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天水

作者:



小夜(さよ)!! 小夜はどこだ!? ここに居るのは解ってんだぞ!」

「いけません! 啓吾(けいご)、帰りなさい!」

「うるせぇっ! 連れて来ねぇなら勝手に探す。どけっ!」

「啓吾! いけません! 啓吾っ……」



廊下から聞こえる物凄い足音と、怒鳴り声。


嗚呼……愛しい彼が来た。




*****




「小夜――お前、何で黙ってた?」



ガタン! と大きな音を立てて開けられた襖とは対照的に、低く唸るように告げられた啓吾の言葉。

それは先程まで家中に響いていたものとは違い、少し傷ついたような色がにじんで見えた。


全てが決まった時、遅かれ早かれ彼がここに来ることを想像してはいたが、まさかこんなに早いとは。

仕方なく布団から体を起こすと、彼の後ろで狼狽えているおかみさんにひとつ頷いて“大丈夫だ”と合図する。

それでもまだおかみさんは心配そうにしていたが、あたしがもう一度頷くと、不安そうに啓吾を見ながらも障子を閉めて二人にしてくれた。

あの剣幕で啓吾は叫んでいたのだ、心配されるのも仕方ないだろう。


啓吾は閉まった障子をにらんで鼻をならすと、あたしの布団のすぐ脇に腰を下ろし、こちらを睨むように見つめた。

どうやら、あたしの返事を聞くまで動くつもりはないらしい。



「――さぁ、何の事だか」

「……とぼけてんじゃねえっ!」



ビリビリと空気が震えるかのような、大きな声。

そのあまりの大きさに驚いて目を見開くと、彼はうろたえるように視線を逸らした。


もちろん、彼が好んで大声を出しているわけではない事くらい、わたしにだって解っている。

確かに彼は少々短気な方ではあるけれど、むやみやたらに暴力を振るったりはしないし、乱暴な態度だってとらない。

家族思いで友達思いの、普通の優しい青年だ。

だから、彼がこんな風にあたしに怒鳴ったのは初めてだった。



「――ごめん、啓吾。話すから落ち着いて。ね?」

「っお前、何でンな落ち着いてんだよ!? 殺されるんだぞ、お前は! 悔しくないのか!?」



宥めるあたしを無視して、更に啓吾は声を荒げた。

どれだけ怒鳴られても恐くはないけれど、悲しげに歪んだ彼の顔が心に刺さる。

ああ、こんな顔をさせるつもりはなかったのに……どうして上手くいかないのか。


――でも、彼が怒ってくれてたから、悲しんでくれたから、どうだと言うんだろう。

あたしの運命は、すでに人の手によって決まってしまって、きっとそれはもう変わらないし、変えることもできない。

彼だってそんなこと解っているはずなのに、なかなか残酷なことをしてくれる。



「……そう、だよ。あたしは殺されるの。わかってる」



ひどい干ばつだった。

水不足なんて生易しいものじゃない、ひどい干ばつ。

何ヶ月もの間雨が降らず、雲ひとつない空からは容赦なく太陽が照り続けた。

そのおかげでいくら頑張っても作物が育つことはなく、貯めていた生活用水も食料も、もう底をつくだろう。


すでに体の弱いものの中には病に倒れた者もいるし、亡くなった者もいる。

このままでは、村人全員が死んでしまう日もそう遠くはない。


だから“そうなってしまう前に”誰かが巫女となり天に身を捧げ、祈るしかないのだ。

今までも、ずっとずっと、この村は干ばつの度に若い女の命と引き換えに雨を願ってきた。

たまたまその役目が、あたしに回って来ただけのこと。

こればっかりは、仕方ない。


それに……殺されるなんて言われても、実際問題まだ実感として沸いてこない。

だって、あたしはまだ若くて健康で、死とは遠く離れたところにいるから。


ああ、でも、もしかしたら。

死を間近にした人間は、逆にこうなるのかもしれない。

