第4話「神の力② -探知力-」
そうして探索を開始してから既に一時間は経つ。
窓枠から見える景色は荒野のみ。今や日も完全に落ち切って、暗闇が世界を支配していた。トラッカのヘッドライトが前方を照らし、爆音だけが辺りに響いている。走行速度はそれこそ自転車並みの速度ではあるが、落し物を探すにはかなり酷な状況だ。月明かりを頼りにトラッカで進みながら、逐次降りて辺りを細かく探索するという手もなくはないが、加害者が言うにはとてもそれはお勧めできないとの事だった。
この荒野に生息する生物は、そのほとんどがムラサキドクオオサソリのように危険な化け物であり、夜行性が多い。今が活動時間帯であることは疑いようもなく、音と照明に釣られてやってくる可能性は十分にある。いざと言うときにはすぐに逃げれるようトラッカに乗車したままの方がいい。
確かにそれは理にかなっている。尋常ならざる加速力を持つこの乗り物であれば、どんな怪物に出会ったとしても逃げおおせるだろう。しかし、探し物をするのに向いているかと言うと、決してそうではない。
「見つからねぇッ!!」
「くっそッ!どこにあるんだよッッ!!」
二人の目は血走っていた。当然である。シャツ一枚が有るか無いかの違いだが、それはまさしく変態の謗りを受けるか否かの運命の分水嶺なのだ。
このまま見つからなかった時の事を少し想像してみれば分かるだろう。トラッカから街に降り立つ上半身裸の男と、真っ裸の男。常人ならあらぬ妄想を掻き立てられる。そこに群がるのは決してそういった趣味のある女性達などではなく、冷たい視線、侮蔑の視線、恐怖の視線、あるいは警官の群れである。
故に二人は必死だった。社会的な必殺を避けようと涙ぐましい努力を続けていた。そのために導き出した、トラッカをぐるぐると、スプリングを広げた時のような軌跡で旋回させながらの探索という手法。見落としを減らすために取ったその手法は、確かに細かく探索が可能だが、体力的にも精神的にもきつい。平たく言うと横Gがかかりっぱなしで酔う。しかしそんな酔いに負けている場合ではない。
「気付かないで通り過ぎたのかッ!?」
「あるいは風で飛ばされてもっと遠くに……ッ!?」
疑心暗鬼が二人の心を掻き乱す。危険を顧みず、自らの足を使って探した方がいいのかもしれないとまで思い始めていた。そしてそれは実際に口から零れ落ちる。
「もう降りて探した方がいいんじゃねえか……っ!?」
「でも、それは危険……あぁッ!?」
「まさか見つけたのかッ!?」
加害者が見つけたのは危険そのものだった。遠目からも分かる、緑色に発光した小さく動くもの。おそらく荒野の化け物だ。
「まずいッ!」
加害者は慌ててヘッドライトを消した。同時に急ブレーキをかけてすぐさまエンジンも切る。静けさを取り戻した荒野の中、遠くから獣の遠吠えが聞こえた。
「気付かれたか?」
「分からない。五十メートルは先だったし、音に敏感じゃない奴かもしれない。光源さえなくせば襲ってこない可能性もある」
とはいえ、用心に越したことは無い。二人は息を潜めて様子を伺う。時折、金属が擦れた時のような甲高い音が響いてくる。その音には神野も聞き覚えがあった。
「これってサソリの音じゃねえか?」
「まさか最初の位置に戻ってきた?」
「だったらここら辺りに落ちてるかもしれねえ。最初の加速で脱げたというのは一番可能性が高い。奴ら、音には敏感じゃないんだよな?」
「敏感じゃないが全く反応しないわけでもない。主に赤外線暗視で獲物を捉えてるって話だから、奴らの視界に入らなければ気付かれない可能性はあるけど……行くのか?」
返事はドアを開ける音で返す。焦れに焦れていた二人の胸中は、言葉を交わすまでもなく一致していた。故に、開け放たれたドアへとかける加害者の言葉は危険へ向かえと後押しするだけの忠告だった。
「ドアは開けっ放しでいい。それと絶対に二十メートルは距離を置け。それがあいつ等の認識できる視野限界と言われてる。それに奴らは今、交配期の最中であそこに巣を作っている可能性が高い。たぶん俺達が襲われたのも捕食よりも巣を守ろうとする防衛本能が動いた結果だ。近づきすぎなければ安全度は格段に増す」
