を抜け出せる」


 そう、旅だ。

 この王女の願いを叶えるには、それが必要だ。


「《羅刹天》さま、何故私に優しくしてくれるのですか?」


 私にもわからない。多分、ただの流れだ。と、言う程大人げなくはない。

 子供をあやすように、根気よく宥める。


「眠れ。直ぐに追っ手が来るだろう。私は斬らねばならない、お前は歩かねばならない」






 旅支度を調えながら、私は自らに問うていた。


 ……私は本当にこの森を出るのか。《屍鬼》である私が?

 《悪鬼都市》を離れ、出会うものを概ね斬りながら、人類国家に追われ気が付けば数百の年を超えていた。

 遂に何物にも討滅されず、この森に流れ着いた悪鬼の私が?


 今日の私はどうかしている。




 無垢な王女を見ていると、かつて私に生きる標をくれた人と過ごした日々を思い出してしまう、

 例えば、誰かの髪が風になびくさまを綺麗だと思う気持ちを。

 王女が涙をこぼすとき、私の心は《聖都》での最後の日、最後の夜を思い出してしまう。

 殆どの心を無くした私だが、私の躰は未だ覚えている。知らず刀の柄に伸びる手を引き戻す。


 何故力を貸してくれるのか。至極まっとうな王女の問い。

 それへの答えを、私は考えた。


 このまま王女を森に放てば、森に降る無慈悲な雪と、狭間より吹く無限奈落の瘴気に蝕まれ、朝を迎えることはないだろう。

 斬るのと何が違う。逃がすが殺すと同じならば、私は斬るべきなのだ。


 ではもし、霜の帝国へと王女を差し出すとしたら、この無垢な魂は、どれほどの涙を流すだろうか?

 この娘は心を凍り付かせ、壊れてしまうに違いない。


 親子ほども歳の違う霜の皇帝に組み敷かれ、泣き声を上げる王女の姿を想像すれば、驚くほど不愉快さが溢れる。

 それは許してはならないと、私の躰に刻まれた技がそれを許すなと告げている。

 斬らねばならないと刃が応える。抜けば走る剣閃は、私の空虚な心より人情味があるらしい。


 王女は、故郷に帰りたがっている。

 なら、私が出来ることは一つだけだ。


 今日の私は本当にどうかしている。

 しかし、それがどうしたというのだろう。

 所詮、人斬り包丁一振り、それが私なのだから仕方ない。

 狂っているなど今更過ぎた。






 太陽は真昼のわずかな間しか天に浮かばない故に、この森では朝を感知する事は難しい。

 この森で暮らし続けた私には分かるが、それ以前の話で、王女が寝静まってから一人外で刃を振り回していれば嫌でも気が付く。

 技の鍛錬は欠かしたことはないが、旅ともなればどうしても不可能な時も多い。少々つめこみ気味ではあったが、型の総点検を行う必要があった。

 凍てつく大気の中でも、《屍鬼》たる私の躰には何の障害にもならないとはいえ、一応旅の間はある程度人間の振りをする必要がある。

 小屋の中に入り、寝台へと向う。

 

「朝だ、起きろ」


 起きない。

 静かな寝息を立てながら、幸せそうに布団にくるまれている王女。

 枕の上に乗った頬に、私はそっと触れた。


 すべらかでやわらかい。

 その肌の下に通う鮮やかな赤、温もりが有って…… 


 私はおもむろに両手で頬を包み込み、つねりつつ左右に引っ張った。

 呼びかけても起きない輩に対する、伝統的な作法の一つである。


「みゃっ!?」


 王女の上げる悲鳴が、心地よい調べを奏でる。

 何故私が起床まで面倒を見なければならないのか。とか、何でそんなに幸福そうに寝てるんだ。

 という、私の怨念も籠っているかもしれないが、全ては気のせいだ。


「問いに応えよう。私も、お前の故郷を見てみたくなった」


 夢の世界から強制的に戻された王女に、一方的に言い放つ。


「《羅刹天》さま……」


 奇跡を見た様な表情で、こちらをじっと見てくる王女の視線に妙な居心地の悪さを感じ付け足す。


「……という事にしておこう。一時的に」


 言っておいて無理があるな。と思ったが、言ってしまったものは仕方がない。此処は行動で誤魔化しておこう。

 炉の火を消し、王女を着替えさせ、その腕を取って表へと出る。

 雪が照らし出す世界へと。


 厚手の皮手袋をはめた王女の手を取って外に出ると、不思議と私の中に一点の迷いもなくなっていた。

 あの人も私の手を取って旅を始めた時、こんな気持ちだったのだろうか?

 私に世界を与えてくれたあなたは。


  『この世界でたった一人、君だけが嫌いだ』

 

  記憶の中で、重なった刃が奏でる音を思い出す


 私は王女の手を握りしめる。

 森を西に抜け、南へ。


 運命の輪が回る音が聞こえた気がした。

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