ある少女の幸福事情
これ、どういう状況なのかしら…。
「あ、姉上、これおいしいです」
「良かったわね…」
「はい」
楽しそうね、リドル…。
姉上はジュースすらのどを通らないわ。
今、王宮で最も絢爛で大きなホールで、宴が開かれている。
去年、南方の大国バトリアスの王が代替わりし、内政を整えてようやく外交公務に乗り出し、友好国であるこのリュミエール王国にやってきた。
…随分背の高い方ね。
平均的なお父様より頭一つ分余裕で高いのよ。しかも、がっしりとした体格で武芸に優れていらっしゃるのが遠目からでもわかるわ。
私は、そこで壁の花になっているのだけれど…隣で呑気にぱくついている異母弟のおかげで、なり切れないでいるのよ。
リュミエール王国の唯一の王子で寵愛深い側室マリアーネ・ファル・ヘライズ様の子であるリドル・ローディア・リュミエールは、私より4歳年下の可憐系美少年。
…地味で平凡な私が引き立て役よ。分かってるわよ。もう何年も前に自覚済みよ。
「というか、貴方本当にいつの間にこれらを用意したの」
これら、と言うのは私が今身に着けているドレスや宝飾品のことよ。
お父様はマリアーネ様や異母妹のケイナにお金をつぎ込んでるから、私には支度金が無いのよね。本来、私に割り振られる予算を二人に使っているのは知ってるわよ…。
お母様が亡くなってから露骨になって…。まぁ、別に良いのだけど。
だから、私には1年に1着、新しいドレスを作れればいい方だったのよ。年中無休で使えるように地味な色でシンプルなものにならざるを得ないし。宝飾品はお母様の形見しかないし。
さすがに、それだけじゃどうにもならないから、王都に抜け出してアルバイトしていたけど。そのお金で布地を買って自分で作ってたのよね。…おかげで裁縫が得意になったわ。
まぁ、誰も気付いていないのでしょうけど。
こんな華やかな場に着ることが出来るドレスなんて、一着もないのを分かっていたのか、事前にリドルが用意していたのよ。
どういうわけかパートナーとして私を指名してきたリドルは、満面の笑みでドレスや靴や宝飾品をもってやって来たのが2時間ほど前だったわね。しかも、自分の侍女を連れて。
…私のところに侍女が一人もいないのをよく覚えてたわね。
サイズがぴったりであることに思わず引いたけど、リドルは趣味が良いわね。
バトリアスは赤の色を重んじるから、それを考慮して、刺繍の差し色に赤をわずかに混ぜるだけにしているのが良い感じね。
「こういう行事は、何か月も前に決まっているものですからね。用意するのはそう難しくないですよ。宝飾品も、同様です」
「あ、そう…」
自慢げに胸を張るけど、そういう事情全く分からないから。
「まぁ、私はこういうの持ってないからありがたいけどね。それより、私の隣にいて良いの?」
「何故ですか?」
「本来なら、ケイナと出るはずだったのではないの?」
今、バトリアス国王と談笑している父の隣には、鮮やかな赤いドレスを着た異母妹ケイナ・ローディア・リュミエールがいる。反対側には、ケイナとリドルの生母であるマリアーネ様がいる。
「いやですよ。非礼にもほどがある姿をしている勘違い人間の隣に立つなんて、僕まで非常識に思われるじゃないですか」
…中々に辛辣な事を…。
まぁ、確かにね。
赤を重んじるとはいえ、類似色の薄紅や朱色は身に着けることは許されるけど、真紅や赤は王族しか身に着けられない。これぐらい、私ですら知っているわ。
あらゆる本を読み漁って、読書好きの聡明な王女様がその赤色を身に着けるなんて、どういう神経しているのかしら。
…あ、宰相とか公爵達が頭抱えてる。
さすがに、ケイナが非礼に過ぎるってのは分かってるのね。
というか、お父様もマリアーネ様も止めなかったの? 王宮の服飾師も、他国の禁色や文化には精通しているはずでしょう。…命令されたら逆らえないんだろうけど。
確かに、真紅の意匠をまとったバトリアス国王とケイナは、並んだらお似合いね。
偉丈夫と儚げな姫君、てところ? それがケイナやお父様達の望みどおりなのね。表情が緩みっぱなしよ。
ケイナ、頬を染めてうっとりしてるけど、さっきからバトリアス国王は貴女に目を向けてないし、控えている従者が凄い目でにらんでるわよ。
…気付いてないんでしょうね。自分が第一だし、優先されて甘やかされるのが当然と思ってそうだし。それが自国の王宮と言う特殊環境下だってわかってないのね。
分かってないのは、ケイナだけじゃないみたいだけど。
…聞こえてるのよ。
わざとらしく、誰だったか、とか。陰でくすくす笑ってんじゃないわよ。
どうせ、リドルの方が美人よ。その引き立て役にしかならないわよ。リドル自身にその意図が無かったとしてもね。
…ちょっと、疲れたわね。
「リドル。少し風に当たってくるわ」
「護衛を…」
「不要よ。どうせ、私に割り当てる余裕のある騎士はいないでしょう。騎士も、私の護衛なんて嫌でしょうし」
近場に立って警戒心をもってこっちに聞き耳を立てていた騎士をちらっと見れば、慌てて意識をそらすから逆に笑っちゃうわね。なに? 私がケイナに何かしない様にって?
