憧憬
いみもやまもおちもありません。気分で書いた雰囲気短文です。
初めに惹かれたのは、チョークを握るその指先。
指が長く、その骨ばった質感は噛んでみたい誘惑を与えた。
視線を流していけば、綺麗なラインの横顔にあたる。
正面からの顔はさして好みではなかった。
大学に入学してたまたま選んだ教養の民法の授業。初回はやる気なく後方の席にかけていた私は、担当講師の姿形に惹かれて、それ以降前方の席を確保した。
授業は漫然と進んでいく。板書を規則正しく写しながら、私は先生を眺める。
三十代半ばくらいだろうか。顔立ちは柔和で、印象は深くない。そして、私の先生への関心は顔ではない。どちらかといえば、形。
横顔のライン、手の形、背筋の流れから続く腰つき。初めて見た時、先生は私の欲望を刺激した。
近づきたいわけではない。
授業中のほんの一時、眺められればいい。
先生にややうっとりとした視線を投げかける自分を一方で、冷ややかに見つめる自分がいる。変質者だとは思われたくないから、人には言えない。
授業で前方の席を確保する私に友人は目を丸くするが、「先生が好みなの」と言えば、納得してくれる。
好み。タイプでもいい。ただし、付き合いたいとか恋しているなどの意味合いではない。
もっと、欲求に直結した好み。強いていうなら、先生を抱きたい。抱かれたいではなくて。先生を味わいたい。あの指先を舐めて、噛んで。
それは私の心の中だけでの欲望。行動などおこそうともしないだろう。
私はあなたに近づきもせず、名を覚えてもらうこともなく、ただ授業を終えていく。
それでいいと思う。
自己完結する欲望の在り処を知れただけで、私の平凡すぎる日々には十分な荒波だ。
あなたはこちらを向かないでいい。私に背を向けて、何も知らないままでいて下さい。