死の恐怖に潰されてしまわないように。

少しでも安らかに居られるように。

脳が、体中の細胞が、感覚を麻痺させてしまう。

ある意味、幸せだ。



「まぁ……みんなの命には代えられないものね」



勤めて笑顔で告げたこの言葉は、決して嘘ではない。

きっと、あたしの死が少しでもこの村の為に――彼の為になるのなら、無駄では無かったと思えるだろうから。


それに、そう。

こんなのは大した事じゃない。

神様と、結婚すると思えば良いのだ。



「諦めたような面して、何言ってんだ……来い、小夜。逃がしてやる」

「啓吾。あたしは行けないよ。あたしは――」

「うるせぇ! 今から出ればすぐに夜がくる。山を越えれば大丈夫だ。俺も一緒に行ってやる。来い!」

「啓吾……」



手を取られ、立ち上がろうとする――が、それは叶わない。


彼が必死になってくれるのが、あたしが生きることを望む人がいてくれるのが、ホントは少し嬉しかった。

だから、あわよくば生きたいとすら思ってしまった。

あたしの足を重く繋ぎ止める、この枷すら忘れるほどに。



「な……んだよ、コレは」



言葉をつまらせる啓吾の視線の先にあるのは、布団からはみ出したあたしの足首。

青くなったそこには枷をつけられ、鎖が両の足を繋いでいる。

贄が勝手に逃げてしまわないよう、繋いでいるのだ。


いたくて、悲しくて、惨めで、隠すように布団の下へと足を戻せば、ジャラジャラと鉄の擦れる音があまりに大きく聞こえた。


――だって、仕方ないじゃない。


巫女に選んだと告げられた日、村の長達は神妙な面持ちで懇懇と巫女の役目の大切さを解いた。

そして、巫女として死ねるのは最大の誉れで、断ることは許されないのだとも。

大分柔らかくぼかされてはいたが、あたしに“喜んで死ね”と言ったのだ。


もちろん、あたしには死を悲しむ家族すら居ないのだから、巫女に選ばれるのは仕方ないと解っている。

そして、その時が来たら大人しく受け入れなければいけないと、ずいぶん前から覚悟だけはしていた。

……いや、していたつもりだった。

けれどもあたしはあの言葉を聞いた時、よく見知ったはずの目の前の年寄りたちが知らない人のように見えた。


そして、何も言うことが出来ないまま、掟だからと村長の家に連れてこられ……繋がれている。

ただ、繋がれてはいるが、毎日驚くような贅沢すぎる食事が出されているし、貴重な水で毎日体を拭かせてもらえていて、今の村の状況から考えればあり得ない待遇だ。

せめてもに最後の贅沢をさせてくれているのだと、痛いほどにわかる。

こんな風にされてしまえば、たとえあたしがどんな気持ちでいようとも文句なんて言えないし、枷なんか無くたって逃げることも出来ないのに。


それでも、足首では枷が黒く光っている。



「――本当に、なんなんだろうね?」



親から捨てられたあたしを拾って、育ててくれた村に感謝した。

決して裕福ではないこの村で、よそ者のあたしを育てるのは楽ではなかっただったろう。

それでもここまで大きくなれた。

大切な人にも出会う事が出来た。

いつかは恩返しをしなければ……とは思っていたのだ。

その時が来た、ただそれだけの事。

だから迷っては、揺いではいけないのだ。



「でも、お前――」

「啓吾、お願い」

「チッ……解ったよ」

「ありがとう」



隣りに座ったまま、苦しそうな顔で視線を逸らす啓吾。

ごめんね、我が儘言って。

ごめんね、あたしの為を思ってくれたのに。


あぁ、どうせなら、貴方に知られないまま死にたかったな。



「疲れたでしょ?啓吾」

「……疲れてねぇ」

「嘘ばっかり。膝ぐらいしか貸せないけど、どうぞ」

「だからっ」

「――これで、最後なんだから。ね?」

「……」



黙って横になった啓吾は、あたしの膝に頭を乗せ眼を瞑った。