こんな場所で何かするわけ内でしょう。今までだって、ケイナに何かしたことなんてないわよ。
心配げなリドルに手を振って、庭に出る。
宴の喧騒が嘘のようにひっそりとしたそこで、私はようやく肩の力が抜けた。
…あぁ、いっそ、家出でもしてやろうかしら。
お父様も宰相達も気にしないだろうし。逆に、厄介者がいなくなったって思うんじゃないかしら?
…さすがにそれはないわね。
私のお母様は、貧しい小国とはいえ、れっきとした王女だったのだもの。支援の見返りに差し出された人質でも、正妃だったから。
リュミエールにはあまり利益はないかもしれないけど、一国の王女だった王妃の娘を放り出したまま放置って、国の体面に関わるものね。
…バカバカしい。
……こういう時、思い出してしまうのはあの時の事ばかりね。
バトリアス国王の見たからなおのことね。
ディーも、年にしたらかなり大柄だったし。
「必ず迎えに来ると誓おう。オレの唯一無二」
……………。
「っ?!?!」
び、びっくりした…!!
な、なに? これはどういう状況?
何で後ろから抱きしめられてるの?!
それに、さっきの言葉はディーの…。
まさか…。
「ディー…?」
「あぁ。遅くなって悪い。国内をまとめるのに時間がかかった。母上は、苛烈な女傑だったし聖女だったからな」
「はぇ…?」
あ、なんか変な声でた。
いや、でも、意味わからないでしょ。分かるけど、分かりたくないでしょ。
思わず呆然とするでしょ。まさかの現実すぎて、気が遠くなるでしょ。
「お、大丈夫か?」
ふらついて倒れかかっちゃったけど、びくともしないし余裕なのね。
…うん。力強くてどきっとしたわ。
何年も会ってなかったのに、やっぱり、私はこの人が好きなんだわ。
あぁ、でも…。
「ねぇ」
「ん?」
「…私はコウジュ・ローディア・リュミエール。貴方は?」
ふと思った。
私達が出会ったのは、何年も前で、ちゃんと名乗らなかった。あの時、とっさに偽名を使ったのよね。
だから、少しだけやり直し。
「ディオン・グルムファルト・バトリアス。あの時の約束を果たしに来た。一緒に来てくれるか?」
「約束を守り続けてくれるというのなら」
「知っているだろう? 神は二心を許さない。オレは神ではないけれど、父上は神だからな。そういうところには厳しい」
「では、私を唯一無二にしてくださいますか?」
「オレを君の唯一無二にしてくれるのなら」
……どこのお伽話!?
やばい、テンション上がってキャラじゃないことをつらつらと言っちゃった!
あ、いや、微笑まないで! 美形の笑顔の破壊力は半端ないっての知ってるから直視できない!
「良い雰囲気な所申し訳ありませんが、主役には早く戻っていただかないと困ります」
「…ちっ」
あれ? 舌打ち?
って、リドル、あんたは何時から…。
「姉上が名乗ったあたりからです」
心読むな!
恥ずかしい所は全部じゃないの!
…もういいや、諦めよう。恥ずかしいのは私だけみたいだし。
諦めることには慣れたのよ。嫌な慣れだけどね。
「なんでそんなにいい笑顔なのよ」
「だって、これでようやく全部明かせるんですよ! 僕は頑張りました! 宰相以下主要な貴族や大臣の弱みを握って脅して、口説いて、ちょっと痛い目見てもらって、神官長を吊るして脅して引きずり出して絞り上げたかいがあって、素晴らしい布陣がしけました!」
…物騒な言葉が盛大に混じってるけど無視するべきよね。うん。
ディーもひきつってるし。
「さぁ、姉上! 戻りましょう。大丈夫です。お二人の関係を祝福する為ですから。父上も母上もケイナ姉上も黙らせて見せます!」
「テンション高いな! というか、祝福?」
「えぇ。バトリアス王妃となられる姉上に、最高の祝福を!」
………えぇぇぇぇぇ?!
