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―――エントランスの正面階段の前に、振り子時計がただ孤独に佇んでいた。針が動くたびにカチッと音を響かせ、時々歯車の軋む音も合わさり共鳴する。
時計を保護するためか文字盤部分にはガラスが填められており、ステンドガラスを通した月明かりが反射している。そしてほんの僅かにエントランスを鮮やかに彩っていた。
普段であれば毎晩恒例のパーティーが開催されるはずであるが、今夜はとても物静かである。エントランス右側の扉の先が普段パーティーを開催している小さめのホールは、隙間から灯りを洩れさせることなく静寂を貫き通していた。
そんな中、振り子時計の背後に大きく聳え立つ螺旋階段を、一段ずつ丁寧に上る足音が響き渡る。使い古された革靴が大理石の階段に触れたと同時に音を響かす。その音は不思議と、聞く人によっては心地よく感じ時計の音を邪魔に感じるような、そんな足音であった。
突如としてエントランスの左側の扉の先から女性の甲高い悲鳴がここまで響いてきた。しかしその悲鳴に対し、一切動じることなく足音の主は一段また一段と階段を上っていた。数段上ったところで今度は男性の甲高い悲鳴が響いてきた。それでもなお足音の主は動きを止めない。
また数段上る、また悲鳴が響く、ずっとその繰り返し。気付けば螺旋階段の最期の段から足を離して三階へと踏み入れていた。そこからは先程までよりも僅かにペースが速く、あっという間に目的地まで着いてしまった。
「――初めまして、依頼書より参りました。『アラストル』と申します。
これより貴方様の[暗殺]をさせいていただきます」
足音の主であった青年――アラストルは自身の約二倍の高さの扉を前に一礼し、儀式的な挨拶をして勢いよく扉を蹴破った。
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「な、なんだ貴様は!……………衛兵、何をしてやがる!こいつを捕らえろ!」
「貴方様に仕える衛兵とは、先程の悲鳴に向った弱者の事でしょうか?どちらにせよこの場には誰一人として来ないでしょう」
そう淡々と告げた青年は漆黒のローブに身を包み、心臓と同じ高さまで伸びた黒髪に加え純白の手袋を両手に填めていた。しかし折角純白であった手袋は、部屋の前に居たもう一人の衛兵の死体から滲み出る血液によって赤黒く染められ始めていた。
対抗するかのように領主はその膨よかな身体を動かして、木箱をガチャガチャさせながら一本の短剣選び、取り出して構える。
「今はこれでも昔は戦場の前線で戦ってきたんだ!貴様のような下賤な者が私に歯向かうなど万死に値する!」
領主が短剣を構え突撃する。その構え方や姿勢からアラストルの心臓を狙っていると、素人が見ても分かるような浅はかで単純な攻撃であった。それでもなおアラストルは微動だにしなかった。
「――……………」
唯一、その口元だけが嗤うかのように動いていた。まるですべて思い通りに事が運んでいるかのように。
領主がアラストルに接近しその漆黒のローブに触れようとした瞬間、アラストルは左側へと躱した。しかし、突如として何故か砕け始めた短剣が細かな破片となって意図しない傷を負ったがそれでもなお、その口元は嗤い続けたままである。まるで自身のシナリオ通りになったかのように。
「あーぁ、この俺に傷を付けるなんてやるじゃねぇか……………話と違うがあいつの仕業なのは間違いねぇ。こりゃ相当な鬱憤が溜まってんな、でその原因がアンタってとこか。久々にいい気晴らしになるじゃねぇか!」
それは今までの敬語がすべて演技であったことを証明する、限りなく暗殺者らしい作戦であった。
領主は「動かない標的を楽観視した結果、罠に嵌められた」と、この時になって初めて確信した。
腰ベルトを細工して作られたナイフポッケから小型ナイフを左手で取り出し、そのままの勢いで領主の右腕を肩から切り落とす。今夜一の悲鳴が屋敷中に響き渡り、隠れているネズミでさえ恐怖で屋敷を抜け出してしまった。
しかし領主は逃げる事すら許されず、ただ悲鳴を叫ぶことしか選べなかった。右肩を起点に激痛が全身に走り、左手で抑えようと直接触れてもただ血で汚れるだけ。左手が真っ赤になってもそのことに気付くことなくのたうち回る。しばらくはその繰り返しであった。
元から存在しなかった隙をあえて狙うように攻撃をするためにアラストルは歩み寄る。
「この屋敷に丁度二か月前にメイドとして入った金髪、そいつが俺の部下だ。アンタはそん時から狙われていた。領民を蔑ろにした挙句、自分の欲望のために税金を課していたのならここまで恨まれても当然ッつぅ訳だ。」
「ま、待ってくれ。お金ならあるだけ持ってっても構わん。税金もやめてあいつ等も大切にする!だから、この命まではやめてくれ……………殺さないでくれ!」
領主の顔は涙と鼻水とヨダレで見るに堪えない有様になっていた。そんな顔で必死に懇願するが、アラストルはその背後の一面に広がる窓ガラスの先、外の景色を見ながら歩んでいた。
まさに「聞いてはいるけど興味なんて微塵もない」と言わんばかりの態度である。
「あ?……………あぁ、その命までは俺は取らねぇよ。調査書にはアンタが人を殺したって事実が無いからな。安心しろ、死ぬ寸前まで痛みつけてから解放するつもりだ」
興味を無くして捨てようとするおもちゃのような扱いを、仮にも一人の人間に対してすることではないが、それが彼の――アラストルの今のエゴで在るのならば仕方がないとも言える。
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そのまま四肢を切り落とした後、だるま状態の領主を高級感溢れる椅子に縛り付けた。いつの間にか領主の意識はなく、白目を向きヨダレを垂らした醜い姿へとなっていた。
アラストルは窓の方へと歩み寄り、月明かりの下左手のナイフを右手のハンカチで拭いた。右手のハンカチは中央部分が強く赤黒い色へとなっており、逆に端っこは薄く血の混じったような白色が残っていた。
そのうち廊下側から少女の声が聞こえ反射越しに彼女を見た。
「ボス、お久しぶりに御座います『アマリリス』です。こちらの処理も終わり、地下発電室に時限爆弾を設置してきました」
「そうか、この二か月間ご苦労であった。話は後で聞こう」
アマリリスと名乗ったメイド服を着た金髪の少女は淡々とそう告げた。アラストルの最も信頼できる部下として、彼女をこの屋敷に送り出したのが二か月前の事であった。
アマリリスの琥珀色の瞳も金髪も、まるで埃を被ったかのように輝きを失っていた。そこだけで見ても、良い待遇を受けていなかったと認識できる程にひどい有様であった。
「ボス、そのクズ(領主)をどうするおつもりですか?」




