警備ロボット
新調したようなスーツに身を包んだ若い男が、革張りの椅子に腰掛けながらいつものように午後のコーヒーを楽しんでいた。香ばしい香りが彼の部屋に充満する。きれいに整頓されたデスクの上にはラジオが置かれ、そこからクラシックが流れてくる。
若い男がコーヒーカップを口に運ぼうとすると、扉を連打する音が鳴り響いた。
「た、大変です社長!」
「なんだ騒々しい。まだ返事をしていないだろ」
「し、失礼しました」
「それで、いったい何があった?」
「実は、こんな手紙が……」
社長と呼ばれた男は部下と思われる男からA4サイズほどの紙切れを受け取った。広げるとそこには新聞の文字を切り張りして作られた、ドラマや映画に出てくるいかにもな犯行予告がかかれていた。その内容はこの会社の利益を奪いにやってくるという、単純明快なものであった。
「いたずらでしょうか?」
「普通に考えればそうだろうな。しかし、だ。我が社のモットーは『すべてのお客様に全力で対応』だ。ご丁寧にも来店の予定も書き添えている。ならば我々も全力でおもてなししようじゃないか」
若社長はほくそ笑むと、コーヒーを一口啜った。
いたずらならそれでいい。仮に本当に盗人がやってきたとしても、逆にそれを利用してしまえ。盗人をとっちめて見せしめにすれば、メディアでも取り上げられて話題になるだろう。ピンチをチャンスに変えるのだ。だてに若くして社長の座に上り詰めたわけではない、という彼の自負がそこにあった。
そのために、彼は策を講じることにした。
「というわけで、天才発明家と噂されている貴方の技術力を是非お借りしたいと思い足を運ばせてもらった次第です」
翌日若社長は、市街地から少し離れたところにある、とある発明家の元を訪ねた。この発明家は高性能なロボットやユニークなアイデア商品などをつぎつぎと世に生み出している。その技術力と頭脳の高さから、世間では天才と称されている。しかも驚くべきことに、その全てを目の前にいるこの発明家1人で制作したというのだ。
「なるほど、お話は理解しました」
若社長は事の顛末を発明家に説明した。警備員の役割を果たすロボットを設置しようと考えたのだ。優秀な警備を雇ってはいるが、備えあれば憂いなしという言葉もある。警備員とて人間でだ。万が一ということもあり得るし、相手が武器を持っている可能性もある。何よりも人数がわからない。そこで彼は1度命令すれば、その内容が終わるまでは忠実に守り続け、絶対に壊れない、そんなロボットを開発してくれないかと依頼したのだった。
「……しかし、ご要望をすべて実現するとなると、かなりのコストがかかると思いますが」
「なにコストの方は問題ない。いくらでも出そうじゃないか。なんなら我が社が貴方のスポンサーになってもいい」
若社長は自信満々に即答した。これは取引だ。多額の金さえ用意すれば多少無理な要求も通ることを、彼はこれまでの経験で知っていた。案の定というべきか、スポンサーという言葉に発明家は明らかな反応を見せた。
「わかりました。わたしにとっても弊社のような大企業でお役に立てるのならば良い宣伝になりますし、引き受けましょう。3日ください。それまでに形にしてみましょう」
「おぉ、たった3日とは実に頼もしい。連絡を待っている」
若社長はこれを素直に喜んだ。エックスデーまでは1週間近くあるが、早いに越したことはない。
それからちょうど3日後、連絡を受けた若社長は再び発明家の元を訪ねた。
「これはたまげたな……」
そこにはどう見ても人間にしか見えないロボットが立っていた。その姿はハリウッドの有名なSF映画に出てくるロボットを連想させた。
「貴社のご要望通りこちらが1度命令すれば、その内容が終わるまでは忠実に命令を守り続け、絶対に壊れないロボットです」
「このロボットは本当に壊れないのだろうな?」
「それを確かめることは出来ません」
「なぜだね?」
「これが壊れる時既にそれは“絶対に壊れないロボット”ではないのですから」
「ふむ……」
流石は天才発明家と言ったところだ、発明家の哲学的な言い回しに若社長は感心した。回答をはぐらかされた気もしたが、ロボットは鉄の塊だ、人間の力だけではそう簡単に壊されることはないだろう。
「それで、支払いの話なのだが」
若社長は襟を正して発明家に向き直る。すると発明家から意外な言葉が返ってきた。
「その件ですが、無事に件の盗人をとっちめた時に、改めて支払って頂くという形で成功報酬というのはどうでしょうか? わたしだって詐欺師として貴社に訴えられたらたまりませんから」
発明家は冗談めかして微笑みながらそう提言する。
「なるほど、よく考えていますな」
「えぇ、ですからそれまではレンタルという形でどうでしょうか? その間に不備などがありましたら突き返していただいて構いませんので」
発明家がここまで言うのだから、よほど自信があるのだろう。それに若社長にとってもこれは悪い話ではなかった。エックスデーまでにこのロボットの性能などをチェックできるのだから。
「わかった。こちらとしても断る理由はないのでね」
若社長は発明家の提案を受けることにした。
「以上で説明は終わりです。それと命令の際は注意してくださいね。命令は1度に1つまでしか出来ませんから」
その後、発明家から簡単にロボットの仕組みについて説明されたが、工学系ではない若社長に全てを理解することは難しかった。
「あぁ分かった。それではしばらくロボットを試させてもらうよ」
若社長は発明家と契約と取引に関する書類の手続きを済ませ、ロボットと共に満足げな顔で会社のあるビルに戻った。