声に出さなかった自分をほめたい。
いや、そうじゃなく。
お父様がケイナを売り込んでたのは気付いていたけど、え、なに? これってお見合いを兼ねてるの?
ちらっとディーを見たら、複雑そうな表情してるし。
「まぁ、年頃の王族がいたら見合いも兼ねるわな」
それが普通なのね…。
まぁ、ケイナも私と同じ年だから行き遅れだし。ケイナの場合は、病弱でお父様が溺愛してるっていう免罪符があったけど。
「いや、お父様達が納得しないでしょ…って、黙らせるって言った?」
「えぇ、黙らせて見せます」
「出来るの?」
「出来ます」
何を根拠に…。
自信満々である所を見ると、凄いネタを仕入れてるみたいね。
怖いから聞きたくないけど、この後、絶対聞くことになるんだろうなぁ…。
「じゃぁ、行きましょう」
楽しそうだね、リドル。
姉上はちょっと疲れたよ。
「行こうか、コウジュ」
「うんっ」
「この態度の違い…」
「仕方ねぇだろ、諦めろ」
あ、ようやく喋った。
扉脇で控えていた騎士、確か宰相の子供よね。リドルと仲良かったわね。
…私にも親しくしてくれる珍しい子ね。
「ふふふっ。まぁいいや、長年の鬱憤を晴らせるんだから、細かい事は気にしないに限るよね」
「その言葉、コウジュ様が言うべきことだろ」
確かに。
いや、別に良いけどね。
ホールに戻ったら、時間が時間だからか、お父様達と宰相以下主要な立場の人たちくらいしか残っていなかった。
ディーと手をつないで戻って来たから、お父様とケイナの表情が凄いことになってるわね。
マリアーネ様は憎々しげな視線でにらんでくるし。麗しい容姿が台無しですよ。
…宰相達は何でほっとしてるの? 神官長はなんか泣きそうなんだけど。
「お喜びください、父上。ディオン陛下は姉上を妃に望まれました。大国バトリアスとの友好は尚深いものとなりましょう」
リドル、その言い回しはわざとよね?
自分に姉が二人いるのに、名前を出さなかったのはわざとなのよね?
あ、なんか寒気。もう考えるのはやめよう。
お父様もケイナも表情を輝かせてるけど、この状況でケイナを選んだと思えるんだ…。
マリアーネ様も勝ち誇ったような表情をしてるけど。
え、この人達、大丈夫?
バトリアスの方々がすっごい冷ややかな視線を向けてるんだけど。
「リュミエール国王陛下。貴殿の掌中の珠を貰い受けることを、お許しいただきたい」
ディーもわざとよね。
私はまかり間違っても掌中の珠ではないわよ。
あれ、私の左右は腹黒なの?
うん、お父様。ひとまず、貴方の望んでいる内容ではないから、あんまり喜ばない方が良いわ。
突きつけられた時の落ちようが半端ないわよ。
「おぉ! 英傑と名高いバトリアス国王陛下ならば、喜んで!」
「嬉しいですわ!」
久しぶりに声を聞いた気がするわね、ケイナ。
「ありがとうございます」
にっこりと綺麗に微笑んで、少しかがんで……うぇあっ?!
横抱き、いわゆるお姫様抱っこをされてそのままディーはホールを後にする。
いや、主賓がいなくなっていいの? て、リドル、良い笑顔で手を振らないで!
一国の王としてこの態度はどうなの?!
…混乱したままの私に、それらが言えるはずもなく、ディーが泊まっている最高貴賓室にお持ち帰りされたわ。
文字どおりの意味よ。
私だけが恥ずかしかったわ…。
数日後、ディー達と一緒にバトリアスへ行くことになるんだけど…。
その時、宰相達の疲れ切った表情とリドルのすっきりした晴れやかな表情に、何とも言えない感情が湧いたのは私だけの秘密…。
何があったのかは、怖くて聞けないから未だに何も知らないけどね…。
バトリアスに着いてから、色々と驚愕の事実を知ったけど、知らない方が良かったと思ったわね…。
いや、幸せだからいいのよ。
うん、細かい事は気にしない。
気にしてたら切りがないし…。
次はリドル視点で過去とコウジュの母親などについての予定(一応)。