眉間に刻まれた皺が深くて複雑な気持ちになったけど、膝から伝わるその重さが嬉しかった。


きっと、啓吾はまだ納得できていないんだと思う。

あたしが頼んだからもう何も言わないだけで、言いたいこともまだまだあるんだろう。

たとえそれが、どうしようもないと解っていても……言いたいことが。



「ごめんね、啓吾」

「……うるせぇよ」

「……うん。ごめんね」



ああ、きっとこれが本当に最初で最後なんだろうな――なんて思いながら、そっと啓吾の頭を撫でた。

ゆっくり、慈しむように何度も何度も時間をかけて。

想像ではもっとずっと幸せな気分になるはずだったのに、状況がそれを許してはくれない。


……ホントはね、啓吾にあたしを貰って欲しかった。

家族も居なくて、取り柄は明るいだけの何にも良い事の無いあたしだけど、ずっとそう思ってた。

啓吾と夫婦になって子供を産んで、一緒に育ったこの村で家族を作るんだって。

きっと啓吾はいいお父さんになっただろうし、賑やかで楽しい家庭を築けたと思う。


生きてさえいれば叶えたい夢だったけど、死んでしまうのだから仕方ない。

せめて、少し気分を味わうくらいバチは当たらないだろう。

だからもう少し、もう少しだけ――。



「――で、いつまで寝てりゃいいんだ?」

「あぁ、ごめん。引き留めちゃったね」

「……あぁ」



名残惜しげにもう一度だけ頭を撫でて手を離すと、体を起こした啓吾が勢いよくあたしの腕を引いた。

不意を突かれたあたしはそのまま倒れるように引き寄せられ、固い腕で抱き締められる。

少し痛いくらいのその力が、妙に胸を締め付けた。


あぁ、このままずっとこうして居られたら良いのに。

明日も明後日も、その先も。



「……啓吾?」


「黙ってろ」


「――はい」



あたしもそっと腕を回して、力を込めた。

愛しい愛しいと、まるで鳴くかのように心臓が脈打つ。

この気持ちが、少しでも彼に伝われば良い。

そして、天にも届いて雨が降れば――。



「……何もしてやれなくて、悪い」


「充分よ、これだけで。生きてきた中で一番幸せだから」


「……くそッ」


「けい……ごっ」



悲しげにこぼされた呟きと共に、抱き締められる力が強くなった。

息が苦しいほどのその強さに、あぁ、想われてるんだなぁ――なんて思えて不謹慎にも口許が緩んだ。


……あたし、幸せだな。

いい人を好きになった。

あたしの見る目は間違って無かったんだ。



「……あと何日あるんだ?最後まで」


「四日かな。きっと、あっという間なんだね」


「そうか。諦めんなよ、最後まで。まだ雨が降るかもしれねぇ」


「……そうだね、ありがとう」


「それでも――最悪の事態になったら、その時は何としても一緒に逃げてやる。そのつもりでいろよ」


「う……ん」


「じゃあ、また明日来る。よく寝ろよ」



呆然とするあたしを残して、廊下から彼の足音が遠ざかって行く。

それと同時に涙が溢れた。

普通に考えれば、逃げることなんて無理だろう。

いくら啓吾でも枷をつけられたあたしを連れてでは、村を出ることはおろか屋敷を出る事すら困難なはずだ。

それでも、逃げると言い切った彼の顔は真剣そのもので、そこに彼の揺るぎない意思が見えた。


……そして、思ってしまった。

万に一つでも、彼との未来があるのではないかと。

もちろん、この希望はひどく残酷なものになるだろう。

希望がちらつくうちは諦められないのだから。

だとしても、最後までの間に啓吾が傍にいてくれるなら、それだけで充分。

幸せだったと、言えるに違いない。


――それでも雨は、次の日もその次の日も、降ることはなかった。




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