「博識だな」
「ここに来るなら当然の準備だよ」
「頼もしい限りだ」
「念のため、何かあったらすぐにこいつを動かせるように俺は残る。一人でも大丈夫か?」
「問題ねえ。例え砂漠に落ちたダイヤモンドだろうが見つけ出してやるよ」
「そいつは心強い。けど、今回のお宝は光らないから気をつけろよ」
「化け物は光るのになあ。世知辛い世の中だ」
「全くだ」
視線だけを合わせて頷き合うと、神野は慎重に車外へと降り立った。空に浮かぶ満月が辺りを照らし、神野の頭もまたそれを受けてうっすらと輝く。探す方が光るとは誤算だった。あるいは神野自身がダイヤモンドなのかもしれない。
「人だって光るのになあ」
加害者は自分にしか聞こえないほどの声でしみじみと呟いた。
擬似ダイヤモンドは輝かないお宝を探して徘徊を開始した。中腰の姿勢で注意深く辺りを探索していく。目が慣れてくれば月明かりの助けもあって比較的見えやすい。目を凝らして周囲を見渡し、じりじりと歩を進めていく。
勿論すぐには見つからない。目につくのは雨に濡れた土くれと雑草ばかりだ。求めている白色の布切れは何処にも見当たらない。そもそも、この辺りに必ず落ちているという保証も無いのだ。最早これは賭けに等しい。人事を尽くして天命を待つ。額に汗を浮かべたまま、それこそ荒野の化け物の如く目をギラつかせて周囲をねめつけ、神野はあってくれよ、と神に祈った。だが、この世界に神は───
「あったッ!!」
喜びの余り、神野はほとんど叫んでいた。しかしすぐに自分の無謀な行為に気付き、慌てて口元を両手で塞いで、そろそろとサソリの方へと視線を向ける。サソリは薄暗い緑色の発光現象を伴っているおかげですぐに視認できたが、その動きに変わった様子は無い。
神野はシャツを掴み上げて再び腰に巻きつける。股間は相変わらず風通しが良いが、たった一つだけの装備で心持ち安心感が増した。ああ、服というのはなんと良い物なのだろう。薄い布に過ぎないそれが今は鋼の壁より心強い。まるで鋼鉄のスカートだ。そんな風に沸き上がる喜びを抑えながら、神野はゆっくりとした動作でトラッカへと戻った。
そして、待ち侘びていた加害者へと満面の笑みを向け、神野はただ一言成果を告げる。
「あったぞ!」
「良かった……本当に良かった……」
「ああ、本当に……ようやく俺達は安全な場所に、安全に帰れる」
二人の目が潤む。同じ悲しみを味わい、恐怖し、そして同じ喜びに浸る。どちらからともなく手が差し出され、がっしりと硬く握られた。二人の絆がより一層強固になった瞬間だった。
空いた片手で目元を擦りながらも、加害者は笑みを絶やさない。
「ははっ、もう忘れ物は無いよな?」
「ああ、もちろんだ」
強いて言えば髪の毛だろうか。股間の涼しさで忘れかけていたが、今の頭頂の涼しさも十分に神野を社会的に殺せる存在に成り得る。とはいえ、それは必殺で無いことは明白だ。今はこれ以上望むべくも無い。ゆくゆくはアレに類する品を手に入れて対策を取ればいい。問題はアレ以上の品があるかどうかだ。
あ、と間抜けな声が響く。
「すまん、まだある。あった。今思い出した」
神野の脳裏に浮かぶのは黒いプラスチック容器のフォルム。ノズルさえも真っ黒なそれはかつての髪、その艶やかさを思い起こさせる。
「シャンプー」
「はい?」
「シャンプーを置いてきた」
それは一刻も早く己の髪を取り戻すためには是非とも必要な一品だった。なにせ、巷では個人差はあるものの、本当に効果が出るとの触れ込みだった新商品だ。その上、知人の中にアレを一ヶ月間使い続け、見事に十円ハゲを治した人間もいる。その男は酒の席で豪語した。
例え誰が使おうと、少なくとも減ることはなくなると。
「戻るぞ!サソリを掻い潜って拾い上げる!」
「無茶だよ。もう暗いし、何より危険だ。諦めた方がいい」
「ダメだ!なんと言おうと俺は行く!あれが無いと命に関わる!」
その固い決意の前に加害者はたじろいだ。たかがシャンプーがどれ程の物だというのだろう。命に関わるシャンプーなど聞いたことも無い。