ロボットを会社まで運搬するのは楽だった。いや、そもそも運搬ですらなかった。若社長はただ歩け、車に乗れ、などとロボットに命令するだけでよかった。大きさも成人男性とほぼ同じくらいなので、まるで絶対に逆らわない部下を手に入れたようで、若社長は少し気分が良かった。
それから数日間、社長はロボットに様々な雑務をさせた。そしてロボットはそれを瞬く間にこなしていく。なんと素晴らしいのだこのロボットは! 若社長は発明家の技術力の高さに驚くと同時に、これなら仮にどこの誰が盗みに来ようとも問題ないだろうと確信した。
そして、エックスデ―の前日。
若社長は念には念を入れ、会社の利益や設備に関わるもの全てを分厚い金庫に閉まった。その金庫は会社の地下室に置かれており、その部屋の入口は1つだけ。そのうえ金庫のカギをロボットの服の内ポケットにいれることにした。まさに鉄壁の守りであった。
若社長は退社の間際、地下室の入口にロボットを配備し、いつものようにロボットに命令を下した。
「いいか? 誰が来ても絶対にここを通すなよ?」
ロボットは物言わずただコクリとうなずいた。これで向かうところ敵なしである。若社長は安心して帰宅した。
翌日。
若社長が出勤時間ちょうどに会社に着くと、何やら社内の様子が騒がしかった。
「……まさか?!」
まさか、そんな。本当に盗人が来たというのか。そしてロボットはどうした? 命令したはずだ! 若社長は嫌な予感を覚えつつ社内に走った。
「あ。社長! た、大変です!」
前日手紙を渡した部下の1人が社長に詰め寄ってきた。
「一体何事だ? まさか本当に盗みに来たやつがいるのか! 会社のお金はどうなった?!」
「それが、その……わからないんです!」
「わからない? なにがわからないというのだ? 確認すればいいだろうが!」
若社長は無能な部下に怒鳴りつけた。これならまだあのロボットの方が数倍使える。
「しゃ、社長が確認してくださいよぉ……」
情けない声を出す部下に、苛立ちを隠せない若社長は自ら地下室へ向かった。ロボットは命令通り地下室の前で警備をしていた。
「私だ、中に入らせてもらうぞ!」
若社長はロボットにそう言い、地下室に入ろうとドアノブに手をかけようとした
刹那、ロボットは若社長のスーツの襟首を掴むと、物凄い力で地下室の扉から引き離した。
「ぐっ?! 何をする?!」
したたかに腰を打った若社長は顔をしかめ、再び地下室に入ろうと試みる。しかし結果は同じだった。
「くそ、一体何がどうなっている?! 部屋へ入れろ! これは命令だ!」
しかしロボットは頷かず、代わりに機械の眼を赤色に光らせた。これは確かエラーのサインだ、と若社長は発明家の説明を思い出した。
エラーだと? もしかして何かの不具合か?
若社長は発明家の名刺に書かれていた番号に電話をかけた。
呼び出し音が流れ、程なくして繋がった。
「もしもし?」
「もしもし? 発明家か?」
「はい、わたしです。どうしました? って、そう言えば今日は件の日でしたね。どうです? ロボットはきちんと機能しましたでしょ?」
「あぁ……十分すぎるくらいだ。だが貴方の作ったロボットには欠陥があった。命令を遂行したはずなのに、他の命令を受け付けない。このままでは貴方に報酬金を払うことは出来ませんな」
若社長は皮肉をこめて言ってやった。会社のお金はすべて地下室の金庫の中だ。その地下室に入れない以上、金庫を開けることも叶わない。
「ふむ……お言葉ですが、未だに命令を実行しているということは、その盗人は来なかったとは考えられませんか?」
発明家のその言葉に、若社長はわずかに冷静さを取り戻した。そうだ、それなら納得がいく。やはりあの手紙はいたずらだったと。誰も来なかったからこそ、いまだに命令を遂行し続けていると。
そこで若社長は、はっとした。
自分が下した命令は何だったか。思い出す。
『いいか? 誰が来ても絶対にここを通すなよ?』
確かにそう言った。
その誰とは、不定称。すなわち、なにも盗人に限った話ではないのだ。
つまり、社員はおろか、若社長自身も例外ではない。
「おい、発明家。今すぐロボットの命令を取り消したい。これじゃ仕事にならない」
「取り消しは無理ですよ。貴社が要望したのではないですか。『1度命令すれば、その内容が終わるまでは忠実に守り続ける』と。そもそも私には止める権利は無いのです。それでは警備ロボットの意味がないですからね。もちろん破壊する手段もありません。貴社の要望ですので」
発明家はあくまでも淡々とした物言いだった。言っていることも全て正論である。
「た、確かにそのように依頼はしたが、このような事態になるとは想定していなかったのだ! なんとかならないのか?」
「貴社がどんな命令を下したかは存じませんが、わたしは前もって『命令の際は注意してください』と言いました。私の作ったロボットが要求通りの役割を果たしている以上、契約は有効です。成功報酬はとりあえず保留でいいですので、レンタル料だけでもお支払いください」
発明家は畳みかけるようにさらに言葉を発する。
「今は他の命令をすることが出来ないでしょうが、これから先、もしかしたら本当に盗人が来るかもしれません。その時は次の命令を受け付けるようになりますので安心ください。その日が来るまで、いつまでも、末長く、そのロボットを使っていただければ、ね……く、くくく」
若社長は唖然とした表情を浮かべ、ただ発明家の話を聞くだけしか出来なかった。
「あぁ、それとレンタル料は契約通り、振り込みでお願いしますね。貴社と同じ何かと忙しい身なものでね。それでは今後ともかわらず、末長くお引き立てのほどよろしくお願い致します、ね……くくく」
笑いをかみ殺しているような発明家の声がぷつりと途切れた。