第六幕 また手を取り合って
第六幕 また手を取り合って
ライブ会場は、あの夜と同じ匂いがした。照明の熱、人の波、胸の奥まで響く低音。
——結局、来てしまった。
最前列じゃない、目立たない席。それでも、ここからならちゃんと見える。
ステージに光が落ちる。歓声が上がり、一番前の列に沙友里が立っていた。
以前見た、あの夜と同じ構図。僕は客席で、沙友里はステージの上。
歌い出した瞬間、会場の空気が一気に持ち上がる。あの頃より、ずっと堂々としている。声も、表情も、動きも。
——アイドルなんだ。
そう思ったら、目を離せなくなった。これが沙友里の目指した世界だった。
曲の途中、沙友里がふっと客席を見る。ライトが揺れる。視線が流れる。
……今。
ほんの短い間だが、確かに目が合っていた。沙友里も僕も動きを止めて、見つめ合っていた。それは気のせいではない。この広い会場で、二人きりの瞬間だった。
胸の奥が、はっきりと鳴った。遠いのに、届いてる。見えている。
手を繋ぐことができなくなっても——それで、十分だった。
終演後、人の流れに押されながら会場を出る。
ふいにスマホが震えた。画面を見て、息が止まる。
『今日、来てくれたんだね』
短い文だが、確信に満ちている。少し迷ってから返す。
『最前列じゃなくても、ちゃんと見てたよ』
すぐに既読がついた。少し間があって、次のメッセージが届く。
『直哉のこと、すぐに見つけた』
胸が、ゆっくりと温かくなる。
『うん。僕も見てたよ』
数秒後。
『……ねえ』
続けて、画面が光る。
『私は、まだあなたの彼女でいたい』
『この先も、ずっと』
『大好き』
指が震えた。送信した後、視界が滲んでいる。
『待ってる』
『僕も……大好きだ』
忙しいはずなのに、返事はすぐに来た。
『ありがとう』
『だから、待ってて』
僕は夜空を見上げる。涙と気持ちが零れないように。
——待つ。
これからは、ただ待つだけじゃない。僕も沙友里のように、自分の道を進まなくては。
——それから、数年後。
サイン会の会場は、昔行ったライブ会場よりも、ずっと静かだった。
列に並ぶ人たちの手には、俺の描いた漫画。タイトルは『アイドルとの恋』。順番が進み、視線を上げた瞬間——人混みの向こうに目が止まった。
まだまだ列は続いている。
「すみません、ちょっと」
一番前の女性に声をかけ、立ち上がる。目的の場所を目指した。
駆け出したくなる気持ちを抑え、少しゆっくり歩く。もう見失わないように、目を離さない。
人込みをかき分け——
ようやくたどり着いた。
「よく、私を見つけられたね」
沙友里はそう言って笑う。
「沙友里だって、見つけてくれただろ」
「いつも、探していたから」
「俺だって、そうだよ」
一歩、近づく。もう、誰も止めない距離。
「待ってたよ」
自然に、言葉が出た。
「また、手を繋げる日を」
沙友里は、少し目を潤ませて微笑んだ。
「私も……ずっと、この日を待ってた」
そっと手が重なる。今度は止めなかった。
周囲がざわめき、誰かが拍手をした。それが広がっていく。
俺は沙友里と顔を見合わせて、笑った。
時間はかかった。
でも——また、手を繋ぐことができた。