「それほどの……一体なんなんだ、そのシャンプー」
「アレさえあれば髪が生える!成長が促進される!俺の未来が約束される!それとも何か、お前はあのGrowingGlory、略してG2以外にそんなものを知ってんのかッ!?」
「いや、そんなものは……」
加害者が知る限り存在しない。現存する毛生え薬は全て効果無しだということが証明されている。それも合法、非合法問わずだ。非合法の中には一時的に髪を生やすものもあるが、あくまで一時的で、しかも劇的な副作用がある。とある事件で有名になったその薬の名は神野が言うG2では無い。
加害者の視線が神野の頭頂、その空隙地帯を射抜く。
神野は不思議な男だ。絶望的な頭皮を持つに至っても、決して現実逃避はしない。それどころか、加害者の短いハゲましのみで立ち直っている。己の神を失っても尚、その信心は揺らぐ様子が無い。
「分かった。すぐに戻ろう。俺も協力するよ。ただ、そう簡単には行かないぞ?そのG2とやらの正確な位置も分からないし、サソリ達の巣のど真ん中にある可能性も捨てきれない」
「それでも俺は……ッ!」
「諦めないんだろ?分かってるさ。だからそのために策を練ろう」
言いながら加害者は足元の暗がりへと手を伸ばし、何かを引き抜いた。その手に収められていたのは全て捨ててきたはずの銃だった。
「残してたのか」
「ああ。こいつは俺の愛用品。見ての通り44口径の自動拳銃で型番も名前も無い。ちと特殊加工された奴なんだ」
愛用品と言うだけあり随分と使い込まれているようで、その銃身は元素材の灰色から幾分かくすんでいた。捨ててきた新品同様の銃とは明らかに毛色が異なる。
「弾倉には20発入ってる。こいつを使ってサソリの注意を引こう。その間にあんたはG2を探してくれ」
「囮作戦だな。でもいいのか?危険だぞ」
「ははっ。なぁに、化け物の巣に突っ込むあんたよりかはマシさ」
なんでもない様に笑って答える加害者に、神野は小さくすまねえ、と呟き返した。出会ってから助けられてばかりだ。街に戻ったら恩返しの一つもするのが人の流儀だろう。
それから二人は作戦の詳細を確認し合い、素早く行動に移った。作戦の手順は非常に単純だ。先に加害者がサソリの群れへと飛び込み、注意をひきつける。その間に神野がG2を見つけ出してトラッカへと戻り、加害者を拾ってそのまま逃走する、といった具合だ。問題は神野がトラッカを運転できるかだったが、実際に試してみたところトラッカの運転方法は殆ど一般的なマニュアルトランスミッション車と変わりなく、普通自動車免許を持つ神野は何のトラブルもなく動かせた。あとは突撃して栄光(G2)をその手に掴むのみだ。
既に二人はサソリの視認限界と言われる二十メートルギリギリの位置に到達している。確認できた群れの数は全部で十六。その全てが自分へと向かってくることを思い、加害者の危機感が高まる。しかしここで中止すると言う選択肢は無い。この役目には髪の未来がかかっている。
「行くぞッ!」
掛け声と共に、加害者は深緑に光るサソリの群れへと駆け出した。視認範囲へと足を踏み入れたからだろう。目に見えてサソリの動きが変わった。鋏が開閉され尻尾が横向きに揺れる。明らかに威嚇だ。
「よぉし、そうだ。こっちだ、こっちを見ろ!」
走る向きを若干右寄りに変えていくと、サソリもそれに釣られて徐々に右へと動いていく。だがまだだ。この程度の距離では巣の探索中に邪魔が入る。足りない。もっと引きつけねばならない。そのための一手が必要だ。
加害者は愛用の銃を構え、その引き金をためらいなく引いた。
銃撃による重低音が辺りに響く。同時に一匹の甲殻が突き破られ、まるで尖った丸太で穿たれたような大穴が脳天に作られていた。通常のハンドガンを超えた威力をまざまざと見せ付けられ、その持ち主にサソリ達は明確な殺意を覚えたようだった。一斉に加害者へと向かって殺到する。
「行けッ!今の内だ!」
言われるまでもなく、加害者の反対、左側から回り込んでいた神野は全速力で巣に突っ込んでいた。昼間見たのとは違い、地面がところどころ隆起している。潜っていたサソリ達が出てきた跡と思われるが、盛り上がった土は月明かりで影を落としており、その周囲の地面が非常に見え辛い。神野は舌打ちしながらも視線を落としたまま駆け巡る。
「どこだ、どこにある……ッ!?」
なかなか見つからないが、サソリ達が戻ってくる気配はまだ無い。聞こえてくる発砲音の間隔から察するに、加害者は弾を温存しつつも上手く引き付けているようだ。その手腕には脱帽を禁じえない。対するサソリ共は所詮畜生か、目前の敵に釣られる愚行で本丸はがら空きだ。邪魔するものといえば隆起した土塊と、その大きさに比して開いている巣穴しかない。
その巣穴の一つに、他よりも随分と大きい物があった。直径十メートルは超えるそのすり鉢状の大穴は、下から何かが出てきたと言うより上から無理矢理掘られた物に見えた。
「こいつは手榴弾の跡か。とんでもねえ破壊力だ」
それを悟って神野に戦慄が走る。G2が爆発に巻き込まれて吹き飛んでしまっている可能性もあるのだ。それは神野の未来も木っ端微塵に砕け散ってしまったことを意味している。
「不味い、こいつは非常に不味い……ッ!」
探せば探すほど、見つかる可能性が目減りしていくようだった。だからと言って諦めるわけにはいかない。破壊されたなら破壊されたで、プラスチック容器の欠片の一つも見つけねば心が納得しない、受け入れない。
神野は意を決して大穴の中へ飛び込んだ。既に周囲は探索済み。そこで容器の欠片は見つかっていない。ならばもうこの中を探すしかない。
比較的なだらかな斜面を駆けながら目を凝らす。暗所での視界確保のため、瞳孔が異常に拡大していた。ずっと目に力を入れているせいか、瞼の裏に痛みさえ感じていたが、その甲斐はあった。穴の最下部、すなわち中心に暗闇に溶け込もうとする黒い物体を捉えたのだ。シルエットだけで判別できる。あれはまさしく求めていた希望に違いない。神野の駆ける速度が一気に増した。
「あった!あったぞ!」
その歓喜の声は土砂の崩れる音で掻き消された。地面が突然揺れ始めたのだ。体がぐらつき、気持ちとは裏腹に否応なく足が止まる。突然の出来事にうろたえた神野のくぐもった呻き声は、続けざまに起こったさらなる異変に叫びへと変わった。
「なんだあっ!?」
地面が隆起した。足場ごと一気に体が持ち上げられ、穴の中から地上へと浮かび上がる。その衝撃に体勢を保っていられず、神野は体ごと空中へと投げ出され、頭から真っ逆さまに落下していく。
頭の中は混乱していたが、死からの回避行動は本能で行っていた。咄嗟に空中で身を捻っての縦回転。一瞬で上下が正常な位置に戻る。常々運動不足に悩まされていた自分からは考えられない軽業だったが、事態はそれ以上の技能を要求していた。宙返りした拍子に白色のスカートが翻り、そのポケットからこの大穴の原因が二つ共零れ落ちたのだ。しっかりとその様子を目で捉えていた神野を再び死の予感が襲う。
気付いたときには体を横回転させていた。風になびいていた白シャツが広がって体の動きに合わせた軌跡を描き、腰の辺りに浮いていた玉の影一つを巻き取る。胸の上辺りに放り出されていたもう一つは円を描く右手で掴み取った。左手は巻き取った玉をシャツの上から握りこんで押さえている。
本当なら惜しげもなく晒しだされた別の玉をシャツごと押さえて隠したかったが、そんなことに気を揉んでいる暇は無い。正面から地面に着地し、横回転の勢いをそのままに足を滑らせて背後へと振り向く。
そこには深緑色に体を光らせた巨大な生物が居た。身の丈は人の三倍程はある。その形状は紛れもなくサソリだ。ゆらゆらと横に揺れる尻尾が自分に狙いを定めているようで気が気ではない。
「いきなり足元から出てきやがって」
神野の声は少し枯れていた。全力で走り回った挙句に曲芸のような運動、何より精神を削る事態の連続勃発で、喉の奥はカラカラだった。額を彩る大量の汗と、目に滲んでいる涙をいっそ飲み干したいとさえ考えてしまう。
「次から次へと問題ばかり起こりやがる。責任者出せよ、ちくしょう」
責任者なら目の前にいる。それを察しつつも神野は愚痴を抑えきれなかった。